表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
286/424

ROAD-SIX:エディの思惑06

~承前






 一斉に動き出した中隊の面々は、それぞれの目標に向け散開した。

 その中でテッドとヴァルターの2人は、改めて施設の床に注目した。


 この床面は、材質がいまいち解らない代物だ。

 木製では無いし金属製でも無い。コンクリートとも違う。

 プラスチックか、若しくは硬質ビニール系素材のようだ。


 光沢のある素材なのかも知れないが、細かな擦り傷がびっしりと残っている。

 まるでなにかが這いずったかのような状態で、テッドはミミズをイメージした。


「これ、材料なんだろうな」


 ヴァルターも片膝を付き、床面を確かめた。

 全身に装甲服を纏い、グローブを嵌めた手なので直接は触れない。

 床をコンコンとノックすれば、それほど厚い材料では無い事が解る。


「どっかにハッチがあるんじゃね?」


 テッドも膝を付いて床をノックし始めた。

 どこかに空洞があれば残響音でわかる筈だと思ったのだ。


 だが、驚くほど広いホールの何処を探しても音は一定だった。

 テッドとヴァルターの二人が顔を見合わせ、双方に渋い表情を浮かべた。


「空洞らしいもんがネェな」


 ヴァルターの声が焦っている。床板は恐らく完全な一枚板なのだろう。

 何処にも継ぎ目らしいものがなく、また、ハッチの類が見当たらない。


 こうなるともはや意地で探すしかない。

 テッドは床板と壁の継ぎ目を慎重に調べた。

 床材が何かを貼り付けたのなら、その端の部分があるはずと考えたのだ。


 だが……


「床材の端すらネェと来てやがる」

「何て構造なんだ」


 テッドとヴァルターは観念したようにエディを見て首を振った。

 それを見ていたエディはホールの上部を見上げていたオーリス達を呼んだ。

 ホールの中には中二階状の床が壁に付いていて、螺旋状に登っていた。


「上まで来たんですが、何処にもおかしな点はありません」


 オーリスは手すり一つ無い床から身を乗り出してそう言った。

 上にも何も無いのが確定し、このホールの使用目的が益々理解出来ない状況だ。


「ウッディ! ディージョ! 状況は!」


 エディでは無くアレックスが声を上げる。

 その声が聞こえたのは、2人は走って戻ってきた。


「偵察の限りですが、このホールは完全な袋のネズミ構造ですね」

「とにかく出口が無いんですよ。何に使っていたのかが全く解りません」


 ディージョとウッディは順繰りにそう報告した。

 つまり、このホール自体が行き止まり構造と言う事だ。


「いっそ床を爆破して下に降りるか?」


 マイクは唐突に物騒な提案をした。

 ただ、何処にも出入り口が無い以上、それしか無い。


「一度外に出て、別の入り口を探したらどうだ?」


 ウォーモンガー(戦闘狂)なマイクに呆れつつ、アレックスはそう提案した。

 エディも呆れた表情でマイクを一瞥してからアレックスへと首肯する。


「一度出るのが賢明だろうが……」


 数歩進んでホールの中心へと立ったエディ。

 改めて天井を見上げれば、風の通るパイプ配置には一定の法則性がある。

 眉根を寄せて思案するエディは、ややあって『タイポグラフィ』と呟いた。


「なんだって?」


 驚いたアレックスがエディに走り寄り、天井を見上げる。

 天井へと延びるパイプの内面には、何らかの複雑な絵文字状が記されていた。


「なんて書いてあるんだろうな?」

「……地球文化圏ではあり得ない文字だ」

「なぜ?」


 エディの問いに対し、アレックスは胸のポケットからペンを出し文字を写した。

 そのメモをジッと見て解析を進めるのだが、数分後に何度か首肯した。


「やはりそうだ。母音が4種類しかない」


 そのやり取りを聞いていた者達が集まり始めた。

 アレックスはその耳を意識してか、壁に直接書き始めた。


「複数のマークが組み合わさってひとつの文字になっている。漢字やハングル文字と同じ仕組みだ。ただ、基本になるのは母音で――」


 壁に転写された4種類のマークにアレックスは数字を重ねた。

 そして、今度は別のマークを書き写し始める。

 複数種類に別れたそれは、7種類程度だ。


「――これらを組み合わせて28種類の文字を作れる。アルファベットは基本的に27種類だから、全く問題無いな」


 アレックスは1人納得したようにして居るが、そこにマイクが口を挟んだ。


「で、なんて書いてあるんだ?」

「それを理解出来れば苦労しないさ」

「……だな」


 タイポグラフィをジッと見つめていたエディもそれに首肯した。


「全く意味が解らん。故に無視する事にする。一旦外に出て別の入り口を探すか、または床を爆破するかだ。とにかくこの施設の中を調べなければ……」


 常に前向きなエディの姿勢は、こんな時には正直迷惑だとテッドは思う。

 だが、この施設を調べろという任務だろうから、それは果たしたい。


 エディの言葉を聞きつつ、テッドは近くのパイプを見た。

 そこには四本指らしい手形が残っていた。

 よく見れば親指の無い平べったい掌だ。


「……これ、なんだ?」


 エディの言葉を遮るようにしてテッドは呟く。

 その言葉を聞いた全員がテッドを見た。


「手の形にも見えるけど……」


 テッドはその手形に自分の右手を重ねた。

 指の長さが関節2つ分は長いらしく、まるで魚のヒレだと思った。

 足りない部分には左手でカバーを付けた。それ位長い手形だ。


「親指が無いのか、それと――」


 その形を見ていたヴァルターが呟いた瞬間だった。

 薄ぼんやりと光っていたホールの中から灯りがパッと消えた。

 そして、入ってきた通路と反対の辺りに人影が現れた。


「……え?」


 それは全員が息を呑む光景だった。

 あのシミュレータートレーニングで見た獣の頭を持つ人の姿。

 犬や猫や虎や、そう言った姿をした者達が身体をピッシリと覆う服を着ている。


 それが宇宙服を意味するのは間違い無い。

 宇宙に出た事がある者なら、それはすぐにわかる姿だ。

 ただ、何より驚いたのは、そんな獣人の中に普通の人が混じっていた事だ。


『#$%&+*#%++&……』


 何事かを喋っている。それは解る。しかし、言葉の意味は全く解らない。

 1つだけ確実だと理解したのは、その姿がホログラフィと言う事だ。

 実体の無い、記録されているシーンが自動再生されたものだった。


「なんて言ってるんだ?」

「……アジア系言語にも似てるが」


 マイクとアレックスが首を傾げる。

 それに口を挟んだのはウッディだった。


「日本語に似ている」


 ウッディはそのホログラフィをジッと見ながら集中していた。


「自分はアジア系モンゴロイドだけど、異なる言語圏出身なんで良く解らない。ただ、断片的だけど言ってる単語は分かるんだ」


 真剣な表情のウッディが耳を傾けているので、全員が黙っていた。

 ホログラフィは3分ほど続き、その後で登場人物が背を向け、フッと消えた。


「全部は解らないけどなんとなく理解したのは――」


 首を傾げながらウッディは考えている。

 おそらくは視界を録画し、見直しているのだろう。


「――敵意は無いから攻撃しないで欲しい。あ、いや、穏便に聞いて欲しいかも知れない。遠くの星……かな、そんな感じの遠いところから……逃げてきた。住んでいた星が住めなくなった。壊れた。襲われ……た?かな?ん?」


 首を傾げて考え込むウッディ。

 その後で、『ゴメン、良く解らない』と付け加えた。

 肩を竦めて申し訳無さそうに言うウッディだが、ステンマルクはフォローする。


「まぁ、仕方が無いさ。俗に悪魔の言語といわれるからな」


 その言葉に『悪魔?』とオーリスが聞き返す。

 そして、当のウッディやディージョも怪訝な表情だ。


「他の地球文化圏言語と比べて文法が特殊なんだそうだ。ついでに言えば、状況による省略や短略が多く、ネイティブでも混乱する事があるって話だ」


 ステンマルクの説明に『へぇー』と皆が反応を返す。

 ただ、エディだけが異なる反応を示すのだった。


「悪魔の言語ってのも、概ね間違い無いな」


 クククと笑いを噛み殺したエディは『テッド、もう一度触ってみろ』と言った。

 再びホールの明かりが消え、同じホログラフが最初から再生された。


「実は色々あって日本語も使いこなせるんだが――」


 腕を組んだエディは再びじっくりとその映像を見ていた。

 日本語の様で日本語では無い、ちょっと特殊な言語だった。


「――これは日本語が長い時間を掛けて変容したモノかも知れないな。偶然の一致にしては余りに共通項が多いが、母音の欠けは何でだろうな……」


 首を傾げつつ黙って聞いているエディ。

 2周目と言う事でテッドもその声をじっくりと聞く事が出来た。


「なるほど。そう言うことか。要約するとだな――」


 ホログラムが終り、再びホールの中が明るくなり始めた。

 エディは薄笑いを浮かべつつ、幾度か首肯して切り出した。


「――まず、ニューホライズンの旧先史文明は環境の悪化によって滅び掛けた。移住先を探していたらここを見つけたんだが、先客が居るらしいので、ここにメッセージを残す。敵対するつもりは無い。出来ればこの惑星に移住させて欲しい。共存出来るならそれも受け入れる。必要であれば我々の技術や文化の全てを提供するので、前向きに検討してもらいたい」


 なんと虫の良い話だろうか……と、テッドも苦笑いを浮かべた。

 後からノコノコやって来て、困っているから助けろ……と。


 厚かましいにも程があるのだが、このメッセージを残した方も必死なのだろう。

 事実、このメッセージを残した者達は、皆一様に殊勝な表情といえる。

 もっとも、犬や猫の表情を読み取れるわけでは無いのだが。


「まぁ良い。一つ解った事は、このホールがこの施設にとってあまり重要ではないって事だ。恐らくは集会場か何かじゃないかと思う。故に別の入り口を探そうかと思うのだが――」


 エディの言葉が続く中、テッドは先ほど手を重ねた手形の反対側を見ていた。

 そこには先ほどとは違う別の手形があった。今度は指の短い手だった。


「エディ。ここに別の手形がある」


 エディの言葉が終わる前にテッドは口を開いていた。

 今すぐに報告せねばならない……と、そう思ったのだ。


「……――別の?」


 エディは怪訝な声音で聞き返してきた。

 一瞬だけその場の空気が凍ったような錯覚をテッドは感じた。


 言葉の字面だけ見れば、単純に問いかけているだけのモノに過ぎない。

 だがそれは、言葉を発していたテッドの心を打ち据える威力だった。

 事実、テッドは雷に打たれたように直立不動になっていた。


「どこだ?」


 居並ぶ面々を押しのけ、エディはテッドに歩み寄った。

 なんとなくだが、テッドは父親に叱られた遠い日を思い出していた。


「……これです」


 テッドの指さした先には、先ほどとは違うサイズの手形があった。

 それをジッと見たエディは、ジェスチャーで『触ってみろ』と指示した。


 僅かに逡巡したテッドだが、意を決しその手形に触れてみるのだが……



                        カタン



「ん?」


 誰かが声を漏らす。

 なんだろう?とテッドも思う。


 何処かで何かが外れたかのような、動いてぶつかったかのような音がした。

 その音がどこから来たのか、残響測定を試みたアレックスが首を振る。


「音源が解らない」


 まるでラップ音だとテッドが思ったのと同時、アレックスが言った。


「耳の後ろを見落としたかな……」


 ――耳の後ろ?


 首を傾げたテッドは、黙って事の成り行きを待った。

 どんな言葉が出るのかと、口を噤んだのだ。


「ツルゲーネフの名言だな」

「あぁ」


 エディは『ツルゲーネフ』と言い、アレックスが肯定する。

 その意味が理解出来ないテッドは、助けを求める様にステンマルクを見た。


「ツルゲーネフってのは……古いロシアの小説家だ」

「小説ですか?」

「あぁ」


 学の浅いテッドにとって、小説を読むなどと言う事は理解出来ない事だった。

 文字を読んで何が楽しいのか?と、率直にそう思ったのだ。


 読むにしたところで、せいぜい解りやすく書かれた簡単な文章の冊子程度。

 本格的なペーパーバックなど、読みたいとも思わないのだが……


「バカには縁の無い話です」

「テッドがバカかどうかは関係無いし、バカなのは罪じゃ無い。ただな――」


 ステンマルクは静かにエディを指さした。

 エディはアレックスやマイクと相談していた。


「――本の中に知識がある。文章の中に知恵がある。創作の中に経験がある。バカなのは罪じゃ無いが、知ろうとしない事は罪だ。そして、知ろうとせず、おまけにそれをしようとする者を嘲笑い馬鹿にするのは大罪だ」


 ――知ろうとしない事は罪……


 ステンマルクの言葉に目を見開いたテッドは、ワナワナと震えていた。

 余りにショッキングな言葉に、どう反応して良いか解らなかったのだ。


「昔から言う様に、智は教会にあり。聖書はその根本なりだ。だから――」


 ステンマルクはテッドの胸を軽く小突いた。

 そして、兄貴の笑みで言った。


「――ちゃんとした小説を少しは読んでおくと良い。知識と知恵を身に付けられるし、言葉を知る事が出来るからな」


 遠回しに『お前は言葉を知らない』と批判された。

 幾らテッドがバカでも、それ位の事はすぐにわかった。


 ただ、それが事実なのだからどうしようも無い。

 単語を覚え語彙力を付ける事は、すなわち人間的な厚みを増す事だ。


「……頑張ります」

「それが良い」

「で、耳の後ろって?」


 テッドはあくまでその説明を求めた。

 知りたいと願った事は深く理解したいものだ。


 一つ一つ学んでいくことのみが上達の道筋。

 近道など存在しないと言う事を、この数年でテッドは学んでいた。


「ツルゲーネフの小説に出て来るセリフでね、もはや慣用表現的な扱いをされてる言葉なんだけどね――」


 ステンマルクはチラリとエディを見てからテッドを見た。

 そして、その隣で聞き耳を立てているヴァルターにも聞こえるように言った。


「――探しモノをする時は、耳の後ろを見落とすなって言うんだ。要するに、心理的な死角が絶対にあるはずだから、それに気付く柔軟さを持てってね」


 なるほど……と、幾度も首肯しつつそれを聞いたテッド。

 聞き耳を立てていたヴァルターも同じように首肯した。


「じゃぁさ――」


 テッドは迷わずこのホールの入り口となった通路を指差した。

 ヴァルターとステンマルクがそれに釣られ通路を見る。


「――まずは通路を調べないと」


 テッドの言ったその言葉は、少し離れていたエディの耳にも入ったらしい。

 首だけ回してテッドを見たエディは、あごを振って行けのサインを出す。

 テッドはヴァルターの背中をポンと叩き、一歩踏み出して通路へ向かった。


 ただ、ホールから通路に入った時点でテッドもヴァルターも足を止めた。

 通路の途中に新しい先ほどまで無かった扉があったのだ。


「……見落としたか?」


 ドアノブの類いが一切ない扉を調べるテッドは、絞り出すように言った。

 それを聞いたヴァルターは自分の映像を見返しながら言う。


「さっき通過した時点でここに扉は無かった」

「あのカタンって音は……じゃぁ……」

「扉がここに()()()()……かもな」


 通路を調べるふたりを中隊のメンバーが遠巻きに見ている。

 テッドは無線を使って報告を入れた。


『通路の途中に扉を発見しました。ですが……』

『……先ほど、ここを通過したときには無かった扉です』


 テッドに続きヴァルターがそう報告する。

 黙って聞いていたエディは黙りこくって思考を巡らせた。


「オーリス。ステンマルク。もう一度上を調べろ。ディージョとウッディはホールの壁を全て確かめろ。ロニー。お前は床だ。隅々まで隠し通路を探せ」


 扉を発見したからと言ってすぐには入らない。

 ある意味でそれは鉄則なのかも知れない。


 慎重に慎重を重ねるやり方は、一見するとまどろっこしいだけだ。

 だが、中隊の命を預かる隊長は、臆病なくらいでちょうど良い。


 扉の開け方を思案しつつ、テッドはエディの内心を考えた。

 きっとそれが、隊長という肩書き持ちに一番大切な事だと思いながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ