シミュレーター訓練
今日二話目
~承前
視界の中にグルグルと数字が回っている。
それは地上までの残距離と落下速度だ。
テッドは今、ニューホライズンの上空40キロにいた。
パラシュートを複数装備した降下ユニットを身体に装着し、自由落下の最中だ。
降下速度は400キロを超えていて、速度を落とさねば断熱圧縮を起こしだす。
そして、生身ならば呼吸も出来ない高度と言える所なのだが……
――サイボーグは自発呼吸を必要としないってこういう事か
学のある人間ならば自ずと理解出来る学問的な知見をテッドは持たない。
高度を上げればバンデッドの舵が利きにくくなるのも身体で覚えた位だ。
従って、高度による気圧減衰をテッドは身体で覚えた。
その全てが、シミュレーター上での経験だが……
『今度は上手くやれ。もう8回目だろ?』
無線の中にエディの言葉が流れる。
地上降下している中隊のメンバーは、もう既に7回の失敗を繰り返していた。
『全員無事に降下出来るまで繰り返すぞ』
指導教官役のマイクが発破を掛ける。
宇宙軍が使う地上降下艇のデッキから、いきなりの自由降下訓練だった。
艇内ではパラシュートユニットの使い方と安全教育が行われた。
ただ、それを教えられたテッドは、その5分後に飛んでいた。
座学や安全教育が一切無い、過去に記憶の無いスパルタ教育。
だが、安全確認を怠ると何が起きるのかを学ばせるには最高のシステムだ。
『段々楽しくなってきたぜ!』
『こりゃ病み付きになるスリルだ!』
テッドもヴァルターも、まるで鳥のように空中を舞っていた。
重力に引かれての自由落下は、鳥とは言い難いものがあるのだが……
『高度1万で予備減速。3000で忘れずにメインパラを展開しろ。500まで降りたらエマージェンシーパラでも危ない。自己重量と減速限界を常に把握しろ。止まりきれなかったらゲームオーバーだ。シミュレーターの中なら良いが、現実だと即死だぞ!』
なんとも恐ろしい事をあっさりと言い切るエディ。
ただ、その言葉は絶対に忘れてはいけない事の再確認だ。
『ほら見ろ! 地上が見えてきた!』
アレックスの声に導かれ、テッドは地上を見た。
一面緑に覆われた豊かな大地だ。
――これ何処だ?
ニューホライズン生まれと言っても、テッドの知る世界は小さく狭い。
スーパーアースなニューホライズンは、陸地面積自体が地球よりも大きいのだ。
『高度1万を切るぞ! 良いか! 予備減速開始!』
マイクの声に弾かれ、テッドは予備減速用の小型パラを展開した。
小さいと言っても直径2メートルを優に超えるモノが3つ展開された。
――うはっ!
急激な減速Gを浴び、一気に速度が絞られる。
身体は何ともないのだが、脳殻内ではどうしたって脳液が偏ってしまうのだ。
――生身ならブラックアウトだな
急激な減速は視界の欠損を招く事が多い。
一時的な脳液の偏りにより、脳が酸素不足に陥るのだ。
こんな時、サイボーグならば人工的に作った新たな流路を使い酸素補給する。
肉眼視界が欠損しても、数字情報は脳に届く仕組みだ。
『高度6000!』
予備減速のおかげで降下速度が一気に落ちた。
猛烈に風をきる状態から地上を見る余裕が生まれた。
一面の緑の中に黒く光る物がのたうつように横切っている。
それが巨大な河だと認識した頃には、河の広大な氾濫原をも確認していた。
幅のある大河には巨大な中洲があった。こんもりと茂った緑の小山だ。
――不思議な構造だな……
テッドはそう直感した。
あれだけの河にあんな中洲がある方がおかしい。
人工的に作ったと言われた方が、素直に納得出来そうなものだ。
『高度3000に達した! メインパラ展開! 今度は上手く降りろよ!』
嬉しそうな声で叫んだアレックスだが、テッドの目は地上を見ていた。
まだまだ遠い距離だが、何かが動いているのが見えたのだ。
それが馬だと気が付いたのは、カウボーイだったテッドだからだろう。
無意識にメインパラシュートを展開したテッドは。地上を凝視していた。
まだまだ距離があるからか、細かなディテールは掴めない。
だが、ひとつ解る事がある。地上にいるのは人間ではない……
──アレはなんだ?
推定降下点から2~3キロ離れた辺りでは、馬に連れた男たちが集まっていた。
揃いの姿をした男達の中に、一際良い身なりの者が混じって指示を出している。
それはまるで騎兵隊のようにも見えるものだった。
上空から見えた中洲の対岸辺りでキャンプでもする準備をしているらしい。
一団は馬の手入れをし、別の集団は草を刈り竈を拵えていた。
何かの準備中なのは間違い無い。
テッドは無意識にニューホライズンでの処女戦を思い出した。
思えば、もう随分昔の事だと思った。自分が年を取ったとは思いたくない。
だが、気が付けばアレから五年の日々が過ぎているのだ。
仲間は随分と入れ替わり、失ったと思ったリディアは二回も取り返した。
ある意味で驚く程上手く回っていると思うのだが、ここで油断はできない。
──まだまだ注意しないとな……
そんな事を考えていたテッドは、アレックスの言葉で我に返った。
『さて、地上の戦闘に介入するぞ?』
──えっ?
アレックスは間違いなく介入すると言った。
あれが何だか理解しているようなそぶりだ。
――なんだよそれ……
わずかにイラッとしたテッド。
だが、そんなモノに構うことなくエディの言葉が流れた。
『女が居るな』
随分と弾んだ声だと思うのだが、負けないような声音でマイクが言った。
いったい何がそんなに楽しいのだろうと、テッドは訝しい。
『どっちに付くんだ?』
『そりゃ女がいる方だ』
『だろうな!』
メインパラを引き絞ってさらに速度を落とす。
すると、地上の様子がハッキリと見て取れた。
降下目標地点の近くには、全身黒尽くめな奴らが弓を構えていた。
その弓が狙う先には、全く違う集団がいたのだ。
全身に包帯を巻いたり、或いは杖をついて歩く者ばかりの集団。
黒尽くめの連中は、そんな者達を剣で斬り殺したり、弓を放ったりしている。
ヨタヨタとし、身体の自由が効かず、それでも懸命に走る姿が見える。
テッドは瞬時に沸騰した。シェリフは弱者の味方だ。
パラの制御を忘れ、テッドは空中で銃を構えた。
――あのクソどもが!
地上戦でさんざん経験したことだ。
無意識レベルで身体が勝手にオペレーションする。
地上を走り回り銃撃戦を繰り返した経験は脳に染みついていた。
機械の身体になっても、行うオペレーションは一切変わらない。
銃を構えたテッドの視界に地上への距離が表示された。
『ロニー! まだ撃つな! 介入するのにもタイミングって物がある!』
射撃フェーズに入っていたテッドだが、そこにエディの声が響いた。
エディはロニーを呼んで射撃の停止を命じていた。
『なぜっすか! あの連中、逃げらんねぇのを撃ってるんすよ!』
『空中で撃ち返されたら一切逃げられないぞ!』
大声で叫び返したロニーにエディが冷静な言葉を浴びせた。
常に冷静に振る舞えという教えを繰り返してきたエディの真骨頂でもあった。
『だけどあれじゃ全滅するっす!』
『蛮勇に逸るな! 冷徹に振る舞え!』
言い返そうとしたロニーの声をマイクが遮って叫んだ。
その後でアレックスが冷静な言葉を浴びせかけてきた。
『お前が撃った後で地上に奴らがこっちに気が付いたら、対抗措置の無い仲間が一方的に撃たれて死ぬかも知れないだろ? 地上側は地上側で最大限努力するべきだし、こっちは先ずは安全に地上へと到達する事が重要だ』
言われてみれば尤もな事ばかりだ。
ただ、時に正論自体が不可能を容赦する自己弁護になる。
ロニーはそれが飲み込めないのだ。
『ロニー。重装備のまま空中で死んだ場合、地上側にその重装備を奪われる危険があるのは解るな?』
エディはなお一層に冷静な声でロニーを止めた。
地上まで1000メートルを切っていた。
『地上まで確実に到達し、敵への対抗措置をとれる体制を作るのが重要だ』
エディは淡々とした口調でそう説明した。
説教のようにも聞こえるモノだが、テッドは黙って聞いていた。
間違いなく『その通りだ』と思っていた。
『残り500だ。メインパラを最大限に広げろ』
7度目の降下までは、誰かしらが何かのミスを犯した。
ケアレスミスや些細な不注意も死に直結する。
風を切り雲を突き抜ける所までリアルに感じるシミュレーターだ。
全員が恐怖と緊張に晒されて、嫌でも経験値を稼ぐのだが……
『着地の基礎は覚えているな。地上を見ずに遠くを見ろ。着陸を予期するな。手足を広げ、膝の力を抜け。ボールが地上でバウンドするようにだ。上手く着地して女を助けるぞ。いいな!』
エディの声に導かれ、テッドとヴァルターが最初に着地した。
何回か失敗した経験から、ふたりとも実に上手く着地を決めていた。
地上を走っていた馬たちの進路前方2000メートル付近だった。
ウッディやディージョやロニーといった若い面々がふんわりと着地している。
その後からジャンやオーリスやステンマルクが着地する。
今回は全員が見事な着地を決めていた。
そして、マイクとアレックスがリーナーを引き連れて着地した。
残すはエディだけだが……
『全員戦闘展開! 勝手に死ぬな! 点で攻撃しても無駄だ。面で攻撃しろ!』
空中に残っていたエディが戦闘指示を出した。
マイクが左翼へ、アレックスは右翼へ展開した。
『テッド! ロニー! ウッディ! オーリス! 俺に続け!』
マイクがそそくさと駆け出した。
銃を構えたままだが、まだ撃っていない。
『ヴァルター! ディージョ! ジャン! ステンマルク! こっちだ!』
アレックスは身を低くし、草むらを進んでいった。
着地点から翼を広げたように左右へ広がり、一斉に前進する。
残距離は1000メートル程で、エディはまだ空中に居た。
テッドは小銃のチャンバーへ初弾を送り込み射撃体勢になっていた。




