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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
278/425

ROAD-FIVE:バーニーの半生07

~承前






 再び言葉を失ったバーニー。

 重い沈黙が部屋に蟠り、リディアはジッと待っていた。

 その沈黙の向こうにあるものは、どうにもならない負の感情だ。


 誰よりもそれを良く知っているからこそ、リディアはバーニーの言葉を待った。

 他の誰でも無い、同じ経験を持つ者だからこその共感と配慮だった。

 だが……



      コンコン



 突然部屋のドアがノックされ、バーニーとリディアは顔を見合わせた。

 ただ、返答しない訳にもいかないので、バーニーは『だれ?』と誰何した。


 ――――警備部です

 ――――少佐殿の部屋の灯りが消えないと正門守衛から連絡が……


 本来ならばとっくに消灯時間は過ぎている。

 基本的に友軍ですらも信用しないシリウス軍は、消灯時間の後の監視がきつい。

 古来より、軍の反乱行為は夜中にその策を練るものだからだ。


 そも、共産主義や社会主義と言ったものは、大いなる自己犠牲の上に成り立つ。

 仕事が終わらなければ、バーニーはいくらでも自由裁量で続けられる立場だ。

 仮にも隊長というポジションにいる以上、きっちり仕事をこなして当たり前。


 そして、ヘカトンケイルの親衛隊はシリウス軍の指揮系統から独立している。

 強い権限を持つ組織である以上、その(たが)を緩められないのだ。


「問題無いわ。まだちょっと書類仕事が終わらないだけよ」


 ――――了解です

 ――――お騒がせしました


 警備部の若い男はそれで引き下がったらしい。

 基地の警備セクションは、基地内のどこへでも立ち入れる権限がある。

 例えそれが上官に当たる士官の私室だったとしてもだ。


 ただ、ヘカトンケイルの親衛隊には一定以上の配慮を要求されている。。

 シリウス軍とは微妙に存続を異にする組織名のだから、対等と言えるのだ。


「さすがに入ってこないのね」


 ニヤリと笑ったリディアの笑みは、悪い魔女の浮かべるそれだった。

 親衛隊の部屋へ了解無く立ち入る場合、かなりの勇気が必要になる。

 仮に何も出なかった場合には、公式ルートで抗議されかねないからだ。


 そして、シリウス軍にしてみれば、その公式ルートでの抗議が弱みになる。

 ヘカトンケイルと独立闘争委員会が交渉する場合の取引材料になりかねない。

 高度な政治的取引のカードにされ、軍が引き下がらざる得ない場合は……


「彼らも生き残るのに必死さ」


 フフフと笑ったバーニー。

 後々になって詰め腹を切らされかねない故、嫌でも慎重に為らざるを得ない。

 それ故に、警備部の下士官は、いつでも突入できる部屋へ突入しなかった。


「警備部もビギンズが助けてくれれば良いのにね」


 軽い調子で言うリディアに対し、バーニーは相変わらず笑っていた。

 ビギンズが助けてくれたと言う事実は、バーニーにとって一番の宝物だろう。

 だが……


「あれからしばらく……と言っても2週間ほどを蒼宮殿で過ごした。ノア様を中心にした治療団が形成され、抗生物質の投与を含めた治療を受けた。身体は割と早い内に快復し始め、点滴の投与で身体に力が戻り始めた。だが、脳の負ったダメージは深刻だった――」


 自分のこめかみにトンと指を当て、バーニーは静かに言った。


「――深刻な栄養失調から来る脳の萎縮は、もはやどうにもならない所まで来ていたのさ。自分自身が認識できなくなった私は、夢と現実の境目を見失ったんだ。どこまでが現実で、どこからが夢や妄想か判断が付かなかった」


『それって……』と呟いたリディアは、一つ間を置いて言った。


「強迫性神経症? それとも解離性障害?」

「さぁ……どっちだろうねぇ」


 フフフと笑ったバーニーは『どっちだって良い』と応えた。


「セントゼロの病室に居るとき、部屋を飛ぶ虫が話しかけてくるのさ。お前は捨てられたんだって。ベッドに入った時には隣に丸々と肥えた顔の無い豚が姿を現し、嘲笑うように言うんだ。またお前は股を開く事になるって。その都度、発作の様に金切り声を発して笑いながら暴れたよ。思うようにならない身体を引きずってね」


 唖然としているリディアを前に、バーニーは和やかな空気で笑った。

 ただ、その目だけが炯々と怒りを湛えているのをリディアは見逃さなかった。


「治療のためにやって来るノア様を罵倒し、引き連れていたスタッフを罵倒し、まるで悪魔に取り憑かれたかのように、無駄だ無駄だと叫び続けた。お前たちは偽善者だ。どうせ私を犯すのだろう?と、そう叫びながらヘカトンケイルを呪った」


 その時、リディアの中にいた何かがポツリと漏らした。


 ――――私と同じ存在がいる……


 それはソフィアの声だと、リディアはすぐにわかった。

 そして、そのソフィアの向こうに見え隠れするのは、自分自身が抱える闇だ。

 恥ずかしさや悔しさ、意地と言ったものが邪魔をして、表に出せない本音。


 誰かを呪い、恨み、憎む事で正気を保つのだ。

 まともな状態では無いのだろうが、狂った果てから見れば正気の範疇……


「酷い話だろ? けどね、それも私の人生の一部だ」


 力無く笑ったバーニーは、自分の胸に手を当てて言った。


「2年が過ぎる頃には身体の方は快復していた。若さって偉大なのさ。けど、頭の方はどうにもならなかった。脳は萎縮したままで、実際は5歳児レベルくらいの知能しか無かった。腐りかけていた左脚も良くはなったが、歩くのに不便なまま」


 困った様に両手を広げ、肩をすぼめて戯けて見せた。

 ただ、それは悔しさを噛み殺す為の努力だとリディアは気が付いていた。


「ある日、本当に発作的に自殺を試みていた。治療室にあった刃物を使って首を掻き切ったんだ。それまでずっと、視界の中に腐った死体が立っていたんだよ。身体中を腐らせて腐臭を話ながら、ノロノロとついて来てたんだ――」


 ――いかれてる……


 表情を強張らせたリディアは、バーニーをジッと見ていた。


「――その腐った死体はね、ドモッたようにしながら言うんだ。早く死ね、早く死ね、いいから早く死ねってね。お前は生きてても無駄なんだから、そのまま死ね」


 その言葉は、かつて独房の中で死を望んだ自分自身だ。

 リディアもバーニーもそれは理解していた。

 だが、こうなってしまったら、もはや自分では振り払えない存在だ。


「……で、どうしたの?」

「そうさね」


 天井を見上げたままだったバーニーは机の上に視線を落とし俯いた。

 だが、その状態で視線を上げ、上目遣いにリディアを見つめた。

 扇情的な眼差しではあるが、恨みのこもった敵意ある目でもある。


 リディアはそれがなんだか知っていた。

 心の奥底にある攻撃衝動を抑えられない自分自身に絶望すら感じるのだ。


「なんとか一命を取り留めたが、身体中がボロボロで生きているのが不思議なレベルだった。どうやら建物の上から飛び降りたらしいんだ。自分自身はそんな事を全く覚えていなかったがね――」


 楽しそうに語ったバーニーだが、リディアはちっとも楽しくは無い。

 ある意味で自分よりも余程壮絶な人生を歩んでいると気が付いたからだ。


「――もはやどうにもならない所まで来ていたが、脳はそれ以上のダメージだったんだよ。で、ノア様もどうしたモノかと思案してるときにビギンズが再びやって来たんだよ。地球へ行っていたビギンズはお忍びでシリウスへと帰ってきていた。何らかの任務があったはずなのだが、それとは別にね」


 フッと浮かべたその表情は、あの鉄面皮なバーニーでは無かった。

 それは、恋に恋する乙女よろしく、柔らかで蕩けるような表情だった。


「……で?」


 そこから続く言葉にリディアは確信めいたものを感じていた。

 これは、バーニーとビギンズのなれそめだ……と、そう思ったのだ。


「ただただ、痛みも何も感じない状態だった私は何が起きたのか分からなかった。だが、ふと我に返ったとき……本当にふと我に返ったんだよ。寝起きでいきなり意識が立ち上がるよなそんな状態だったんだよ」


 どう表現して良いのか解らない感情を抱え、それでもバーニーは笑っていた。

 ただただ笑っていたと言う表現が、最も正しい状態だった。


「気が付けば目の前にビギンズの顔があった。最初がそれがなんだか分からなかったけど――」


 バーニーの手が自らの唇に触れた……


「――そしてね。もう本当にこうやって、銀の糸がツーッと延びて――」


 それは、唾液の交換をするようなディープキスの印。

 舌を絡めたキスでなければ、そんな事は出来ないはずだ。


 鼻息も荒く、相手の口内を蹂躙するかのように舌を滑り込ませるキス。

 ただ、そもそもそれは相手への無二の信頼が無ければ出来ない事の筈。

 つまり……


「ビギンズは分かっていたんだね」

「……あぁ」


 リディアはビギンズにとってバーニーが特別な存在だと、そんなニュアンスだ。

 だが、当のバーニーは全く違う解釈に取っていた。


「この身体と心を蝕んでいたものの全てが一瞬で浄化された。そう、浄化されたんだよ。あっさりと、綺麗さっぱりとしてね、まるで生まれ変わったような、そんな気分だった。分かるだろ?」


 そう同意を求められたリディアは、深く頷いた。

 地球製の新しい身体に入ったとき感じた事と同じだと、そう思ったのだ。

 小さく『うん』と答え、リディアはもう一度頷いていた。


「私は言ったのさ。なんでビギンズがここに居るのですか?って――」


 溢れる愉悦を押さえきれないかのように、バーニーはニコニコと笑っている。

 昂ぶる感情をどうにも御しきれないらしく、身体がソワソワと動いている。


 どんなに冷静沈着な女だって、惚れた男の前では浮き足立つ。

 本能的な振る舞いなのだから仕方が無い事だった。


「――そしたらね、本当に目の前にあるビギンズの顔がね、こう……」


 ビギンズの顔を真似するように、バーニーは表情を崩していた。

 そんなバーニーの顔を見つつ、あの、グレータウンの郊外で見た顔を思い出す。

 焚き火の明かりに照らされ、神秘的な神々しさを湛えるエディ少佐の顔だ。


 そして、そんな顔が目の前にあるのを想像し、リディアですらも悶えた。

 目の前でいきなり口説かれるのは、ある意味で女子の本懐かも知れない。


「ビギンズは言ったんだ。もう一人の自分を口説きに来たって」


 スパッと言い切ったバーニーの言葉にリディアが赤面した。

 口説きに来たなんて真正面から言われては、コッチが小っ恥ずかしいのだ。


 だが、そんなリディアをオーバーキルするようにバーニーは言う。

 真顔になって、その時のビギンズを真似て、そして……驚愕の事実を……


「君は僕だよ……って」

「え?」


 その言葉の意味を理解出来なかったリディアは、やや抜けた声を出した。

 『え?』と言うより『へ?』が近いのかも知れない。


 しかし、そんなリディアを余所に、バーニーは一人盛り上がっていた。


「自分自身の出自の謎。誰が親だか分からない生まれ。そんな境遇にあった自分自身の本当のルーツ。それが明らかになったんだ――」


 ――バーニーとエディは…… いわゆる双子の性別違い?


 そんな事を思ったリディアは、ジッとバーニーの顔を見ていた。


「――あの時、ビギンズははっきり言ったよ。自らがビギンズである事。そして、おそらく7人目である事。今まで何度も死にかけていて、その都度に胚から新しい身体を作り出し、それに乗り換えていた事。でね――」


 リディアをスッと指さしたバーニーは、ニヤリと笑っていた。

 まるで自慢のオモチャを見せびらかすかのような、そんな姿だった。


「――本来なら8人目のビギンズとなる筈だった胚から成長したのが……私だよ」


 リディアは言葉が無かった。

 その感情をどう説明すれば良いのか分からなかった。


 義姉であるキャサリンに当てた詫び状の内容をリディアは知っている。

 何故なら、それはリディアの目の前で書かれたものだからだ。

 だが……


「じっ じゃぁ!」


 慮外に大きな声を出していたリディア。

 バーニーはしてやったりの顔だった。


「バーニーはもう一人の……ビギンズなの?」


 愉悦溢れる表情のまま、リディアは首を傾げていた。

 まるで『どうおもう?』と逆に問いかけるような顔だった。


「……さぁ、どうだろうね」


 バーニーの表情には凄みの混じった笑みが浮かんだ。

 上手く表現する言葉を、語彙をリディアは知らなかった。

 ただ、最も簡単な表現をするなら、それは支配者の傲岸な笑みというのだろう。


 シリウス社会のリベレーター(解放者)とは言いがたい、その高圧的な顔。

 それは、ニューホライズンに育つ子供達が繰り返し教えられる人類の敵。

 貴族や王族と言った、なんの根拠も無く生まれながらに優先される存在。

 どれ程に愚鈍で蒙昧でも、ただ貴族と言うだけで優遇されてしまう特権階級。


 そんな、()()()()()()()()()()()()()の姿そのものだった。


「私はその時知ったんだよ。自らの天命を知ったんだ」


 バーニーの顔から傲岸が支配者の笑みが消えた。

 いつもの、あのただの鉄面皮で無表情な女に戻った。

 つとめて喜怒哀楽を外へと漏らさず、精神的にフラットでいる存在だ。


「シリウス社会の中で虐げられている者達を解放したい。いつかその為に……役に立つ者達を集めてくれと、ビギンズは言ったんだ。そして、私はシリウスのイブなのねと、そう呟いた私にビギンズは言ったんだ。イブじゃ無い。自由と奔放の象徴であるリリスだって」


 イブはアダムの余りから作られた、アダムに都合の良い存在。

 だが、ビギンズはそれを否定し、最初から自由な存在だと言い切った。

 男と番いになる須郷のいい女では無く、自分の意志で生きる自由な存在。


「……リリス」


 リディアはエディ少佐がなぜバーニーをリリスと呼ぶのかを知った。

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