騙しあいの螺旋へ
今日二話目です
~承前
「お前が一番やりたいだろ?」
砲艦ドーヴァーのシェルデッキ。
いや、ただの倉庫の中にエディとテッドのふたりがいた。
エディの手にあるのは、毒ガス装置のある通路で手に嵌めていたグローブだ。
「この為に?」
やや首を傾げてそう言ったテッドは、それでも笑顔だった。
エディが見せた最大限の配慮は、テッドに対する親の情だった。
「本来であれば、お前があの男を捻り殺すのが道理だ」
「ちょっと捻れそうに無いですけどね」
「だが、中身はどうアレ、お前はそれをやりたかったのではないか?」
まるで100年の便秘が全部出たような表情のエディ。
積年の恨みを晴らしたのだから、その顔もまた当たり前だった。
それに対し、テッドは忸怩たる思いを抱えている。
愛するリディアの身体を嘗め回したであろう、絶対に許せない男だ。
惚れて愛して将来を誓って、己の妻と誓った女を寝取った男だ。
「……出来るものなら、この手で潰してやりたかったですけどね」
口を尖らせてそう言ったテッド。
その悔しさは言葉では言い表せないモノだ。
「だからさ」
エディはテッドの手に、そのグローブを乗せた。
裏返しになったグローブの内側には、あのゲル状化したクロスの一部がある。
「俺ばかりが恨みを果たしてもな、寝覚めが悪い」
なんとも軽い調子でそう言ったエディ。
テッドは解っていた。これこそが、エディ最大の気遣いだと。
「だけど…… なんでまた」
「まぁ、思い付きだな。最初はこの手で頭蓋を捻り潰してやろうと思っただけさ」
エディは空中で手の動きを再現した。
青いゲルの中に手を突っ込み、スラッシュの頭蓋を掴んで握り潰す。
油圧と板バネとで動くサイボーグの手は、ゴリラ並みに青竹を握り潰せる。
その強力な手でスラッシュの頭を握り潰したエディ。
なんとなく掌中にその感触をイメージしたテッドは、怒りの深さをも知った。
「……エディが長年恨み続けてきた事と比べれば」
「時間の経過は関係ないさ。それに……」
エディがテッドへと手渡したグローブの中では、何かがゴソゴソと動いていた。
極々小さなモノでしかないゲル状の物体が集まり、小さなコロニーになった。
グローブの先端に残っていたスラッシュの僅かな肉片を喰ったのだろう。
グズグズと動いているゲルの塊は、グローブの中で出口を探していた。
「アレは…… スラッシュは俺を殺そうとして、幾度も幾度も工作してきた。その都度にまだ幼子だった俺を護るべく、多くの者が死んだ。その話をいつも聞いていたからこそ……」
エディは辛そうに首を振って溜息をこぼした。
その吐息に含まれるモノは、後悔と贖罪の想いだった。
「俺を生かす為に死んだ者たちの、その果たせなかった想いをいつも思ってきた。
誰だって何処かの家族の一員だった筈だ。家族や親兄弟や子供たちと過ごす筈だった未来が、俺のために失われた。だからこそ、俺は必ずこの手で殺してやると、必ず報復してやると決めてきた。だが、今にして思えばスラッシュも必死だったんだろうな。決して許される事では無いが、奴は奴なりに必死だった」
まるでスラッシュの死をも悼むかのようなエディ。
テッドは分かっている。これがエディ・マーキュリーと言う男だと。
たとえ敵でも敬意を払う男だ。
だからこそ、あの場で怒りに任せて我を忘れた姿が異質で異形だったのだ。
「だから、神の御前へって……」
「そうだとも。人を裁くのは人ではない。神の手の上だ」
「親父も良くそれを言ってました」
「……親父さんが?」
「はい」
テッドはふと、緩い表情になって言った。
その姿は、なんとも楽しげなモノだった。
「まだ…… 5歳か6歳かの頃ですが……」
テッドは裏返しのグローブを見ながら楽しそうに切り出した。
まるで少年そのものに返ったかのような、そんな姿だった。
「アウトローと決闘に向かう親父を見送った事があります。姉貴は…… キャサリンは涙を流し、お袋ミリアは親父の手首へ藍青の紐を巻いたんです」
テッドの言う言葉にエディが僅かな趣向を見せた。
「おまじないだな」
「えぇ」
手首に藍青の紐を巻くのは、シリウスに伝わる御呪いだった。
シリウスの光と同じ色の藍青色は、勝利と幸福を導く色だった。
「アウトローを倒して、必ず生きて帰ってきて……と、お袋が言ってました」
「そうだな。生きて帰る事が何より重要だ」
「だけど……」
僅かに俯いたテッドは勢いよく天井を見上げ、小さく溜息をこぼした。
そして、顔を下げてエディを見て、ぐっと顎を引き言った。
「親父は言ってました。市民の平和と安全を護る為に、シェリフは戦う義務があるんだって。どんな時でも、逃げずに戦う義務があるんだって」
エディはやや大袈裟なくらいに首肯した。
そして、テッドの肩をポンと叩き、また首肯した。
「その通りだ」
「えぇ」
テッドは手にしていたグローブに目を落とし、僅かに笑みを浮かべていた。
手の中にあるクロスの破片は、出口を求めて徘徊し続けていた。
絶対に出られない無明の闇の中で、ズルズルと。ズルズルと。
「俺は…… 言ったんです。危ないからって。撃たれたら死んでしまうって」
フッと笑ったテッドの肩が揺れた。
自嘲気味に笑ったその姿には、隠しようの無い苛立ちと後悔があった。
「その時、親父は言ったんです。俺の頭に、こう、手を乗せて、言ったんです」
テッドの手が頭の上に乗せられた。
まるで父親がそうしたように、乗せられた。
気がつけば父の手に匹敵する大きさになっていた手だ。
改めてそれに気がついたテッドは、嬉しそうに笑った。
「悪党を裁くのはシェリフじゃない。悪党が地獄に堕ちるかどうかは神が決めることだって。シェリフはそんな悪党をとっ捕まえて、神の御前に突き出すのが仕事だって、そう言ったんですよ」
なんとも楽しそうにそう言ったテッドは、グローブを今にも握り潰しそうだ。
エディもエディで楽しそうにそれを聞いていた。そして、何度も頷いていた。
「何度聞いても思うが、テッドの親父さんは立派な人物だったんだな」
「……有難うございます」
ぺこりと頭を下げたテッド。
エディはそんなテッドを誘ってエアロックへと向かった。
サイボーグは真空を苦にしない。
そんなふたりだはドーヴァーの暴露デッキへと出るエアロックに入った。
本来であれば、真空空間向けの宇宙服を着なければ為らないのだが……
『出るぞ?』
近接無線で呼びかけたエディ。
気がつけばエアロックの中の空気が抜けていた。
『はい』
僅かに残った与圧の分で、エアロックのドアが勢い良く開いた。
真空中へと出た二人の目の前に、グローブがあった。
命綱をつけて漂流しないようにし、その状態でテッドはグローブをあけた。
中から勢い良く空気が抜け出て、最後にゲルが吐き出された。
全く身体を支えるモノがない真空中で、ウネウネと動いていた。
『グローブに張り付かせろ』
『こうですか?』
テッドが差し出したグローブの先端にゲルが張り付いた。
ナメクジや粘菌と同じく、グローブの表面に絡み付いている。
『……焼却しろ』
『イエッサー』
テッドはそのグローブを玉状に丸め、シリウスへ向かって投げた。
強い加速に押し出され、グローブはシリウスに向かって勢い良く飛んだ。
『5年としない内にシリウス墜落軌道へとはいるだろう』
『50年もすれば墜落しますね』
『まぁ、気長に待て』
『えぇ。そうします』
二人並んで眺めたグローブ。
もはやかなりの距離だが、グローブはまだウネウネと動いているのが見えた。
『さて、引き上げよう』
『はい』
ふたりしてエアロックへと引き上げる直前、テッドは振り返った。
まだギリギリ視覚限界範囲にグローブがあった。
――あばよ……
最後の最後で、そんな捨て台詞を浴びせた。
これで終りだと、そう決めたのだった。
「さて……」
エアロックの中で気密をとり、ドーヴァーの艦内へと戻ったふたり。
その足で食堂へと向かえば、中隊が全員揃っていた。
「諸君。ミッションは完了した。だが、まだ幾つか案件が残っている」
エディはそう切り出した。
またどっかへ送り込まれるのか?と訝しがったメンバーだが……
「地上戦っすか? シェルっすか?」
ロニーは相変わらず緩い調子で聞いてきた。
その様子が余りにも『普通』なので、全員が笑った。
「おぃロニー。説明の腰は折るな」
「……へい」
エディが嗜め、ロニーは小さくなった。
そんなやり取りで再び全員が笑った。
「アレックス。状況を説明しろ」
「はい」
エディの指示でアレックスはモニターの前に立った。
映像を表示させ、次なるミッションの説明を始める。
「ここからはちょっと厳しい戦闘になる」
モニターには、ノワリー海に浮かぶスラッシュ島の惨状が表示されていた。
それは、シリウス軍関係者による現場検証のニュース映像だった。
「シリウス軍側が動き始めた。我々は最初に疑われる運命だ。ただし、連邦側もシリウス側も、我々がここにいる事は知らない。そして、我々はトンズラだ。明日、コロニーから地球への輸送船団が出る。まだ冷凍カプセルのピストン輸送は続いているからな。それの護衛として地球へと向かうが、同行するシリウス船籍の艦艇よりも後からワープする。機関故障を予定しているが……」
機関故障予定の説明に全員がどっと笑った。
その余りにエグいやり口に、笑うしかないのだ。
「彼らよりも後からワープし、先に地球へと到着する。その為のドーヴァーだ」
胸を張って言ったアレックス。
モニターに表示されている所要時間は60日だった。
「この快速船の威力が遺憾なく発揮される事になっている。ここからは再びシェル戦が続くだろう。全員抜かりなくやってくれ」
アレックスの説明に全員がイエッサーを答えた。
欺き欺かれる騙しあいの螺旋に入ろうとしていた……




