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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-THREE:キャサリンの試練08


~承前






 地球でも北半球の新年は寒い頃だ。

 シリウス生まれなキャサリンは、その事実に気がつき人間の業を思った。

 新天地だとか理想郷だとか、常にそんな表現を受ける事が多いシリウス。


 だが、その実は入植した人々にとって望郷の思いを掻き立てられる地獄だった。

 遠く離れた母なる地球への憧憬と渇望。それこそが地球と同じ設定を求めた。

 地球の歴史を振り返り、より良い世界を目指した名残なのだろう。


 ――――可能であれば地球へ帰りたい。


 シリウスに入植した者達は、みな同じ願いを持って夢を見た。

 だが、それが叶わぬ知ったとき、地球と同じ季節設定を求めたのだろう。


 ――――せめて地球と同じように……


 そんな願いだ。


「人類は同じ愚行を繰り返す……か」


 地球系巨大コングロリマットであるタイレル社はホテル事業も手掛けている。

 そのタイレル系高級ホテルの一室にキャサリンは陣取っていた。

 幾つかのカウンセリングをへた彼女は、完璧な体調管理下にあった。


 望まぬことであった筈の強制妊娠だが、彼女の内面は確実に変化していた。

 なにより、母体である身体をコントロールする為に、脳の活動が活発化した。

 そしてそれは、斬り捨てられた脳の再生と言う部分を確実に進めていた。


 大きく切除された彼女の脳は、既にその切除部分の70%が再生していた。

 タイレルの医療スタッフたちも驚くしかない、人体の神秘だった。



「仕方がありません。人類は夢を見ることで辛い現実を忘れられるのです」


 ホテルからタイレルの病院に向かう道すがら。

 キャサリンの付き人となったリャンはそう答えた。

 返答の欲しい言葉ではなかったのだが、そんな部分では至極真面目な人間だ。


「リャンさんは『リャンで結構ですよ。殿下』


 リャンは率先して敬意と恭順の姿勢を示した。

 それが正しいと言う事ではなく、そう振る舞えば部下は合わせざるを得ない。


 シリウス系地球系の何れかを問わず、キャサリンの周囲には人が常に存在した。

 それは決して監視されているのではなく、見守られていると言うことだろう。


「私は新生シリウス王最初の侍従です。その為に地球へ送り込まれたのです。この日の為に私の生涯はありました。殿下はシリウス王の母なのです。故に、私にとっては命を懸けて守るべき存在です」


 一切の迷い無くそう言いきったリャン。

 キャサリンは複雑な表情でそれを聞いていた。


「なんだか……変な感じです」

「それで普通ですよ――」


 タイレル系の病院へと入っていく車の中、キャサリンは病院のビルを見上げた。

 そびえ立つ巨大な建物は、医療向けレプリカント育成施設を併設していた。


 ただ、見上げた理由は不安や戸惑いでは無い。

 自分が、ただの牛飼いの娘が、いまはシリウスの希望を託されている。

 その事実に、こそばゆさを覚えたのだ。


「――生まれながらにして王族と言うのであれば話は別ですが」


 リャンの言葉にキャサリンはハッと驚きの表情を浮かべた。

 その言葉はつまり、ただの一市民でしかなかった自分への同情だった。


 いきなり違う環境に放りこまれ、荷の勝る重責を背負わされたキャサリン。

 その事実に対し、リャンは遠まわしに『仕方の無い事だよ』と慰めたのだ。


「……ありがとうございます」


 病院の前に横付けされた車の中、ドアを開ける刹那にキャサリンはそう言った。

 その言葉を聞いたドアボーイが勘違いし、恭しく頭を下げた。


 全てがキャサリンの為に動き始めた。

 ただ、それは絶対に勘違いしちゃいけないことだ。

 偉いのは自分ではない。自分の中に宿った命なのだ……


「……それで良いんです」


 ドアボーイの振る舞いにも小さく『ありがとう」と囁いたキャサリン。

 そんな彼女に、リャンは小さな声でそう言った。


 自分の内面の全てを見抜いてしまう老練な男。

 キャサリンはリャンの実力に舌を巻きつつ、静かに笑みを湛えた。

 図らずも、キャサリンは一つ、大人の階段を上がっていた。


「ところで、今日は?」


 病院の中を歩きながら、キャサリンは誰と言う訳でなくそんな問いを発した。

 いつの間にか近くに病院のスタッフが付いていて、10人程度の集団になった。

 タブレット端末を弄りながら、今日の検診に付いて説明を始める。


「不妊治療の人工授精と違い、今回は胚自体が出来上がってますので着床確認が主になります。超音波検診が使えないので、光ファイバーによる直接確認と行きたい所ですが……」


 幸いにして担当するスタッフ全てが女性になっていた。

 リャンが全て手引きしたことなのだろうが、キャサリンにとってはありがたい。


 率直に言えば、全く男慣れしていないキャサリンなのだ。

 オマケに今回は、嫌でも処女懐胎と言う形になっている。

 つまり、キャサリンの胎内への入り口は、処女のままだ……


「……知らない男に弄られたくないですよね」


 急に砕けた言葉遣いになったスタッフは、にっこりと笑ってそう言った。

 キャサリンははにかんだ表情で頷きつつも、『仕方ないけど』と呟く。

 冷静に考えれば、この身体だって8年使えば乗り換える事になる。


 割り切るしかないし、割り切れば何でも出来る。

 逆に言えば、可能性は無限だ。


「ですから、今回は動脈側からカテーテルを入れて、胎盤側から検査します。ちゃんと着床していれば、問題なく見れますし――」


 スタッフの女性がふと浮かべた笑みは、何とも下卑た色を帯びていた。


「――女の子が一回しか使えない切り札は温存しておけます。今後に備えて」


 それが何を言わんとしているのか良くわかるし、同意もする。

 だが、それに続く言葉はキャサリンをして驚天動地なものだった。


「まぁ、私はもう三回使いましたけど」

「え?」

「私もレプリ体なんですよ。先天性遺伝子疾患で」


 キャサリンに付き添うスタッフは、涼しい顔でサラッとカミングアウトした。

 傍から見れば、普通の人間と全く変わらない姿だった。


「年々、レプリカントの技術は進化しています。今はもう見分けも付かないレベルになりましたし、次の目標は男女のレプリカント体によるセックスからの自然妊娠かも知れませんね」


 さらりと言ってのけたスタッフだが、キャサリンは僅かに表情を変えた。

 表現出来ない違和感を覚えたキャサリンの顔には不快感が滲んだ。


「……気に障りましたか?」

「いえ……」


 キャサリンは心を整えるように視線を泳がせた。

 病院の中と言うところは、とにかく穏やかな色使いが心掛けられている施設だ。

 そんななかでキャサリンの視線が捉えたのは、通路の奥に居た男だ。


 検査室の入り口辺りで椅子に腰を下ろし、邪魔なほどに足を組んでいる姿。

 浅く腰掛けてだらしなく座っている風な姿は、腰に来るだろうなと思われた。


 ――きっと難しい問題なんだ……


 その姿を一言で言うなら、悲痛で沈痛だ。

 焦点の定まらない目で天井を見上げ、涙がこぼれないようにしている。


 勝手な想像として、その背の壁一枚向こうでは生死の境にいる家族がいるのだ。

 己の無力感に苛まれながら、ただただ祈るしかないのだ。


 ――快復すると良いな……


 ふとそんな事を思ったキャサリンは、泳いでいた視線を女性スタッフに戻した。

 この僅かな距離の向こうとこっちで、懊悩の中身が全く違っていた。


「……レプリ体同士から生まれた子供の寿命って何年でしょうね」


 やや沈んだ表情でそう言ったキャサリン。

 女性スタッフは肩を窄めて『Non』と呟き、表情を変えた。


「まだ可能性論の段階ですから、それはわかりません。ですが――」


 スパッと否定した女性スタッフは、自らの手をキャサリンに見せて言った。

 何処から見ても健康的な、人造人間とは思えない姿だった。


「――可能性がある以上は、研究したいんですよ。研究者なら」


 その一言でキャサリンはこの女性が医者ではなく研究者だと知った。

 ただ、それは同時に自分が患者ではなく、研究母体なんだと気が付かされた。

 研究者が行なう実験の為の、その素体としての存在でしかないのだ。


 ――それも仕方ないね


 なんとなく複雑な想いがグルグルと頭を巡り、検査の間は不思議な感覚だった。

 血管カテーテルは髪の毛よりも細いもので、腰骨の脇から差し込まれた。

 モニターに映る映像には、レプリ体の子宮胎盤に着床する胚が見えていた。


 周囲が一斉に歓声をあげ、歓喜と祝福の声がキャサリンに襲い掛かった。

 だが、そのどれもがまるで我が事では無いように感じていた。

 自分以外の誰かが行なっている事で、その輪を外から眺めている感覚なのだ。


「良かったですね」


 我が事に感じられないキャサリンは、そんな言葉を吐いていた。

 スタッフたちが『頑張ってください!』と言う都度に悲しくなった。

 自分がただの道具だと痛感していたのだ。そして……


 ――あっ!


 キャサリンはそこで気が付いた。瞬間的な記憶だが思い出したのだ。

 通路の奥に居たのは、連邦軍のジャン少尉だ。

 ドナルド少尉の付き添いでシリウスから来ていた男だ。


 ――ドナルド少尉は脳死一歩前だったはず……


 キャサリンの脳裏に様々な可能性が駆け巡った。

 いよいよ最後の一線を越えてしまった可能性だ。


 一般的に言えば、脳死を迎えた人間は再生しないと言われている。

 命や魂と言ったモノを医学的に定義する事は未だに出来ないでいる。

 だが、結果論として命を失った状態と言うのは判定できるものだ。


 つまり、如何なる治療や支援を行っても快復しない状態。

 意識を取り戻さず、言葉を失った状態。

 人を人足らしめている感情や意識や、況や要するに人格そのものを失った状態。


 ――やっぱりダメだったのかな……


 検査室の前の沈痛な姿に、キャサリンは全ての終りの可能性を感じた。

 そして、気がつけばその表情に悲痛な色がこぼれていた。


「キャサリン殿下……」


 その表情を汲み取ったのか、リャンは小さな声で呼びかけた。

 悲しみに染まった瞳を向けたキャサリンは、ジッとリャンを見ていた。


「如何なる事情があるにせよ、背景があるにせよ――」


 その声音には不思議な温かさがある。

 キャサリンは冷え切った心が温まって行くような錯覚を感じた。


「――あなたの中に生まれた小さな命は、どんな事情があったとしてもあなたの子供ですよ。代理母なんて言いますが、そんなモノは書類上の戯言に過ぎません」


 リャンはキャサリンの肩をポンと叩いて、そして微笑んだ。


「この世ならぬどこか遠い遠い神代の世界から使命を持って生まれてくる命。高位世界からその命をダウンロード出来るのは、あなただけなんですよ。そしてその命を育み、血肉を分け与え、この世に産み落とせるのもあなただけです」


 リャンの言葉を言葉を聞いていた全てのスタッフが黙った。

 言葉を失って二人を眺めた。悲しみに染まっていたキャサリンを見ていた。


「おめでとうございます。殿下」


 胸に手を当て、恭しく頭を下げたリャン。

 その姿にスタッフたちが何かを悟った。


「その御子はシリウスの子ではない。誰かの子供でもない。他の誰でもない、あなたの子供ですよ。あなたが血肉を分け与える、あなたの子供です。つまり――」


 リャンの表情がグッと厳しくなり、検査室にいた全てのスタッフに注がれた。

 その眼差しの強さに、全てのスタッフがまるで彫像の様に固まった。


「――あなたのものです」


 一瞬の間が開き、誰かが戸惑うように『おめでとうございます』と言った。

 そして、『頑張って!』の中身が微妙に変わっていた。

 ただただ途惑うキャサリンを他所に、スタッフたちが声を掛けていた。


 ――頑張るのは……

 ――誰かの為よ……


 率直にそう思ったキャサリンは、ふとジャンの言葉を思い出した。

 奇跡を狙って起こせる存在。ビギンズと言う存在の可能性だ。


 ――この子も狙って奇跡を起こせるのかな……


 様々な事がグルグルと脳内を駆け巡っている。

 ただ、その中に一筋の道が付いている。


 あのドナルド少尉を助けよう。

 敵に貸しを作るつもりじゃなくて、仲間を護る為に……だ。


 自分たちがそうであるように、彼らもまたビギンズの駒。

 その存在が将来にわたってビギンズの役に立ち続けられるように……


 ――頑張らなきゃ!


 キャサリンは、いま始めて自分の人生を自分の手に取り戻した。

 来るべき未来に向けての道を、歩き始めた。

 自分の意志と情熱と、夢に導かれて。


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