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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-FOUR:ジャンの献身11

~承前






 ――娘を養子に取って貰えませんか?


 キャサリンの一言にその場が凍り付いた。

 誰もが耳を疑い、キャサリンの真意を考えた。


「……おいおいハニー。いきなり何を言い出すんだ」


 引き吊ったような表情でそう言ったジャンの頬は、わなわなと震えていた。

 だが、当のキャサリンは至って真面目な顔だった。


「この子には……それか一番良いはずよ」

「一番? 君がそれを言うのはおかしくないか? だいたい……」


 キャサリンに何かを言おうとしたジャン。

 だが、その言葉を遮って彼女は言う。


「私はこの子をシリウスには連れて行けないし……あなたが連れて行くわけにもいかないし……なら、最善の解決はひとつしかない」


 ジャンの目を見つめるキャサリンは、思い詰めたような眼差しだ。

 すべての可能性を考慮したと言わんばかりの姿に、ジャンは言葉を飲み込む。


「この子の為なの……」


 キャサリンの目に涙が浮かんだ。

 だが、それでも胸を張ってキャサリンは言った。


「本当にそれで良いのか?」


 ジャンの言葉には探るような色が混ざった。

 それはつまり、キャサリンの育ちを知るからこその心配だ。

 だが、その心配までも感じ取ったキャサリンは、僅かに首肯し言った。


「今日、初めて解ったのよ。パパが何を思って私を預けたのかを」


 その経験から、キャサリンは父親を憎んでいた。

 憎んでいたと言う表現がオーバーではないレベルの感情だったのだ。


 だが、その思いがスッと氷解するのをキャサリンは感じた。

 父親が願った事を理解したのだ。


「ジョンと暮らしてたリディアの話を聞いていて、あの娘が羨ましいって何時も思ってたのよ。けどね、いざ自分が親になってみたらよくわかるの。あの娘と私の違い。日頃の暮らしかたや振る舞い方を見ていれば……ね」


 キャサリンの告白にジャンが怪訝な顔になった。

 いったい何を言い出すんだ?と、訝しがるようですらある。


「……つまり、どういうことだ?」


 ジャンの問いかけにキャサリンは微笑んだ。

 それは『食いついてきた!』という手応えだ。


「女の子は女に育たないと駄目なのよ。あの子をシリウスへ連れて行けば、どっちの陣営に入っても良いことじゃない経験ばかりするはずよ。それならここにいて、友達をつくって、何処にでもいる女の子として成長した方がいい」


 キャサリンの言葉を聞くハミルトン少将が表情を柔らかにした。

 そして、同じ間合いでリャンが幾度も首肯していた。


「……僭越ながら申し上げる。それは……きっと正しいことでしょう」


 リャンはキャサリンの案に賛意を示した。そして……


「私も同感だ。いや、少尉のお嬢さんを預かるとかそう言う意味では無く、子供が大人に育つ課程には、やはり必要なモノがあるのだ。初等学校から学んでいけば、必要な知識や教養が身につくだろう。だが、人間的にはそれではダメなんだよ」


 ハミルトン少将も賛意を示す。

 ジャンはそんな少将に抗議がましい眼差しを向けるのだが……


「……言いたい事はよく解るが」


 理解と納得は次元的に全く違う問題だ。

 どれ程に頭では理解していても、飲み込めない事が沢山ある。

 同じように、理解しがたい案件だが、煮え湯を飲んで納得する時もある。


 そしてここでは、ジャンが妻の提案を上手く飲み込めないでいた。

 娘の為を思えばこそ……とは言えるのだが、どこかで何かが引っかかっていた。


「それとも……あなたが今すぐ退役する? 私達としてはありがたいけど」


 キャサリンの顔に出ていた表情の半分が、妻から敵に変わった。

 私達が意味する対象は、夫婦では無く仲間になった。

 言うまでも無く、クリエジーサイボーグズ最大のライバル、ワルキューレだ。


「……エディは裏切れないな」


 ガックリと項垂れたジャンは、絞り出すように言った。

 それを聞いていたドッドは、スッと歩み寄ってジャンの肩をポンと叩いた。


「その通りだ。俺たちは……」

「あの人の駒なんだよ。あの人の夢の為の……」


 納得しがたきを納得するには、それ相応の理由がいる。

 それは、どれほど理不尽で非道であっても、必要かどうかと言う部分が大事だ。

 軍人という生き方は究極のリアリストを要求されるのだから、仕方が無い。


「ルーシー」


 ジャンはスッとカプセルに歩み寄って、その中身を凝視した。

 再生の進む肢体は、目に見える速度で赤身が増えつつあった。


「俺は……父親らしいことをお前にしてやれただろうか……」


 カプセルに手を触れたジャンは、幾度かさすった後で自分の手を見た。

 高精度かつ高密度な素材で作られたその手は、サイバーダイン社の傑作だ。

 誰が見たって生身の人間に見えるレベルの作り込みだが、中身は機械なのだ。

 おむつを替えてやり、泣き止まぬ夜には一晩中あやし、そして……


「手の中に……娘の感触が残っていないかね」


 ハミルトン少将は、いつの間にか冷徹な軍人から1人の父親に変わっていた。

 年の頃で言えば随分と上になる筈の存在だが、ジャンは近しい人物に感じた。


「……えぇ。残っています」

「なら、それは君が良き父親であった証拠だよ」


 寂しそうに笑ったハミルトン少将は、自分の手に目をやった。

 痛切な後悔に身を焼かれているかのような、そんな姿だ。


「私にはそれが無いんだ。いや、もっと言えば妻の手の感触すら無い」


 首を左右へと振りながら、ハミルトンは続けた。

 それは、血を吐くような後悔の言葉だった。


「仕事に追われ、家庭を顧みずにいた。世界を護るんだと勝手に盛り上がっていた無能な男は、気が付けば自分の家族を疎かにしていた。そしてね――」


 掌から目を上げたハミルトンは、眉根を寄せた表情でジャンを見た。

 涙を堪えているような、爆発しそうな怒りを堪えているような、そんな姿だ。


「――オフィスの中で積み上げられる書類に目を通しながら見つけたんだ。部下が上げてくれた報告書の中に、私の家族も犠牲になったと言う一文を……ね」


 自嘲気味に言うハミルトンは、極力感情を押し殺している。

 その姿は痛々しいなどというものでは無く、黒く沈んだヘドロのようだった。


「それまで、私が帰宅するのは毎月2度か3度だった。それくらい、仕事に忙殺されていたんだよ。これはミセス.ヴァンダムへの嫌味でも何でもない純粋な賞賛だが――」


 キャサリンをジッと見たハミルトンは、胸を張って言った。

 それは、最前線で経験した者にしか理解出来ない共感と敬意だった。


「――シリウス軍側の担当者は、本当に優秀だと……ね。それこそ、世界中の何処かで爆発騒ぎが起こる都度に、骨身に染みて理解させられた。この10年ほどがどれ程に激動だったのかは、ヴァンダム夫妻には説明不要だろう。私が軍務に就いてもう30年になるが――」


 ハミルトンの言葉から、ジャンはこの男が50過ぎの中年だと理解した。

 ただ、その年齢から想像されるような部分は一切なく、文字通りのベテランだ。


 酸いも甘いもかみ分け、幾多の試練や困難を乗り越え、そして今がある。

 組織の理不尽や不条理を乗り越える経験は、人間の厚みになるのだ。


「――その間、枕元に緊急呼び出し端末を置かずに眠った夜は無い」


 それは、武人が放つ忌憚の無い賞賛だ。

 厳しい表情になっていたキャサリンですらも、思わず頬が緩むほどの。


「では……」


 ジャンは何かを言おうとしたが、その前にハミルトン少将は切り出した。

 胸を張り、自信を漲らせ、見る者を安心させる姿でだ。


「君と君の細君の間に生まれたお嬢さんを預かる事に付いては全く異論は無い。だが、養子にするのは当人に決めさせるべきだし、私もそれを希望する。あまり褒められた行為ではないが、背乗りと言う形で預かる事にしよう」


 どうだ?

 そう言わんばかりの姿になってジャンを見たハミルトン。

 キャサリンは僅かに俯き、逡巡するように思考を重ねた。そして……


「この子は、普通の子ではありません。途轍もなく重い宿命を背負っています」


 そっと切り出したキャサリンは、キッときつい眼差しでハミルトンを見た。

 ジャンだけでなく、リャンやハミルトン本人がそれを『敵』の目だと思った。


「それはもちろん承知している」

「ルーシーは……シリウス人です」

「そうだね――」


 一度言葉を切ったハミルトンは、笑みを浮かべて言った。


「――アーシアン(地球人)ではない。それは必ず、一瞬たりとも忘れる事無く、この胸に刻もう。君との約束として、誇り高いシリウス人に育つように」


 ハミルトンの言った言葉にジャンは背筋をゾクリとさせた。

 誇り高いシリウス人として育つ事が幸せかどうかは微妙なところだ。

 だが、自らの出自をキチンと教えて行くと言う事は大切な事だ。


「わかりました」


 キャサリンはジャンを見た。真っ直ぐな眼差しで見ていた。


「……解ったよ。君がそこまで言うんなら」

「私もシリウスへ帰らなきゃ」

「俺もだ。もっとも、その前に俺は……」


 肩を窄めたジャンは、困ったような表情を浮かべた。


「宇宙の彼方ね」

「あぁ。正直、どうなるか解らない」


 冷え冷えとした表情になってもう一度ルーシーを見たジャン。

 グッと奥歯を喰いしばった表情になり、そして消え入りそうな声で言った。


「もし……帰って来れなかったなら……」

「きっと大丈夫よ。この子は運の強い子だから」


 いつの間にかジャンに寄り添っていたキャサリンは、その背に手を回した。

 そんな妻の肩を抱き寄せ、ジャンは再びカプセルに手を寄せた。


「勝たなくても良い。ただ、強くあってくれ。そして、出来れば――」


 肩を抱き寄せていたキャサリンをグッと抱き締め、ジャンは静かに言った。


「――母親の様に、美しくあってくれ」


 ラテン男の本音がこぼれ、キャサリンは恥かしそうに笑った。

 だが、それと同時に心から思った事もある。


「あとは……チャラい男に引っかからないようにね」


 ジャンへと頭を付け、キャサリンはかすかに震えた。

 言葉でどうこう説明できるモノではないが、愛されていると確信したのだ。


 親の愛情に餓え、人からの思いやりに餓え、擦れて擦れて育った女だ。

 どこかにそれへの恐怖心があったのかも知れない。

 だが、今はそこから少しだけ前進していた。


「過去は変えられないけど、未来は作り出せるって……バーニーが言ってた」

「……へぇ。良い言葉だな」

「でしょ? あなたのおかげで、少しだけ前進出来そうな気がするの」


 娘のために……と決断したキャサリンだが、それは自分自身への救済だった。

 そして、その決断を下せた一番の理由は、本人が誰よりも理解していた。


「……そいつは良かった。少しくらいは夫の役割が出来たらしいな」


 キャサリンの言った言葉は、ジャンに不思議な満足感をもたらした。

 なにより、誰かを支えると言う行為の結果に満足していたのだった。

次回は6月5日になります

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