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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-FOUR:ジャンの献身05

~承前






「ドッドさん。どうでした?」


 タイレルの病室には明るい光が差し込んでいた。

 それは病室などという物では無く、キャサリンの私室だった。

 愛娘であるルーシディティを抱えた彼女は、ベッド脇のソファーで寛いでいた。


「あぁ。おかげさまで……って当人が言ってたよ。また歩けるようになりそうだ」

「それは良かった」

「あぁ」


 ロスの街で花束を買ったジャンは、キャサリンの部屋に花を飾った。

 大きなピンクのバラを30本も入れた、鮮やかな色立ての作りだ。


「……綺麗ですね」

「本当にね」


 シリウスの地上では、なかなかこんなシーンが見られない。

 花を飾るのは人類共通の楽しみだが、切り花が流通しているのは社会の実力だ。


 安定した社会の中で高品質の流通体系を維持出来る余力がある事。

 畑で育った切り花を採花し、箱に詰めて低温で消費地へと運ぶ。

 たったそれだけの事なのだが、それは不安定な社会では到底不可能だ。


「……地球の実力に舌を巻きます」

「そう?」

「私達は……こんなとんでも無い社会と戦っていたんだと……ね」


 ニコリと笑ったキャサリンだが、その目は母親では無く軍人になっていた。

 シリウス軍の中でもかなりの権力を持った存在だったはずな彼女だ。

 そんなキャサリンが感じる地球の実力は、数段上なんて物では無かった。


「……こうやって花が流通するなら、補給品の流通だって出来る筈。輜重品の供給体制は戦線兵士の士気に直結しますから」


 手短に『そうだったな』と返したジャンは、キャサリンの向かいに座った。

 自らの娘だと受け入れたキャサリンは、心からの愛情を注ぐ姿だった。


 だが、ジャンは同時にその姿に潜む危うさを感じた。

 人の育ちは結局のところ親の育ちそのもの。

 勘違いをした親の元で育った子供は、その心に必ず歪な棘を残す。


 何をしても否定しかされなかった子供は自身が無いしチャレンジ精神をも失う。

 そしてこの場合、親の愛を求めても与えられなかったトラウマ持ちの母親だ。


 ――――いっそ結婚したらどうだ?


 ドッドの言葉が耳に蘇ったジャンは、ジッとキャサリンを見ていた。


「どうかしましたか?」

「あ……いや……」


 恥かしそうに笑って一度テーブルへと視線を落としたジャン。

 向かい合わせなソファーの間にあるテーブルには、小さな花が飾られていた。


「……羨ましいなぁってね」

「羨ましい?」


 ジャンの言葉を復唱したキャサリン。

 女の直感でそれが本音では無いと見抜いた彼女は、無言で続きを促した。

 女の強い視線がジャンを殴りつけるのだが、その眼差しは文字通りの軍人だ。


「いや……ね、こんな事を言うのは君には失礼かも知れないけど――」


 慎重な言葉遣いをして居る風で、実は胸中に言葉を練るジャン。

 さて、なんと言おうかと思案したが、その前に本音が口を突いて出ていた。


「――おれはサイボーグだからさ。自分の遺伝子を残すなんて到底出来ないし、それに遺伝子以前の問題として、子供を育てるなんてのも縁の無い話だけどね」


 寂しそうに笑うジャン。

 その姿にキャサリンは、心の弱い場所を針で刺される思いだ。

 どう頑張っても出来ない事があるし、それに――


 ――サイボーグが持つ劣等感……


 キャサリンは始めてそれを理解した。

 弟であるジョンと話をしたリディアが言っていた事。

 卑屈なまでの劣等感をサイボーグが持っていると言うのを実感したのだ。


「……そうですか」


 それ以上どうこう言う事も出来ず、キャサリンは言葉を飲み込んだ。

 自分を見ていたジャンの内心は別にあるのだろう。

 だが、いまジャンの口を突いて出た言葉もまた真理だ。


 紛れも無いサイボーグの本音として、妻を娶り子を育てる楽しみが無い……と。

 ジャン・ヴァンダムと名乗ったこの男は、その心の奥底の本音を詳らかにした。

 本当であれば誰にも言いたく無い劣等感の根幹を、遠慮なく開陳していた。


「俺もあの人の手下だからさ。新人訓練とか言って人を育てる楽しさは分かっているんだよ。で、もっと言えば父親って存在には成れそうに無いから……」


 そこから何かを言おうとして言葉を飲み込んだジャン。

 キャサリンはその言葉を思案して、そしてふと思った。


 ――この人と……


 そこから先の言葉は、胸のうちでも呟けなかった。

 ただの契約ではない大切な関係の成立な筈だから。


 独りでも生きていける。独りでも幸せをつかめる。

 そんな存在が2人で生きて行こうと誓うもの。

 だが、キャサリンはその表情にそれを漏らしてしまった。


「なら――


 何かを言おうとしたキャサリンだが、その言葉が続く前に部屋の扉が開いた。

 ノックも無く唐突に開いたドアの向こうには、背広姿のリャンが立っていた。


「お寛ぎ中に失礼しますよ。ヴァンダム少尉も居るなら都合も良い」


 リャンはそのまま室内へと入り、胸に手を当ててキャサリンに一礼した。

 まだ妊娠中だった頃から、このリャンはまるで侍従の様に仕えていた。


「どうかされましたか?」


 キャサリンはあくまで柔らかな態度を崩さなかった。

 まるで何処かの姫の様に、凛とした姿勢のまま言ったのだ。


「えぇ。今後について……です」


 リャンは懐へ手を差し込みいくつかの書類を取り出した。

 その紙は地球マークが付けられた、地球連邦政府の公式書類だった。


「まず、今後ですが、ロサンゼルス郊外の住宅地に一軒家を用意しました。いつまでも病院に陣取って居るのは不自然でしょうからね」


 パラリと広げたその書類には、ロス郊外に建つ大きな家の写真があった。

 プールまで付いた3階建ての建物には、シェルターとなる地下室まであった。


「古来から言うように、大者を育てるなら天井は高い方が良いのですよ」


 クククと篭った笑いをこぼしたリャンは、引き続き別の書類を見せた。

 それは地球連邦軍のマークが入った軍用書類のフォーマットだ。

 チラリと見たジャンには、配属命令の文字が見て取れた。


「ヴァンダム少尉。貴官は明日付けを持って501中隊からアメリカ陸軍の戦略偵察隊へ出向と言う事になった。何度かオフィスへと顔を出してもらう事になるが、基本的には育児休暇と言う扱いだ――」


 唖然とするジャンやキャサリンをよそに、リャンは好々爺の笑みを浮かべた。


「――米陸軍では次の世代を育てる為の必要経費として、最長3年間の育児休暇と、5年間にわたり総額10万米ドルの支給が認められている。君が受取人だ」


 リャンを見てからキャサリンを見たジャン。

 そのキャサリンもまたどこか呆然としているようだった。


「そして、こっちが貴女だ。ミセス.キャシー・ヴァンダム。貴女は私がシリウスでスカウトし、任務を果たしてきたアメリカ陸軍の長距離強攻特殊作戦軍所属に所属する2等事務官としての肩書きを用意した。2等事務官と言ってもその中身は要するにスパイだ。私は定期的にシリウスと地球の間を往復している工作員だ。その私がシリウスから連れ帰った存在と言う事になっている」


 リャンの言葉に対し一瞬だけ正体の抜けたような顔をしたキャサリン。

 だが、直後に『それでは……』と呟き表情をグッと厳しくした。


「シリウスを裏切れ……と?」

「そうは言っていません。むしろ逆です」


 キャサリンが劇昂した理由はジャンも良く分かる。

 シリウス人はとにかく愛国心が強いのだ。


「逆?」

「えぇ。逆です」


 ニコリと笑ったリャンは、再び懐から書類を取り出してキャサリンに見せた。

 それは、米陸軍と一体的に運用される連邦情報局の書類だった。


「2重スパイの嫌疑があるとNSAから米陸軍に秘密の連絡があった。その為、陸軍司令部は引き上げ命令を出し、君は地球へと帰ってきた。いや、正確に言うならばシリウスから地球へとやって来た。そう言う扱いだ」


 ――あぁ……

 ――なるほど……


 ジャンもキャサリンもその扱いがストンと心に落ちて安定した。


 シリウスの社会で育ったキャサリンだ。

 どうしたってシリウスの社会習慣が身体に染み付いている。

 どれ程に地球人のフリをしたって、油断すればシリウス人だとばれてしまう。


 ならば最初からシリウス人だとしてしまえば良い。

 そして、地球にやって来ただけ。つれてこられただけだ……と。


「私に連邦軍の内情を見せてしまって良いんですか?」


 キャサリンは念を押すように聞いた。

 最終的にシリウスへと帰る事をなんら疑っていないキャサリンだ。

 連邦軍の情報を山の様に持ち帰りかねない。


 だが、そんな言葉を前にリャンは平然と笑っていた。

 むしろ、なにが問題なんだ?と言わんばかりに……だ。


「むしろ、何の問題があるんだね。そもそも、ヘカトンケイル自身が地球サイドの駒なんですよ? 私だってヘカトンケイルと目標を同じにする地球サイドの狗と言っても良い。シリウス軍の上層部からすれば、連邦軍など友軍のようなものだ」


 それは、キャサリンにとって聞き捨てなら無い言葉だった。

 自分たち最前線に居る者は、計画的にすり減らされていると言って良い。

 血気盛んな若者や、愛国心溢れる子供たちが次々と志願していると言うのに。


「……でっ では! ヘカトンケイルは!」

「そうだよ。シリウス人の中で牙を磨く面倒な存在を優先的に削る算段をとり続けていると言う事だ。もっと言えば――」


 リャンの浮かべていた笑みは、好々爺の朗らかなものから暗いものへ変わった。

 それは老練老獪な策士の浮かべる、どこか倣岸なものだった。


 人の命ですらもただの消耗品と割り切り、最終的な勝利の為に使い潰す。

 その行為に対し、なんら罪悪感も自責の念も無いドライな存在だ。


「――ヴァンダム少尉。君も含めビギンズの一派ですらもただの駒でしかない」


 リャンの言葉にキャサリンは慌ててジャンを見た。

 自らの事に他人を巻き込んでしまったと言う後悔の念がキャサリンを襲った。


 そして、このジャン・ヴァンダムと言う存在が人間を辞めた理由かも知れない。

 戦闘中の負傷や再起不能に近い重傷を負い、その結果としてのサイボーグ……


「バカ言わねぇでくれ。俺たちは駒じゃねぇ――」


 リャンの言葉を笑い飛ばしたジャンは、不敵な笑みを浮かべて睨み返した。

 その横顔にキャサリンが思わず見とれてしまう程の笑みだった。


「――プレイヤーだ」

「プレイヤー?」


 ジャンの言葉をオウム返しに聞いたキャサリン。

 リャンもまた不思議そうにジャンを見ていた。


「あの人が言ったのさ。誰かの思惑で踊るな。自分の意志で踊れって」


 溢れる愉悦を隠そうともせず、ジャンは軽い調子で遠慮する事無く言った。

 胸を張り、真っ直ぐにキャサリンを見て、自信あふれる姿で……だ。


「誰もが自分の思惑や目標や、もっと言えば、何らかの欲望を叶える為に世界を泳いでいる。我々はそんな連中の駒では無く、自分自身の意思を持ったプレイヤーだと誇りを持とうってな――」


 ジャンはそのままリャンへと視線を送って続けた


「だから俺は決めたんだ。俺はあの人をシリウスの王にするんだ」

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