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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-SEVEN:サンドラの野望06

~承前






「君は可愛い女だな」


 ポツリと漏らしたエディは、愛らしい小動物でも見るかのような眼差しだ。

 野望に身を焦がすのは男ばかりじゃ無いが、潰えた時の反応はやはり女だった。


「……からかわないでください」

「いや、紛れもない本音だよ。そして、どんな世でも君の魂は変わらないんだな」


 唐突にそう切り出したエディは、薄笑いのままサンドラを見ていた。

 まるで、その内側に宿る魂そのものを見つめるかのように。


「あの……」

「……あぁ。悪い癖だ。気にしなくて良い」

「ビギンズ……あなたはいったい」


 サンドラの声音がわずかに震えた。

 何か大切な事に気が付いたのだが、その違和感の正体を上手く表現出来ない。


 ビギンズ=エディ・マーキュリーという人物の持つ存在感の異様さ。

 言い換えるなら、掴み所の無い変幻自在ぶりの理由だ。


「君はブッダという存在を知っているかい?」

「はい。もちろん」

「そうか……」


 フゥと一つ息を吐き、床に視線を落として押し黙ったエディ。

 その重い沈黙にサンドラが痺れ始めた頃、不意にエディが切り出した。


「人は死んで生まれ変わるという。如何なる文化や文明や社会や民族や、そう言った相違を乗り越え、横断的に横たわる地球人類の生命理論だが――」


 床に視線を落としていたエディは、俯いた姿のままで視線を持ち上げた。

 上目遣いの三白眼でサンドラを見ているのだが、腰の引ける迫力だ。


「――前世の記憶を持ったまま生まれてくるケースが稀にある」

「ビギンズ……あなたは……いや、あなたも……そうなのですか?」

「……も?」

「いえ、あなたもその様な人々と同じく……」


 サンドラの問いに対し、エディは黙ったまま頷いた。

 驚きの余り息を呑んだ彼女を前に、瞳を閉じて言葉を継いだ。


「……生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生のはじめに暗く。死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し……」


 小さな声で『はい?』と聞き返したサンドラ。

 エディは薄目を開け、まるで瞑想するような姿で言った。


「この記憶の正体を探ろうと、地球へ留学した私は必死になって調べた。自分の産まれる前の記憶がいったい何なのか。それを知りたかったんだよ。ただね、その何処を辿っても最終的に行き着くのは宗教だった。言い換えれば――」


 薄目をカッと見開き、エディはサンドラをジッと見た。


「――人類普遍の現象だが、そのどれもが特異な事態で、なおかつ遠い遠い昔から繰り返している事のようだと知った。そしてね、その中で私は……出会ったのだ」


 エディの語る言葉を反芻するように呟くサンドラ。

 出会った……という言葉に、余りよろしくない想像をするのだが……


「……誰にですか?」


 恋い焦がれた対象を前にそれを聞くのは女の性だろう。

 サンドラはその答えを聞き逃すまいと意識を集中させた。


「今から約4000年前。インド亜大陸の片隅に一人の男が生まれたそうだ。その男は王族に生まれながら神の教えを求め、全てを知って神になった」


 ポカンとした顔になったサンドラは『ブッダ』と呟いた。

 その言葉を聞いたエディがニンマリと笑って頷く。


「シャカと呼ばれたその男は、過去幾度も幾度も転生を繰り返したんだそうだ。幾つもの世界線を越え、異なる文明や世界や宗教や……時代を経験し、やがてシャカは悟りを開いた。人の生涯は苦の連続だが、それを乗り越える術だよ」


 首を傾げたサンドラは、意味が分からないらしい。

 ただ、それはエディにも折り込み済みだった。


「私は……この世界に生まれる前、異なる文明の中でイヌの王に生まれた――」


 首を振りながら溜息をこぼすエディの姿が悲痛だ。

 サンドラはそこに何があったのかを、なんとなく察した。


 夢を抱いて行動し、やがてその夢が破れたのだろう。

 愛や理想だけでは世界が変わらない事など無い。

 それは、シリウスの社会を見ていれば嫌でも解る事だ。


「――ひとつの夢を持って、世界が良くなるように……と、そう願って世界を統べた……つもりだった。だがね」

「夢が破れたのですね?」

「あぁ」


 はっきり言うなよ……と、そんな恨みがましい目でサンドラを見るエディ。

 その眼差しも姿から醸し出される迫力も、サンドラを飲み込みには申し分ない。


 ――勝てない……


 サンドラはそれをハッキリと認識した。

 王家の血筋だの血統だの、そんなものなどエディには必要ないのだ。

 王とは生まれながらにして王たる存在であり、また努力を求められるもの。


 エディ=ビギンズはその前世で、王なる生き方を求道していたのだ。

 だからこそ、そんな権威の担保になど興味がないのだ。


 王たるものは、王に祭り上げられるべくして王になる。

 誰かの権威でなる王は、王では無い。


「未だかつて、一度たりとも転生者というものに出会った事は無い。だが、確実にひとつ言える事は、前世でも私は君に出会っている。サンドラ。君は私の……」


 妻だったと言いかけ、エディはその言葉を飲み込んだ。

 そこに、余りに辛い記憶が横たわっているのだ。


 心の底から愛した存在を失い、2番目に迎えた妻。

 その生涯は、斃れ果てるまで比較に苦しんだ姿だった。


「……私も転生したのでしょうか」

「記憶がないだけで、もしかしたら同じ存在かも知れない。ただ、偶然が重なってたまたまそう見えるだけかも知れない。その真実は私にも解らないよ」


 飲み込んだ言葉の重さにエディは狼狽えた。

 実体験の伴わない記憶だけの存在。

 いつも愁いを帯びる笑みを浮かべていた女性がそこに居た。


 ただ、それを表情で読み取られなかったのはラッキーだ。

 ある意味、サイボーグで良かったと言うところだが……


「転生者……」

「ある意味、転生とは生まれ変わりそのものだ。つまり、来世って奴だな。生憎わたしは神って奴に会ったことはないが、多くの宗教では来世の存在を説いている。幸せな来世のために。いまを正しく生きなさいって教えだな」


 言外に軽はずみな行為をするなと釘を刺したエディ。

 それを読み取ったかどうかは解らないが、サンドラの顔色は明確に変化した。


「私は何の為に前世の記憶を持って転生したんだろう?と随分考えたよ。ただ、幾ら考えても結論を得なかった。だから、考える事自体をやめたんだ。でもね、前世の記憶に残っている英知は今も役立っていると断言できる」


 エディの言った英知と言う言葉に、サンドラはただならぬ興味を示した。

 それを教えろと言わんばかりの眼差しは、彼女の意志そのものだ。


 エディは首肯しつつ、切り出した。


「ある意味、呪われた生なのかも知れない。何処まで行っても、好まぬままに望まぬままに、多くの存在から期待と願いとを勝手に背負わされ、苦痛を共に歩く宿命なのかも知れない。だけどね、前世で経験した事を思い出せば、それを軽くするヒントがあるんだと気が付くのさ。誰でも幸せに生きる方法のヒントだ」


 ――あ……

 サンドラの表情に光が差し込んだ。

 エディの言わんとする言葉は、自分自身の救済だと気が付いた。


「もっと力を抜いて、楽に考えるんだ。苦しみも辛さも全ては他人から勝手に背負わされたモノで、いい加減な幻みたいなものだから気にしなくて良い。基本的にこの世は空しいものなのだ。痛みも悲しみも最初から空っぽなのだ。何故なら、この世は変わり行くもので、変化する事によって安定し続ける。苦痛の元だっていつまでも存在するわけじゃ無い。つまり、今感じる苦を楽に変える事だって出来るってことだ。そうだろ?」


 サンドラは無意識レベルで首肯していた。その通りだと膝を叩きたい程だ。

 エディ=ビギンズの経験してきた様々な苦痛こそが彼を鍛えた。

 苦しみも哀しみも心を鍛える為の研き砂なのだった。


「私だって母親から生まれた人間だ。生きていれば汚れる事もあるし、嫌でも背負い込む事だってある。だから逆に、抱え込んだ苦痛の元を捨てる事も出来るはず。アインシュタインが言った通り、全ては相対的なものなのだからね」


 ニヤリと笑ったエディは『この世がどれだけいい加減か分ったか?』と言った。

 苦しみだの痛みだのと、そんなに拘る事自体が無駄な行為だと言わんばかりだ。


「見えてるものに拘ったり、聞こえるものに拘泥したりなんてのは時間の無駄さ。味や香りが人それぞれな様に、感覚には個人差があって当たり前だ。不変の定理なんてのは、何のあてにもなりやしないもの。その方が都合が良い奴らが金科玉条のように言ったところで、いつまでも変わらないなんて筈が無い。だからね――」


 黙って聞いていたサンドラの目に涙が溜まり始めた。

 浄化された……と、彼女自身がそう思っていた。


「心は揺らぐもの。だからそれに拘るなんて無駄だ。それをシャカは『無』だと表現した。生きていれば色々ある。辛いものを見ないようにするのは難しいし、逃れられない苦痛だって確実に存在する。だけど、そんなものはそこに置いていけばいい。先の事は誰にも解らないんだ。無理して理解しなくても良いんだ。もっと言えば、見えない事を愉しめば良い。それを『生きてる実感』って呼ぶのだろう」


 エディはスイッとサンドラを指さしニヤリと笑った。

 その笑みにゾクリとしたものを感じたサンドラの表情が僅かに強張った。


「君は今まで正しく生きるって事に拘りすぎたんじゃ無いか?。自分の考える理想以外に正解は無いと思い込んでいた。故に、こんな事までして目的の為だけに生きてきた。そんな人生はここで終わりにするといい。明るく生きるってのは誰にだって出来る。苦しんで生きる必要なんて無いのさ。人生を。自分自身を愉しんで生きる存在になればいい」


 黙って聞いていたサンドラに肩をすぼめて見せたエディ。

 その、軽妙洒脱な振る舞いには匂う様なダンディズムがある。


 今までのどんな瞬間よりも、サンドラはバーニーを羨ましいと思った。

 この男の。エディ・マーキュリーという存在の心の中に入れたのだから。


「ただ、勘違いしないで欲しい。非情になれって言ってるんじゃない。夢や理想や慈悲の心を忘れたら、人として大切なものが欠損している。非常にならず、夢を持ち続け、今を楽しんで生きて行く。それがきっと悟りの正体だろう。なにも生き方を変える事は無い。ただ受け止め方が変わるんだ。心にそんな余裕を持つ事が出来るなら、きっと誰でもシャカの様に生きられる」


 淡々と語り続けるエディの言葉を反芻していたサンドラ。

 ある意味でそれは、催眠状態とも言えるし、洗脳状態とも言える。


 ただ、サンドラはそれを望んでいたフシがある。

 だからこそ、エディの言葉がスルスルと書き込まれていくのだろう。


「この言葉を復唱すると良い。短い言葉だが、きっと役に立つ」

「はい」

「全てこの手の中にある」


 ――――全ては……この手の中にある……


「全てを越えていける」


 ――――全てを越えていける……


「心配するな。大丈夫だ」

「はい」


 サンドラの心の奥深くに刻み込まれた魔法の言葉。

 見事なまでに術が決まったとエディは確信した。


「いつの日か、この戦争は終わるだろう。独立闘争をしかけた奴らは、全てこの手で滅ぼしてやる。ただ、奴らが火を付けてしまった民衆の怒りと憎しみは容易じゃ無い。人類史を紐解けば、両陣営が燃やす憎しみの炎は、それを消し去るだけの涙でしか消す事が出来ないんだよ。もう沢山だ。やめてくれ!と民衆が願うまで、終わらないと思う」


 恐ろしい話をサラッとこぼしたエディ。

 ただ、今のサンドラには、その言葉の意味が解った。


「全てが終わった時、私は舞台を去るつもりで居る。私の両手は血に塗れるだろうからな。ただ、平和になったシリウスには象徴が必要になる。全てのシリウス人が等しく戴く象徴としての存在だ。それこそが本当のビギンズだ。私もビギンズだがビギンズでは無くエディ・マーキュリーというひとりの地球軍少佐に過ぎない。シリウス人が願う象徴としてのビギンズの為に、君は死んではならないし、軽はずみな事をしてもいけない」


 コクコクと首肯しながら聞いていたサンドラ。

 だが、彼女は最後になって、ハッと表情を変えた。


「そっ…… それはッ!」

「あぁ、そうだ。全てが終わった時――」


 エディはニヤリと笑って言った。


「――その時、君がそれに相応しい存在であったなら、胚を君に渡そう」

「ビギンズ……」

「いま言ったばかりだぞ? 私はビギンズでは無い」

「……はい」


 サンドラの瞳から涙が零れた。

 今日この日まで彼女を突き動かしてきた何かが、液体になってこぼれ落ちた。


「君がシリウスの象徴の母となれば良い。ただ、これは先に言っておくが――」


 エディはもう一度サンドラを指さして言った。


「――軽はずみな事はするな。私怨で動くな。仲間を売るな。仲間の信頼を裏切るな。象徴の母として相応しい存在になれ。シリウスの為に、それ以外の一切を犠牲にしてでも、全てのシリウス人民の為に生きて、シリウス人民の為に死ぬ事を厭わない存在に昇華するんだ。そうすれば……だれも文句を言わないだろうさ」


 口元を手で押さえ、サンドラは小さな声で『はい』と答えた。

 その姿に首肯を返したエディは、手を払って帰れと意思表示した。


「ジャンは返してくれよ? 私にとって必要な手駒のひとつだ」


 コクリと頷いたサンドラに、エディは畳み掛けるように言った。


「これから先、何があっても私のやり方を邪魔するな。むしろアシストしろ。バーニーを見ていれば分かるはずだ。私は……シリウスの全てを手に入れる」


 エディの語ったその言葉にサンドラは震えた。

 そして、その場に立ち会いたいと、心の底から願った。


 どんな言葉を返して良いのか解らず、その場で敬礼を返し立ち去ったサンドラ。

 全てはエディの掌中だと理解しつつも、それに乗りたくなったのだ。


 サンドラはシリウス船へ戻ってすぐにジャンを解放し、キャサリンに詫びた。

 自爆寸前だったジャンはキャサリンに別れを告げ、エーリヒ・トップへ戻った。

 全てが流れるように進み、あっという間に事態が解決していた。


 それこそ、全員がキツネにつままれているような気分だった。

 ただ、それに付いて考えている時間は余りなかった。

 ジャンが戻ってきて程なく、地球からの船団がグリーゼに到着したのだ。


 ――エディ少佐の役に立たなきゃ……


 到着した船団を眺めながら、サンドラはそう独りごちていた。

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