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黒い炎  作者: 陸奥守
第八章 遠き旅路の果てに
235/424

黄昏るエディ

 シリウス星系第4惑星、ニューホライズン。

 この星は本来、地球の中生代程度の若い星だった。

 地上を大型爬虫類が跋扈し、大陸が分裂を始めている状態の惑星だ。


 そして、この惑星は、本来イシスが正式名称だった。

 それはエジプト神話において豊かなナイルを神格化した豊穣の女神。

 また、枯れた土地に養分を与え、作物を稔り肥えさせる魔術の女神だ。


 エジプト文明では、定期的な氾濫を繰り返すナイルの治水が問題だった。

 川の流れを改めれば洪水は起きなくなるが、氾濫によって大地に滋養が降りる。

 それを神からの恩恵と見立てた古代エジプトの人々は、測量技術を発展させた。


 洪水による氾濫を許容し、それによって田畑へ施肥を行う。

 海に近い乾いた土地だったエジプト文明は、その豊饒により支えられたのだ。

 だからこそ、彼らエジプトの民は天体観測を重要視した。

 中でも太陽とシリウスの観測は最重要課題だった。


 ナイルが氾濫する事を事前に予知し、その前に収穫を完了する事。

 その為に天体観測を行う拠点を作りあげ、そこをイシスの神殿とした。

 ナイルをイシスと神格化した者達は、そこに特別な意味を持たせたのだった。


 女神イシスの像は右手に王の権力の守護神を意味するウアス杖を持っている。

 そして、左手には豊穣によって生命を繋ぐ事を意味するアンクを持っていた。

 つまり、イシスを支配することはエジプトを支配する事と同じ。

 最初にシリウス星系へと入った者達もまたそれと同じ意味を持たせた。

 この第4惑星イシスを支配するのは、シリウス星系を支配する事と同義。

 その秘密を隠すためにも、偽名に近い意味でニューホライズンを呼称とした。


 今はもうイシスの名を表舞台で使うことはない。

 公式文書ですらも希望の大地を意味するニューホライズンが使われる。

 遠く地球から入植した人々は、この新たな地平の大地に夢を植えていた。

 いつの日か花々が咲き乱れる美しい大地になることを願って。


 そんなニューホライズンの周回軌道の上。

 ドーヴァーはニューホライズンを使ってスイングバイ加速を続けていた。

 既に七回目のスイングバイに入っていて、その速度は既にかなりのモノだ。


 そんなドーヴァーの艦内。何気なく展望デッキへテッドはやって来た。

 まだ地球へ向かう最後のミッションが残っているし、船はグリーゼへ向かう。

 シリウスと母なる星ニューホライズンが見納めになるかも知れないから。


 だが、その展望デッキでテッドは意外な人物を見つけた。

 デッキの椅子に腰を下ろし黄昏れたように外を見ているエディだ。

 その表情は穏やかで落ち着いているが、どこか寂しそうでもある。

 声を掛けようかどうか逡巡したテッドだが、気が付けば声が漏れていた。


「どうしたんですか?」


 出来る限り、柔らかい声を心掛けたつもりだった。











 ――――――――ニューホライズン周回軌道上 高度1300キロ付近

           地球連邦軍所属 砲艦ドーヴァー艦内

           シリウス協定時間 2250年 9月14日 午後1時











「……あぁ、テッドか」


 ふと笑ったエディは、ゆっくりと振り返ってテッドを見た。

 超硬質強化ガラスに映ったテッドの姿には、不自然なまでの緊張があった。

 それが自らの振る舞いによる物だと気が付き、手を上げて挨拶した。


「ちょっと物思いに耽っていたよ」


 思い詰めた表情と言うには少々重いのかも知れない。

 だが、エディはエディで、エディなりの回想に耽っていた。


「あの…… どうしたんですか?」


 テッドが浮かべる心配そうな表情は、父を思う息子のそれだ。

 エディは笑みを浮かべたまま手招きし、テッドをも座らせた。


「ここまで長かったなぁとな。改めてこの50年を思っていた」

「そうですか……」


 テッドはそれがエディの本音であるとは到底思えない。

 それ位にインパクトのある姿だったのだ。


 だが、エディが行ったロイエンタール卿の復讐は、事実上完了したらしい。

 それは、エディの穏やかな表情を見ればわかることだ。

 そしてここからは、本来の元隊に復帰しグリーゼを目指す。


 本来まだ気を抜けない段階だが、それでも艦内には緩い空気があった。

 地球へ帰還すると言う空気は、船乗り達から緊張を失わせるのに充分な威力だ。


 ただ、なんとなくだが、それでもエディは寂しそうだ。

 その寂しさの中身をテッドは察する事が出来ない。


「……例の奴らの事ですか?」

「まぁそれもあるが……」


 ただ、心の置き場の問題として、エディはどうしようも無いものと闘っている。

 その圧倒的な現実だけをテッドは理解していた。


「伯父上の事を色々と考えていたのさ」


 小さな声で呟いたエディ。その言葉にテッドは衝撃を受けた。

 どこまでも完璧な存在だと思っていたエディが。いや、ビギンズが。


 全てのシリウス人にとって希望である存在が漏らした、弱音にも近い言葉。

 それは、父を失ったテッドだからこそ解る事でもある。


「……偉大な人物だったってだけでは無いですよね」


 微妙な空気が痛いとテッドは感じた。

 言葉では説明出来ない重い空気だ。


「伯父上は常々言われていた。人生にコンパスは無い。有るのは己の信念だと。そして、己の信ずる正義だけを導きとして生きよ……とな」


 地球の文化を知らないテッド故に、その言葉の意味を掴みきれない部分が多い。

 ただ、戦地ですら午後のお茶は欠かせないブリテン紳士の人物だったのだ。

 筋金入りのジョンブリストでプリンシプルの塊な人物とは、ああいう事だろう。


 ロイエンタール卿という存在は、常に紳士の余裕と矜持を体現していた。

 その姿に、テッドは遠い日の父を思い出していた。


「ロイエンタール卿を支えるものは何だったんでしょうか?」

「……難しい質問だな」


 困った様に笑うエディだが、それは嬉しさをも内包するものだ。

 何の根拠も無いがテッドはそう直感していた。


「厳しい状況に合っても自分を貫く強さって、本当に凄いと思う」


 率直な所見を述べたテッド。

 エディはふと、何かを思い出したように言った。


「いつだったか、伯父上が言われた事を覚えているか?」

「……どの話しでしょうか?」

「少尉候補生としてハルゼーの艦内で訓練を始めた頃のだ」


 天井を見上げ思索を巡らせたテッド。

 その脳裏には、威厳有る姿で訓示を述べるロイエンタール卿が姿を現した。


 サイボーグならば自分の見た世界を映像化してファイリングできる。

 威厳有る姿で訓示を与えたロイエンタール卿の姿を、テッドは見直していた。




『――この戦役において幾多の兵士が戦線で斃れ、その中でも生きる見込みのありそうな者が諸君らと同じようにサイボーグ化と言う処置を経て戦線に復帰するだろう――』




「覚えているか?」

「いま、映像を見直しています」

「そうか」


 エディの言葉にテッドはそう答え、動画を見続けていた。

 まだあの好々爺の人物が生きているんじゃ無いかと、錯覚しながら。




『――その時、その兵士たちが機械の様に扱われるか、それとも人間として扱われるか。その境となるのはひとえに諸君らの働きと振る舞いに掛かっている。人間としての誇りや矜持を忘れることなく熱意と誠意をもって事に当たってもらいたい――』




「伯父上は言われた。意地を張って生きろとな。意味が解るか?」


 テッドを験すように見たエディは、静かな笑みを湛えていた。

 会話の中で覚える事は多いし、学んでいく事もまた多い。


 テッドもまた僅かに笑みを浮かべ頷いた。

 エディが寂しい理由がなんとなく分かったのだ。


「ロイエンタール卿は先を見越していたんですね」

「人類は結局同じ愚行を繰り返す。常々それを言われていたくらいだからな」


 悔しさが人を鍛える。悲しみが人を磨く。

 取り戻せない痛惜の念を一つ一つ積み重ね、人は思慮深くなっていく。

 そして、何とかしてそれを次の世代に伝えようと努力を試みるのだろう。


 言葉や仕草や、それを越えた叱責と指導は、巡り巡って効果を発揮する。

 訓示という形で己の経験を次に伝えようとしたのだろうが、普通の人間はそれを思い返す事もままならない事が多い。


 その経験が印象深ければ深いほどに、言葉が在り在りと蘇ると言うものだ。

 だが、サイボーグならばそのシーンを見返す事が出来る。動画としてファイリングしたその映像を見返し、改めて思索を巡らせる事が出来るのだ。


「あの言葉はな、実は俺が地球でサイボーグ化した時に言われた言葉なんだ」


 ボソリと呟くように言ったエディは、小さな溜息をこぼしてシリウスを見た。

 地球の船乗りは、シリウスを道標に海を越えたのだという。


 何度か訪れた地球でその話を聞いたテッドだ。

 今は手が届くような場所にあるシリウスを、初めてありがたいと思っていた。


「結局は自分自身の振る舞いの果てなんですね」

「そう言う事だな。そして、もう一つ重要な事がある」


 改めて居住まいを整えたエディは、胸を張って言った。

 ロイエンタール卿の声音を真似たようなしゃべり方に、テッドは小さく笑った。


「例え自分を形作るその部品の全てが機械であったとしても、そこに宿る意志や情熱は人間だ。人間なんだよ」


 ――解るか?


 そんな目でテッドを見たエディ。

 テッドはハッキリと理解した。今のエディは意志や目標を失っているのだと。

 伯父ロイエンタール卿の復讐と自らを殺し掛けた連中への復讐。

 その2つが同時に完了してしまった故に、一時的な虚脱に陥っている。


「……次は、シリウスですね」

「そうだな……」


 小さな声でポツリと漏らしたエディは、小さな溜息をこぼしてシリウスを見た。

 そして、眼下に周回するニューホライズン=イシスをも。


「ニューホライズンの正式名称を知っているか?」

「もちろんです。親父は…… この星の本当の名前はイシスだって」


 即答したテッドの姿にエディは満足そうだ。

 初めて出会った日から幾星霜、学の無いバカだと自称していた子が……

 そんな思いがエディの中を走り回っていた。


「豊穣の女神だ」

「この大地は豊かなんだって親父もよく言ってました」


 嬉しそうに、懐かしそうに、そう呟いたテッド。

 その目はエディと同じく、ニューホライズンの地上に注がれた。


「正直に言えば、ここを離れるのが辛いです」

「シリウスか?」

「はい」


 テッドは偽らざる本音を吐いた。それはシリウス人としての本音だ。

 生まれた土地という言葉が持つ魔法のようなものなのだろうか。

 人は無意識に生まれた土地への帰属意識を持ってしまう事が多い。


「ここは…… 生まれた土地ですから」


 消え入りそうな声で呟いたテッドは、小さく息を吐いた。

 心の痛みと戦っているテッドは、誰にも言えない本音をエディに漏らした。


 ただ、その言葉を素直に受けとるほどエディも人間が良い訳ではない。

 そこに隠されたテッドの本当の本音を正確に見抜いていた。


「違うだろ?」

「え?」


 少し下卑ている含み笑いをこぼし、エディはテッドを見た。

 その言いたいことは一つしかないと笑っているのだ。   


「本音を言えよ。テッド」


 見抜かれた!

 テッドの顔にそう書いてあった。


「いっ…… いや……」

「残りたかったんだろ?」


 その肩をポンッと叩き、エディはテッドをジッと見た。

 すべてを見抜くようなその眼差しにテッドは観念してしまった。


「はい」


 ガックリと項垂れ肩を落としたテッド。

 若さと勢いで様々な物を乗り越えてきた青年だ。

 だが、そんなテッドはまた一つ、大人の階段を登ろうとしている。


「何時だったかも言ったと思うが」

「時を待ち、心苛むのも恋の至極って」

「その通りだ」


 解っているけど受け容れられないし、嫌なものは嫌だ。

 その心理は誰にだってあるものだ。だが、時には受け容れなければならない。


 それが出来るようになって、初めて大人の階段を一つ、登るのだろう。

 たった一段だが、それでもそれは確実な成長だ。

 身体は15までに充分大きくなるが、心は15から本格的に成長して行く。


「でも……」


 逡巡し、決断し、後悔し、そしてそれを乗り越える。

 その小さな小さなステップを一つ一つ越えていく事でしか心は成長しないのだ。


「俺は…… お前を誇りに思う」


 エディはふと、そんな言葉を漏らした。

 項垂れていたテッドは驚いて顔を上げる。

 エディは満足そうな表情でジッとテッドを見ていた。


「……なんでですか?」


 理解の範疇を超えた出来事を前に、テッドは僅かならぬ混乱を見せた。

 自らの理解し得ぬ事態を前に考える事こそ、心を成長させるトレーニングだ。


 深く考える


 それが出来るようになるのは、早くて40代。

 不惑という言葉の確信はここに有る。


 そしてそれは、多くの者達が通り過ぎてから気が付く事なのだった。


「あのシリウスの地上で最初に出会った時に比べれば、お前は大人になった」

「……そうですか」

「ただ、まだまだ経験が足りない。それは分かるだろ?」


 テッドは静かに頷く。

 人の言葉や叱責と言ったものをどれくらい素直に聞けるか。

 それによって自分がどれくらい成長出来るかが決まってしまう。


 ただ、突然にそんな事を言い出したエディの本心をテッドはなんとなく察した。

 まだまだ経験が足りないと、自分自身がそれを嫌というほどに痛感したのだ。


 バーニー少佐の麾下に入り戦闘した今回のミッションでは沢山の事を学んだ。

 もっと前ならば、戦闘終了後にリディアへと駆け寄った筈だ。

 それをしなくなっただけでも、大人になったと言うのだろうが……


 ――会いてぇなぁ……


 あの時、戦闘終了後に後先考えず駆け寄るべきだった。

 機体ごとでも良いから抱き締めるべきだった。

 そんな事をウジウジと考えていても、仕方が無い。


 だからこそ、残っていいと言われた時に残る事を決断するべきだった。

 その、千載一遇のチャンスを待つべきだった。

 それが正解かどうかはわからないが、努力し続ける者にのみ成功は訪れる筈。

 思考の堂々巡りをするテッドの肩をポンと叩き、エディは立ち上がった。


「まぁ良いさ。目標にしていた男を4人始末する事が出来た。俺は十分満足だ」


 50年の思いを込めた一撃は、さぞ爽快であっただろう。

 テッドは掛け値なしにそう思った。


「そろそろ近距離ワープに入るはずだ。支度しておこう」

「はい」


 支度しておけという言葉に、テッドはエディが『歩く事を止めるな』と、そう言いたいのだと気が付いた。そして同時に、テッドは気がついた。


 ――あれ?


 シェンヤンとグルシュキンとボーン。

 戦闘を行なって手に掛けたのはこの3人のはず。あと1人はだれだ?と。


 ――まさか……

 ――あの提督か?


 重傷を負ったエディをつれ地球へと飛んだシリウス軍ドネリー上級大将。

 あの人物を勘定に含めたのだろうか?


 ――命の恩人だよなぁ


 結論の見えない思考の堂々巡りを続ける中、艦内に艦長からの放送が流れた。

 軽やかなジングルのあと、ペンウッド少佐の渋い声が響いたのだった。


 『――――諸君、私だ。我が艦は10分後にワイプアウトする。各員は所定位置にてワイプアウトに備えてもらいたい。地球へ帰還する――――」


 地球へ期間と言う言葉に、艦内各所から歓声が上がった。

 いつ如何なる時代でも、船乗りにとって最も嬉しい事は上陸だ。

 そしてそれが母港への帰還なら、何にも勝る娯楽となる。


 ――俺は訪問だけどな……


 ブツブツと独り言を呟いているテッド。

 そんなテッドを見ていたエディは静かに言った。


「もっと成長しろ。もっともっと、冷静に。慎重に。狡猾に。大胆に。俺の片腕と呼ばれるようになるまでだ。お前にはその実力がある」


 エディの言葉はテッドの脳を痺れさせた。

 全ての思考を失い、ただただテッドはその言葉に酔った。


「……はい」


 短く答えたテッドにエディは首肯を返し、そのまま通路へと消えていった。

 ワープに入る準備を進める為だが、その向こうにはまだ目標があるのだろう。


 ――あの人の役に立とう……


 なんの外連味も無くテッドはそう思った。

 人の為に生きると言う事の本質を、テッドはこの日はじめて知った。

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