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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
307/424

ROAD-EIGHT:フレディの覚悟01


 地球歴2260年、5月24日。

 グリーゼ581星系の重力緩衝地帯には、地球から到着した艦隊が漂っていた。


 その旗艦である超光速巡洋艦バンガードの艦内。

 ブリッジ付け根の展望デッキには、フレネル・マッケンジーの姿があった。

 全身を白銀に輝く軽金属で覆う、まるでロボットのような姿だった。


 眼下に広がる惑星を見つめ、フレディは立ち尽くしていた。

 その周囲にいる派遣艦隊参謀陣は、控え目な声で進言した。


「閣下。機体制御はまだ万全ではありません」

「そうです。どうかお座り下さい」


 グリーゼへと到達した地球からの派遣艦隊は、総勢50隻を越える陣容だ。

 その艦隊の内部では、フレネルの身体の調整が続いていた。

 意地を張って立っているフレディは厳しい表情を浮かべる。


 あのスペースコロニーでの戦闘で急減圧に曝され、フレディは死にかけていた。

 その全身に窒素の血栓を造り、身体中の細胞が酸欠で死にかけたのだ。


「不便……だな……」


 言葉すらも辿々しくなった彼は、己の限界を感じ始めていた。

 だが、それでもフレネルは自らを律していた。


 根強く残る人種への偏見と差別を克服するのは自己研鑽それのみ。

 仮にも少将という職を引き受けている以上、責任を果たさねばならないのだ。


 教えを受けたロイエンタール将軍は、重い病を得てなお働いた。

 如何なる境遇であろうとも、飄々と動く姿こそが大事なのだと知っていた。

 社会の意識改革など、負け犬の戯言でしかないのだ。


「やむを得ません」

「そうです。それでは誰であっても責める言葉を言いませんよ」


 参謀陣の言う気休めなど、フレディには何のありがたみも無かった。

 相手を黙らせるだけの実力を見せつけ、真の敬意と尊重を勝ち取るべし。

 人種差決克服の根本はコレに尽きる。


「いや、私はまだやれるさ」


 精一杯の強がりをフレディは吐いた。

 ただそれは、強がりだけではなく自分を奮い立たせる為の言葉でもある。


 モハメド・アリだってジャッキー・ロビンソンだって、そうやってきた。

 泣き言や同情を引く言葉ではなく、実力でレイシストをねじ伏せたのだ。


 決して立派な人物ではなかったのかも知れない。

 だが、人並み以上の能力を見せ、役に立つ事を証明する。

 結果として社会に認知され、その扱いが大幅に良くなる。


 どこまでいっても人種差別はなくならない。

 何故ならそれは、人種ではなく人間性の、況や要するに人格への差別。

 人種差別を大義名分に利益を得ようとするズルへの嫌悪感だ。


 自分への不当な扱いは人種差別だと騒ぎたて有利に立とうとする行為。

 それらへの普遍的な嫌悪感が人種差別の正体なのだ。

 故に、フレディは泣き言も言い逃れも一切しなかった。

 実力を認めさせると言う意識がフレディを支えていた。


「現在地を……把握して……いるか?」


 フレディは精一杯の意地を張ってそう訊いた。

 名目上は派遣艦隊の責任者であるからして、任務を果たさねばならない。

 バンガードのバイタルパート内部にあるCICから情報がやって来た。


 ――――現在グリーゼ581cの東経84度南緯22度です

 ――――秒速15キロで周回軌道にあります


 その情報に頷きつつ、フレディは地上を見ていた。

 事前情報にあった開発中のデータは全部意味がないらしい。


「閣下。情報部よりレポートです」


 いくつかの書類が編集されフレディの手元に届いた。

 それは取り扱い注意のスタンプが捺されたモノだった。


 ――先着している艦艇が居る……


 その文字にフレディは表情を曇らせた。

 思うように動かない身体を苦々しく思いつつ、レポートの文字を追った。

 眼球が動くのではなく、意識だけが文字列の上を滑っていく。


 ――これが……サイボーグか……


 ふと、フレディの脳裏にひとりの男が姿を現した。

 その男は、自分も自分以外の誰をも退ける、鉄の意志の持ち主だ。

 様々な誹謗中傷や陰口じみた噂話を全て蹴散らしていた。


 ――ここは君もこのプレッシャーと戦っているのか……


 フレディの脳裏に姿を現したエディ・マーキュリー少佐はニッと笑った。

 そして、サイボーグとは思えぬ滑らかさで身体を動かしターンして見せた。


 ――私もあの様にならなければ……


 まだまだ責任を果たしたい。役に立つ事を証明したい。

 なにより、ロイエンタール将軍への恩義を返したい。

 その一念だけが、現在のフレネル・マッケンジーを支えていた。











 ――――――――コロニー『ナイル』高度先進医療センター

           シリウス協定時間 2250年4月21日











 緊急処置室の奥深くでフレディは意識を取り戻した。

 割れるような脳幹の激痛と戦いながら、必死で状況把握に努めた。


 眩い光の降り注ぐベッドの寝心地は最悪だった。

 まるで検死を行なう作業台のような、そんな感触だった。


「ここは?」


 一言だけ漏らした言葉には、隠しようの無い不安があった。

 死んであの世に到着したのか?と、そんな事すら思っていた。


「ここはコロニーの医療区画です」

「私は……死ななかったのか?」

「はい。幸いにして一命を取り留めました」

「そうか……」


 深い安堵と生き残った事に対する喜び。

 そのふたつがフレディの心の中に暖かな光を燈していた。


 だが……


 ――ん?


 身体を動かそうと思っても全く動かない。

 それどころか、身体中に鉛でも詰め込まれたかのような重みがある。


 接触している感覚はあるが、それ以上の情報を皮膚感覚は伝えていない。

 そも、温かいのか冷たいのか、そして、硬いのか柔らかいのかすら解らない。


「……神経が不随になったのか?」


 言葉だけは喋れる関係で、フレディは最初に半身不随の可能性を思った。

 激しい衝撃により頚椎か脊髄かを痛め、その治療に当ったのだと思った。


 だが、フレディの視界に映る医師は、残念そうな表情で首を振った。

 明確な否定の意思を示したその男の目は、哀れみと同情を湛えていた。


「残念ですが、不随というレベルではありません」


 医師は一歩下がって手にしていたリモコンを動かした。

 フレディの寝ていたベッドが電動で動き始め、フレディの視界が流れた。


「……これは」


 フレディが見ているのは巨大な鏡だ。

 そこに映っているのは医師とそのスタッフたち。

 そして、自分の顔が張り付いた白銀に輝くロボットだった。


「残念ですが御身体の方が酷いダメージでした。急減圧により――」


 医師がその鏡に触れると、ガラス面上にホログラム状の姿が映った。

 フレディの身体格好が表示され、その半分以上が赤く点滅していた。


「――体組織の68%が体液沸騰による熱傷をおいました。その結果、内蔵を含めた大半の身体が機能不全を起こし、もはや死ぬのを待つばかりでした」


 鏡のガラス面上に映ったのは、医療区画へと運び込まれたフレディだった。

 エディ少佐が担ぎこんだ時、フレディは全身が凍り付いていた。


「急減圧による凍結と窒素の血栓が身体中を破壊しました。そして――」


 そこに表示された情報は、フレディをして残念を通り越すモノだった。

 ダメージを受けたのは主に身体の方だが、深刻さの次元は脳の方が酷かった。


「――脳は脳幹部分をそっくりと焼いてしまう程のダメージです。正直に言えば、いま現状として閣下が存命しているのが奇跡です」


 医療主任の席に着くドクターは、エンジニアマークも付けていた。

 つまり、医療の範疇から技術開発の範疇に移動しているのだ。


「現状の私は……生きているのか? それとも生かされているのか?」


 この問いの本質は、実は非常に厳しい所にある。

 サイボーグを含めた生きている存在の要件とはつまり、自発的生命活動だ。

 つまり、無意識下における自立的な神経の活動が重要になってくる。


 生きる意思を持っているのでは無く、脳が自立的に生きている事が重要。

 そして、それが認められない場合、脳が外部的補助によって機能している場合。

 つまり、心臓を含めた生命維持の根本を脳以外が掌っている場合。


 それはサイボーグなどでは無く、アンドロイド扱いとなる。

 最も簡単に言えば、疑似人格によるロボットでしか無い。


「現状では……最大限甘く見積もって半々です。率直に申し上げますと――」


 医療主任の男はやや声音を落として言った。


「――7割方は外部機能による生命維持です」

「……そうか」


 声を落としてフレディはそう応えた。

 脳幹に深刻なダメージを受けた結果、生命維持機能は大半が停止していた。

 結果、好むと好まざるとに関わらずフレディは現実を受け入れるしか無かった。


「良くやってくれた。如何なる形であれ、私の人格が残ってるウチにやらねばならぬ事があるのだから、その時間を生み出してくれたことに例を言いたい」


 フレディは将軍と呼ばれるポストに相応しい振る舞いを心掛けた。

 かつて師事したロイエンタール将軍の姿だった。


「私自身に選択権が無かった状況で文句を言うのは筋違いだ。だから、こうやって話が出来るだけでもありがたいと言う事だ。現状を受け入れる事に抵抗は無い。歓迎はしないがね」


 笑みを添えてフレディはそう言った。

 現状では半ロボット化せざるを得なかった。それは仕方が無い。

 脳幹から連なる神経に直接介入し、生命維持機能を走らせているのだ。


 その機能が停止すれば、間違い無く即死するだろう。

 まだ死にたくない。そう願うくらいの自由はフレディにだってある。


「とりあえずリハビリを行いましょう。脳を活発に使えば再生も捗ります。まずは脳幹部分のリビルトが進むようにメニューを作りましょう」


 リハビリ担当は明るい口調で言い、フレディもまた明るい表情で首肯を返した。

 少なくとも現時点では希望がある。全員がそんな共通認識を持っていた。


 ただ、現実はそう甘いものでは無いことを全員が知るのは翌朝だった。

 医療センターの一室に陣取ったフレディだが、朝の段階で脳幹が死んでいた。


 脳幹だけが生きていて小脳より外部が死んだ状態を脳死と呼ぶ。

 フレディはその反対の状態にあり、脳幹機能は外部サポートされていた。


「閣下。非常にまずい事態です」

「……何とかならないか?」

「可能な限り手を打ちましょう」


 医療主任はまず、脳活性化の為に薬液注入から行った。

 脳殻内部を活性化させる薬品により、ショック療法を行ったのだ。

 そして、それと同時に低電圧の電撃ショックが行われる。


 言うなれば、脳内を走る微弱電流の再点火だ。

 瞬間的に全身が暴れる程の衝撃だが、フレディは黙って耐えた。

 凄まじい激痛と体内深部の痺れが辛かった。


 しかし……


「改善しませんね」


 医療主任は肩を落としていた。

 現状ではどうにもならない状態だった。

 夕方まで掛かった治療行為の全てが徒労だった。


「やはりダメか……」

「……閣下の治療を行える程、技術があるわけでは無いのです」

「では、技術開発からか。時間稼ぎが必要だな」


 フレディの前向きな言葉に医療主任も苦笑いだった。

 ただ、その直後に言ったフレディの言葉は、全員が押し黙るものだった。


「で、改善してるのか?」


 それは、医療センターの中でこの日最初に主任と会話した内容だった。

 フレディの部屋を訪問した医療主任にフレディがそう聞いたのだ。


 ……短期記憶がすっぽり抜け落ちている


 誰もがそれを思った。

 フレディの脳は、すでに脳幹以外の部分までがダメージを受けている。

 そう結論づけられる状態だった。


「閣下。いっそうのこと、予定されているグリーゼへの旅に同行されてみては?」


 そう提案した医療主任は、そこから一気にまくし立てた。

 文字通りに生命への執着を見せる姿だった。


「片道10年に及ぶ長旅ですが、往復20年が経過する頃には新しい医療技術が生まれているかも知れません。それに一縷の望みを託してみては……」


 事実上、問題の先送りに過ぎない。

 だが、現状ではどうしようも無いのだから受け入れるしか無い。

 僅かに逡巡したらしいフレディは、小さく溜息をこぼしながら言った。


「現状ではどうしようも無いことだな」

「えぇ……」


 腕を組み、考え込むフレディは思う。

 直前の記憶すら消えてしまいかねない程にぶっ壊れている自分の脳。

 ならば今ここで死んでも一緒じゃないか……と。


 そして、逆に言えば可能性のある分だけマシとも言う。

 実際、こんなチャンスに巡り会えず、戦場ですり潰された兵士は数知れない。

 ならば次のチャンスの為に。その次のチャンスの為に。


 自分自身が実験台になっても良いのでは無いだろうか?


 全身を破壊されるダメージに曝され、死ぬの待ちの兵士に希望を与える。

 それもまた、高階層の者に背負わされた貴族の義務かも知れない。


「そうだな。先ほど、どんな提案だったか既に記憶に無いが――」


 短期記憶が完全にバカになっている。

 それはもう見ている方が遙かにハッキリと感じていた。


「――人類の為に役立つなら、遠慮無くやってくれ。技術開発の土台になる事を志願する。多くの負傷した兵士たちが笑って帰れるようにしてくれ」


 それこそが、フレディのグリーゼ訪問理由だった。

 往復で20年の時を稼ぎ、尚且つ、社会の為に役に立つ事の実践だった。

 そして、自分自身の救済を望むフレディによる、生存権獲得闘争だ。


 何故なら、自立した生命活動を維持出来ない場合には、死亡宣告が出される。

 それが出された場合、AIによるサポートを行っているロボットとされるのだ。

 最も簡単に表現するなら、人扱いされる事が無くなるのだった。


「解りました。では、その様に」


 医療主任は深々と頭を下げた。

 ただ、そこから先は本当に地獄だった。


 グリーゼへと向かう船の中、様々な薬物投与が行われた。

 それと同時、脳の活動を活性化される様々な刺激が与えられた。

 痛みと焦燥感と屈辱に震える夜が順番にやって来た。


 そして……


「歩けた!」


 地球からワープを繰り返してきたバンガードが、最後のワープに入る直前。

 フレディは遂に一人で自立歩行するに至っていた。

 それは大きな前進なのだった。






「閣下」


 一瞬だけ意識がシリウスへと飛んでいたフレディ。

 その心を秘書が呼び戻した。


「どう……した?」


 辿々しい言葉がフレディの口から漏れる。

 だが、秘書はそれに動揺すること無く要件を告げた。


「現状のグリーゼについて報告があるとマーキュリー少佐がお見えです」

「ほぉ……」


 そんな声を出して振り返ったフレディ。

 だが、展望デッキへと姿を現したエディの姿にフレディは不安を覚えた。

 言葉では言い表せない、微妙な問題の話だった。


「報告しにくいことですが、言わねばなりません」

「余り良い話では……なさそうだね」

「はい」


 そこから先、静かに切り出したエディの話にフレディは驚くばかりだった。

 このグリーゼで何が起きたのか。先に到着していた彼らは何を見たのか。

 そして、そもそもグリーゼへ派遣されていた地球人類がどうなったのか。


 俄には受け入れ難い話がエディの口から報告された。

 それを聞くフレディが表情を曇らせる程のものだった。

 何より、最も混乱した案件は異なる惑星文明との接触だった。


「……これは非常に難しい問題ですが」


 エディの報告をようやくした秘書達がその場で資料をまとめた。

 フレディはただ黙って腕を組み考えていた。

 短期記憶が曖昧になる現状では、まともな結果が出るとは思えない。


 だが、軍隊と言う組織の悲しさか、階級はまだ有効だった。


「では、要するに君は、地球文明の危機だと、そう言うんだね?」

「そうですね。その認識で間違いありません」


 異文明が見せた壮絶な砲撃戦。

 その映像を垣間見た派遣艦隊の参謀陣は、誰もが言葉を失った。


 何とかコレを避けねばならない。とばっちりは回避したい。

 そう願った彼らはエディの報告を真剣に聞いていた。


「再度の遭遇に備えるべきかと思います」


 エディもまた、そう提案するのだった。


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