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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-FOUR:ジャンの献身06

~承前





 ――――シリウスの王にするんだ


 ジャンの吐いた言葉をキャサリンは胸の内で反芻した。

 それは、胸の内に不思議な温もりをもたらした。


 言葉では表現できない、自信やプライドと言ったもの。

 己の心の内にしかと存在する明確な目標。

 もっと単純に言うなら、到達点。


 人生を掛けて成し遂げたいと願うものだ。


「……それは可能なんですか?」


 キャサリンは不思議そうに尋ねた。

 それほどにジャンの姿には自信があったからだ。


 だが、そのジャンは首をやや傾げた姿で言った。

 何とも率直に、真っ直ぐに、遠慮する事無く……だ。


「さぁね。それは俺にも解らない」

「え?」

「そうだろ? 未来は誰にも解らないんだ。だから面白いんじゃないか」


 両手を広げ、同意を求めるように『だろ?』と言ったジャン。

 それは、前向きな姿勢とか、能動的な意欲とか、そう言った物では無い。


 年端の行かない子供が純粋に遊んでいるかのような姿。

 極々単純に、砂場の上で砂の城を作っているかのような姿。


 見返りや報酬や、そう言った生臭い物では無く、もっと単純でシンプルなもの。

 つまり、本人の意志として『それをやりたい』と言う欲だった。


「そうですね」

「そうさ。未来なんて誰にも解らないし、予定された物でも無い。それに――」


 ジャンは嘲笑うような表情でリャンを見た。

 遙かに人生のベテランな筈の老人へ向け、ジャンは言い切った。


「――上手く行かないってのも想定内ってこった。上手く行きっこないから頭をひねるし、知恵を絞るし、予測を立て、対処法を考え、軌道修正の余地を残す。それはシェルで宇宙を飛ぶ者なら誰だって知ってる事。自分の目標に向かって飛ぶんだから、デブリの回避も予定の範囲だ」


 ジャンはキャサリンを指さし『そうだよな?』と問うた。

 キャサリンは満面の笑みを浮かべ、大きく首肯した。


 超高速飛行を行うシェルドライバーなら誰だって知っている事。

 シェルは自分自身の速度が自分に取って最大の脅威なのだ。

 だからこそ、頻繁に回避行動を挟むし、軌道修正を細かに行う必要がある。


 キャサリンだって、過去幾度もそれを経験してきたのだ。

 だからこそ、彼女にとってすれば、何よりも説得力がある言葉だった。


「真っ直ぐ飛ぼうなんて土台無理な話よね」


 嬉しそうに言うキャサリンに、ジャンは片方の頬のみを歪めて笑って言った。


「そうさ。どうやったって邪魔が入るし、横槍が入る。ミサイル一発交わすのだって、次の次の次を読んでいかねぇと、手痛い一撃をもらう事になる。なんせ――」


 ジャンはキャサリンをチラリと見てからリャンを見た。

 その目は若者らしい無鉄砲さと、そして根拠の無い自身に溢れていた。


 自分なら出来ると信じて疑わない強い心。

 困難に直面した人の心を奮い立たせるのは、いつだって信じる心だ。


「――俺も彼女もとんでも無い環境で何度も殺し合った。身体中に過剰G警告が出て、一度なんかリアクターが機能障害を警告してきた事もあった。そんな環境でやり合った中だ。味方にするならこれ以上心強い相手は居ないさ」


 再びキャサリンに視線を移したジャンは、ラテン男の軽薄さでウィンクした。

 ただ、そんな気障な仕草であっても、初心なキャサリンはときめいてしまう。

 恋なんてした事も無いキャサリンの、その心の何処かにポッと火が付いた。


「どんな立場であってもかまわねぇ。ただ、彼女は嫌でも子育てしなきゃならねぇんだから、俺は喜んでその役回りを引き受けるぜ。ドッドの件で義理もあるが、こら俺の意志って奴だ。誰かの思惑で踊らされるなんてまっぴらだぜ」


 遠慮無くそう言い放ったジャン。

 だが、それを聞いていたリャンの表情は途中から変わった。

 まるで『予定通りだ』と言わんばかりだが、ジャンはそれを飲み込んだ。


「なら、話は早いですな。ヴァンダム少尉。貴官にその方を託しますぞ?」


 短く『は?』と応えたジャン。

 だが、リャンは再び好々爺の笑みで言った。


「今、あなた自身が言った言葉ですよ。味方にするならこれ以上心強い相手は居ないと、そうおっしゃいましたね?」


 念を押すように言ったリャンの姿は、今さら逃がさないと言わんばかりだ。

 ジャンは『あぁ、その通りだ』と回答したが、それに対するリャンは……


「ならば、1つ問いましょう」


 キャサリンに向かって手を差し伸べたリャン。

 貴女が答えてくださいと促すその姿に、キャサリンは一瞬身構えた。


「貴女はこの連邦軍少尉をパートナーとされる事に同意されますか?」

「……え?」

「先ほどお見せした通り、一つ屋根の下に棲む事になるのですよ?」


 それは女の身の危険という意味では無い。

 キャサリンにもそれはすぐにわかった。

 そして、問われているその実を理解し、一瞬狼狽えた。


「パートナー……」

「そうです」


 まるで牧師か神父のように、キャサリンの意志を確かめたリャン。

 キャサリンは無意識レベルで我が子ルーシディティを見た。

 天使のような愛娘が自らの腕の中で眠っている。


「ねぇ。ママはどうしたら良いと思う?」


 キャサリンは愛娘へ問いかけるように言った。

 だがそれは、自分自身への問いかけであるとジャンは気が付いていた。


 おそらく、ここまでの人生で何一つ自分の意志を優先できなかったのだろう。

 いつも誰かの思惑や、意志や、そう言ったものの中に居たのだろう。

 何かを取り決め、難しい局面で決断し、それを覚悟する練習が無かったのだ。


 だからこそ、キャサリンは誰かに相談せざるを得なかった。

 回答など無いと解っていながら、それでも、そうせざるを得なかった……


「……そうよね」


 キャサリンは短くそう呟いた。

 やや腰を浮かせてルーシディティを覗き込んだジャンは驚いた。


 まだ生まれて間も無い……まだ2週間しか経ってないルーシディティが。

 まだまだ嬰児と呼ばれるレベルの存在が笑っていたのだ。

 キャサリンの決断を祝福するように、文字通り天使の笑みを浮かべていた。


「私は……それを希望します。受け入れるんじゃ無くて、希望します」


 そう呟くように言ったキャサリンは、顔を上げてジャンを見た。


「私をあなたのつ――『ちょっと待った』


 大切な事を言いかけたキャサリンの言葉を遮り、ジャンは両手を伸ばした。

 口籠もったキャサリンは、ジャンの次の言葉を待った。


 だが、次の言葉が出る前に、ジャンは腰を浮かせて立ち上がった。

 そして、キャサリンの前で右膝を突き、求婚のポーズを取った。


「これは貴女の為に言う言葉であって、貴女が拒否したなら他の誰にも二度と言わないと神誓う――」


 ジャンは右手を伸ばし、キャサリンの手を誘った。


「――どうか私と結婚してください。例え二人の間に如何なる困難があろうとも、私は全力で貴女を守る事を、如何なる敵からも守りぬく事を永遠に誓う」


 ジャンは真剣な表情でそう言いきった。

 いつも僅かに笑みを浮かべている女誑しなラテン男の真面目な表情。

 そのギャップにキャサリンの胸が高鳴っていた。


「わたして良かったのなら、いつもその傍らに置いてください」


 キャサリンは娘ルーシディティを左腕一本に持ち替えて、ジャンの手を取った。

 それはいつの世でも見られる、男の請願を受けた女の対応だ。


「指輪も無いプロポーズだが、それでも良いかい?」

「もちろん……指輪なんか無くとも『いや、指輪はある』


 ふたりの会話に割って入ったリャンは、幾度も首肯しながら言った。

 そして、上着の左右にあるポケットから、指輪のケースを取り出した。


 ティファニーのマークが入ったベルベット状の指輪ケース。

 その中に入っていたのは、地球のプラチナとは光り方が異なるリングだった。


「……シリウスプラチナ」

「ウソみたい……」


 ジャンとキャサリンが驚くのも無理は無い。

 シリウスの地上で製作されるプラチナのリングは、事実上滅んでいた。

 唯一無二と言うべきプラチナ精製工場は、軍用品向け工場になっていた。


 つまり、今はもうシリウスプラチナでリングを作る事など出来ないはず。

 だが、ティファニーのケースに入ったそれは、間違い無くシリウスプラチナだ。


「二人の為にあらかじめ拵えておいたものだ。これは――」


 リャンはまず女物のリングをジャンへと手渡した。

 ジャンは、ケースからリングを抜き取り、キャサリンの指をリングへと通した。


「わが妻となる人に、心からの愛を込めて」


 そう言葉を添えたジャン。

 キャサリンは自らの指に光るリングを眺め、微笑んでいた。


「ありがとう」


 それを見届けたリャンは、男物のリングをキャサリンへと手渡す。

 ルーシディティを抱えたキャサリンは両手が使えない。

 それ故に、ケースを開けて彼女にリングを抜き取らせたのだ。


 そのリングをマジマジと見つめたキャサリンは、乙女の笑みを湛えていた。

 演技でも宿命を受け入れる姿でも無い、純粋な感情だった。


「人生の転機って言うのは、何時も唐突なのよね……」


 自分自身の指に光るリングと、そして掌の上にあるリング。

 キャサリンはその二つにリングに傷が入っているのを見つけた。

 ただ、その傷には一定の法則性がある。


「……これ」


 ルーシディティを抱いたまま、自分のリングを抜き取ったキャサリン。

 一回り小さいリングは、夫の為のリングにスポッと嵌った。

 重なったリングそれぞれの傷を合わせたとき、何らかの文字が浮かび上がった。


「なんですか?」


 横から覗き込んだジャンは『ルーン文字』と言った。

 そして、『ラテン語かな?』と添えた。


「案外博識ですな」


 ニコリと笑ったリャンは、抑揚を抑えた声で謡い始めた。


 ――――花よ咲け 鐘よ唄え

  ――――流れる水よ風を呼べ 吹く風よ炎を栄えさせよ

   ――――あまねく大地を照らす太陽のお渡りぞ

    ――――蒼く気貴く光るセイリオスの化身が降臨される


「王を讃える歌。蒼く気高く光るシリウスの光を浴び、地に在って輝きを放つ地上代行者の為の賛美歌ですよ」


 その二つには古代文字により、唄の単語の頭文字が刻まれていたのだった。

 キャサリンとジャンは顔を見合わせ、フワリと笑みを浮かべた。

 何を意味してそれが刻まれたのか、2人には良くわかっていた。


「夫となる方に。永久に変わらぬ思いを込めて」


 自らのリングを指へと嵌めた後、キャサリンはジャンの指をリングへ通した。

 そして、その手に自らの手を重ね、目を閉じてから静かに言った。


「新しい人生じゃなくて、コレまでの続きだけど……でも……あなたに出会えてよかった。弟に、ジョン……じゃなくて、テッドに感謝しなきゃね」


 花のように微笑んだキャサリン。

 その瞳には、きらりと光るものが溢れ始めていた。

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