転機
――リョーガー大陸 ニューアメリカ州 臨時州都グレータウン
シリウス標準時間 6月8日 午前
臨時宿舎に宛がわれたホテルは驚くほど快適で、ジョニーは臨時休暇となった都合二日間をほぼ寝てすごした。寝ても寝ても眠い状況下だったのだが、冷静に考えれば、この街には砲声も爆発音も人の断末魔も無かった。
ホテルと言うよりはコンドミニアム的な小さい建物で、一階のロビーフロアから階段を上がって短い廊下があり、その左右には5つずつの個室が並ぶペンションに近い構造だ。それほど上等ではないが、蚤や虱に悩まされるようなボロでもない。
その建物がまるで、あの草原にど真ん中にあった牧場の脇のつつましい我が家を思い出させ、思わずシンミリとして。だが、そんなジョニーを唐突に呼ぶ声があった。
「おーい! ジョニー! 何処だ!」
声の主がエディだと気が付いて飛び起きたジョニーは、素早く着替えて部屋を飛び出した。短い廊下を走りぬけ螺旋階段を下りて一階のロビーへと出頭してみれば、そこには両目一杯に涙を溜めたリディアが立っていた。
僅か3ヶ月の別離であったが、再会したリディアとジョニーにしてみれば3年ぶりにも近いような月日を思い起こさせていた。
「ジョニー!」
「リディア!」
胸に飛び込んできたリディアを力一杯抱き締めたジョニー。身長差のあるふたり故にリディアの頭へ頬を寄せたジョニーは、その手でリディアの顔を上げさせて唇を奪った。
「ジョニー…… どうしたの?」
間近で見つめたリディアはジョニーの表情に陰が出来ているのを気が付いて心配している。だが、ジョニーは精一杯に強がりで顔を振った。
「なんでもないよ。ちょっと疲れてるだけさ」
「……なら良いんだけど」
心配するなと言わんばかりにもう一度キスしたジョニー。リディアはそんなジョニーの胸に顔をうずめた。
「何を見たの?」
「……人が紙切れみたいに千切れて消し飛んで死ぬところ」
「そうなんだ……」
もう一度ジョニーを見上げたリディアは悲痛な表情を浮かべた。余りにも酷い物を見たジョニーの内側が変わってしまったのだと思ったのだ。どれ程強がったところで、人生観をそっくり変えてしまうほどに酷いシーンだった。それを否定する事もジョニーには出来ない。
僅かな期間でしかないが、それでも『仲間』だと思った同じ隊の男たちが次々と死んでいったのだ。そしてその中には、不可抗力で死んだ者だけではなく、己の信念の為に死んだ者もいる。
より良い未来の為に必要な犠牲だと信じて自分の命を差し出した男たち。その精神を愚かと言うか高潔と言うかは立場によって異なるのだとも思う。だけどそれは決して笑ってはいけない事だと。
安全な場所にいて、そこから指を差して『バカだな』と笑って良い事では無いとジョニーは信じていた。確信していた。だからこそ……
「酷い死に方だった。だけど……」
「だけど?」
「美しい死に方だと思う」
心行くまでリディアを抱き締めたジョニーだが、その心が平静を取り戻すまでジッと待っている眼差しに気が付いた。
柔らかに笑みを浮かべ、若いふたりの心が互いを感じ取って安心するまで辛抱強く待っていたエディ。そして、その隣にはサザンクロス守備隊の最高司令官だったロイエンタール将軍が姿を見せていた。エディと同じく、若いふたりを見守るように静かに笑って待っていたのだ。
「君がジョニー君かね」
「はい」
「そして、細君のリディアだね」
リディアは何も言わずに薄く笑って首肯した。
細君と呼ばれ少しだけ恥かしそうにしている。
「エディから話しは聞いているよ」
「……話?」
僅かに首をかしげたジョニーとリディア。そんなふたりを見たロイエンタールとエディが顔を見合わせた。一体なにを言うのかと息を飲んでいたジョニー。ロイエンタールはジョニーの肩に手を乗せて言った。
「エディが君を養子にしたいという話を聞いたもんでね」
驚いて言葉を失ったジョニーとリディア。してやったりな表情を浮かべたエディはニヤニヤと笑いながらそっぽを向いていた。その視線の先にはあの連邦軍の新型戦闘機バンデットが着陸していて、着々と燃料や武装を補給し再出撃に備えている様子だった。
「どうだろうね、ジョニー君。これを期に地球連邦軍に志願しないかね?」
「え? 自分でも志願できるんですか? シリウス人ですが」
「あぁそうだ、シリウス人では出来ないだろう。だが、エディ・マーキュリーと言う地球人の義理の息子で地球の市民権を持っている存在なら……話しは別だ」
驚きの余り言葉を失っているジョニーとリディア。そんな二人を見ていたエディは落ち着いた声で平然と言う。
「シリウス人では地球へ行く事が出来ないし、志願も出来ない。だが、地球の市民権を持つ『地球人』となると話しは別だ。志願兵となる事も出来るし様々な場面でかなり融通が利く。それに、バンデットに乗りたいんだろ?」
バンデットの言葉に大きく頷いたジョニー。そんな姿を見たリディアは心配そうに見ていた。より危険な現場に出る事は間違いない。そんな心配だ。だが、戦場を見たジョニーにしてみれば、より安全と言う感覚でいるのだった。
「バンデットのパイロットを目指すなら地球人としての戸籍が必要だ」
この時点でジョニーは全部理解した。全てエディ達が手引きし、自分とリディアの為に労を厭わなかったのだと。シリウス人としての戸籍を抹消し、様々な政治力を駆使してジョニーの経歴を作り上げ地球人に仕立て上げようとしているのだと。
「ジョニー君。君と君の妻の明日が幸せである為に、じっくり考えたまえ」
ロイエンタール将軍は静かに決断を促した。ここで大きく人生が変わる。そう予感したジョニーは静かに目を閉じた。まぶたの裏に広がるのは広大な牧草地だ。馬に跨り牛を追う父親の背中。ロープを持って牛の角を引っ掛け、出荷する牛を選別しながら父は歌っていた。
地球の牧場で牛を追っていた時代に覚えた地球の歌だったと言っていた。歌詞までは覚えてないが、それでも音階を思い出す。軽快なリズムに乗って歌うブルースだった。そして、ジョニーの耳に父親の歌っていた歌詞が段々と思い出される。
――さぁみんな一緒に旅に出よう
――川を下って新しいところへ行こう
――スイカズラの花が咲くところへ
――恋の花も咲くところへ
――川面の美人を眺めながら
――川を下って新しいところへへ……
「親父が良く歌ってたよ。新しいところへ行こうって」
「新しいところ?」
「そうだ。本当は300年位前の歌でニューオリンズへ行こうって歌なんだ」
「そうなんだ……」
抱き締めていたリディアの顔を見たジョニーは静かに言った。
「地球へ俺と一緒に行ってくれるか?」
「……うん。いいよ。ジョニーと一緒なら何処でも」
「ありがとう…… 愛してるよ。リディア」
「私も」
目を開いたジョニーはエディとロイエンタールを見た。決断した男の顔には強い意思が漲るものだとロイエンタールは目を細めた。
「妻を護れる場所があるなら、俺は何処へでも行く」
「後戻りは出来ないぞ。良いのか? ジョニー」
「人生だって後戻りできない。この三ヶ月でそれを沢山見た」
「後悔しないな?」
「……しない」
エディは静かに頷いた。優しい眼差しを浮かべロイエンタールを見たエディ。その視線を受けた老将軍は満足そうに頷いた。
「2~3日だけ待ちたまえ。色々と段取りがある。それに、今は色々と手札が多いでな。効率よく事を運んで手札を温存しておきたいのだよ」
アレコレと思案するロイエンタールを他所に、エディは満足げな笑みを浮かべてジョニーとリディアに言った。淡々とした口調だが、それでもジョニーには判る喜びの色が混じっていた。
「今なら死んだ士官候補生の替え玉で士官学校にも放り込めるし、良い待遇で連邦軍に転籍する事も出来る。だが、ズルはなるべくしないほうが良いな」
ゆっくり頷いたジョニーとリディア。
「さて、若いふたりは明日まで休暇だ。俺は俺の仕事をしようか」
そそくさと消えていったエディとロイエンタール。宛がわれた部屋に入ったふたりは周囲の迷惑も顧みず愛を確かめ合う事に勤しむのだろうから、それを邪魔するのも悪いと気を使ったようだった。
そしてその3日後。
ジョニーとリディアはエディの手引きでリョーガー大陸第2の都市ザリシャグラードへとやって来た。地球連邦軍の最大拠点であるこの街には地球から装備が続々と陸揚げされていて、戦意高い兵士たちが編成と装備を整え続々とニューホライズン各地へ出撃していきつつあった。
「凄いな……」
「……うん」
膨大な人が流れる駐屯地の中、ジョニーとリディアを積んだジープは人ごみを縫って敷地を通り抜けていく。多くの連邦軍兵士に混じり検査を受けたジョニーは、真新しい軍服に身を包みシートの上で緊張していた。新しいドッグタグと身分証明書には『ジョニー・マーキュリー』と記載され、その階級は二等兵ではなく上等兵へといつの間にか昇進していた。リディアの手には現地採用な二級事務官の身分証明書が握られていて、ふたりとも公式に連邦軍駐屯地の滞在許可を得ていた。
「小僧。お前の家はあっちだ」
ハンドルを握るマイクが指差した先は士官向けの住宅エリアだった。ふたりの家は一般兵向けのバラックではなく仕官向けの広い部屋だったのだ。
「俺が使って良いんですか?」
「いまさら独身兵舎に入りたくないだろ?」
妙な事を言い出してニヤニヤと笑うマイク。
「別に明日からどっかの戦場へ行こうって言う兵士じゃ無いんだ。ここで3ヶ月の促成教育を受けるんだから細かい事は気にするな」
新鮮に驚くジョニーとリディア。そんなふたりへマイクが小さなメモ書きを差し出した。読み書きに問題が無い筈だが、それでもジョニーは文章を読み慣れていない部分が大きい。貧しいニューホライズンにおいて文盲率の高さは度々問題になっていた。
「エディからメッセージを預かってある」
小さく折りたたまれた手紙を広げ、覗き込んだジョニー。リディアも横から中身を読む。細かい文字でびっしりと書かれたジョニーとリディアへのメッセージを要約すれば、エディの言いたい事は単純だった。
『次の世代を育てるなら家は広い方が良い』
思わず顔を見合わせて微笑みを交わすふたり。
「ジョニー! リディアもだ! 先に言っておくぞ」
鏡越しにふたりを見たマイクが突然厳しい口調になった。そんな声音に思わず背筋を伸ばしたジョニー。リディアも素の表情へと戻った。
「ここは軍の駐屯地だ。問題を起すと色々面倒な事になる。だからエディはお前たちふたりを独立官舎へ押し込んだ。若いふたりだ。色々と軋轢を生むかもしれないが、そこは上手くやれよ。波風を立てないようにする事も大人の大事な能力だ」
なんとなく言いたい事を理解したふたりは、恥かしそうに笑って頷いた。
「それと、やるべき事はきっちりやれ。ここからお前たちふたりの人生が大きく変わる筈だ。それに付いて行けない時もあるだろうけど、粘り強くやるんだ。いつかきっと身になるだろう。良いな?」
「はい」
「頑張ります」
満足そうに笑ったマイクはふたりを新しい家の前に降ろして走り去った。
受け取っていた鍵を開け部屋に入ると、広いリビングの向こうにベッドルームとシャワールームのある標準的な夫婦向け官舎だった。大きな開放キッチンとクローゼット。そして洗面所。
エディとロイエンタールの手引きで新しい人生を歩み始めたふたり。連邦軍兵士としてパイロットになるべく、ジョニーの教育が始まったのだった。
三部構成で考えたジョニーとエディの物語ですが、ここで序破急の序が終わりです。
続き部分を再構成していますのでしばらくお休みといたします。
序破急の破。ジョニーとリディアの人生が大きく変わってしまう部分は12月1日公開します。




