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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
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ROAD-TWO:ドッドの旅03

~承前






「で、その後はどうなった?」

「ここからも結構長いが…… いいのか?」


 質問に質問を返すのは、余り頭の良い事とは思えない。

 ただ、ジャンが知りたいと事とドッドが話すべき事は重なっている。


「……船の出発までは時間があるさ」

「なら、順を追って行くか」


 ドッドは天井を見上げ目を閉じた。

 遠い遠い日の記憶のようで、それはほんの20年の……

 いや、その20年が余りに激動だった故に、ドッドは感傷に耽った。


「気が付いた時、俺はセントゼロの医務室にいた。切り裂かれた傷は何の痕跡もなく癒えていた。痛みも違和感も無く、まるで生まれ変わったかのような、そんな気分だったよ――





「気分はどうかね?」


 柔らかな言葉で語りかけてきた相手をドッドは凝視した。

 そこに居るのはヘカトンケイルの中でも最高位にある始まりの8人の一人。

 慈悲と癒やしと救済を受け持つ、蒼の称号を持つ存在だからだ。


 フィット・ノア


 シリウス各地へ自らの居城を築いた者達の一人だ。

 そして、この人物は通称蒼宮殿と呼ばれる施設の主。

 人々の健康と安全とを見守る存在だった。


「あ…… あの……」


 寝かされていたドッドは身体を起こし確かめた。

 衣服に血の汚れは無く、清潔なままだ。

 傷は完璧に癒えていて、痕すら残っていない。


「私は……」

「我らの吾子を護りたもうたそなたに、心から感謝する」


 その言葉はドッドの脳髄を蹴り飛ばすような威力だ。

 驚きの余りに言葉を失って、フィット・ノアを凝視している。


 ヘカトンケイルは間違い無く我らの吾子と言った。

 つまりソレは、その言葉で呼ばれる存在こそは、ビギンズに他ならない。


 それは、全てのシリウス人にとっての希望。

 全てのシリウス人にとっての救いであると同時に、頼みの綱だ。

 そして、生きる意味にしている者ですらもいる……


「あっ…… あの…… 御子は、救いの御子はどちらに」

「あぁ、その件だが」


 フィットは突然に悲しそうな表情になった。

 その中身を窺い知る事が出来ないドッドは、黙って言葉を待った。


 理屈では無く、そうするのが正しいと思ったからだ。

 ノアは何から話をしようかと言葉を練っているはず。

 ならば、その時まで黙っているのが礼儀だ。


「あの子は…… 自らの弱さと至らなさを恥じとし、成長したいといって地球へ旅立ったのだ。協力者を得たのでな」


 ノアの言葉にドッドは固まってしまった。次の言葉が出てこなくなった。

 余りの衝撃に、口をパクパクとさせるばかりだった。


 だが、そんなドッドを無視するようにノアは言葉を続けた。

 淡々とした口調で、物語を練るようにしながら。


「あの歳になるまでに幾度も死に掛け、心臓が止まったのは7回ある。その都度に蘇生してきたが、当人は怯えも狼狽も全て超越しないといけない……と」


 その話は、シリウス人なら誰でも知っている事だ。

 独立派と呼ばれる者達は、ビギンズの存在を殊更に憎んでいる。

 その為、ビギンズを無き者としようとする活動は、とにかく熾烈だ。


 彼らは口を揃えて言う。

 無駄に融和の希望なんて存在が居るからいけないんだ…… と。

 論理的に全く正しくなくとも、それを信じ込む存在は一定数で存在する。

 宗教という存在の根幹は、他人の妄想を現実と信じ込む事に他ならない。


 ヘカトンケイルとビギンズが存在すると都合の悪い者達の妄想。

 理念と言い換えただけのただの我が儘を、理想だと信じ込む事。

 そんな者達の自主活動の結果が現状なのだ。


 自らの理想にそぐわない存在ならば殺しても良い。

 殺人を否定し、闘争を否定し、自由と平等とを掲げる者達は、進んで闘争する。

 その矛盾を自ら肯定してしまう事こそが、悲劇の根幹だった。


「救いの御子はシリウスを捨てたのですか?」


 ドッドが絞り出した言葉は、どこか悲鳴染みた色を帯びていた。

 シリウスの人々を救済するという御子の存在は、それ自体が希望だ。

 そんな御子が人民を捨て何処かへと旅立った。それは文字通りの大事件なのだ。


「捨ててはいないよ」

「ではっ!」

「あの子は……」


 ノアは遠くを見て溜め息をこぼし、その姿にドッドはますます不安を募らせる。

 だが、そんなドッドの肩をポンと叩き、安心させるように微笑んだ。


「そなたらのようなシリウスの人々を守るために強くなる……と」

「強く?」


 僅かに裏返った声で聞き直したドッドは、驚きの眼差しでノアを見た。

 その言葉の意味を理解しきれなかったドッドだが、何となく分かることもある。


 あの時見た存在は、間違いなく最高の存在だ。

 それを一言でいえば、神なのだろう。


「でっ…… では……」

「あの子は地球へと旅立った。学びを得るために。必要な経験を積むために」

「地球へ……」


 ドッドの育った家庭は、シリウスの中でも決して貧しい部類ではなかった。

 強い身体と心を育むのに必要な食事も学びもドッドは得られた。


 そんなドッドから見ても、ビギンズは恵まれた存在だと思っていた。

 生まれてこの方、幾度も生命の危機を乗り越えてきた筈の存在だ。

 きっと、その周囲には素晴らしい人材がいるのだろう。


 だが……


「一体何を学びに行かれたのですか?」


 ドッドの疑問はそこに収斂した。

 間違い無くシリウス最高の人材がいるはずなのに、何故地球へ?

 その理由が思い浮かばないのだ。


「あの子は……」


 鋭い質問だとノアは笑みを浮かべた。

 そして、ドッドの頭を撫でつつ、静かな声で言った。


「シリウスを開放する方法だよ」

「開放?」

「あぁ、そうだ。このシリウスを牛耳る者達から取り返す方法だ」


 ノアは優しい声でそう呟いた。

 ドッドの耳に解けていくその言葉には、不思議な暖かさがあった。


「取り返すというのは?」

「君はいま、シリウスを支配する者達とはどのようなものだと思うね?」

「……独立闘争委員会です」


 ドッドの回答にノアは満足そうな首肯を返した。

 そして、しばらく目を瞑り、ややあって再び開いた目でドッドを見た。


 涼やかな秋風のような、不思議な冷たさを感じる眼差しだ。

 ただ、その眼差しには全くと言って良い程不快感が無いものだった。


「では、彼らに逆らったら?」

「……粛正されます」


 粛正と言う言葉に力を込めたドッド。

 ノアもまた悲しそうな色を混ぜた表情でドッドを見た。


「君は彼らのやり方を受け入れられるかね?」

「……嫌です」

「ならば…… 戦うしか無い」


 ノアは戦うと言った。

 それは、ヘカトンケイルにあるまじき言葉だ。

 争いを避け穏便な方法を選ぶべきと言うのが、彼らの方針なのだ。


 そんなヘカトンケイルの者達が、戦うと言明した。

 これは、全てのシリウス人にとって重い意味を持っていた。


「戦うんですか?」

「そうだとも。地球を追放され、地球に復讐を目論む者達と戦うんだ」

「……つまりそれが、独立闘争委員会?」


 言葉での返答ではなく、深い深い首肯でノアは応えた。

 独立闘争委員会が『腰抜け』や『敗北主義者』と罵るヘカトンケイルが……だ。


 ヘカトンケイルは決して闘争を好まない訳では無い。

 手段として最初から選択しないと言う事でも無い。

 血を流し、汗を流し、時には涙を流す事も厭わない。


 そんな『手段としての闘争』を、彼らヘカトンケイルは捨てたわけでは無い。


「地球から追放された者達は、地球を変えようとした者達だ。彼らには彼らの主義主張や理想があるのだろう。それ自体は別段構う事は無い。彼らの自己責任でそれを主張すれば良い。だが――


 ノアは首を振り、心底嫌そうな表情で言った。


「――彼らの理想を実現する為に、シリウスを巻き込まないで欲しい。シリウスは穏やかに独立し、穏便に対等な存在となる事を願っている。地球とシリウスが一衣帯水に連係し、共に発展するのが望ましいのだ。だが、彼らは地球を支配下に置こうとしているのさ」


 ノアの説明に『なぜですか?』とドッドは問うた。

 余りに信じがたい話が続き、さすがのドッドも混乱しているのだ。


「彼らはこう考えている。彼らの掲げる理想を理解しないものは、愚かなのか反動主義者かのどちらかだ。愚かなものは奴隷にすれば良い。だが、反動主義者は存在自体が許されない。彼らは常に自分たちだけが正しいと盲目的に信じている」


 その言葉に、ドッドは思わず『そんな馬鹿な』と呟いた。

 だが、ノアは遠慮する事無く言った。


「人間の賢さには限界があるが、愚かさに限界は無いのだよ」


 その言葉には、深い憤りと悲しみがあった。

 己を棚に上げて憤る愚かさは、本人だけが気が付かない愚かな振る舞いだ。


 だが、独立闘争委員会とその支援者達は、本気で信じている部分がある。

 自分たちだけが常に絶対的に正しく、唯一無二の存在であると信じている。

 そしてそれだけで無く、彼らの思想信念は正しいから妨害されると思っている。


 精神科医が言う通り、統合失調症を病んだ者は、己の病気に気付かない。

 自分では無く周囲が狂っている、おかしくなっているのだと信じている……


「君も強くなってくれ。そしていつか、我らの吾子と共にシリウス開放を……」


 ドッドの肩に手を乗せ、ノアは静かにそう言った。

 硬い表情で首肯したドッドは、唇を噛みながら、もう一度首肯した。


「頑張ります」

「あぁ。頼んだよ」



  ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 ドッドは一度言葉を切って、マガジンの数を数え始めた。

 既に20近いマガジンへ弾を込めていた。


「さて、射撃の練習にでも行くか」

「おぃおぃ、冗談だろ? もう船が出るんだぞ?」

「え? そんなに早いのか?」

「あぁ」


 アチャーのポーズを見せたドッドは、部屋の中を片付け始めた。

 急いで、だが、落ち着いて、着々と整理整頓していく。


「これだけは身体から抜けないんだ。長い事下士官をやっていた癖だな」


 そんなドッドを見ながらジャンは苦笑いしていた。

 本当に端々に気が回るドッドの真骨頂を見たような気がしていた。

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