大人への階段
今日二話目
~承前
「なんだか…… 自信ねぇっす」
反省会を終えたドーヴァーの艦内。
ロニーは展望デッキ代わりのシェルデッキで肩を落としていた。
わずかに震えるその肩には、思わぬ責任がのし掛かった辛さが見て取れた。
誰も望んで得たわけでは無いし、望んで必ず得られるモノでも無い。
どちらかと言えば一方的に与えられた、いや、押し付けられた能力と責任だ。
「殺される前に殺すのは仕方がねぇ」
「だけど……」
「言いてぇ事は良く分かる」
テッドは静かな調子で切り出した。
ロニーが引っかかっているのは、罪の意識だ。
シェルならば向こうも殺す気で掛かってきている。
だからこそ、こっちも殺す気で掛かるし、一撃必殺を狙う。
余計な手間を増やしたくないし、手負いにして思わぬ反撃を食うのも困る。
だが、白兵戦は違うのだ。
目の前で敵が、人間が血反吐を吐いて苦しんで死ぬのだ。
シェルで戦うのも戦闘機の乗るのも、戦車同士の戦闘も、根本的に違う事。
白兵戦と言う者は、相手を殺してやると言う殺意同士が直接ぶつかるのだ。
激しい空中戦を経験して度胸をつけても、実際に殴りあうのは意味が違う。
「ロニー。良く聞けよ?」
テッドは静かに切り出した。
顔を上げたロニーは、罪の許しを請うようにテッドを見た。
シェルでの戦闘ではアレだけ勇猛果敢だったロニーだが……
「俺たちは人を殺すのが商売の死神だ」
「……そうですね」
「だけどな、望んで殺してるわけじゃない。楽しくてやってる訳じゃない」
「義務…… ですよね」
ロニーは真面目な声で答えた。
こんな言葉を使えるのかとテッドやヴァルターが驚くほどだ。
「そうだ。義務だ。俺もエディにそう教えられた」
テッドは手近にあったカップのコーヒーを一口飲んで一息吐いた。
その吐息には、テッドが経験した苦悩と懊悩が混じっていた。
「俺たちは、血に餓えたシリアルキラーじゃない。そうだろ?」
「はい……」
「何故こんな辛い事をしているんだ?」
「……戦争のためです」
「では、その戦争は何のために?」
ロニーは不思議そうな顔をしてテッドを見た。
なんとも禅問答のような会話になり始め、ロニーは困惑している。
ただ、この時ロニーは肝心なことを見落としていた。
テッドはニューホライズンの地上で既に地獄を見てきたのだ。
戦場では無く、日常生活という名の地獄だ。
自由も希望も無く、毎日家畜のような惨めさを感じていた日々だ。
「シリウスは独立したい。地球は独立させたくない。シンプルな理由だ。いたってシンプルな理由だ。だが、その手段が良くない。いただけない。もっといえば、許しがたいことだ。そうじゃないか?」
テッドの言葉にロニーは俯いて首を振った。
違う違うと言わんばかりに。
「兄貴…… それは、単なる正当化だよ。人を殺す正当化」
「まぁ、ぶっちゃけそうかも知れないな……」
あっさりと肯定したテッドの言葉にロニーは驚いて顔を上げた。
ロニーの目に映るその姿は、至って平然としたテッドだった。
「いや、ただの正当化なのは間違いねぇ。むしろ、変に言い繕うより、スパッと認めた方が良いんだろうさ。人が人を殺す事は禁忌だ。全人類に共通する禁忌だ。やっちゃぁいけねぇって事さ。至って当然の話だよな」
ロニーの目には驚きの色が浮かんだ。
ただ、同時に、落胆の色も見える。
ロニーの望んだ事は、力強い叱責かも知れない。
人格を根底から否定されるような酷い言葉かも知れない。
それに反発する事でロニーはここまでやって来た。
故に、自説を肯定されてしまった場合には、どう対処して良いのかわからない。
なんとも非合理的だが、不安と恐怖とを覚えてしまう状態だ。
「じゃぁ、逆に質問だ。いいか? しっかり答えろよ?」
テッドの表情に愉悦が混じる。
ヴァルターはその表情にテッドの内心を思った。そして、はっきりと認識した。
テッドも戦っているのだ……と。
自らが育んできた正義や道議や正しいとされる事と今とのすり合わせだ。
シェリフだった父親の背中を見てテッドは自らの正義を作った。
それは、如何なる事情があろうと人が人を殺してはならないという常識だ。
だが、いま少なくともテッドは敵を容赦なく殺す存在になった。
それ自体がテッドの内心を蝕み、苦しめているのだと気が付いたのだ。
「独立したいシリウス人は、したくないシリウス人を殺しても許されるのか?」
「……え?」
「独立のために地球人を殺すシリウス人は、許されるのか?」
「それは……」
「テロとかで死んだ人や独立派に粛正された人は泣き寝入りか?」
「いや…… でも…… その……」
テッドの浮かべていた笑みは、フッと暗黒的な冷笑に切り替わった。
それは、人間の汚さや醜さと言った物を論う時のモノだ。
愛する女との関係を引き裂かれ、それだけで無く、彼女は別人に成り果てた。
しかもその彼女は、自分の生活をメチャクチャにした男の情婦に堕ちたのだ。
「戦争になりさえしなけりゃ死んでも良い。何が何でも戦争を拒否してぇ奴らは本気でそう考えるのかも知れねぇのさ。けどな、そんな発想の前提条件ってのは大体が自分以外の誰かが死んでるうちはって事だぜ?」
どや?
両手を広げ意見を促したテッド。ロニーは言葉を失って黙り込んだ。
真一文字に口を結び、内心は複雑な葛藤に荒れている。
「自分以外の誰かが死ぬのはいくらでも我慢できるんだよ。戦いたくない人間はさも立派なふりをして言うのさ。許しとは最も難しい事だとか、話し合いの努力を放棄する事は文明の放棄だとかさ。寝言ほざいてんじゃねぇって思わねぇか?」
テッドはロニーの反応を見てた。
どんなリアクションをするのかと、ジッと見ているのだ。
そして、そのロニーも気が付いている。
この言葉は、テッドが経験した悔しさや悲しさからの言葉だ気が付いている。
ニューホライズンの地上で行われた血の粛清や風紀引き締めの行為。
そう言った、シリウスを牛耳る連中の力による支配の犠牲者の言葉だ……と。
「人が人を殺す事は絶対に許されない。俺はオヤジの背中を見てそう思ったし、それが常識だと思ってきた。だけどよ、それじゃ困る連中が居て、そいつらは反対する奴を粛正したり殺したりするのに遠慮も容赦もねぇと来た。ついでに言えば――
テッドはもう一口コーヒーを啜った
――そもそもテロは話し合いの拒否だし、人が既に死んでるんだぜ? たまたま自分にその被害がなかっただけの話だ。じゃぁよ、一方的に殺された奴らは泣き寝入りするのか?」
テッドの声が冷たくなったとロニーは気が付いた。
つまり、テッドはテッド自身の復讐の為にここに居るんだと思ったのだ。
「……だから、戦うしかないんですね」
「半分正解だけど、半分は間違いだな」
「え?」
「俺たちは戦争の代理人だぜ」
テッドでは無くヴァルターがそう答えた。
不思議な事を言い出したとロニーは思うのだが、ヴァルターは笑っていた。
テッドとヴァルターは代理の意味を良く分かっているのだ。
「まだニューホライズンの地上でドンパチやってた時にさ、俺もヴァルターも野戦憲兵代理をやった事がある。まだ二等兵ってペーペーの時だ」
テッドはかつて経験した野戦憲兵の話を始めた。
最後には中佐にのこぎりを渡し、苦しんで苦しんで自決させた事までだ。
「……ウソっす」
「いや、マジだぜ」
静かな声で言ったテッドは、ヴァルターと目を見合わせた。
ヴァルターもまた辛そうな表情をしているのだが……
「それって…… 許されることなんですか?」
「どうだかな。俺には判断出来ねぇ」
「それって無責任っすよ」
「あぁ。無責任だよな。俺もそう思うよ。だけどさ」
小さく溜息をこぼしたテッドは、肩を竦めながら言った。
何処までも自分を恥じるようにしたジェスチャーだ。
「俺たちはみんな…… そうなんだよ」
「え?」
「正直、良くわかんねぇ事を命令されてやってるだけじゃねぇのか?」
「そんな…… こと……」
言葉を失って震えるロニーのその肩をテッドが叩いた。
実際に従軍した経験者は、みな一様に口が堅くなると言う。
戦場で何を見て何を聞いたのか。それに付いてはとにかく口を閉ざすと言う。
誰にも言えないはずの辛い本音を共有できるのは、同じ経験をした仲間だけだ。
そして、墓場の中まで持って行く話を共有できるのも、同じだった。
「実際、それで普通だと思うぞ」
ヴァルターもそんな言葉を吐いた。
ロニーは納得いかないと言わんばかりの顔だが……
「良いか悪いかなんて相対論さ。さっきテッドが言ったとおり、人が人を殺すのが許されないなら、最初に罪を犯した奴は誰が罰して、どう償うのさ。だろ?」
ロニーは小さく頷いた。
テッドはチラリとヴァルターを見て『続けてくれ』と目で言った。
「俺たちが勤めた代理ってのは憲兵じゃねぇのさ。ニューホライズンの地上で行なった代理の元は住民だ。一方的な都合で蹂躙されて全て失った住人の代理だ。戦場って環境はよ、とにかく異常なところさ。人間を悪魔にも鬼にも変えるのさ。他人の肝を喰って生き残るような場所さ」
ヴァルターの言葉にショッキングな色が混じった。
ロニーは言葉を飲み込んで震えているが、テッドは遠慮なく続けた。
「だからエディは義務を果たせって言うのさ。義務だけを果たせってよ。理不尽に死んだ奴の仇を必ず取って、応報するのさ。その為に俺たちが居る。少々じゃ死なねぇようになった俺たちがそれをやる。そもそも、独立しようって言い出した奴らや、その尻馬に乗ってやりてぇ放題なやつらをギャフンと言わせるのが仕事だぜ」
まだ納得していない様子のロニーだが、その表情は少しだけ明るくなった。
「シミュレーターの上は純粋にゲームだから、それを気に病む事はねぇ」
軽い調子で言ったヴァルターの言葉に、ロニーは力なく笑った。
見て聞いて感じた事が現実と変わらずに感じられるシミュレーターだ。
どうやったって仮想現実には感じられないモノだ。
実際、ロニーの手にはあの銃撃の反動がリアルに残っている。
まだ脳がしっかりと覚えているのだ。
「非常になれって事じゃねぇ。ただ、それに囚われすぎると自分がやばくなる」
だろ?
テッドは僅かに首を傾げてそう言った。
その言葉にもロニーは小さく首肯した。
「まぁ、あとは自分で考えろ。ただ、迷ったらいつでも話しに来いよ」
「そうだな。遠慮する事はねぇぜ」
テッドとヴァルターはロニーの背をポンと叩いてシェルデッキを出て行った。
ニューホライズンの地上で激しい戦闘を経験したふたりだ。
ロニーの悩みが良く分かるし、自分にも経験があることだ。
そして、生きるか死ぬかの土壇場を経験すれば、嫌でも理解すると思っていた。
そんなふたりの背中を見送ったロニーは、右手をジッと見つめた。
戦闘終了後、ロニーは何気なくあの獣人の身体を触っていたのだ。
子供の頃に触った犬の毛並みの感触をロニーは思い出していた。
そして、死んだはずの死体に残る温もりが、まだ脳に残っていた。
「リアル過ぎんだよ……」
ロニーの懊悩は、深く辛く、そして終りがなかった。




