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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-FOUR:ジャンの献身02

~承前






 時間を少々遡る……


 ――――――――2251年7月28日

         ロサンゼルス郊外 タイレル社付属病院






「私は……役に立たなかったんですね」


 悲痛な声でそう呟いたキャサリン。

 そんな彼女にどう声を掛けようかと、皆が遠巻きに見ていた。


「役に立つとか立たないとかではなく……」


 リャンはキャサリンの傍らで眠る嬰児を見て目尻を下げた。

 老人が最も楽しみとするのは人が育つことだと言う。

 苛烈な運命を背負うことになる筈だが、いまは穏やかに眠っている。


「ビギンズは女性ですか?」

「いや、男性だ」


 ビギンズが産まれて来ると思っていたキャサリンは、果てなく落ち込んでいる。

 だが、キャサリンの問いにそう答えたリャンは、全部承知しているかのようだ。


「……この子は女の子です」

「そうですね」


 キャサリンは複雑な表情で産み落とした子を見ていた。

 誰もが男性が産まれると思っていたのだが、その子は女の子だった。


「ビギンズは男性なのに……」

「そうですね」

「では……この子はビギンズではな『いえ、ビギンズですよ』え?」


 ロスの郊外にあるタイレル社付属病院の奥深く。

 特別室になっている病室の中で、キャサリンは固まった。

 リャンの述べた『ビギンズだ』という言葉が理解の範疇を超えたのだ。


「でっ…… でも……」

「ビギンズでなければ起こせない奇跡が起きたのでしょう?」

「そうですけど……」


 臨月となったキャサリンは、ドッドの脳が眠る養育筒へと見舞いに行った。

 その時、キャサリンは膨らみきった腹部を養育筒へ押し付け、筒へキスした。

 たったそれだけだった。


 だが、休眠状態とは名ばかりで事実上の脳死状態だったドッドは蘇った。

 意識レベルが急上昇し、深昏睡のまま平坦脳波だった大脳が活動を再開した。


 一言でいえば、それは奇跡と言うものなのだろう。

 だが、どんな奇跡にも必ずタネがあるのだ。


「あれはあなたが起こしたのですか?」

「私には出来ません!」


 驚いてやや口調の強くなったキャサリン。

 リャンは好々爺の笑みで静かに言った。


「ならば、あれもまたビギンズの起こした奇跡です」

「でも……」

「それにね、フィット・ノアが企んだのは、あくまで貴女の再生ですよ?」


 え?と、驚きの表情でリャンを見たキャサリン。

 その眼差しの先に居るリャンは全て承知していたかの様に頷いた。


「いいですか? ちょっとショッキングな話です」


 人差し指をピンと立て、リャンは笑みを浮かべて言った。


「産まれてくる子に用は無いんですよ。フィット・ノアにしてみれば」

「そっ! そんな!」


 驚きのあまり言葉を飲み込んだキャサリン。

 だが、リャンは平然としていた。


「いえ、嘘でも冗談でもありません。ビギンズを産んで欲しいと言ったのは事実ですが、その子に用は無いのです。今でもビギンズは立派に行動していますからね」


 解りますか?と、リャンの顔にはそんな言葉が張り付いていた。

 そして、優しい目で嬰児を見つめた。


 遠い遠い記憶の階層を掘り返すようにして、何かを思い出すリャン。

 その表情は辛くも楽しかった時代を噛み締めるモノだった。


「過去、幾度もビギンズが死に掛けたと言う話しはしたと思いますが……」

「えぇ」

「その都度、神は奇跡を見せてくれました」


 僅かに首を傾げたキャサリンは、ジッとリャンを見た。

 つかみ所の無い話しは黙って聞くしかない。

 天井を見上げ僅かに笑うリャンは、目を閉じて心を鎮めた。


「重傷を負ったビギンズをどうするか。医療団は幾度も頭を抱えました。過去、何度か行なわれた……産まれなおしと言うべき行為では、その都度にジャッジが下されていたのです」


 そう説明したリャンに対し、震える声で『それは?』と訊ねたキャサリン。

 リャンは笑みを浮かべたまま視線を落とし、キャサリンを見ていた。


「男が産まれた時には、そのまま成長促成が施され、数年の後に脳移植が行なわれました。女が産まれた時には、懸命の治療が行なわれました。後に医療団はこう結論付けました。必要な時以外には、恐らくビギンズが女を選択している……と」


 ポカンとした表情でリャンを見つめるキャサリン。

 その視線を受けるリャンは、なんらうろたえる事無く言葉を続けた。


「で、まぁ、ここで重要なのはですね――」


 リャンはスイッとキャサリンを指差した。

 その指先には神が宿っている……と、キャサリンはそんな事を思った。


「――あなたの脳を再生させること。ソレともう一つは……」


 一度、間を置いて息を吐いたリャン。

 キャサリンは黙って次の言葉を待った。


「もう一つは、この地球にいる反地球派のシリウス人を見つけ出すことです」

「……は?」


 驚きの表情を浮かべたキャサリン。

 だが、リャンは平然としたままだった。


「前にも言ったと思いますが、フィット・ノアを含めたヘカトンケイルは、地球から送り込まれた工作員に過ぎません。彼らの使命は単純です。つまり、シリウスの社会が地球にとって都合の良い社会であるように調整することです」


 何ら悪びれる様子無く、そう言いきったリャン。

 呆気にとられたキャサリンは、どんな言葉を吐いて良いのか解らなかった。


 だが、1つ理解出来る事は、自分の認識や見識が正しいとは限らない。

 バイアスの掛かった認識では、モノの本質を見逃してしまうと言う事だった。


「では…… この子は……」


 キャサリンの声が震えている。余りにショッキングな話で震えている。

 そんなキャサリンを優しい眼差しで見詰めながら、リャンはそっと囁いた。


「他の誰でも無い……あなたの娘ですよ。もちろん、ビギンズに連なる……ね」

「ビギンズに連なる……」

「えぇ、そうです。ビギンズの……妹のようなモノです」


 ニコリと笑いながら言ったリャン。

 だが、その次の一言にキャサリンは凍り付いた。


「ですから、エサとしてみた場合には、本当に価値があると言う事です」


 キャサリンの表情がこれ以上なく引きつった。

 それが意味する所を直感で悟ったのだ。


「この子を殺す為に……テロリストが動き出すと言う事ですか?」

「そうです。シリウスの社会に根を下ろす、非公開組織です」


 好々爺の笑みを浮かべるリャンだが、この時点でキャサリンは気が付いた。

 リャンの眼差しにあるのは、鋭く凍てついた冬の寒気のような殺気だ。

 幾多の死を見てきたらしいその眼は、生と死の境にある何かを見極めている筈。


 つまり、この男もまたヘカトンケイルの刃だ。

 ヘカトンケイルが目指す理想社会の為に、汚れ仕事も厭わない冷徹な刃。

 そしてそれは、シリウスから遠く離れた地球でも同じ名のだろう。


「シリウスから凡そ500人の破壊工作専門スタッフが送り込まれています」

「500人?」

「えぇ、そうです。彼らは特定の指示を受け、それぞれの専門分野で工作します」


 リャンは淡々とした口調で続けていた。

 それを聞くキャサリンの表情がどれ程引きつっても、全く意に止めずに……だ。


「そんな彼らには共通の思想があります。それはシリウス軍を知るあなたなら言うまでも無い事でしょう。まぁ要するに鍋ぶた理論ですよ」


 鍋の蓋は平面だが、そこにはつまみが付いている。

 つまり、平等である筈の市民の中に、一人だけ『つまみ』となる存在がいる。


 そのつまみを持てば、蓋は持ち上げられてしまう。

 摘みさえ無ければ、蓋は持ち上がらない。

 だから、そのつまみを破壊してしまおう。


 それこそが、シリウスを牛耳る武力闘争路線の目指す終着点だ。


「では……この子も?」

「そうでしょうね。むしろ、狙われない理由を考えた方が良い」


 キャサリンの問いに率直な言葉を返したリャン。

 何かを隠し立てするような素振りなど一切なく、平然と言い切った。


「すでに情報は漏らしました」

「え?」

「地球のどこかにビギンズとなる赤子がいる。再生処理を受け次のビギンズとなる存在が産まれた……とね」


 ハッとした表情で大きく目を見開いたキャサリン。

 ワナワナと震える唇は、言葉にならない言葉で抗議した。


 だが、ソレすらも優しい眼差しで見ていたリャンは、静かな口調で続けた。

 まるで他人事のような振る舞いにも思えるが、逆に言えば100%の信頼だ。


「既に地球各所で専門機関による摘発が始まりました。いわゆる共謀罪ですよ。社会に埋没している犯罪の芽を探し出し、それが萌芽する前に摘み取るのです。シリウスの思想その物を頭から否定するような案件ですもの。彼らは真剣です」


 クククと笑いを噛み殺し、リャンは胸の前で両手をパチンと叩いた。

 その両手が左右がピタリと合わさり、まるで合掌するかのような姿だ。


「鬱陶しい虫をあぶり出し、巨大な手でペチリと潰すのです。既に数百の容疑者がリストアップされていると言いますし、その中でも危険な存在は24時間マークされています。彼らが動き出せば、すぐにでも検挙できる体制です」


 呆然とした表情でリャンの話を聞いているキャサリン。

 正体の抜けきったようなその姿は、痛々しいと言う表現が最も正しかった。


「心配は要りません。こう言う件に関して言えば、エサが大きければ大きいほど良いのですよ。そしてもう一つ、釣り針も特大の仕掛けです。どうでも良い雑魚に様はないのです。あなたが産んだあなたの娘は――」


 リャンは自らの胸に手を当て、僅かにお辞儀をして言った。

 誠心誠意を見せた形の、その精一杯の姿だった。


「――彼らにとって見逃せない存在なのです。だからこそ、囮として効果があるのです。地球の社会に溶け込んでいるつもりの彼らをあぶり出し、ソレを一網打尽にしてしまえば、後は何の憂いもありません」


 自信あふれる姿でそう言ったリャン。

 小さく『でも……』と呟いたキャサリンだが、畳み掛けるように言った。


「地球最高のスタッフが……アメリカ陸軍と海軍の特殊部隊が動員されました。更にはアメリカ情報総局に所属する特殊作戦群も動員される――」


 ニヤリと笑ったリャンは、初めて好々爺では無く悪人の笑みを浮かべた。

 まるせ百戦錬磨な殺人鬼の様に、人を殺す愉悦に震える笑みだ。


「彼らは所詮テロリストだ。個人や団体や……そうだな、ちっぽけな組織程度なら殲滅できるかも知れない。だがね、そんな連中を追い詰める者達を甘く見てはいけない。彼らはテロリストとは違うのだよ。そのテロリストが所属する国家その物を屈服させ、それが出来なければ殲滅出来る……わかるだろう?」


 その笑みに凶相が混じり、キャサリンは思わず震えだした。

 ここにいるリャンという男は、決して好々爺でも懐深い老人でも無い。


 ヘカトンケイルの指示を実行し、目的を果たす冷徹なプロフェッショナル。

 そして何より、目的の為なら手段を選ばないタイプの人間だった。


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