欺き欺かれる輪舞曲(ロンド)
ワイプインしたワスプの目の前には、巨大な蒼い星が現れていた。
人類発祥の惑星。太陽系第三惑星。水の惑星。地球である。
「すげぇ……」
「綺麗だ……」
外を見ているディージョとウッディは、感嘆の言葉を漏らした
展望デッキにはシリウス人が鈴なりになっていた。
皆が争ってここへ来た理由は一つ。
地球を見たかったのだ。
「……だけど、思ったより小さいな」
「あぁ。ニューホライズンより、一回り小さく見える」
そんな会話をしているディージョ達を余所に、テッドはエディに捕まっていた。
ヴァルターを交えて行われている相談は、どちらかというと驚天動地なモノだ。
「……それ、マジっすか」
「あぁ。本気だとも」
ヴァルターの素っ頓狂な言葉にエディはそう応えた。
それを聞いていたテッドも言葉を失って唖然としている。
常識的に考えて、それは人間としてやってはいけない事だった。
「裏切るのはどうかと思います」
「ウソは良くない。それは事実だ」
エディの言葉には些かの迷いも無かった。
テッド達が聞いた言葉は『シリウスへ戻る』というものだった。
「ですが、一体その理由は?」
ヴァルターも少し浮き足立って問うた。
エディは相変わらず余裕のあるフリをしているのだが……
「そうだな。一言でいえば『舐めるな』とそう言う為だ」
舐めるな……
こちらを見くびるな……と。
その言葉の真意をテッドは掴みきれない。
ただ、エディは精神の暗黒面を表に出した表情だ。
「舐めるなって、一体誰に言うんですか?」
「そりゃ決まってるさ」
ハハハと軽快に笑ったエディは、凶相の混じった笑みを浮かべた。
「我が501中隊をねじり潰そうとしている連中にさ……」
――――――――地球周回軌道上 高度800キロ
強襲降下揚陸艦ワスプ艦内
地球西暦2250年7月20日
シリウスのコロニーを出発したワスプはスイングバイで加速した。
ニューホライズンへの墜落ルートを使って一気に加速したのだ。
燃料の節約や艦内に掛かる加速度の緩和という側面もあった。
だが、一番重要なのはそこでは無い。
ニューホライズンを掠めると言う事は、地上からも見えると言う事だ。
「連中は、まさか戻ってくるとは思うまい」
「そりゃそうですが……」
抗議するかのように口を尖らせるテッド。
卑怯な振る舞いは生理的なレベルで嫌悪しているのだ。
ただ、エディはそんなテッドとヴァルターを宥めに掛かった。
「もちろん、騙すのだけが目的じゃ無い」
「では、本当の目的は……」
「参謀本部では無く、ロイエンタール卿の遺言を果たさねばならぬ」
遺言と言い切ったエディは、ニヤリと笑ってふたりを見た。
まるでキツネに摘まれたような顔をしているふたりだが、エディは静かに言う。
「いくつか訓練をしてもらう事になっている。まぁ、久しぶりの地上戦だからな」
「……地上へ降りるんですか?」
テッドが僅かに色めき立った。そんな姿にヴァルターが苦笑いを浮かべた。
地上に降りればリディアが居る。それを期待するなと言う方が無理だろう。
ただ、ニューホライズンは広く大きい。
期待して地上へ降りても、惑星の裏側辺りになってしまうかも知れない。
そう簡単に出会えるものでは無いのだし、ぬか喜びは後が辛い。
「まぁ、なんだ。とりあえずだが、ワスプは本当にグリーゼへ行く」
「……じゃぁ、どうやってシリウスへ?」
ヴァルターは僅かに首を傾げた。
そこには、疑惑を感じている追及者の眼差しがあった。
「我々だけ船を移る。ここにはシリウス側の監視団が居ないからな」
「しかし、参謀本部は?」
テッドの問いも尤もだった。
参謀本部自体から501中隊が嫌われているのは周知の事実だった。
複数のコミュニティが自集団の最大利益を追求している状態だ。
迂闊な振る舞いは間違い無く身を滅ぼすし、組織を不利にする。
慎重に慎重を重ね、熟慮の末に次の一手を打つ。
しかも、臆病なまでに慎重さを重ねてだ。
「参謀本部のお偉方は…… 上手くねじ伏せられるだろう」
「と、言うと? なにか妙案が?」
ヴァルターは首を傾げたまま、眉根を寄せて険しい表情だ。
迂闊な事をすれば間違い無く中隊単位で処分されるはずだ。
それを回避する妙案があると言うなら、先に聞いておきたいと思った。
だが……
「あぁ。それは…… まぁ、今回の極秘作戦の結果次第だな」
「極秘作戦……」
言葉を飲み込んだテッド。
ヴァルターも厳しい表情になった。
相変わらず展望デッキはワイワイと賑やかだが、テッドとヴァルターは静かだ。
押し黙ってエディが次にいう一言をジッと待っているのだが……
「小型の砲艦を宛がわれた。ハルゼーやワスプが野球場に感じられるレベルだ」
「……相当小型ですが?」
「あぁ。総クルーは250人だからな」
質問したヴァルターの言葉に、エディはあっけらかんとそう応えた。
250人などという小規模艦は、宇宙艦艇の戦列艦では最小クラスだ。
恒星間飛行が出来る船では最初単位となるものだが、それでも戦列艦だった。
「シェルを12機飲み込んだら、もう他には何も出来ないレベルだ。我々も手狭な空間で生活する事になる。だが逆に言えば、戦闘に必要な機能や性能は、一通り纏めてある。サイボーグ向けのメンテナンス設備も最低限しかない。だが……」
エディの表情には部下への信頼が溢れていた。
それこそ『大丈夫だろ?』と言わんばかりだ。
長らくというには些か短いが、それでもハルゼーで暮らした日々を思えば……
「どって事は無いと思いますが……」
ヴァルターは苦笑いだ。
エディが見せたその表情の真意に気が付いたからだ。
「一体何をするんですか?」
僅かに声音の曇ったヴァルターは、エディの真意を確かめた。
少々不気味すぎると思ったのだ。
「どうせ戻るなら、ニューホライズンを離れた理由は……」
テッドもそんな言葉で遠回しに抗議した。
当人達にしてみれば、全く無駄な事だと思ったのだ。
「理由は幾つかあるが――
エディは両手を広げてジェスチャーを見せた
――ニューホライズンから地球まで、往復でどれくらい掛かる?」
エディの言葉にテッドとヴァルターは顔を見合わせた。
その意図を理解したからだ。
「ざっくり言えば半年ですね」
「その間に連中が何か事を起こしているかも」
テッドとヴァルターが順番にそう応えると、満足そうにエディは首肯した。
そして、一度目を伏せてから、仄暗い悪意の混じった笑みを見せた。
「おまけに、連中の緊張も緩む頃……ってことだ。地球からシリウスまでの最も早い通信手段は、直接船で行くしか無い。シリウスからやって来た監視団は我々がワスプに乗ってグリーゼへと旅立つのを見届ける事になる」
エディの指さした先には、シリウス船籍となった超光速船がいた。
真っ赤なバラを側面に大書きしたその船は、公式には地球への使節団だ。
連邦派と国連派に別れる地球だが、国連派はシリウス政府と接触し続けている。
その中で非公式に代表団をやり取りする事もあるのだ。
地球の中の連邦派にとって501中隊が邪魔なのは言うまでも無い。
相当高い権力層の間では、エディの正体も既に把握している筈だ。
その上で泳がされている部分があるのを全員が気が付いている。
シリウス人民を管理する側にしてみれば、希望を持って活動される方が良い。
活発に動けば摘発もしやすいし、また、見せしめの刑罰も効果がある。
「あの連中は数日後、ニューホライズンへと帰る。それに同行する算段だ」
エディの説明に頷いたエディとヴァルター。
そのふたりを見ながらエディは続けた。
「シリウスへと帰ったら、先ずはシミュレーターでいくつか訓練する。その上で、ちょっと厳しい局面での戦闘を行う。久しぶりにシェル以外での戦闘だ。実際にアクションするのだから、状況を楽しもう」
何とも嫌な言い回しで戦闘を歓迎したエディ。
それがブリテン人特有の自虐的なジョークだと、テッドはやっと気が付いた。
「……そうですね」
苦笑いを浮かべて、肯定する事も忘れなかった。




