脱出
当面、月水金の週三回公開となります。
単調なエンジン音は、やたらと眠気を誘ってくるモノだった。
命懸けの厳しいミッションをこなした後だ。誰だって虚脱状態になってしまう。
向かい合わせの席にはテッドとヴァルターが黙って座り込んでいる状態だった。
ティルトローター機の中、二人の若者は胸に鉛を詰め込まれたような心境だ。
敵を屠ったことは数知れないが、敵が自決するのを見たのは初めてだった。
しかもその敵は、かなりの大物で、しかもヴェテランだ。
「あのオッサン……」
俯いたままポツリと漏らしたヴァルターは、顔を上げてテッドを見た。
機械仕掛けの顔から表情らしきもの全てを無くしていた男がそこにいた。
「敵……だよな」
ヴァルターは確認を求める様に呟いた。その声はわずかに震えていた。
シェン・ヤンの遺した言葉がヴァルターの耳にリフレインしていた。
――――シリウスは安泰だ
――――まだこんなに熱い若者が居る
その言葉の意味を考え、答えの出ない堂々巡りをしていた。
「敵だけど…… 味方だったのかも知れない」
テッドは首を振りながらそう応えた。
全てが謎に包まれていて、単純で明確な答えが無い状態だ。
世界とは単純に善悪二分に割り切れるモノでは無いと知ったのだ。
「どっちだろうな……」
「両方じゃねぇか?」
「……両方か」
まだ若いふたりは、そのあやふやな状態の現実に混乱していた。
そして、敵か味方か解らない状態の中で踊り続けているエディを思った。
「エディは…… すげぇ」
「あぁ」
テッドの本音にヴァルターが首肯した。
嘘と現実とが重なり合った状態の中で、騙しあいながら生きている。
利用し合いながら踊っていて、信用しつつ疑っている。
「相手を見抜いてるんだな」
「俺みたいなバカにゃ…… 訳わかんねぇよ」
いつも陽気なヴァルターが泣き言をこぼした。
負けん気の強い男が漏らしたその泣き言は、テッドも全く同感だった。
そして、強い精神で事に臨むエディのすごさを改めて実感していた。
――――――――ニューホライズン チャウロー湾内 高度1200メートル
シリウス地上軍 航空隊所属ティルトローター機内
シリウス協定時間 2250年 9月12日 午後5時
単調な飛行が不意にガクリと揺れた。
僅かに微睡んでいたらしいテッドは、その揺れで意識を覚醒した。
やや離れた席にいたディージョやウッディは完全に眠っている。
その向こうに居るジャンやオーリスも眠っていた。
起きていたのはマイクと話し込んでいたアレックスとステンマルクだ。
ロニーやリーナーの姿が見えないが、それについては何故か心配していない。
確実に機内にいるはずなのだから、どこかにいるはずだ。
――エディはどこだ?
そう考えたテッドだが、すぐにコックピットだと気が付いた。
あの席にはバーニー少佐がいるはずだ。
惚れた女のそばに行きたいのは当然の事だと思った。
「ところで、俺たちどこへ行くんだろう?」
やや上目遣いでそう漏らしたテッド。
ヴァルターはすぐにニヤリと笑っていつもの調子に戻った。
「テッドの行きてぇ所にいくんだろ?」
「……ざっけんな」
フフフと笑って顔を見合わせるが、本音を言えばヴァルターだって不安だ。
生殺与奪の全てを握っているのは敵なのだ。
実際、生かすも殺すも全て向こうの手の上という事態。
シリウス軍の手の上に、自らの全てが乗っているのだった。
「まぁ、なるようにしかならねぇだろうさ」
「水は楽な方へ流れるってな」
随分とアンニュイな物言いでヴァルターが笑った。
どうしようも無いことは考えるだけ無駄だ。
場面場面でベストを尽くし、後は運を天に任せるしか無い。
運が尽きればそこで死ぬだけ。
それ以上の事は考えないし、考えたって無駄なだけだ。
末端のペーペー構成員に出来る事など、たかが知れているのだから。
「高度落としてねぇ?」
「あぁ。俺もいま思った」
順次高度を落とし始めたティルトローター機は、震動の度合いを強めていた。
縦にも横にも揺れているが、その揺れは気流を縦に横切るゆえのモノだ。
「どこだ?」
「GPSを受信してねぇな」
「あぁ」
普段なら視界に表示されているGPSマークが消えている。
念のために地上マップを表示してみると、現在地不明の表示になった。
大まかな座標で言えば、現在地はチャウロー湾のどこかなのだが……
「ここさ、もしかして黒宮殿じゃないか?」
「……ってぇと」
黒宮殿。
それはヘカトンケイルにある始まりの8人の内、法と秩序の管理者の居場所だ。
ザム・プラチナとメリー・ウィドーのふたりがここに居るはずなのだが……
「俺たち、重要参考人ってか?」
ニヤリと笑ったヴァルターは、面白そうだとばかりにそう呟いた。
そして、テッドもまたニヤニヤと笑いながら銃のグリップを握り締めて言った。
「いや、どっちかって言うと裏切り者で罪人だろ」
軽い調子でそんな事をいうのだが、実際には内心で冷や汗を流している。
黒宮殿の名がつくここは、罪を犯してなお結審しない罪人が最終的に来る所だ。
シリウスにだって裁判はある。
その法廷の上で決着のつかなかった案件のたどり着く終着駅だった。
「……着陸したぜ」
「歓迎式典がねぇな」
「なんで?」
「だって、ビギンズが来てんだぜ?」
殆ど窓の無い機体ゆえに機外の情報は乏しい。
だが、機体の揺れ具合を見れば、今どういう状態なのかはすぐに解るモノだ。
ヴァルターの漏らした『ビギンズ』の言葉にテッドは微妙な表情を浮かべた。
場合によっては口封じの為に皆殺しにされるかも知れない。
必要なのはビギンズと言う象徴であって人格では無いのだ。
サイボーグならば中身を入れ替えたところで誰にも気付かれないかも知れない。
完璧なオペレーションで入れ替えた別の誰かがビギンズの役をすれば良い。
――まさか……な
シリウスサイドにだって裏切り者がいたんだ。
ヘカトンケイルに裏切り者がいないとも限らない。
一体なんの為に……と疑心暗鬼になっていたテッドとヴァルター。
そんな二人の前にエディがフラリと現れた。
「なんだ。寝てなかったのか」
開口一番にそんな事を言ったエディ。
すぐ後ろにはリーナーとロニーが居た。
「兄貴たちは寝てるもんだと思ってやした」
軽い調子でそう言ったロニーは、一切悪びれる様子が無い。
その隣にいるリーナー中尉は、相変わらず人形の様に無表情だ。
「エディ。ここは?」
テッドはたまらず話を切り返した。
不安そうな表情を浮かべたつもりは無かった。
だが、エディはそんなテッドの肩をポンと叩いて笑った。
「心配するな」
近くの席へと腰を下ろしたエディへ、機内の視線が集まってくる。
エディはマイクとアレックスに『待機』のサインを出し、僅かに笑った。
「ここからが本番だ。はっきり言うぞ?」
楽しそうな表情を浮かべたエディは、満面の笑みで言った。
「どうやって脱出するかの算段は、一切考えていなかった」
テッドとヴァルターだけでなく、ロニーまでもが『えっ?』と呟いた。
そして、3人ともその顔から表情がスッと消えた。
「降下し、シェン・ヤンをとっ捉まえる算段だった。そして、奴を人質に取り、隠密裏に脱出するつもりだった。シェン・ヤンが二重スパイなのは既知だったのさ」
両手を合わせてもみ手をしながらエディはニコニコとしている。
そんなエディに向かい、リーナーも笑顔になっていた。
「楽しそうですね、少佐」
「あぁ。もちろんだ。新たな冒険にワクワクするよ」
子供のような笑みを浮かべたエディは、嗾けるようにテッドを見た。
表情を失って呆然としているテッドだが、エディは気にしていなかった。
「心配するなテッド。ヴァルターもだ」
椅子に深く座りなおしたエディは、自信溢れる表情になっていた。
グッと胸を張り、倣岸な笑みを浮かべる支配者の姿だった。
「私は生まれつき運が良いんだ。何度も死に掛けて、その都度に生き残っている」
両手を広げて笑ったエディは、『だろ?』と言わんばかりだ。
ビギンズの伝説はシリウス人なら誰でも知っている御伽噺のようなもの。
シリウスに生まれた子らは、寝物語に聞くビギンズの伝説を希望に生きるのだ。
――――いつかビギンズが人民の前に姿を現す
――――そしてすべての苦しみや悲しみから解放してくれる
ビギンズは、そんな伝説の全てを背を合われていた。
ふとテッドは、ビギンズがエディと名乗る理由を理解したような気がした。
大きすぎる期待に応えようとしても潰れるだけだ。
コツコツと一歩ずつ進むしかないし、それ以外の事は出来ない。
出来ない事をやろうとして無理を重ねれば、道理が引っ込んでしまうもの。
エディはそれを嫌というほど知っているのかも知れない……と、そう思った。
「いま、バーニーがザムとメリーのふたりへ事情説明に行った。決して悪い扱いには為らないだろう。まぁ、果報は寝て待てと言うことだ」
胸のポケットからエナジーアンプルを取り出して飲み込んだエディ。
その僅かな所作だが、テッドもエディの内心に気がついた。
「エディにも不安な時があるんだな」
「当たり前だ。私だって不安や後悔は沢山ある」
ハハハと笑ったエディは、内心を見透かされたと肩を落とした。
立派な上官のふりをしていた筈なのに、ばれてしまったのだ。
僅かに俯いて溜息をこぼしたエディは、『山の様にな』と呟いた。
その姿を見たテッドは『今までエディは……』と呟いた。
エディは一言だけ『聞きたいか?』と返した。
その言葉にテッドだけでなく、ヴァルターやロニーまでもが首肯した。
「話せば長くなるが……」
ウーンと考え込む素振りを見せたエディは、しばらくそのままの姿だった。
だが、1分と経たない内に顔を上げにやりと笑っていた。
「暇つぶしにはちょうど良いか」
過去を詳らかにする決心が付いた。
それを見て取った中隊の面々はいっせいに集まってきた。
テッドやヴァルターだけではない。
オーリスやステンマルクも集まっていた。
「まぁ、気楽に聞け。気負ったって良い事なんか一つも無い」
相変わらず飄々と笑うエディ。
だが、その表情が僅かに変わっていたのをテッドは見て取っていた……




