エディとビギンズ
~承前
シャープに仕上げられた顎のラインを指でなぞりながら、エディは切り出した。
穏やかな口調で、記憶の糸を辿るように、小さく静かな声で。
「正直、物心付く前の事は良く知らない。ただ、生まれて5日目に最初の爆弾テロにあったと聞いている」
いきなりショッキングなことから切り出したエディは、静かに笑っていた。
壮絶な人生だったはずだが、それを感じさせない飄々とした空気だ。
ただ、それが3歳4歳となってくると話が変わってくる。
独立闘争委員会の面々が様々な手法で幼いビギンズを殺そうとした話だ。
「地球からやってきていたエンタープライズ艦内の保安クルーは、その多くがそのまま私のシークレットサービスになっていた。彼らは勇敢で責任感が強く、そして立派な人間が揃っていた。シリウスの未来を本気で憂いていた。だが……」
エディの表情が僅かに曇った。
そんな事を思ったテッドだったが、エディの話しは淡々と続いていた。
「4歳になった日、私はセントゼロのバラ宮殿に居た。私の為にと汗を流してくれていた者たちと共にだ。数多くの者たちが祝福にやってきてくれた夜、あの事件は起きた。館にやって来たのは、ホウネス・グルシュキンとスラッシュ・ボーンだ。独立闘争委員会の関係者が取り囲む中、私は2時間に渡って集団暴行を受けた。今でも思う。良く生きていたとな」
これまで聞いていたエディの幼年時代が、赤裸々な言葉で説明され始めた。
あまりにも酷いその日々を大幅な要約で片付けてしまったエディ。
その胸に去来する物はなんであろうか。
テッドはそう思うのだが、それは黙して語られなかった
「身動きの取れなくなった私を残し、彼らは館に火を掛けた。そして、あの館の外にいた者たちに嘘の情報を流した。館の中に私が残っていると。炎に巻かれパニックを起こし、何処か経消え去ったと。激しく炎上する中を、スタッフは懸命に探し回ったと聞いている。あの晩、138名が焼死した夜から、私の人生は大きく変わってしまった」
エディの言葉は淡々と続いて行く。
テッドたちは時が経つのを忘れて話しに聞き入っていた。
「半死半生で収容された私は…… 多くの者の手引きで旅立った」
瀕死の状態で地球へと旅立ち、地球で完璧レベルの再生医療を受けた事。
その状態でシリウスへと戻ったものの、幾度も爆弾テロにあった事。
テロの都度に闘争委員会が地球側の工作だと喧伝した事。
そして、度重なるその工作に地球側が態度を硬化させた。
「15歳の時には、もうレプリカントをベースとした身体を使っていた。地球に行っての治療が出来なかったからな。そんな状態で更に5年を過ごした。あの頃は独立闘争委員会の面々が余りに市民を煽りすぎ、ヘカトンケイルですら身動きが取れない状態だった」
地球への憎悪を募らせる民衆の狂気は完全にコントロールを失った。
ビギンズが受ける災難の真実を叫ぶ者も極僅かに存在したのだ。
だが、そんな者達は民衆の狂気に磨り潰されて行った。
独立闘争委員会の実態を叫ぶものもまた同じ運命を辿った。
そして……
「私は……15歳からの5年間を地下で過ごした。様々な階層にいる者達が私を匿ってくれた。闘争委員会は、それこそ草の根を分けるように私を探し回った。地球への協力者狩りと称して、自警団や親衛隊と言った組織をつくりあげていった」
唖然としていたテッドにたいし、エディは静かに笑みをこぼした。
「テッドとリディアが死に掛けた原因は私にあるのさ。悔しかったら怨んで良い」
「……いや、それは……」
それ以上の言葉を飲み込んだテッドは、そのまま押し黙ってしまった。
確かに酷い暮らしをしてきた。自警団が暴れまわって家畜のような日々だった。
だが、今なら言えるともテッドは思った。それは必要な日々で必要な犠牲だ。
熱狂し狂奔した民衆の熱を冷まし、冷静さを取り戻すのに必要な血の犠牲だ。
ビギンズの言葉と存在を冷静に受け入れる為の、その第一歩だった。
「だが…… ある日、私の限界が先にやって来たのさ。こそこそ隠れて、石の裏を這いずるような日々に疲れたんだ。必死で引き止める大人たちに私は言った。何も怖くなんか無い……と。そして、メチャクチャな思いをしたが、それはどうしようもなかった事なんだって受け入れると。そして、自分の為に死んだすべての者たちの思いを背負って生きる……と」
小さな溜息をこぼしてから、エディは目を伏せて首を振った。
そこにあるのは、諦観と後悔と、そして、苦悩の日々の記憶だった。
「その全てを背負って生きていく。どんな酷い目にあっても笑い飛ばしてやる。どんな問題にぶつかっても、もう大丈夫だ。私は知っているから大丈夫。私は決してひとりじゃないとな。そして……」
俯き加減だったエディは機内の席へと座ったまま天井を見上げた。
何か尊いものでも見上げるような顔になったエディは、ややあって目を閉じた。
胸に去来する思いの全てを飲み込んで、エディは再び目を開けた。
眉間に皺を寄せ、厳しい表情になって溜息を吐いた。
「まずは一人前になろう。右も左もわからない小僧だ。未熟な存在だ。そう思った私は地球へと旅立った。誰かの意思ではなく自分の意思として。そして、様々な人々の手引きを受け、ブリテンの地で伯父上と親子になった。養子となった」
シリウスの希望であるべき存在が地球人の養子となった。
その事実にテッドやヴァルターは一瞬だけ目眩を覚えた。
だが、その事実がどうだというのだと、そんな気もしている。
確かに養子なのかも知れないが、逆に言えば安定した立場を手に入れたのだ。
命を狙われることも無く、無事に生きながらえ、学ぶ場を手に入れた……
「あのブリテンの地で意地を張ると言う事を覚えた。やりぬくと言う事もだ。悔しくとも、辛くとも、悲しくともやりぬくのだ。夢見た未来へ一歩でも近づく為に、苦労ですらも楽しんでいく。そんな、ジョンブルな生き方に感化されたのかも知れないな」
だがこの時、ふとテッドは気が付いた。
エディが経験したであろう困難についてだ。
「エディは…… その時はレプリカントの身体だったんですか?」
「あぁそうだ。おかげで身体能力的には随分と有利だったよ。まぁ、チートだな」
アハハと軽く笑ったエディは、テッドやヴァルターの顔を見た。
いつの間にか真面目な顔をするようになったと、感心しながら。
「最初はオックスフォードへ送り込まれ、ひたすら勉強に励んだ。それまで体系立った学問なんかしたことが無かったが……楽しい日々だった。あの時に私も学んだんだよ。人間はどこだって学ぶことが出来る。知りたいと願う心さえ有れば」
解るか?
そんな表情になったエディは、ロニーを見た。
まだまだ生意気盛りで小僧キャラな男だが、目を輝かせて話しを聞いていた。
「その後、サンドハーストへ送り込まれ、そこで1年学び、そのままダートマスでまた1年学んだ。ブリテン宇宙軍に任官し、やがて連邦軍の一員となってシリウスへと戻ってきた。その全ては…… もう言わなくとも解るだろう」
エディの見せた笑顔にテッドもヴァルターも首肯した。
全てはエディの復讐のため。そして大いなる夢のためだ。
「気が付けば同じような夢を見たモノが沢山いた。この地へと帰ってきて、そして多くの知己を得ただけでなく、夢を共にする仲間を得た。ビギンズではなくエイダンマーキュリーと言う人格を使ってシリウス解放運動に参加した」
ついにエディの口からビギンズの言葉が出た。
隠していた正体のカミングアウトは、テッド達に不思議な感動を与えた。
そして、理屈ではなく本能的な部分で思った。この人の役に立ちたいと。
「ロイエンタール卿だけでなく様々な人々から支援を受け、気がつけば連邦軍の中で自由にやれる立場を得た。その過程で失ったものもあるが……」
エディは笑いながら両手を広げて見せた。
滑らかに動く両手の指は、高性能サイボーグの実力を雄弁に語っていた。
機械になったとしても、この人はビギンズなんだ……と。
時々見せる奇跡の技は、祝福された存在であることの証だと。
テッドはそう強く確信した。
「それ以上に多くの仲間を得た。信頼できる仲間達だ。絶望と復讐に駆られた同じ境遇の仲間達と手を取り合って目的を果たそうと、そう誓った。思えば……」
僅かに考え込む素振りを見せたエディは、その滑らかに動く指を折って過ぎ去った年月を勘定していた。
「……いつの間にか30年経っているな」
一口に言う30年という歳月の長さをテッドは俄に理解出来なかった。
そしてそれは、テッドだけでは無くヴァルターやロニーも一緒だ。
自分の人生を超える長さでエディは何事かを努力してきた。
目標とする到達点に向かって、無明の闇を手探りで進んで来た。
その強い精神力に感服するしか無いのだが、一方で興味も湧く。
「ここまでで失敗したと後悔した事は無かったんですか? やり直したいとか」
ヴァルターは率直な言葉でそれを問いかけた。
きっとそれは誰だって思うことなのだろう。
ありのままを受け容れるのは苦痛であり屈辱であり、そして時には困難な事だ。
『こんなんじゃない!』とか『こんなの違う!』と現実を拒否したくなる時。
そんな時を幾つも乗り越えたはずだと若者達は思うのだが……
「……過ぎ去った日々は帰ってこないが、それを反省し、未来へ生かすことが出来る。後悔ばかりして過去に取り付かれたなら、そこから先の未来を捨てる様なモノってことだ。今日という日は自分の人生で一番若い日だ。今日から変えなきゃダメだと、そう気が付いたのさ」
サラッと答えたエディは、『死ぬわけじゃ無いしな』と付け加えた。
そうだ。死ぬ訳じゃない。
テッドとヴァルターは顔を見合わせてニヤリと笑った。
この数年で何度か死に掛けたが、死んだことはない。
もしかしたら死んでたと言うのは何度もあったのだが。
「で、とりあえずここからどうするんですか?」
ある意味、一番空気の読めないロニーが軽い調子でそう言った。
苦笑いでロニーを見ているテッドとヴァルターだが、エディも軽い調子だった。
「そうだな。そろそろ騎兵隊のお出ましだろ」
「騎兵隊?」
「そうさ。インディアンの砦に出掛けていって悪逆非道の限りを尽くすのさ」
話しの見えない若者達を前に盛り上がっているエディ。
だが、そんなタイミングでシリウス軍のバーニー少佐が姿を表した。
「エディ! セッティングしたわよ」
「おぉ! 悪いな! 恩にきるよ」
全く悪びれる様子なく、エディは平然とそう言いきった。
どこか憮然とした表情でいるバーニー少佐を他所にエディはご機嫌だ。
そして、なんの話しかと訝しい若者達を前にエディは軽い調子で言った。
「転職の交渉をしてくる。まぁ、あまり酷い扱いにはならんだろう」
なんのことだ?
やたらに怪しがる若者達を前に、エディはサラッと言った。
悪いジョークと言うには余りに悪趣味なものだが……
「シリウス軍に参加するのさ」
――はぁ?
度肝を抜かれたテッドやヴァルターだが、エディは全く悪びれる様子が無い。
悪びれるどころか、まるで遊びにいく子供のように笑っている。
「あ…… あの…… 話が見えません」
「つぅか…… シリウス軍にって……」
呆気にとられるテッドとヴァルターだが、エディを他所にリーナーが言った。
「これからシリウス軍のふりをして連邦軍艦艇を攻撃する。連邦軍内部でシリウス軍に連なる者を粛清するんだ。合わせて、シリウス軍の内部に居る連邦軍内通者を炙り出す。双方ともに損の無いミッションだ」
いつもの様に無表情なリーナーは、まるで機械の様に平然とそう答えた。
唖然としている若者たちだが、バーニー少佐がボソリと言う。
「前もって話しくらい振って欲しいモノだわ」
「スマンスマン」
屈託無く笑って言ったエディは、そっとバーニーの肩を抱いた。
そのシーンにテッドの内心がざわつくも、エディは涼しい顔だ。
「前もって話をすれば、何処かで枝が付いて漏れるかもしれんからな」
「……だからってさぁ」
「調整が大変なのは申し訳ないと思っているよ」
さらりとそう答えたエディだが、テッドは絶対口だけだと思っていた。
ただ、シリウス軍に参加すると言う言葉に、テッドは胸を膨らませていた。
妙な予感が脳内を駆けずり回っていて、そわそわと浮き足立っていた。
「おぃテッド」
表情の変わったテッドを見たのか、ヴァルターがニヤニヤと笑っていた。
そしてもちろん、ディージョもウッディも、ロニーまでもが笑っていた。
「チャンスだぜ」
「しっかりやら無いとな」
「兄貴、マジ顔が緩んでるっす」
いっせいに囃されたテッドは『うるせぇ』と強がる。
だが、その内心は期待で一杯なのだった。




