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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
277/425

ROAD-FIVE:バーニーの半生06

~承前






 ―――― 一晩中泣いた……


 その一言の後、重い沈黙が続いた。

 リディアはバーニーの心が整うのをただひたすらに待った。

 きっとその内心は荒れ狂う海だろうと思ったのだ。


 飲み込みがたい悔しさと悲しさを飲み込み、気丈に振る舞う事で一夜を超えた。

 だが、誰にも見られない環境でふと我に返ったとき、涙が零れるのだ。

 リディアはそれを我が事として知っているし承知している。


 強姦は魂の殺人。

 その言葉の意味は、どれ程弁舌を尽くした所で被害者以外には理解されない。


「でね――」


 不意に顔を上げたバーニーは、自嘲するように口元を歪ませた。

 その表情の何処かに、リディアは己の弱さを嗤うもう一人の自分を感じた。

 心の何処かに居るソフィアという人格が、バーニーの弱さを嗤っているのだ。


 そしてそれは、己の境遇を哀れまれる事が屈辱なんだと、全てを拒否する心だ。

 哀れも事も悲しまれる事も迷惑だと。他人の同情なんざまっぴらだと。

 どれ程にボロボロでも、他人から同情される位なら死んでやる。


 そんな強い生き方は、おそらく誰もが持っている見栄という名の心理だろう。

 何故なら、人は他人から幸せだと思われる為に見栄を張る生き物なのだから。


「――それからしばらく、3日と開けずに呼び出されたのさ。そして、同じように朝まで奉仕を命じられた。最初は上官と副官の2人だったが、いつの間にか5人6人と増えていた。そしてね、気が付いた時には……」


 バーニーは力無く笑いつつ、スコッチの瓶を両手で挟んでいた。

 そして、その細くなった先端を両手で挟み、弄ぶように揉んでいた。


 ――バーニー……


 その姿に、リディアはバーニーの中の満たされない部分を感じた。

 突き詰めていけば、1人の女でしか無いバーニーの本音の部分だ。


「……股の間から膿が出ていた」

「え?」

「梅毒だよ」


 小さく『あ……』と漏らしたリディアは、一瞬のうちに様々な事を思った。

 シリウス軍が抱える病理の部分は、説明するまでもなく理解していたからだ。


「……もしかして、全ての罪を被せる為に?」

「いつの間にか頭も回るようになったねぇ」


 リディアの確かな成長を感じたバーニーは大きく首肯して見せた。


「行方不明になったり、急に転籍した女達はみんな梅毒に感染したのさ。で、その治療をするでも無く、また、検診を受けさせるでも無く、口封じに殺したんだ」


 抜けた声で『あー』と漏らしたリディアは、呆然とした表情になっていた。

 その内情が腐敗しきっているシリウス軍だが、風紀統制を司る部門はある。

 鉄火場での火事場泥棒は憲兵隊の仕事のウチだが、本来はコッチが本業だ。


 軍の内部で梅毒などの感染症が広がらないよう、風紀を引き締め女を管理する。

 進出した先で村や街を襲い、手当たり次第に女を犯して歩く様では困るのだ。

 占領下におけるヘイト管理重要だが、それ以上に言えるのは性病の蔓延対策。


 衛生管理の為ってない集落で女を襲うと後が大変なのだ。

 兵士がまとめて性病に感染し、段々と軍の戦闘力が落ちていく。

 それだけで無く、様々な形で性病は拡散していき、軍が機能不全になる。


 どれ程に人の出来た将軍や提督だったとしても、慰安所は否定しないのだ。

 なぜなら、一発の銃弾を撃つ事なく、侵略軍を滅ぼせる唯一の手段だから。

 性病に感染している女を宛がい、ゆっくりと軍が崩壊していくのを待てば良い。


 そうならない為に憲兵隊は仕事をする。

 で、風紀活動を具体的に言えば……


「見つかれば銃殺ですもんね」

「その通りさ」


 かつてソヴィエト赤軍のなだれ込んだベルリンでは、最悪の強姦事件があった。

 7才から88才までの女性のうち、凡そ10人中7人が強姦の被害に遭った。

 そして、そのうち3人が望まぬ妊娠をした。

 戦後1年の経過したベルリンでは、不可抗力ベビーブームが起きていたのだ。


 ちなみに10人のうち3人は強姦の被害には遭わなかったと言う。

 何故なら、その3人は強姦される前に殺されたからだった……


「赤軍憲兵と一緒さ。梅毒持ちの馬鹿男は問答無用で射殺される」


 シリウス軍も基本的に同じ対応だった。

 軍の慰安所は基本的にレプリの女しか居ない環境だ。

 故に梅毒持ちなどあり得ない。つまり、梅毒持ちは余所で女を犯したと言う事。


 それらの被害状況をいちいち把握する事など憲兵は行わない。

 何処かに押し込んで盛っている兵士を見れば、憲兵は問答無用で射殺する。

 それだけの権限を与えられている強権組織がシリウス軍には存在していた。


「女たちが何処かで梅毒に感染してきた。それを基地へ持ち込み、兵士たちに移していたので、やむを得ず処分した。我々は被害者で悪くは無い。そんなシナリオだったんだろう。だから告発する手段を考えたのさ。何より、まだ死にたくなかったからね――」


 バーニーの表情がグッと厳しくなった。


「――だけど、どんな手段を使っても告発は握り潰された。上官は信用できず、基地の法務局は聞く耳を持ってくれず、憲兵隊は逆に私を疑った。意図的な政治的失敗を仕掛けているのでは?と尋問を受けた。そして、その間、一切の治療行為が無かった」


 硬い表情になったリディアは『それで?』と続きを促した。

 幾度か首肯したバーニーは、手にしていた瓶を握りしめていた。


「気が付けば、同じ基地の中の女たち18人ほど全員が感染していた。そもそもの感染源は誰かは分からない。このままじゃ殺されると思った私達は、密かに話し合いを重ねて一つの行動に出た。呼び出されなくなった女たち全員が裸になって街へ逃げ出したんだ」


 ――え?


 ポカンとした表情のリディアを前に、バーニーはケタケタと笑っていた。

 何をそんなに楽しいのかと思うような姿だが、遠慮無く笑っていたのだ。


「すぐに地元のメディアが取り上げたよ。年端の行かない少女兵が性的な奴隷にされているってね。その日の夕方には地元の警察が動き出し、軍と折衝を行って自体の解決に向け動き出した……はずだった」


 楽しそうに笑っているバーニーの笑顔が不意に止まった。

 口元に浮いていた微笑ですらも何処かへ消え去り、バーニーは真顔で言った。


「本質的に腐っているのは、政治権力そのものだと初めて知ったのもその時だ。まだ症状の軽かった娘は、警察署の取調室で20人ほどに回されたらしい。各メディアには独立闘争委員会の法律部門から『慎重な取り扱いを求める』と言う要望が出されていて、いつの間にか私達は本当に犯罪者に仕立て上げられていた。地球軍が送り込んだ工作員だってね」


『酷い……』と、リディアはそう呟くのが精一杯だった。

 本質的に腐っている部分がどこであるかをバーニーは経験していたのだ。


「しばらくは警察署に居たんだが、三日目辺りに軍の医療センターへ移送される事になった。治療が施されると言う事になったんだが、その治療は梅毒じゃなかったのさ。最初は私も耳を疑ったよ。治療の内容は病んでいる精神だと言われた……」


 声が震え始めた……

 それに気が付いたリディアは、黙ってバーニーの隣へ座った。

 カタカタと細かく震えている事に気が付いたのはこの時だ。


 必死で泣くのを我慢するようにしたバーニーは、それでも告白を続けた。

 痛みの告白という慣用表現が陳腐なモノに感じる内容だった。


「……その部屋にはシャワーもトイレも無かった。半分腐ったマットレスとノミやシラミだらけの毛布しかない部屋だった。明かり取りの窓は壁の遙か上にあり、昼間でも月明かり程度しか明るさが無かったんだ。もちろん、換気扇すらなかった」


 バーニーはそんな部屋に一人で閉じ込められたのだという。


「食事は完全に不定期で程なく時間の感覚が麻痺していた。ベッドの上に眠ると全身が猛烈に痒くなり、毛布からは嫌な臭いがした。けどね、そんな事は正直どうでも良かったんだ。時々は治療室という名の尋問室に呼び出され、延々と罵倒され続ける時を過ごした。曰く、臭いだの汚いだの、或いは、薄汚れた売女(ばいた)だのってね」


 グッと握りしめられた手が震えていた。

 リディアはその手に自分の手を重ねた。


「けどね、本当に辛かったのはそれじゃない。身体中のリンパ節が腫れて膨らんで歩く事すら辛かった。そんな状態で不衛生な部屋に閉じ込められれば、症状は悪化する一方だ。壊血病を併発し、歯茎や股から血を流し始め、立ち上がる事すら出来なくなり始めた。部屋の隅の小さな流しには自分の身体から出たクソが詰まり、流れなくなっていた。最悪の臭いと飛び交うハエと自分の身体が放つ膿の臭いで、とうとう気が狂いはじめた」


 バーニーの震えが強くなった。

 それに気が付いたリディアは、バーニーの肩を抱き締めていた。


 あの時、何故チカリ相手に怒りを剥き出しにして居たのか。

 その真実をリディアは理解したのだ。


「ややあって、身体中に赤い発疹が幾つも出来はじめた。その頃には正常な判断など出来なくなっていた。倦怠感と関節痛と熱発による意識混濁で立ってる事すら難しいのに、毎日治療室に呼び出されては自己批判を強要された。私はただの汚い売女です。私は薄汚い存在です。私は死ぬべき存在です。私は――」


 震える声でそれを唱えていたバーニーは、我慢ならずに涙をこぼした。


「私は、独立闘争を率いる委員会の素晴らしい同志たちにより、生きている事をゆるされた存在です。今日も生かしていただきありがとうございます」


 壁に掛けられた委員会常任委員の写真一枚一枚に頭を下げて歩いたバーニー。

 壁の四方に掛けられた写真は3枚ずつ12枚程だった。

 その全てに頭を下げて部屋を10週歩く事を強要された。

 そして、少しでもやり方が悪ければ最初からやり直しだった。


「あそこはね、完全な調教と洗脳を行う施設だったのさ」


 分かるかい?と、そんな風に言ったバーニー。

 だが、その両眼からはポロポロと並だがこぼれ続けた。


「あの部屋へ戻りたくなかった。治療室は明るいし清潔だったからね。だけど、写真に頭を下げ続けているウチに頭がボーッとしてきて、やがて意識を失うのさ。で、体外は気が付けばあの暗い部屋に戻されていた。それもご丁寧に、積み上がったクソの上に寝転がっていた。身体中が皮膚炎を起こし、梅毒の影響で抵抗力も無くなっていて身体中が酷い事になっていた」


 沈痛な息を一つこぼし、バーニーは無理矢理天井を見上げた。


「そんな私を支えていたのは、ヘカトンケイルが教えてくれた歌だ」

「うた?」

「そう……歌なんだよ」


 バーニーはハミングしながら音階を取り、リディアを見ながら歌い始めた。


「君の未来は僕の希望…… 新しい星に新しい夢…… 皆の笑顔が溢れる星に」


 現代のシリウス人ならば誰でも知っている歌。

 だが、そもそもはヘカトンケイルの内部だけで歌われたものだった。


 何故ならそれは、始まりの8人がニューホライズンに残った作った歌だから。

 そしてその歌を知る者は、本当に一握りだった。


「シリウスの光が朝を招くよ…… 明けない夜はないんだ……」


 最期の小節まで歌いきったバーニーは、悲しみに満ちた目でリディアを見た。

 どれ程に辛い経験をしたのだろうかとリディアは驚くより他なかった。


 ワルキューレを率いる鉄の女。

 バーニー少佐を支える情熱の根源は、この経験だった。


「けどね、それを聞いていた担当官は私がただ者じゃ無い事に気が付いたのさ。シリウス軍の教育機関は軍と国家を全く疑わない従順な兵士を育てる所だ。けど、この女は国家と軍と、何より委員会を疑っている。で、至る結末はシンプルさ」


 治療という名の洗脳担当官は『破壊もやむなし』という結論にいたった。

 このまま激しい精神的拷問の末、バーニーを完全に壊してしまう事にしたのだ。


「どれ程の時間が経ったのか分からない。身体は完全にボロボロで、左脚は腐り始めてた。痛みも感じなくなった私は、いつもヘラヘラと笑いながら部屋の中をウロウロしてた。食事はたまにしか与えられず、骨と皮しか無かった」


 『なんてこと……』と呟くリディアにバーニーは笑いかけた。

 嬉しさ溢れる笑みには悦びの色が混じった。

 それを理解出来なかったリディアだが、バーニーは楽しそうだった。


「ある日ね、突然担当官が部屋に入ってきたんだ。私はあの腐ったベッドの上で半死半生のまま笑ってた。昼も夜も分からない状態で、完全に壊れてた。ただ、そんな私がそこから運び出され、ヘリに乗せられて旅立った。あの時、正直に言えばこう思ったよ。やっと殺してくれる。やっと死ねるんだって。けどね――」


 落ち着きを取り戻したバーニーは、リディアの背をポンポンと叩いた。

 もう大丈夫だと、そう伝えたのだと思ったリディアは、向かいへと戻った。


「――ヘリが着陸したのは蒼宮殿だった。ノア様が出迎えてくれたんだ。そしてそこに……いたんだよ。ビギンズが。立派になったビギンズが」


 バーニーは喜色を溢れさせ、一気に続けた。


「担当官と憲兵と政治将校は必死になってアレコレと言い訳をした。この女は地球軍の工作員だとか、梅毒を持ち込んだ犯罪者だとか。罪を認めない卑怯な奴だとかね。で、しまいにゃ大声でヘカトンケイル批判を始める始末だ。要するに、完全に委員会の狗がだったんだ――」


 だろ?と同意を求めたバーニーにリディアは首肯を返した。


「――けどね、ビギンズが右手を翳して何かを唱えたとき、あの三人は突然そこに跪いて、何があったのかを洗いざらい喋ったんだ。あれも奇蹟の御業なんだろな」


 バーニーは小さな声でその舞台裏を明かした。

 そもそも、シリウスへ一時帰還したビギンズはバーニーを案じたらしい。

 出迎えたシリウス軍関係者の中にその姿が無かったからだ。


 ビギンズはバーニーに逢いたいとヘカトンケイルに懇願したらしい。

 だが、ヘカトンケイルからの身分紹介を軍は頭から否定した。

 そして、そもそもそんな人間は居なかったとゼロ回答を行った。


 だが、ビギンズはバーニーがここに居ると言明した。

 そして、ヘカトンケイル親衛隊な、旧エンタープライズクルーが動いた。

 シリウス軍の施設を急襲し、事実上誘拐に近い形でバーニーを救出した。


「ただね、私はそんなシーンをボーッと眺めているだけだった」

「……だろうね」


 その時のバーニーをリディアは我が事のように理解している。

 何が起きたのか。何を考えていたのか。何が必要なのか。

 その全てをリディアも経験したからだ。


 完全に人格そのものが壊されてしまった状態では、自力での快復など出来ない。

 人間の心と感情は案がい壊れやすく、また、治りづらいものなのだ。


「身体中から異臭を放っていた私の両手をノア様が包んだ。温かい手だと思った。ただ、それ以上に驚いたのは、私をビギンズが抱き締めたんだ。抱き締めてくれたんだよ」


 自分の両肩を自分で抱き、バーニーは嬉しそうにそう言った。

 本気で惚れた男に抱き締められ、嫌がる女など居るわけが無い。

 それこそが快復の切っ掛けだとリディアは思った。だが……


「けどね、それこそが本当の苦労の始まりだった……

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