表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い炎  作者: 陸奥守
第八章 遠き旅路の果てに
224/424

誰の死でも無い死

今日三話目です

~承前






 重い沈黙の時間が流れ、ややあってヤンは気を取り直したように呟いた。

 それは、心中で散々と言葉を練った結果だと気が付いた。ただ……


「かつてゲーテが言ったように――」


 ――ゲーテって誰だ?


 テッドの知らない人間の名前が出てきた。

 その事実に愕然としたテッドは、自らを恥じた。


 学の無いことは恥ずかしい事では無い。

 ただ、教養が無いのは人間として恥ずかしい事だ。

 後で学ぼうと心の中にメモを取った。


「――涙の味の食事をした者でなければ、人生の味はわからないのだよ」


 老練な男の言葉がテッドへと降り注ぐ。

 その言葉を聞きながら、テッドは飲み込まれまいと必死になっていた。


 だが、そんな事で誤魔化せるほどの相手ではない。

 事実テッドは完全に飲み込まれてしまっていた。


「若いの。我々の世代がどれ程悔し涙を流したと思うのだね。それを考えた事が有るかね。地球の奴隷として、ただただ働かされた我々の世代が…… 何を夢見たかわからんだろう。だがな――


 まるで打ち据えるようにテッドへと言葉を浴びせかけるヤン。

 その続きを言おうとして一瞬の間を開けたのだが、エディがそこに割り込んだ。

 恐ろしく鋭い声音に、その内心が透けて見えた。


「嘘とは三種類しかない。ただの嘘。酷い嘘。そして、統計だ」

「……ディズレーリか。博学だな」

「あなたの嘘はどれですかね?」

「……そうだな」


 見事にターンチェンジしたエディを、ヤンは頼もしそうに見た。

 その目には満足を味わった男の愉悦が見え隠れしていた。


「悪役が必要だったのだよ。このシリウスをまとめるには……な」

「ほほぉ…… つまり、悪役を買って出たとでも?」

「その通りだ」


 ヤンは窓の外を指差した。遠くから大型ティルトローター機がやって来た。

 たった一機だが、そのサイズは驚くほどのサイズだった。


「迎えのタクシーを呼んでおいた。さぁ行きたまえ。未来を作るのは老人ではないのだ。君らのような強い若者に後を託す」


 ヤンはそんな言葉を言いつつ、こめかみに銃口を当てた

 大きく『待て!』と叫んだエディだが、ヤンは笑っていた。

 全く恐怖など無いかのように振舞っていた。


「課程はどうあれシリウスは統一される。これで良いのだ。我が人生は結実した」


 ゲホッと咳をしたヤンは、小石や砂状の何かを吐き出した。

 ドス黒くなった血を吐きながら、それでもヤンは笑っていた。


「遅かったか……」


 そう呟いたエディにヤンが笑う。


「進行性シリウス病の末期症状だ。もうすぐ私は…… 全てが石になってしまう。だが、後悔はしていない。私もこの星の一部になる。長い時を掛けて、この星に溶けていこう。そして土に還ろう。この星の砂粒のひとつとして……」


 ヤンはそんな独白を吐いた。

 だが、テッドはそれに噛み付いた。


 どうしても納得いかなかったのだ。

 勝手に死ぬなと、そう思ったのだ……


「あんた、勝手に死ぬんじゃねぇ。てめぇのやった事で夥しい数の人間が死んだはずだろうが! あんたは満足だろうが、あんたが煽動して死んだものにはなんと言って詫びるんだよ!」


 ある意味で若者らしい言葉だが、それですらもヤンは笑っていた。

 熱意ある若者の言葉だと、頼もしそうに見ていた。


 時代を形作っていくのは若者の熱意と情熱。そして、荒削りな正義感だ。

 例えそれが本質を捉えて無くとも、『それちょっとおかしいだろ!』が必要だ。


 溜息だとか、舌打ちだとか、そう言ったどうにもならない事への苛立ち。

 それをどうにかしようと、無鉄砲に挑んでいって変えようとする情熱そのもの。

 若者にだけ許された、そういう不器用な実力行使は、老人には娯楽の一環だ。


「……これも、ユダヤの諺だ」


 息をするのも辛そうなヤンは、消えそうな声で言った。

 ただ、その表情は穏やかで満足げだった。


「不幸にも足を折ったなら、片足だけで済んだと思え。更に不幸にも両足を折ったならば、首を折らずに済んだと思え。そして、首までも折ったなれば……もう何事も案じずに済むのだ。安心しろ」


 ヤンは笑ってそう言った。そして、『そろそろ舞台を降りる頃だな』とも。


「死んだ者は関係無い……って、そう言うのかよ…… 無責任過ぎるぜ」

「そう言う事だ。若いの。死んだ人間に振り回されるな。今を生きろ。自分の人生を生きろ。誰かの人生を生きるな。自分の人生を生きて、自分の死で……死ね」


 怒りを握りしめてテッドが震える。

 純粋で純情な若者が見せる怒りと憤り。

 ヤンは、それを頷きながら見ていた。


「シリウスは安泰だ。まだこんなに熱い若者が居る」


 ウンウンと頷きつつ、ヤンは窓の外を見た。

 ティストローター機は屋上へと降り、何者かが建物に入ってきた。


 ややあって、強く固い音が響き、階段を駆け降りてきた。

 これだけの建物だが、エレベーターは禄に設置されていない。

 すわ有事となった場合、エレベーターよりも階段の方が余程早いからだ。


 ヒデェなと誰もが思っていたとき、唐突に部屋の扉が開いた。

 そして、聞き覚えのある声が響いた。


「同志シェン・ヤン。お迎えに上がりま……」


 部屋に入ってきたのはバーニー少佐だった。

 唖然とする彼女をよそに、ヤンは『ご苦労。後を頼む』と言った。


 だが、バーニーはそんな言葉に耳を貸さず、呆れたような声で言った。


「ちょっと待って。何であなたがここに居るの?」

「まぁ、なんだ。幽霊みたいな物だな」


 バーニーの言葉にそう応えたエディ。

 唖然としたまま固まっているバーニーにヤンが言った。


「彼らをここから連れ出せ。そして、呵る手段で逃亡させろ。決して死なすな」

「ですが、連邦軍士官が……『良いんだ。これは必要な事だ』


 ヤンはバーニーの言葉を切って言った。

 息をするのも苦しそうだが、強い言葉が口を突いて出ていた。


「全てはシリウスの為だ。なにも問題ない。全て予定通りだ。そして、この秘密を保持できる唯一の存在な君を呼んだ。誰にもこの秘密を漏らすんじゃ無い」

「同志!」


 バーニーの言葉を手で遮ったヤンは、流し目でエディを見た。


「ビギンズ。連邦軍の内幕は全て筒抜けだ。君がここに居ることも、何をしでかしているのかも全て解っている。シリウス軍の情報は、一旦私に全て集まるからな。足下を掬われぬよう、注意に注意を重ねろ。欺き欺かれ、時には全て承知で踊る必要がある。ロイエンタールはそれが実に上手かった。意地を張れ。だが、上手く踊れ。柔軟な紙は岩をも包み込んで窒息させるのだ。アジアでは、柔よく剛を制すると言うそうだからな」


 ヤンは力強くそう言ったあと、天井を見上げて目を閉じた。

 僅かな笑みを湛えた表情には苦しみからの開放を喜ぶ姿があった。


 ――やばい!

 ――撃つ!


 テッドだけで無く全員がそう思った瞬間、鋭い銃声が響いた。

 脳髄をまき散らしシェン・ヤンが死んだ。


 バーニーは悲鳴を飲み込んで声を出さぬよう頑張っている。

 エディはその死体へと歩み寄り、銃を降ろさせてから顔にハンカチを被せた。


「惜しい人物を亡くしたな……」


 後悔するような言葉を吐いたエディは、ガックリと項垂れた。

 まるで血縁の者を失ったかのような姿のエディに、テッドは違和感を持った。


「とにかく乗って。ここを離れましょう」

「なぜ?」

「シェン・ヤンの脱出後に爆破予定よ。最後の最後で私が送り込まれた」


 バーニーの見せた腕章にはヘカトンケイルのマークがあった。

 勅命により救助に来たのだとテッドは思ったのだが、エディはヤンを見ていた。


「急いで!」


 バーニーの声で我に返ったエディ。

 中隊はエディと共に、ティルトローター機に吸い込まれた。

 機内には幾人かのシリウス軍兵士が居たが、エディ達を無視していた。


 ――話が出来てるのか?


 テッドはそんな結論に達したのだが、その目の前でエディは機窓越し立った。

 離陸し高度を上げるティルトローターヘリの中、エディは敬礼を送っていた。


 その後ろ姿をテッドは美しいと思った。

 まるで涙を堪えるかのように細かく震えながら、敬礼していた。


「独立闘争委員会の中で、唯一私の味方だった人物だ。彼が居なければ、私は地球行きの船の中で殺されていたかもしれない。現実主義者で夢想家だったが、その矛盾ですらも楽しむ人物だった」


 建物から離れて行くティルトローター機の中、テッドは漠然と外を見ていた。

 突然その建物から煙が噴き上がり、一斉に爆破されるのが見えた。

 中に居たレプリカントも運命を共にしたはずだが……


「なんと言うことだ……」


 小さく溜息を吐いたエディ。

 その背中には、孤独を噛みしめる男の悲哀が滲んでいた。

21日はお休みします。

次話は23日になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ