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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-THREE:キャサリンの試練07


~承前






 誰も居ない病室の中、キャサリンは自分の肩を抱いて震えた。

 夕暮れの日差しが差し込む部屋の中は、暖かな空気が漂っていた。


 ――――俺たちの隊長エディは、ビギンズその人さ


 キャサリンの耳には、ジャンの云った言葉がリフレインしていた。

 彼女の知り得ない情報をジャンは惜し気もなく伝えてくれたのだ。


 ――――あの人は全てのシリウス人の希望さ


 バーニーがシリウス人最初の女性リリスなのは彼女も知っていた。

 だが、最大のライバルである501中隊については、キャサリンも知識が無い。


 ワルキューレにとってもっとも手強いライバル。

 それは、ビギンズが直率する地球最強集団だった。

 とにかく腕利きで手強い男達。出来れば戦場では遭遇したくない奴ら。


 キャサリンは長らくそう思っていた。

 だが……


 ――知らなかった……


 今ならその存在理由が分かる。

 何一つ隠すことなく開陳してしまったジャンの言葉が耳によみがえってくる。


 どこか誇らしげに、胸を張りやや上を見て言うジャン。

 その姿は、迷いや躊躇いと言ったものを一切感じさせない真っ直ぐなものだ。


 ――――俺たちはビギンズの役に立つ事を望んでいるのさ

 ――――シリウスの未来の為なら、いつ死んだって良いと思っている


 清々しいまでの潔さ。

 それこそがジャンに感じた強さの核心だった。


 純粋にビキンズの為だけに存在する、親衛隊としての中隊なのだろう。

 そして、ビギンズはその親衛隊を率いて、戦闘を繰り広げている。

 狙っているのは、人民を食い物にして私腹を肥やす奴らだ。


 そんなところにいる男たちは、自分をものの勘定に入れずに判断していた。

 自分の命よりも優先するものがある。それを確信しているのだった。


 ――凄いなぁ……


 ふと、キャサリンは思い出した。

 あのバーニーが恋しさに泣いていた夜があったのだ。

 超絶に厳しいシリウス軍の中で、バーニーは必死に立ち回っていた。

 その中で何度も折れそうになり、その都度にヘカトンケイルが助けていた。


 ただ、助けられることはあっても、バーニーにとっては違ったのだ。

 あのビギンズの妻になる様に運命付けられて産まれて来たのだから……


 ――逢いたいよね……


 恋を知らぬキャサリンだ。

 恋に恋することはあっても、人に恋したことはない。

 だが、1つだけ解る事もある。


 ――バーニーに託されてるんだ……


 何より大切な存在の、その胚となるモノをキャサリンは託されていた。

 そして、代理母として振る舞う事も……だ。


 ――――ドッドはもうダメかも知れない……


 力無く首を振ったジャンは、空を見上げて何かを探した。

 サイボーグの身体なのだから涙が零れる訳もない。

 ジャンの姿は、昼空にシリウスを探すものだった。


 ――――奇蹟は起きないんだよ

 ――――そんな都合良く起きるもんじゃない

 ――――だからビギンズは素晴らしい存在なんだ

 ――――あの人は必要な時に狙って奇跡を起こせるんだよ……


 ジャンは空を見上げたまま目を閉じて呟いていた。

 その眦から一筋の波だが流れたかのように見えた。


 それが幻なのはわかっていたが、それでもキャサリンにはそう見えたのだ。


 ――――孤高なるシリウスの光よ……

 ――――迷える男の魂をヴァルハラへ導け……


「ジャン…… ヴァンダム……」


 キャサリンは、ドッドでは無くジャンが気になっていた。

 仲間の為に純粋な振る舞いを見せた男の後ろ姿を美しいとキャサリンは感じた。


 そして、彼女はその背に、遠い日に見た父セオドアの誇りを見た。

 自分以外の誰かの為に、命を賭けて戦いに赴く男の背中だ。


 ――ダディ……


 父はいつも、争いの無い平和な社会と世界を夢見ていた。

 悪党やアウトローや、そういった虐げる者たちのいない世界を。


 数多の人々から『無駄』だと。或いは、『ただの綺麗事』だと。

 若しくは『ただの夢物語』だと言われていたが、夢見る事を止めなかった。

 自分の命を差し出してまで、やるような事ではないと言われたのに……だ。


 ――――死んじゃうから行っちゃヤダ!


 決闘に出掛けていくセオドアの足に抱きつき、幼いキャサリンはいつも泣いた。

 今度は帰ってこない。今度こそ帰ってこない。毎回そう思っていた。


 だが、その都度に父セオドアは言った。


 ――――夢見る者がいなきゃ、進歩は無いんだ


 なぜダッドがそれをやらなければいけないのか。

 なぜ、毎々毎回自分が泣かなきゃいけないのか。

 そして、なぜ他人はやってくれないのか。


 キャサリンはそれが嫌だった。

 ダッド以外の誰かが死ねば良いのにと素直に思った。


 だが今は、父セオドアの気持ちが分かると……と彼女は思った。

 父は夢見ていたのだ。百人が百人、無理だと思うような夢を見ていたのだ。


「人の夢は……尽きないよね」


 自分自身の呟きで、キャサリンはハッと気が付く。

 ジャンが嘆いていたのは、仲間への情では無い。

 ビギンズの役に立てなくなる事への悔しさだ。


 ジャンを含めたあのメンバーは、ビギンズの夢を共有しているのだ。

 クレイジーサイボーグズと名乗るあの男達は……


 ――役に立たなきゃ……


 キャサリンは自らの腹に手を添えて笑った。

 この腹など、いくらでも使って良いと初めて思った。

 損得勘定では無く、自分の意志として誰かの役に立ちたいと思ったのだ。


「私しか出来ないんだよね。きっと……」


 いま初めて、父セオドアが願ったことの核心を理解した。

 自分しか出来ないのだから、自分が先頭に立ってやる。


 他人事では無い。自分の事なのだ。

 そして、自分の見た夢を自分で裏切らない。

 父セオドアはそれを胸に刻んでいたのだった。


「居るかい?」


 ノックと共にドアを開けたサミールは、色々と荷物を持ってきていた。

 キャサリンはこの日で退院し、市内のホテルに移る予定になっていた。

 代理母となる事を歓迎せず、次のイソカゼに乗るつもりだったのだ。


「次の出航まで1週間だ。もうイソカゼはシリウスに付いた頃だろう」

「そうだね…… でも、次の便にはサミーだけ乗って」

「え?」


 専用個室となっていた病室のソファーにいるキャサリンは、ニコリと笑った。

 その笑みにサミールはキャサリンの内心を察した。


「……やるのかい?」

「うん。やってみようじゃない。なにかが変わるかも知れないし」


 晴れやな笑みを浮かべたキャサリンは、自分の腹をポンッと叩いた。

 その姿にサミールは言葉を失うも、キャサリンは胸を張って言った。

 背筋の伸びた良い女だった。


「女にしか出来ないなら、それで役に立つよ」

「はぁ?」

「あの、ジャンっていう連邦軍の少尉――


 キャサリンはジャンとの会話全てをサミールに伝えた。

 最初は驚いたサミールだが、話を聞き終わる頃には薄笑いだった。


 キャサリンも感化されてしまったのだと気が付いた。

 ビキンズとバーニーの二人に……だ。


 バーニーと古くから行動を共にしているサミールは、彼女の理想を聞いていた。

 シリウス人民を虐げる者に鉄槌を下したいのだとバーニーは常々言っていた。

 そして、例えそれが独立闘争委員会であっても……だ。


 その為にワルキューレは存在し、ヘカトンケイルの役に立ち続ける。

 いつの日か、シリウスが真の自由を得る日の為に、役立つ人々を集めるのだ。

 それ故に、ヘカトンケイルの親衛隊は、ワルキューレと言うのだ……と。


 だが、さすがのサミールも敵である501中隊については知らなかったらしい。

 全てを教えてくれた訳ではないと知り、どこか釈然としない部分もある。


 ただ、サミールだって解る部分でもあった。

 バーニーにとっては言うに言えない事なのだろう。


 出来れば言わないでおきたい部分。

 酸いも甘いも味わった女狐が一人の少女に還れる相手だ。


「あの鉄面皮なバーニーにもかわいい部分が残ってたんだね」


 嫌な笑いを浮かべつつ、それでもサミールは頷いていた。

 あのセントゼロで拾った、今にも死にそうだったひ弱な娘が育ったのだ。

 鎮痛剤と強心剤と、そして、強制覚醒の戦闘薬を投与され痛みに呻いていた女。


 それが今やシリウスの未来の為にと、一世一代の勝負に出ようとしている。

 しかもそれは、自分の体を削って行うことなのだ。


「フィット様もバーニーも解ってるのよ。きっと」

「解ってるって、なにがさ」


 キャサリンの言葉にサミールが質問を返す。

 オウム返しでこそ無いが、それでもサミールは掴み切れていなかった。


「私の内側の問題を解決する方法は一つしか無いって」


 怪訝な表情でキャサリンを見たサミール。

 そんな姿のサミールへ笑みを返したキャサリンは胸を張って言った。

 父セオドアが夢見た世界は、ビギンズやバーニーが望む世界が同じだと信じた。


「誰かの役に立つ事。誰かの役に立ち続ける事。そうすれば私は私でいられる」

「……どういう事だい?」

「言われた事をやるだけじゃなくて、自主的に、能動的に、自分の意思を持って」


 ……自分の意思を持って


 サミールは小さな声でそれを復唱して、そして焦眉を開いた。

 ペルシアビューティーの血を引くサミールの笑みは、常に妖艶で美しい。


「そうだね。あんたはいつも、人に言われるがままだったから――


 サミールの言葉が続いていた時、再びキャサリンの個室にノックの音が響いた。

 思わず言葉を飲み込んだサミールが振り返ると、静かにドアが開いた。


「良いかな?」

「……どうぞ」


 ドアの向こうに立っていたのはリャンだった。

 手には色々と書類を持っていたのだが……


「今日こそは口説き落とそうと思ってきたんだが、話を聞いて貰えるかね?」

「その必要はありません」


 軽い調子でキャサリンは言った。

 それは、幾多にも解釈出来るような、そんな言い方だった。


「……と、言うと、やはりシリウスへと帰られますかな?」

「それも考えたんですが……」


 キャサリンはいたずらっぽく笑ってリャンを見た。

 その顔は、懊悩が抜けた爽やかな表情だった。


「引き受けます。やってみようと思います。自分以外の誰かの為に」


 キャサリンの言葉を聞いたリャンは、フワリとした笑みを浮かべた。

 だが、その表情にキャサリンはハッと気が付く。リャンが目まで笑ったのだ。

 どこか余所余所しいと思っていたその表情は、目元の違いだと気が付いたのだ。


「……そうですか」


 幾度も首肯しつつ『そうですか…… そうですか……』とリャンは呟いた。

 鋭さの欠片も無い好々爺の笑みを浮かべたリャンは、ジッとキャサリンを見た。


「シリウスは安泰だな。若者たちがちゃんと育っている……」


 そんな言葉を呟き、再び幾度も首肯した。

 リャンはまるで我が子を慈しむような、そんな眼差しになっている。

 それを眺めるキャサリンは、リャンの生涯もまた過酷だったのだと知った。


「まぁ、一筋縄では行かない事だ。次々と難問が降りかかる中、必ず生き抜くと、そう覚悟を決めねばならないのだからね。いずれにせよ――」


 リャンは部屋の中で両手を広げ、右足を引いて頭を下げた。

 その芝居がかった振る舞いは、まるで舞台役者が見せる時代掛かったものだ。


「――未来のシリウス王とその母に私が最初に拝謁する。君は…… いや、もはや君と呼ぶのはよろしくないね。うん、そうだな。あなたは、あなた自身が望むと望まぬとを選ぶ事なく、嫌でもシリウスの激動に組み込まれる事になる」


 リャンは音吐朗々にそう言った。

 ただ、それを聞いていたキャサリンの表情がガラリと変わった。


「……シリウス王」

「そう。君が身篭るのは、全てのシリウス人民が戴く王なんだ」

「……シリウスの支配者なんですか?」


 キャサリンの言った言葉は、シリウス人民ならば過敏に反応するものだ。

 支配者という言葉は、独立闘争委員会が繰り返し使ってきたプロパガンダだ。


 主権は人民にあり。その原則を踏みにじる存在を粉砕せよ。

 様々な思想を乗り越え、それらを糾合し、闘争を繰り広げた連中だ。

 そんな彼らには、これほど都合の良いものは無いのだ。


 思想的に統制され、敵意と憎悪とをもって敵対する人々は一定数で存在する。

 彼らにとってのシリウス王は、自らの悪徳を掻き消す理想的な敵だった。


「そうだよ」


 リャンは胸を張って応えた。

 そこには一片の疑念を挟む余地も無いと言わんばかりな姿があった。


「シリウス王は人民の為に存在する。人民を護り、導き、そして見守るのだよ。支配するのではなく、見守る存在だ。それこそが、シリウスの王なのだ……


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