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黒い炎  作者: 陸奥守
第九章 それぞれの路
241/425

ROAD-ONE:ソフィアの恋人04

~承前






 マインドストレステストとは、その名の通りの苛酷なテストだ。

 精神的な負荷を掛け、ワザと不安定な状態を作り出して尋問する。

 それは、精神的に強い傾向がある軍人向けの、謂わば圧迫面接そのもの……


「しばらくだね。リディア・ソロマチン少尉」


 そもそも軍人とは、ストレスに強くなければ勤まらない。

 いつ死ぬか解らない恐怖や、突然敵に遭遇する可能性があるからだ。

 常在戦場とは、口で言う程に生中な事では無い。


「……はい。ご無沙汰しております」


 低い声でそう答えたリディアの目は、チカリ中佐から離れない。

 その目には明確な警戒と隠しきれない敵意があって、ギラギラとしている。


「そう警戒しないで欲しい。前回は…… 酷い事をしたと私も思っている」


 苦笑いを浮かべたチカリは、柔らかい言葉で謝罪を述べた。

 いや、述べざるを得なかったと言う方が正しいのかも知れない。


 何故なら、リディアの後ろにはバーニー少佐が立っていた。

 その両脇にはサミーことサミール大尉とサンディことサンドラ大尉がいる。

 この三人は全員が肩からサブマシンガンを提げていた。


 そして、バーニーの左に立つサンドラの銃は、ボルトが後退位置にあった。

 暴発や爆発の危険があるポジションだが、僅かでもトリガーを引けば発砲する。

 その状態でグリップを握り、指はトリガーガードに乗っているだけだ。


 銃口こそ壁に向けられているが、かなり危険なポジションと言える。

 そして、最も重要な事は、その銃口から放たれた銃弾が跳弾すると……


「それに、私もまだ死にたくない」


 チカリは静かにそう言った。

 跳弾が来る被射界のど真ん中にチカリがいた。

 つまり、いつでもお前を殺せると、暗黙のプレッシャーを掛けていた。


 ただ、そのチカリもまた涼しい顔で仕度を始めている。

 リディアと同じく、チカリも軍人だ。

 プレッシャーやストレスの中で幾つも仕事をしてきたのだ。


 しかも、その仕事の中身と言えば、独立闘争委員会の走狗。

 汚れ仕事や嫌われ仕事。忌み事を一手に引き受けてきたと言っても良い。


 クロス・ボーンが好むように。スラッシュ・ボーンが喜ぶように。

 女を集め、抵抗感や羞恥心がなくなるよう調教し、調整し、そして差し出す。

 その行為を『治療』と称し、作業のように淡々とやり続けてきた男。


「無駄口を叩くな」


 バーニーは冷たい声で言った。その眼差しには、ひと欠片の情もない。

 作業中の機械を止める安全装置のボタンを持っているようなものだ。

 何かあったらボタンを押すだけ。機械は壊れるが、動作は止まる。


「あぁ。そうだな」


 不本意そうにそう漏らしたチカリは、チラリとバーニーを見た。

 そして、その観察力で悟った。自分の命が今夜終わるんだと、気が付いたのだ。


「少尉。まぁこれは一般論として聞いて欲しい」


 チカリは遠目のところから切り出した。

 リディアの目の前に、安定剤を投与する注射器を並べ始めたからだ。


 それを取り出しただけで撃たれるかも知れない。

 チカリ自身がそれを解っているからこそ、慎重に瀬踏みをしている状態だ。


「人間の心理として、死を避けられない事象には恐怖するし、負け戦を好むなんてあり得ない。ただ、軍人は根源的な部分でその恐怖感情と戦わねばならない。理想論や建前と言った、上辺だけの綺麗事を抜きにして言うなら。本来は見せなく無いものを覆い隠す机上の空論を一切無視して言うなら――」


 チカリはニコリと笑って安定剤を注射器にセットして手を差し出した。

 リディアは黙って腕を差し出し、されるに任せている。


 チカリはチラリとバーニーを見て顔色を確かめた。

 甚だ不本意そうな表情だが、仕方が無いという顔だった。


「――人間は戦争が嫌いなのでは無く、負けるのが嫌いなんだ。負けて死ぬのが嫌なのだ。死んで嘲笑われるのも嫌なんだ。必ず勝てる相手とならば、例えそれが誰でも…… それこそ、女子供相手でも戦いたい。戦って勝ちたいのさ」


 チカリはリディアの腕に安定剤を撃ち込んだ。

 プシュッと音が響き、最初のアンプル一本分がリディアの体内に入った。

 チカリは次の一本を仕度し始めたが、バーニーはそれを止めた。


「リディアの身体はレプリだが、脳は普通の人間のそれだ。3本も打てば正体が抜けてしまうし、それに……」


 バーニーに続きサミーが言う。

 その声音はバーニー以上に冷え切った、極圏の冷風だ。


「前回の影響で脳自身が変質していると、地球の医療関係者から報告書が上がっている。それ以上の投与は根本的に脳を破壊する危険性がある。どうしても投与するなら自分の腕に連続して6本投与してみろ。それが出来ないなら投与は認めない」


 その言葉と同時、サミーの銃からカチッと音が響いた。

 セーフティを外したのだとチカリは気が付く。


 瀬踏みもこの辺りで止めねば足を掬われ流される危険性が高い……


「了解した」


 頷きつつ注射器をテーブルに置いたチカリ。

 ただ、その目の前にいるリディアの表情が明らかに変わり始めた。

 その目から光が消え、表情の類いが一切消えていった。


「リディ!」

「はい」

「しっかりおし!」

「はい」


 感情の一切が抜けきったような声で機械的に反応するだけのリディア。

 その目はゆっくりと瞬きをしながらチカリを見ていた。


「このやり方は本当に卑怯だな……」


 バーニーは吐き捨てるように言った。

 その言葉の端端に不機嫌さの感情が滲んだ。


「私だってこれが正しいとは思わないよ」

「ならば何故続ける?」

「レプリカントへの尋問手順だからだ」

「リディは人間だ。それを解っているのか?」


 バーニーはキツイ言葉でチカリを詰った。

 背筋に寒気を覚えたチカリは、まず最初にバーニーでは無くサンディを見た。

 そして、その指がどこにあるのか?を。


 その指を見たチカリの顔から表情が消えた。

 サンディの指はトリガーガードからトリガーに添えられていた。

 その僅かな指の動きで自分が即死する事を知った。


 ただ、逃げるわけにも行かない……


「絶対的に有利なポジションでしか仕事が出来ないのか?」

「それは愚問だよ少佐。どんな軍隊だって勝つ為に何でもするだろう」

「味方に対してでもか? お前の目の前にいる女は味方だぞ?」


 バーニーの言葉を聞いたチカリは、わざわざ椅子に座り直して姿勢を整えた。

 椅子に座りなおし、一旦アクションを起こして意図的に間を作ったチカリ。

 姿勢を整えたのは『撃ちたければ撃て』のポーズだ。


「そもそも、どんな人間だって勝てる戦いならば、結局のところは戦いたいのさ。戦争をやりたいのさ。例えどんなに社会正義の発達や友愛博愛の概念が進化したとしても……だ。これだって一緒だ。自分の身の安全を考え、必ず勝てる状態で行わなければ意味がない。そうしないと、ストレスが掛からないからね」


 チカリは落ち着いた声でそう言いきった。

 そして、そのまま黙ってしまった。


 さぁ撃てと、そう言わんばかりの顔になっていた。

 過去、この男はそう言う場面を幾つも経験してきたのだろう。


 独立闘争委員会の走狗だったのだから、厳しい場面も相当見てる筈。

 シリウス社会に存在する猛烈な階級闘争の中で、道具として使われてきた筈。

 そんな男が見せた気概と気合。そして度胸と根性。


 バーニーは内心でそれに唸った。


 人の間と書いて人間だ。

 そんな人間が複数存在する以上、そこには必ず派閥と闘争が生まれる。

 或いは、阻害と孤独。仲間はずれによる追難の鬼の存在が必要になる。

 そしてそれは、イジメという陰湿な遊びが消え去らない根源的理由そのもの。


 『マイノリティ(あっち)』は『マジョリティ(こっち)』と違う。


 友愛や博愛の精神が社会を埋め尽くしても、これは絶対に消えない部分。

 人間の不完全さや愚かさの象徴とも言える部分。


 そして、戦争とはそのイジメがただスケールアップしたに過ぎない事。

 生を感謝し闘争本能を最大効率で掻き立てる人類普遍の宗教行事。

 それを司る独立闘争委員会の面々は、例え味方でも信用しなかった。


 だからこそ、こんな男が必要とされ、重用されたのだろう……


「さて、ではいくつか質問を『その前にひとつ聞きたいんだけど』


 そっと切り出したはずのチカリだが、それにリディアが口を挟んだ。

 正体が抜けている筈のリディアが自分の意志を示した。


 それは、安定剤が効いていないと言う証拠でもある。

 だが、それ以上にチカリが驚いたのは、その顔付きが完全に変わっていたのだ。


「何かな? リディア少尉」

「違うわ。私はリディアじゃない」


 その一言でチカリはの顔に驚愕の表情が張り付いた。

 もちろん、バーニーやサミーやサンディもだ。


 リディアの中に影を潜めていた筈の別人格が現れてしまった。

 それは、あの悪夢を蘇らせる事に繋がると皆が危惧した。


「君はリディア少尉だろ?」

「リディアはいま寝てるわ。後よろしくって私にそう言って寝ちゃったわよ」


 リディアの口調が砕けてきた。

 いや、砕けたと言うよりも別人に変化していた。

 普段のリディアとは程遠い、フランクでぶっきらぼうな言い方だ。


「ソフィアか……」

「そうよ」


 リディアに代わって表に出てきたソフィアは、口元にのみ笑みを浮かべた。

 表情の作り方がまるで機械のようだとチカリは思った。


「あなた、なんでリディアにあんな事したの?」

「……なんの話しかな?」

「リディアは覚えていなくとも私は覚えてる」


 今度はにんまりと笑ったソフィア。

 その表情にチカリの背筋がゾクリと震えた。


 それは、自分自身への死刑宣告に等しい言葉だから。

 前回受けたストレステストの内容をソフィアは全部覚えている。

 そしてそれは、ここにいる女たちなら間違いなく怒り狂う内容……


「リディアは本気で嫌がったのにね」


 ソフィアの浮かべる笑みには脅迫的な色が混じっている。

 つまりそれは、チカリの生殺与奪全てを握っていると言う自信だ。


「……では、ソフィアはそこで生まれたのか?」

「生まれたんじゃなくて、最初から居たの」

「すまない。話が繋がらないんだ」

「私は私でありリディアだから」


 僅かに顎を引いたソフィアが上目遣いにチカリを見た。

 そして、僅かに開いた口から舌先を見せ、上唇をペロリと舐めた。


「私はリディアの願望。私はリディアの本音。私はリディアの――」


 ソフィアは再び舌先を見せ、空中にある見えないモノを舐めるように動かした。

 惚れた張れたの場数を踏んだ者なら、そこに見えるのはただ一つ。

 それが何を意味するのかは誰だってわかる動きだ。


「――満たされない欲望を代弁する存在」


 チカリだけでなくバーニーたちですらも表情が変わった。

 抑圧されていたリディアの本音がむき出しになっているのだ。


 ある意味で、それは夫であるジョニーへの操と呼ぶべきものの裏側。

 言い換えるなら、貞操感や道徳心と言ったものに覆い隠されていない部分だ。


 そして、社会通念上は恥ずべきモノと括られる部分。

 明るみに出れば非難され咎められる部分。

 つまり、本来なら罪悪感を感じる部分だ。


「私は前回の件で君に酷い事をしたと思ってやって来たのだが……」

「酷いかどうかは相対的なもの。ただ、私は楽しかった」

「楽しかった?」

「そう。欲求不満にもだえる事はなかったし、それに――」


 ソフィアの手は、テーブルの上に置かれていたチカリの手に添えられた。

 地球製のその身体は、シリウス製よりも柔軟で繊細だとチカリには見えた。


 柔らかくて温かいその指がチカリの手に重ねられる。

 その時のソフィアは、どこかウットリとした表情だった。


「――必要と言ってくれたのが…… 嬉しかった」


 形の違う自己承認欲求がソフィアの口から漏れた。

 それは、長らく共に暮らしたジョニーが見せていた部分なのかも知れない。


 誰かと暮らすことには、それ相応の困難が伴う事も多い。

 だが、それと同時に、見合うだけの満足感や幸福感をも伴うもの。

 その全てを失ったリディアは、内心に溜まる欲求を募らせていた。


 ――逢いたい……


 一途な女の可愛さといえば、それはきっと男の願望から見た表現なのだろう。

 女の側から見た時に、好きだと、愛してると、一緒に居てくれて嬉しいと。

 子犬が純粋な気持ちで尻尾を振って喜びを見せるように男が喜ぶ姿を見たい。

 それこそが女の承認欲求の本質かも知れない。


「では、君は……」

「リディアはテッドに逢いたいだけだった。それだけだった……」


 手を引っ込めたソフィアは、目をつぶって俯いた。

 悲しみに震えるようなその姿は、チカリの心にグッと来るものがあった。

 濡れた瞳でジッと見つめられるより、それは辛いことなのかも知れない。


「私は存在してはいけない女だから……」


 その一言に、チカリだけでなくバーニー達もまた真実に気がついた。

 ソフィアはリディアだ。単なる魂の器と言う事ではなく、本質的に表裏一体だ。

 ジョニーの為に存在するリディアの中の複雑な心理がソフィアの正体だった。


「私はあなたが好きだったの。だから…… リディアをやり込めたの」

「そうか、良かった。実は私も君に一目ぼれしてたんだ」


 ついにチカリは本音を漏らした。そして、その一言でソフィアは目を開いた。

 澄んだ瞳がチカリを捉え、口角を上げて嬉しそうに笑っていた。

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