ROAD-SIX:エディの思惑01
「……眩しいな」
ボソリと呟いたヴァルターの印象は、全員の総意だった。
エーリヒ・トップの展望デッキは乗組員で鈴なりだ。
地球から遙々20光年を旅してきたのだが、体感時間は1週間もない。
ただ、そのリアルな時間にワイプインした後の現状が問題だった。
「こんな星だったんだな」
「予想外だぜ」
感嘆を漏らしたテッドにヴァルターがそう答えた。
この二人もまたエーリヒの展望デッキにやって来ていたが……
「真っ白ってのは意外だな」
「故郷を思い出す」
オーリスはともかく、スカンジナビア系のステンマルクは雪を懐かしむ。
雪と氷の季節が一年の半分。そして残りは太陽の沈まない季節。
そんな地域を出自とするステンマルクは、複雑な思いでそれを見ていた。
「しかし…… 結構でかいんだな……」
ウッディの吐いた言葉には、疑問系のイントネーションが混ざっていた。
人類の居住が可能な惑星という触れ込みだったはずだが……
「データに因れば、地球のざっくり3倍って大きさと言う事だ」
視界に浮かぶデータシートを見つつ、ディージョはそんな事を言う
腕を組んで展望デッキから眺めるその表情は、懐かしさが溢れていた。
そもそも、グリーゼ581Aと名付けられた恒星は、かなり小型の惑星だ。
太陽系の中心である太陽の凡そ35%程度。シリウスとでは20%しかない。
そんな恒星が眩く輝けるはずも無く、実質的には赤色矮星だ。
「しかし、まぁ、あんな星でも近くだと眩しいな」
「随分赤いけどな」
赤く輝くグリーゼの為に、この581Cは相当な熱量を得ている筈。
ニューホライズンどころか地球と比べても驚く程に小さな惑星だ。
「アルベド的に言えば反射率高すぎで寒い星って事だな」
オーリスは説明するでも無く、そんな事を言った。
高等教育の中で学ぶ知識だからか、テッド達の反応は鈍い。
だが、そう言った一見して社会でどう役立つのか理解しがたい知識もある。
そしてそれは、無くても困らないが無いと致命的という矛盾した事態を招く。
「それってなんすか?」
ロニーはいつも真っ直ぐにそれを聞く。それがロニーの良い所だった。
事前に教育は受けていたが、やはり分からない事は出てくるものだった。
「惑星の反射率って事だ。光をどれ位反射するかでアルベド数が決まる」
「……それで何が変わるンすか?」
「例えば、赤い光は熱いだろ?」
「そうっすね」
「しかも、グリーゼのシリウスはあんなに近い」
グリーゼを指さしたオーリスにつられ、皆が赤い星を見た。
恒星としてみれば余りにも小さいが、それでも立派に輝いている。
「あの熱量を受ければ惑星はかなり熱くなるはずだ。下手したら地上がドロドロに溶けて溶岩に覆われるくらいにな」
そこまでの説明で、皆が『あぁ、そっか』と合点がいったらしい。
グリーゼの赤い光を効率よく反射する事で加熱する事を防いでいる。
真っ白な雪に覆われた惑星の秘密が一つ明らかになった。
「けど、最初から雪が有ったわけじゃ無いよな。どうやって凍ったんだ?」
ふと、テッドはそれに気が付いた。
基礎学力が足りていない人間だが、それでも様々な場面で学ぶ事は多い。
そして、惑星が成立する過程では、どんな惑星でも最初は熱かったと習った。
生まれてすぐに雪と氷に覆われるなんて事は無いはずなのだ。
「随分詳しいね。雪国出身だっけ?」
ウッディが茶化すように言う。
そのウッディだって、テッドが気が付いた矛盾と疑問を思っていた。
「雪なんて見た事ねえよ。グレータウンは温暖なんだ」
「俺もだよ。リョーガー北部だけど暖流の影響で暖かい地域だった」」
テッドの言葉にヴァルターも相槌を打った。
だが、それと同時に『あの雪はどうやって出来たんだろうな?』呟く。
少しずつだが、二人は士官に必要な知識と知恵を蓄積している。
すぐに役立つというものでは無いが、その知識が役に立つかも知れないのだ。
そして、困難に直面した時には、知恵を絞り出す元になる。
「まぁ、それは後で考えるとして……」
「あぁ。早く降りてぇ」
不意にテッドは天井を見上げ、相槌を打つようにヴァルターがこぼす。
それなりに大きな船体だが、快適性とはほど遠い構造を持った船だ。
心理的な圧迫感が大きく、気疲れが大きいのだった。
――――――――グリーゼ581星系のどこか
艦内時間2250年 5月22日
エーリヒ・トップは地球人類史上最高の部類に入る快速艦だ。
理論値で光速の80倍まで加速する能力を持っている。
超光速飛行デバイスを可能な限り装備し、快適性より速度を取った船だ。
巨大と言って良い船体の半分は超光速飛行のための機器で占められてしまう。
その関係で乗組員の居住スペースは削られ、狭く小さくせざるを得ない。
ただ、超光速飛行中は艦内時間が停止する為、居住性は余り問題にならない。
単純に言えば。80光年先まで1年の航海であっても、艦内時間は5日間だ。
超光速飛行デバイス『ハイパードライブ』起動速度までの加速に2日。
そして、その逆に減速し通常航行速度に戻るまでに2日。
それぞれの準備とチェックに半日ずつつかい、目的地まで一気に飛ぶのだ。
艦内に居る者達は、一瞬で窓の外の世界が切り替わる事になる。
目的のエリアに到達し、視界がガラリと変わった事で彼らは知る。
自分の『時間』が時に喰われたと言う事を。
そしてその次元跳躍飛行には最大の弱点がある。
それは、跳躍した先での正確な時間を知る事が出来ないのだ。
地球とシリウスの間であれば、ワイプイン空域でGPS受信を行える。
それにより、艦内時刻を正確なものに修正できるのだった。
だが、それが出来ないエリアに飛んだ場合はどうするか。
この場合は地球から放射されている時刻データの微弱な信号を捉えるしか無い。
つまり、先ずは正確な座標の割り出しが必要なのだ。
一瞬の脱力感と共に時間の流れが戻った艦内では、一斉にその作業が始まる。
この作業は主に航海科乗組員達の掌握案件だ。
遙か彼方にある遠方銀河を探し出し、三次元空間における座標を割り出す。
ただし、この船は凡そ10年を時に喰われている状態だ。
つまり、乗組員達はワイプアウトした時点でのデータが使えない。
出航時点から10年後の遠方銀河座標を予測しなければならない。
それは、原始的なコンパスで大海原を旅した、大航海時代と同じ事だ。
遠い遠い昔の船乗り達が、気合と度胸で何の導きも無い大海原へと出た時代。
知恵と経験とひらめきとが混ざり合い、六分儀を生み出し羅針盤を作った頃。
それと同じように、宇宙の船乗り達は、様々な困難を乗り越えていた。
――――空間座標把握!
艦内に流れるそのアナウンスは、乗組員達から歓声がわき上がるものだった。
自分がどこに居るか?を把握出来ねば、実際のところ何も出来ない。
どこから来て、どこへ行くのか? それを把握して、そして実行する。
それを積み上げる事で船は航海を積み重ねていく。
まるで人生その物だと例えられるが、やはり何かしらの導きは欲しい……
――――我がエーリヒ・トップの乗組員諸君
――――艦長だ
艦長は一度言葉を切って意図的に間を作った。
こういう部分での振舞いは、長年の経験がモノを言う。
ハインリヒ・レーマン・ヴィレンブロック大佐
前職は欧州機構船籍の戦闘指揮艦エアヴィン・ロメルの艦長だった人物だ。
シリウス往還を20往復近く行なっているヴェテラン故に抜擢されていた。
その艦長にとってもグリーゼ進出は初めての経験なのだ。
故に、その振る舞いはどうしても慎重になるものだが……
――――航海科スタッフ諸君らの計算により今確定した
――――我々はグリーゼへ到達した!
――――やったぞ!
その言葉に、艦全体から歓声が溢れた。
エーリヒ・トップの艦内は、上に下にの大騒ぎが始まった。
艦長自ら喜びの声を上げ、乗組員たちの緊張を解きほぐしたのだ。
そう言う部分での気の回し方はさすがだとテッドも思う。
ただ……
「少し…… 妙だな」
展望デッキの後方でモニターを見ていたエディは、小さな声で呟いた。
モニターにはエーリヒ・トップ周辺の状況が表示されていた。
そのモニターを指でなぞり、エディは僅かに考え込む様子だ。
「そういえば、船団は何処行った?」
「……だよな」
エディが気が付いた違和感をディージョが気付く。
ウンザリ気味の表情をしたヴァルターは、デッキで周辺を見回した。
隔壁ガラスの向こうには、漆黒の宇宙に浮かぶグリーゼ星系しか見えない。
本来ならそこに居るはずの船団が見当たらないのだった。
時間と場所を指定した、計算尽くのハイパードライブだったはず。
だが、展望デッキから見える範囲に宇宙船の影は一切ない。
このエリアは非常空域として常に開けられているボイドゾーンだ。
その関係でエーリヒ・トップも全速力になって広大なボイドを横切っていた。
「座標指定マズッたのかな?」
不安げに言うヴァルターは、全く違うところに出てしまった可能性を案じた。
こうなった場合、最初に顔を出すのは不安の虫と決まっている。
どれ程に自信があろうとも、不安の種は常に心の内にある。
ある意味で手探りの航海、手探りのワイプインだったはずだから、尚更だ。
「船団にトラブルとか……」
それを言うウッディは複数の懸案事項を思った。
まずは合流できない可能性。コレはある意味、やむを得ないで片付けられる。
だが、一緒にワープしなかった事で別行動がばれる可能性もある。
足が付かぬよう細心の注意を払ってきたはずだが……
「……歓迎しねぇよな」
溜息と共にテッドはそう吐き捨てた。
あのハルゼー救出作戦は、ある意味でトラウマだ。
宇宙の真空中でマッパになるのはもう勘弁だった。
ただ、もし船団にトラブルとなれば救助活動は行われるだろう。
宇宙を漂流する恐怖は、筆舌に尽くしがたい。
そして、サイボーグはこき使われる存在で、白羽の矢が立つのは間違い無い。
「今頃ブリッジじゃ……」
「あぁ。大騒ぎだろうぜ」
ブリッジとCICは、座標特定と船団捜索に全力を傾けている。
その関係で、船は現在グリーゼ581Cを周回していた。
乗組員達の不安と恐怖を取り除くべく、懸命な作業が続いている筈だ。
「船団を追い越したって言うなら、それはそれで問題だな」
若い衆の不安を余所に、ステンマルクはそう言う。
ただ、長距離航海を行う船団では、実際良くある話だ。
「どっかに居るんじゃ無いのか?」
マイクは緩い調子でそう呟いた。
この辺りに先行していた筈の船団が居なければおかしいのだが。
「恐らくはブリッジでも探している事だろうが…… 確かに妙だ」
アレックスの言葉にエディの表情が曇った。
エディが何を考えているのか、テッドにはそれが全く掴めないでいる。
最外周天体は、太陽系に例えれば水星軌道付近を巡るグリーゼ581D。
それぞれの惑星が非常に接近した位置を高速で公転している状態だ。
「何処かに居るにしたって見えなきゃおかしい。この星系は本当に小さいから」
全域スキャンをかければすぐに見つかりそうなもの。
それが出来ないのだから、なにか問題が発生していると思って良いのだろう。
「迂闊に動けば衛星に墜落するな」
「あぁ。この星系はかなり面倒だ」
マイクもアレックスも表情を曇らせた。
コンパクトな581星系は、その全てに綿密な設定が施されているはずだ。
宇宙のどこへ行こうとも、ワイプイン用エリアは太陽系寄りが指定されている。
コンパクトなグリーゼとは言え、その空域は上下左右30天文単位ほどもある。
「とにかく辺りを確かめなきゃならんな」
エディの表情が曇りっぱなしだ。
なんとなく胸騒ぎを覚えたテッドだが……
――――乗組員諸君
――――少々残念な知らせがある
――――落ち着いて聞いてくれ
艦長の艦内放送が続き、全員が固唾を飲んでそれに聞き入った。
ふと、テッドはこの放送がカタストロフの始まりに聞こえた。
――――我々はどうやら先行していた艦隊を追い越したらしい
その言葉は、ホッとすると同時に新たな緊張を呼び起こした。
後続となる先行艦隊に追突される危険性だ。
――――観測班の測定では現在の時間座標……
超光速飛行というデバイスを完成させた時から、時間も座標のひとつになった。
戻る事は出来なくとも、進行を飛び越える事が出来るのだ。
その為、正確な時間割出を行う場合は、時間座標と言う言葉が頻出する。
――――地球標準時間2260年の5月21日
――――推定誤差はプラマイ2日程度
――――そして現時刻は1243を僅かに過ぎた所だ
ワイプイン予定時刻は2260年の5月22日。
それを目掛け全艦が艦隊を崩さぬように一斉ワイプアウトした筈だ。
つまりエーリヒ・トップはその艦隊を観測できる距離まで離れる必要がある。
でなければ、ワイプインしてきた艦艇に衝突される事になる。
かつての空母ハルゼーでそれを経験したテッドだ。
艦内の空気がざわつくのも良くわかるのだった。
――――本艦は安全な場所を得る為、グリーゼ黄道面の裏側に回る
――――そこで僚艦の到着を待つ事にする
――――乗組員諸君は引き続き、誇りと緊張感を持って任務に当たってくれ
テッドは無意識にヴァルターと顔を見合わせた。
そのヴァルターの顔にはウンザリと言う色が混じっていた。
絶対碌な事じゃない。経験的にそれは間違いない。
「ドッドとジャンが後から来るのか」
「なんか気が重いぜ」
ボソリとこぼしたテッドの言葉にヴァルターがそう応えた。
なんとなくだが、面倒に巻き込まれる気がする。
そんな予感は往々にして正鵠を射抜く。
「……なぁ、さっきから気になってんだけどさ」
グリーゼの地上を見ていたディージョがボソリと言った。
「地上になんも見当たらねぇんだけど、地上開発してねぇのかな」
「実は同じ事を考えてた。開発拠点が何も見えない」
ウッディも同じように疑問を口にした。
そもそも、このグリーゼの地上はアルペドが非常に高い星だ。
白い大地は主星グリーゼAの赤い光を効率よく反射している。
コレにより気温を上げすぎぬよう保たれているのだ。
だが、その代償は大きく、黒く色濃い影が地上に落ちる事になる。
そして、それは当然の様に地上構造物を目立たせるのだ。
「地上へ調査に行けとか言われそうだな」
ウンザリとした口調でオーリスが呟く。
その言葉に誰もが溜息を返した。
歓迎しない自体だが、こんな時の予測は大体当るもの。
覚悟だけはしておくかと、テッドはそう思っていた。
そして、そんな予感は大体当たるモノと相場が決まっている。
グリーゼ星域へと到達してから6時間が経過した頃。
中隊無線の中にエディの声が流れた。
『全員ガンルームへ集まってくれ。話がある』




