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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-FOUR:ジャンの献身03

~承前






「おめでとう! 女の子だって?」


 娘の出産から10日ほどが経過した日、ジャンは花を抱えて姿を現した。

 キャサリンはやはり少々沈んだ様子だったが、それでも精一杯の笑顔だ。


「ありがとうございます。何故か……女の子でした」

「どっちだっていいじゃねぇの。それより」


 レディの部屋だが、遠慮無く女の子を覗き込んだジャン。

 その愛らしい姿がジャンの心を揺さぶった。


「マンマミーア!」


 感嘆の声を上げたジャンは、揉み手をしながらキャサリンに言った。

 機械の目だとは解っているが、その眼差しは生身の人間以上に人間らしい。


「触って良いかい?」

「え?」


 予想外の申し出に、キャサリンは一瞬返答が遅れた。

 質問の全体像とでも言うのだろうか。ジャンの本音を考えたのだ。

 だが。


「この子に触って良い?」


 キラキラとした眼差しでジャンは言った。

 そこには何の打算的な思惑も感じられなかった。


 純粋なまでの興味と、そして愛情。

 人間性の根本部分にある、優しさや愛おしさ的なモノだ。


「……えぇ」


 どこか気の抜けた返答を返したキャサリン。

 そして、小さく『どうぞ』と付け加えた。


 産まれて間も無い新生児の身体はとにかく柔軟だ。

 まるで軟体動物の様だとも言われるほどだが、ソレもあながち間違いでは無い。

 頭蓋骨はまだ固まって無く、また、骨としてはあり得ない柔軟性を残している。


 母親の産道を通り抜けてこの世に産まれてくる子なのだ。

 その胎内に居るときも、産道を通り抜けるときも、一番必要なのは柔軟性だ。


「持ち上げるのは遠慮しておこう。だけど――」


 ジャンの浮かべた満面の笑みを見るキャサリンは、どこか醒めた表情だった。

 それを愛のない出産と一言で片付けるのは本質的には正しいことでは無い。

 だが、最も適する表現ならば、結局はそこへ行き着くのだ。


 愛の無い、任務としての妊娠。

 そして、愛の無い、代理としての出産。


 この世に産まれ出でた新しい命だが、その根本は科学的な手法で作られたもの。

 限りなくクローンに近い……いや、クローンその物と言って良い存在。


「――可愛いなぁ」


 機械で作られたジャンの瞳は、その瞳孔が完全に開放になっている。

 人口に膾炙する通り、男性の瞳が本能的に開放になるのは、女の裸だという。

 だが、今のジャンはその瞳が開放状態になっていた。


 生理学を一通り学んでいるキャサリンは、そのジャンの姿に母性を感じた。

 なぜなら、女性の瞳が本能レベルで開放になるのは、嬰児を見た時だからだ。


「ジャンさん……」

「え? なに??」


 笑みを浮かべたジャンはキャサリンの声に顔を向けた。

 その顔に張り付く表情は、控えめに言って土砂崩れ一歩前だ。


 可愛いなぁ可愛いなぁと譫言のように繰り返すジャン。

 キャサリンはなんだか急に恥ずかしさを覚えた。


「この子は美人になるね。母親が美人だと娘は自動的に美人だよ。しかし……」

「え? しかし、なんですか?」

「今頃は天国も大騒ぎだろうね。天使が足りないぞ~員数確認!……なんてね」


 頬を大きく折り曲げた笑顔で言うジャン。

 そんなジャンにキャサリンは初めて『プッ!』と吹き出して小さく笑った。


「やっと笑ったね?」

「え?」


 ジャンの声に驚いて子供を覗き込んだキャサリン。

 だが、子供は相変わらず天使の姿で眠っていた。


「……笑ってないけど」

「違うよ。キャサリン、君だよ」

「わたし?」

「そう」


 愛おしそうに嬰児のその額を撫でたジャン。

 その次は、返す刀で遠慮する事無く、キャサリンの頬に触れた。


「母親が嬉しそうじゃないというのは変な光景だよ」

「だって……でも……その子は……」

「ビギンズが男だなんて誰が決めたんだよ」


 キャサリンはポカンとした表情でジャンを見た。

 そのジャンは、ペロリと舌を出して笑った。


「ビギンズは性別を失った存在だぜ? 今はただの……機械だ」


 舌を出したままニコリと笑ったジャンは、グッとサムアップして子供を見た。

 キャサリンはその言葉を必死で消化しようと思考を加速させる。


 だが、ジャンの言った言葉は、考えれば考えるほど堂々巡りを始めるのだ。

 機械でしか無いビギンズだが、生まれてきた子供は女の子……


「じゃぁ……この子はビギンズじゃ無い?」

「当たり前じゃないか。ビギンズはヘカトンケイルから産まれたんだ」


 シリウス人の常識という部分をジャンは言った。

 キャサリンがどこか見落としていた大事な部分をジャンが言ったのだ。


「このこの名前、決めたの?」

「私が決めて良いのかな……」

「父親が居ない以上、名付けるのは母親の仕事じゃ無いか。それに――」


 もう一度キャサリンの頬に触れたジャン。

 その手には新生児特有の匂いがあった。


「――この子は君の、キャサリンの娘だろ?」


 軽い言葉だったが、それでも刃のようにキャサリンの胸へと突き刺さった言葉。

 胸の内で『キャサリンの娘』と反芻し、何度も何度も胸の内で唱えた。


「私の……娘……」


 キャサリンは我が子の顔を覗き込む。

 僅かに薄目を開けたその子は、新生児微笑を浮かべた。


「私の娘……」


 心の奥底にあった、なにか不都合な情報を上書き消去するかのような呟き。

 ジャンはそこのキャサリンの前進を感じ取っていた。

 全てが他人事のようだった人格が、初めて主体性を見せたのだ。


 ドッドの件がそうだったように、自分自身を道具のように扱っていたのだ。

 だが、母親が子を護ろうとする本能は、何よりも最優先なモノだ。


 ――深謀遠慮だな……


 ジャンは胸の内でそう呟きつつ、ベビーベッドの上で眠る嬰児に手を回した。

 まるでソフトスポンジの様に柔らかい身体を極限の集中力で掬い取って……


「ほら」


 自分のまわりに流れている時間が減速しているとジャンは錯覚した。

 だが、それは戦闘中に感じるあの減速と一緒だと気が付いた。

 サブコンが自動でクロックアップし、普段の4倍の速さで駆動する瞬間だ。


 熱対策で長い時間は行えないことだが、ここ一発の集中力では威力を発揮する。

 そして、今ここではそのクロックアップにより、ジャンが見事な対処を見せた。


「私の娘……」


 自分の腕に娘を抱き、キャサリンは初めて心から笑った。

 精神のどこかに蟠っていた粘っこい何かが、音も無く崩れて消えた。


「私の……」

「サイボーグに子供は無理だけど、レプリカントなら可能だろ?」


 ジャンの言った一言に、キャサリンは驚いて顔を上げた。

 その顔に浮かぶ笑みを見て、ジャンも釣られ笑いを浮かべた。


「そうですね」

「そうさ。で、名前は?」

「……考えてませんでした」


 サラリと言ったキャサリンだが、ジャンは急に厳しい表情になった。

 そして、彼女を見つつ大まじめな顔で『そら良くねぇな』と言った。


「産まれて5日目までに名前を付けないと、天使は天界へ帰っちまうんだぜ?」

「え?」

「天界で神の御使いに産まれてくるのが天使だろ?」


 いきなり何を言い出すんだ?と不思議そうな表情のキャサリン。

 だが、そんなキャサリンを余所に、大まじめな顔のジャンは言う。


「その天使は、稀に間違ってこの世に落っこちる事がある。それが子供だよ」

「じゃぁ、人間は全て天使なの?」

「いやいや、子供が大人になるとき、天使はそこから抜けて帰っちまうから――」


 何とも怪しい理論を大まじめに言うジャン。

 キャサリンは途中から笑顔で話を聞いていた。


「――大人になる前に天使が帰らないように、名前を付けるんだよ」

「そうなんだ」

「……日曜学校とか行かなかった?」


 生活の中に宗教が根付いている社会では、そう言う教えが普通に存在する。

 ジャンはその問いに答えたキャサリンを見ながら、その暮らしを思った。

 同じシリウス系とは言え、自分が恵まれていたことを知ったのだ。


「名前は子供に付けると同時に天使に付けるのさ。天使はその名前を天界へ持って帰って神様に報告するんだ。そうすれば、神様は子供の名前を覚えるから、常に見守ってくださる様になる。夕食の前に感謝の言葉を上げるとき、自分の名前を言って神に感謝して、それが届く理由だよ」


 ジャンは天井を見上げて目を瞑った。

 そして、両手を合掌させ、静かな声で言った。


「主よ。人を導きお護りくださる我らが父よ。私ジャン・ヴァンダムに今日一日の糧と恵みと命をお与えくださり心から感謝します。そして、明日の良き日の光がこの身に降り注ぎますように、お導きください」


 聖句を唱え感謝を示したジャン。

 キャサリンはそれを眩しそうに見ていた。


「キャサリンの娘の父は天に居るんだよ。天なる父の娘を授かったんだ。だから、立派に育ててやらないと……困るだろ?」


 ラテン男の口説き文句がキャサリンに笑顔をもたらした。

 太陽のような笑みにジャンも釣られて笑顔になる。


 だが、フィット・ノアの案じた一計をジャンは何となく察した。

 このキャサリンと言う存在を救い、地球側にアクションを起こす。

 地球に送り込まれたキャサリンが産んだのはビギンズ候補だと情報を流すのだ。


 きっと地球にある複数の国家が、新たなビギンズの暗殺に動き出すだろう。

 そして、そのビギンズを護る為にアメリカが動き出すだろう。

 複数の国家の思惑や政治的な駆け引きや、そう言った道具にされてしまうのだ。


 ――酷い運命だな……


 自分の境遇にを棚にあげ、ジャンは純粋な真心でそう思った。

 それだけでなく、着々と復活しつつあるドッドにも思いを馳せた。


 ――借りが出来たな……

 ――でかい借りだ……


「ジャンさん」

「え?」


 一瞬だけ自分の世界に落ちていたジャンだが、キャサリンはそれを呼び戻した。

 油断した表情のジャンだが、すぐにいつものチャラいラテン男になった。


「この子の名前、ルーシディティ…… どうです?」


 柔らかな表情でそっと囁くように言ったキャサリン。

 ジャンは小さくルーシディティと呟き、そして笑顔で首肯するのだった。


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