ROAD-FIVE:バーニーの半生03
~承前
静まり返った部屋の中、リディアとバーニーの呼吸音だけが響いていた。
ふたりは顔を見合わせたまま、息を飲んで押し黙っていた。
痛いほどの沈黙には意志がある。
リディアはその沈黙の中にバーニーの心を見た。
声に出せない思いや、もっと言えば積み重なった理不尽への忍耐。
そう言った『大人の分別』の下に封印されている憤りと悲しみの発露。
沈黙はそれ自体が抗議に近い振る舞いなのだった。
「でね……」
どれ位の沈黙だったのだろう。
サイボーグと違い、レプリカントには内蔵時計が無いのだから解らない。
だが、バーニーが気を取り直したのは自明の理だ。
つっくりと切り出したバーニーに言葉は、注意深く聞くとわずかに震えていた。
「……ふと気がついた時、私はあの孤児たちの中でリーダーになっていた。3才にして大人に憎まれ口を叩き、5才で完璧にやり込めてた。理屈を言わせりゃ大人顔負けってね。嫌なガキだろ?」
何がそんなに楽しいのか、バーニーは肩を揺すって笑っていた。
その向かいにいて息を飲むリディアを他所に、一人盛り上がっている状態だ。
だが、その笑いは愉快さでは無く自嘲だ。
釈迦の手の上で良い気になっていた孫悟空と同じように……だ。
『そう仕向けられていた』
認めたくは無い現実を突きつけられたのだろう。
自力で這い上がったと思っていたポストは、結局誰かの思惑だった。
誰かの意志や目的や、そう言った自分以外の誰かの駒になった。
それをバーニーは恥じていた。
いや、恥じていたのでは無く、泣いていた……
「8才になったとき、孤児達の誰もが私に一目置いていたよ。まぁ、どっちかといえば関わりたくないって状態だな。自分自身を振り返って思えば、あの頃は文字通りに有頂天だった。自分が世界の中心だったのさ。で、まぁそんな事をしていれば、天罰覿面ってな具合になるってなもんさ」
バーニーの表情に暗い影が混ざった。
沈痛な溜息を零し、天を仰いで目を閉じた。
なんだろう?
リディアがそう首をかしげる程の姿をバーニーは見せた。
「あれは……8才の時だったと思うが、あの白宮殿を狙ったテロが発生した」
不意に顔を上げたバーニー。その目にはうっすらと涙があった。
その表情にドキリとしたリディアは、息を呑んで話の続きを待った。
思い出したくも無い事。けど、決して忘れてはいけないこと。
その記憶を自らの十字架として背負って生きてきたのだと思った。
「目の前で子供たちが吹き飛んだ。楽しかった日々を共に過ごした友達さ。それがね、一瞬にして木っ端微塵になったんだ」
まるで罪の許しを乞う様に首を振り、バーニーはためいきをこぼす。
そのシーンがどれ程に衝撃的だったのかは、バーニーを見れば分かることだ。
散々とテロのシーンを見てきたリディアも、その衝撃はよくわかる。
だが、まだ幼い子供の目に映るシーンとしては、許容出来ないものだろう。
大の大人が見たってトラウマ必死なシーンなのだ。
「後になって知ったんだけどね……」
バーニーはうんざりとした表情で言った。
それは、普段からバーニーが見せる、ある特定のシーンの表情だ。
シリウス各地に存在する招待所と言う名の施設。
言い換えれば、ヘカトンケイルを隔離する為に作られた施設。
親衛隊であるワルキューレは、それに付属する基地へと必ず展開する。
そんなワルキューレの元へ独立闘争委員会の連中が来るのだ。
今後の戦闘方針や大きな流れについてのすり合わせを行う為に。
同行するのは、軍関係者や元帥団の代表。あと、参謀本部からの連絡将校。
バーニーは彼らには平穏に接する事が多い。
だが、委員会のメンバーに対してだけは、徹底的に塩対応を貫いていた。
その時に見せる、心底と言った表情だった。
「あれも独立闘争委員会の差し金だった。あの孤児の子供たちの中にレプリの幼体が居たんだ。一度カプセルから出されたレプリは、再びカプセルに戻す方法などない。あの頃、様々な事情で育成ベッドから出されてしまったレプリは、テロの運び屋にするか、分解してタンパク質に再合成が定番だったのさ」
バーニーは悲痛なまでの溜息を吐いて嘆いた。
リディアの知らない現実がそこにあった。
「闘争委員会の連中は、そんなレプリの幼体たちをまとめて処分したかったんだ。無駄な予算だと言ってね、それこそ、ゴミでも捨てるかのように……」
完全計画経済の中で動く社会主義・共産主義と言ったシステムの弊害。
それは、愛や情と言った部分を一切否定する冷酷な部分だ。
「……ひどい」
「だろ?」
自嘲気味に肩を揺すったバーニーは、ソファーの背に身体を預けた。
リディアはそれを、涙が零れないようにする処置だと思った。
再び痛いほどの沈黙がやって来て。リディアはただバーニーの言葉を待った。
いつの間にか、リディアにとってのバーニーは戦友や上司では無くなっていた。
それは、一言でいえば『親族』であり、同僚とか言う存在を越えていたのだ。
「……独立闘争委員会の人間は言ったさ。激昂したヘカトンケイルに向かって、冷酷な一言をね。無駄なんだ……と。どうせ死ぬレプリに使う無駄な予算は無いと。役に立って死ぬならともかく、どうせこのまま行けば、寿命で死ぬんだと」
ある意味では合理的なのだろう。
だが、だからといって従容と受け入れる事では無い。
「……命を何だと思っているんだろう」
リディアも不快感をあらわにした。
それほどに衝撃的だった。
だが……
「消耗品さ」
吐き棄てるようにそう呟いたバーニー。
決して大柄な体格ではない存在だが、いまのバーニーには威があった。
「……え?」
その言葉に驚いたリディアだが、バーニーは鋭い視線をリディアに向けた。
不快感を隠そうともせず、募るイライラの全てを吐き出したかのような姿だ。
「共産主義とか社会主義ってのはね、要するにそれまで負け組みだった奴らが一発逆転を狙ってやらかした、ただの階級闘争だ。自分たちが上に立ちたいって欲望を理想だの理念だのって耳に心地良い言葉で誤魔化しただけの仕組みさ――」
わかるだろ?
そんな同意を求めるような表情がバーニーの顔に浮かんでいた。
「――支配を受ける層にしてみれば変わらないのさ。王侯貴族を倒した連中は、結局どいつもこいつも紅い貴族に化けちまう。かつて地球の世界中にあった共産主義は、その掲げる理念に共産主義だの社会主義だのってカバーが付いてるだけさ」
心底の怒りを露わにしていたバーニー。
リディアはそこに悪魔を哀れむ姿を見ていた。
「いつの世も変わらないのさ。支配したがる奴らはどんな手段でも簒奪しようとする。自分たちに都合が良いようにね……」
リディアは僅かに首肯していた。
それほどにバーニーの姿は怒気に満ちていた。
だが……
「♪シリウスは蒼く この心は弾む――
バーニーは突然に歌いだした。
それは、僅かに通った学校でリディアも教えられた歌だった。
「♪風の音色は美しく 人民全てが睦まじく 暮らす世界は素晴らしい――
シリウスの学校に入ってきた子供たちが教えられる歌。
人民の愛唱歌として政治教育委員が伴奏を付け歌わされるものだ。
「♪我らの父はシェン・ヤン同志 偽の支配者を退ける――
そのシェン・ヤンの最後をバーニーは見ていた。
シリウスを簒奪した人民服務委員長の最期の姿。
末期シリウス病と戦いつつ、最後まで理想を追い求めていた姿。
だが、その理想も実際には酷いモノだった。
リディア自身がそれを良くわかっていた。
「♪我らの世界は独立の 闘争原理に護られる 我らは全て親兄弟――
フンと鼻で笑いつつも、バーニーは怒りに震えていた。
それは、この歌の根幹そのものへの怒りだ。
「♪この世に羨むものはない……」
上目遣いにリディアを見たバーニー。
その表情は文字通りに嘲るようなモノだった。
「羨ましいものばかりだったから……そう歌わせたんだろうね」
リディアもそれをわかっていた。
階級闘争と抵抗のための抵抗が続いていたのだ。
絶望的にモノの足りないシリウスの社会では、安穏に生きる事すら難しい。
そんな社会の不平不満全てを地球へと向けるため、社会全体を洗脳していた。
「……あのテロの後――」
唐突に切り出したバーニーは天井を見上げた。
深く息を吐き出し、辛い記憶を追い出しに掛かっていた。
「私は一般の人民学校へ転籍となった。独立闘争委員会はヘカトンケイルに上申したんだよ。無駄を出しては人民に申し訳ないって」
フンッ……
鼻を鳴らして笑ったリディア。
その余りに馬鹿馬鹿しい理由に、2人とも笑うしかなかった。
マッチポンプとは言うが、散々やっておいてからサラリと厚かましい事を言う。
その面の皮の厚さは大したものだと、バーニーもリディアも笑っていた。
いや、哂っていたと言う方が正しいのかも知れない。
独立闘争委員会のやり方は、結局それが限界だと自白しているようなモノだ。
「でも、人民学校って……」
「私はジュザのソーガー地方にある全寮制の初等学校へ転籍になった」
「ソーガーって言えば……」
「あぁ。あの独立闘争の聖地って言われるところだ」
ソーガー郡と呼ばれる広大な荒地は、そもそもにしてシェン・ヤン出身地だ。
果てしなく厳しい自然環境と、荒れるに任せた広大な土地だけがあった。
海から吹く風は厳しく、また塩を含んでいて農作には適さない。
だが、そんな地へも人類は入植していた。
遥か上流から延々と灌漑用水を導き、莫大な水量で土地の塩を洗い流した。
そして、広大な牧草地隊へと変わっていき、やがては酪農地帯を目指していた。
「あの、ソーガーの学校は本当に酷かった」
ウフフと笑みをこぼし、額に手を付けて目を覆った。
思い出したくも無い辛い記憶が蘇ったのだろうか。
バーニーは表情の全てを失って溜息をこぼした。
「授業といえば地球人が何をしたのかと、敵執心を煽るものばかりだった。今日は地球人をテロで何人殺した。昨日もテロで何人殺した。死んだ地球人は全部で何人でしょう?ってね」
クククと肩を震わせバーニーは笑っていた。
その、余りに異常な教育内容は、いま振り返れば余りに異常なモノだった。
それに疑問を持った親たちは、子供を学校に行かせなくなっていた。
まだ無垢な子供たちに地球への反抗を教育することに疑義を持ったからだ。
だが、委員会の面々は子供たちを親から引き剥がす政策を取った。
完全全寮制の学校にして、子供を集中教育して行くのだった。
「死んだ地球人だけが良い地球人だ。シリウスを支配する地球人を1人残らず滅ぼす事が、シリウス人最大の社会貢献だ。子供たちはそれが常識だと信じて大きくなるのさ。国を乗っ取るなら、まず教育を制せよってね……」
小さな声で『それで?』と続きを促したリディア。
バーニーは恥かしそうに言った。
「12歳で初等学校を卒業し、割と成績が良かった私はラウへ行った。あそこの中等学校へと送り込まれた。けどね――」
空っぽだった紙コップへスコッチを注ぎ、再び一気に煽ったバーニー。
その美しい飲みっぷりにリディアは笑うしかない。
だが、空にした紙コップへスコッチを注いだバーニーは、嫌そうに首を振った。
「――そこで見たのは、とんでもない派閥争いだった。教師たちは権力闘争と階級闘争に明け暮れていた。そしてそんな教師たちが子飼いにする生徒たちは、派閥ごとにいがみ合っていたのさ」
その言葉にリディアが幾度も頷いていた。
初等学校などではまだまだ見られないが、中等学校ともなれば出て来るのだ。
敵を作り、それに対抗する事で団結心を強くする。
そして、その団結から逸脱する者は、どうしたって組織には居られない。
強い同調圧力の中で、上手く振舞う事が求められるのだ。
「……あの頃ね、学校の中でちょっと怪我をしたのさ。体育の時間に鉄棒から落ちて足を捻った。歩くのも辛かったが、シリウスの学校じゃそんな事は考慮されないってのも知ってるだろ?」
バーニーの問いにフンフンと頷くリディア。
その中身は余りに恐ろしい階級闘争だった。
「食堂に行くのもシャワーを浴びるのも、全部が早い者勝ちだ。遅れた者には権利など無い。分け合う精神なんかなく、人よりも沢山集めて腹いっぱい食べる。それが出来ない者は、出来る者に従って分け与えられるしかない」
シリウス人が持つ卑屈な事大主義は、この教育で育まれると言って良い。
強い者に従って何とか生きていく処世術の根幹は、詰まりコレだった。
「そんな私に手を差し伸べた男がいたんだ。名前は……なんて言ったっけな。とっくに忘れちまったけど――」
バーニーが忘れる筈が無い。
リディアはそう確信しつつ、続きを待った。
話のオチが見えたからだ。
「――あの男は私に食事やシャワーの番を世話してくれた。もちろん見返りを要求された。近くに居ろってね。女を侍らせて歩きたかったのさ。薄っぺらい野郎だとおもうだろ? そいつは……武力闘争推進派な有力者の息子だった。後で知ったんだけど、女を集めといて、後で女が必要な奴に宛がうのさ。その為だった」
それが淡い恋心であったとリディアは気が付いた。
だが同時に、バーニーが犯した致命的失敗をも知った。
情報収集の重要性に付いて、バーニーは痛い目にあって理解したのだった。




