誰の死でも無い死
今日三話目です
~承前
重い沈黙の時間が流れ、ややあってヤンは気を取り直したように呟いた。
それは、心中で散々と言葉を練った結果だと気が付いた。ただ……
「かつてゲーテが言ったように――」
――ゲーテって誰だ?
テッドの知らない人間の名前が出てきた。
その事実に愕然としたテッドは、自らを恥じた。
学の無いことは恥ずかしい事では無い。
ただ、教養が無いのは人間として恥ずかしい事だ。
後で学ぼうと心の中にメモを取った。
「――涙の味の食事をした者でなければ、人生の味はわからないのだよ」
老練な男の言葉がテッドへと降り注ぐ。
その言葉を聞きながら、テッドは飲み込まれまいと必死になっていた。
だが、そんな事で誤魔化せるほどの相手ではない。
事実テッドは完全に飲み込まれてしまっていた。
「若いの。我々の世代がどれ程悔し涙を流したと思うのだね。それを考えた事が有るかね。地球の奴隷として、ただただ働かされた我々の世代が…… 何を夢見たかわからんだろう。だがな――
まるで打ち据えるようにテッドへと言葉を浴びせかけるヤン。
その続きを言おうとして一瞬の間を開けたのだが、エディがそこに割り込んだ。
恐ろしく鋭い声音に、その内心が透けて見えた。
「嘘とは三種類しかない。ただの嘘。酷い嘘。そして、統計だ」
「……ディズレーリか。博学だな」
「あなたの嘘はどれですかね?」
「……そうだな」
見事にターンチェンジしたエディを、ヤンは頼もしそうに見た。
その目には満足を味わった男の愉悦が見え隠れしていた。
「悪役が必要だったのだよ。このシリウスをまとめるには……な」
「ほほぉ…… つまり、悪役を買って出たとでも?」
「その通りだ」
ヤンは窓の外を指差した。遠くから大型ティルトローター機がやって来た。
たった一機だが、そのサイズは驚くほどのサイズだった。
「迎えのタクシーを呼んでおいた。さぁ行きたまえ。未来を作るのは老人ではないのだ。君らのような強い若者に後を託す」
ヤンはそんな言葉を言いつつ、こめかみに銃口を当てた
大きく『待て!』と叫んだエディだが、ヤンは笑っていた。
全く恐怖など無いかのように振舞っていた。
「課程はどうあれシリウスは統一される。これで良いのだ。我が人生は結実した」
ゲホッと咳をしたヤンは、小石や砂状の何かを吐き出した。
ドス黒くなった血を吐きながら、それでもヤンは笑っていた。
「遅かったか……」
そう呟いたエディにヤンが笑う。
「進行性シリウス病の末期症状だ。もうすぐ私は…… 全てが石になってしまう。だが、後悔はしていない。私もこの星の一部になる。長い時を掛けて、この星に溶けていこう。そして土に還ろう。この星の砂粒のひとつとして……」
ヤンはそんな独白を吐いた。
だが、テッドはそれに噛み付いた。
どうしても納得いかなかったのだ。
勝手に死ぬなと、そう思ったのだ……
「あんた、勝手に死ぬんじゃねぇ。てめぇのやった事で夥しい数の人間が死んだはずだろうが! あんたは満足だろうが、あんたが煽動して死んだものにはなんと言って詫びるんだよ!」
ある意味で若者らしい言葉だが、それですらもヤンは笑っていた。
熱意ある若者の言葉だと、頼もしそうに見ていた。
時代を形作っていくのは若者の熱意と情熱。そして、荒削りな正義感だ。
例えそれが本質を捉えて無くとも、『それちょっとおかしいだろ!』が必要だ。
溜息だとか、舌打ちだとか、そう言ったどうにもならない事への苛立ち。
それをどうにかしようと、無鉄砲に挑んでいって変えようとする情熱そのもの。
若者にだけ許された、そういう不器用な実力行使は、老人には娯楽の一環だ。
「……これも、ユダヤの諺だ」
息をするのも辛そうなヤンは、消えそうな声で言った。
ただ、その表情は穏やかで満足げだった。
「不幸にも足を折ったなら、片足だけで済んだと思え。更に不幸にも両足を折ったならば、首を折らずに済んだと思え。そして、首までも折ったなれば……もう何事も案じずに済むのだ。安心しろ」
ヤンは笑ってそう言った。そして、『そろそろ舞台を降りる頃だな』とも。
「死んだ者は関係無い……って、そう言うのかよ…… 無責任過ぎるぜ」
「そう言う事だ。若いの。死んだ人間に振り回されるな。今を生きろ。自分の人生を生きろ。誰かの人生を生きるな。自分の人生を生きて、自分の死で……死ね」
怒りを握りしめてテッドが震える。
純粋で純情な若者が見せる怒りと憤り。
ヤンは、それを頷きながら見ていた。
「シリウスは安泰だ。まだこんなに熱い若者が居る」
ウンウンと頷きつつ、ヤンは窓の外を見た。
ティストローター機は屋上へと降り、何者かが建物に入ってきた。
ややあって、強く固い音が響き、階段を駆け降りてきた。
これだけの建物だが、エレベーターは禄に設置されていない。
すわ有事となった場合、エレベーターよりも階段の方が余程早いからだ。
ヒデェなと誰もが思っていたとき、唐突に部屋の扉が開いた。
そして、聞き覚えのある声が響いた。
「同志シェン・ヤン。お迎えに上がりま……」
部屋に入ってきたのはバーニー少佐だった。
唖然とする彼女をよそに、ヤンは『ご苦労。後を頼む』と言った。
だが、バーニーはそんな言葉に耳を貸さず、呆れたような声で言った。
「ちょっと待って。何であなたがここに居るの?」
「まぁ、なんだ。幽霊みたいな物だな」
バーニーの言葉にそう応えたエディ。
唖然としたまま固まっているバーニーにヤンが言った。
「彼らをここから連れ出せ。そして、呵る手段で逃亡させろ。決して死なすな」
「ですが、連邦軍士官が……『良いんだ。これは必要な事だ』
ヤンはバーニーの言葉を切って言った。
息をするのも苦しそうだが、強い言葉が口を突いて出ていた。
「全てはシリウスの為だ。なにも問題ない。全て予定通りだ。そして、この秘密を保持できる唯一の存在な君を呼んだ。誰にもこの秘密を漏らすんじゃ無い」
「同志!」
バーニーの言葉を手で遮ったヤンは、流し目でエディを見た。
「ビギンズ。連邦軍の内幕は全て筒抜けだ。君がここに居ることも、何をしでかしているのかも全て解っている。シリウス軍の情報は、一旦私に全て集まるからな。足下を掬われぬよう、注意に注意を重ねろ。欺き欺かれ、時には全て承知で踊る必要がある。ロイエンタールはそれが実に上手かった。意地を張れ。だが、上手く踊れ。柔軟な紙は岩をも包み込んで窒息させるのだ。アジアでは、柔よく剛を制すると言うそうだからな」
ヤンは力強くそう言ったあと、天井を見上げて目を閉じた。
僅かな笑みを湛えた表情には苦しみからの開放を喜ぶ姿があった。
――やばい!
――撃つ!
テッドだけで無く全員がそう思った瞬間、鋭い銃声が響いた。
脳髄をまき散らしシェン・ヤンが死んだ。
バーニーは悲鳴を飲み込んで声を出さぬよう頑張っている。
エディはその死体へと歩み寄り、銃を降ろさせてから顔にハンカチを被せた。
「惜しい人物を亡くしたな……」
後悔するような言葉を吐いたエディは、ガックリと項垂れた。
まるで血縁の者を失ったかのような姿のエディに、テッドは違和感を持った。
「とにかく乗って。ここを離れましょう」
「なぜ?」
「シェン・ヤンの脱出後に爆破予定よ。最後の最後で私が送り込まれた」
バーニーの見せた腕章にはヘカトンケイルのマークがあった。
勅命により救助に来たのだとテッドは思ったのだが、エディはヤンを見ていた。
「急いで!」
バーニーの声で我に返ったエディ。
中隊はエディと共に、ティルトローター機に吸い込まれた。
機内には幾人かのシリウス軍兵士が居たが、エディ達を無視していた。
――話が出来てるのか?
テッドはそんな結論に達したのだが、その目の前でエディは機窓越し立った。
離陸し高度を上げるティルトローターヘリの中、エディは敬礼を送っていた。
その後ろ姿をテッドは美しいと思った。
まるで涙を堪えるかのように細かく震えながら、敬礼していた。
「独立闘争委員会の中で、唯一私の味方だった人物だ。彼が居なければ、私は地球行きの船の中で殺されていたかもしれない。現実主義者で夢想家だったが、その矛盾ですらも楽しむ人物だった」
建物から離れて行くティルトローター機の中、テッドは漠然と外を見ていた。
突然その建物から煙が噴き上がり、一斉に爆破されるのが見えた。
中に居たレプリカントも運命を共にしたはずだが……
「なんと言うことだ……」
小さく溜息を吐いたエディ。
その背中には、孤独を噛みしめる男の悲哀が滲んでいた。
21日はお休みします。
次話は23日になります。




