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黒い炎  作者: 陸奥守
第七章 交差する思惑・踏みにじられる感情
191/425

別れの時

今日2話目です

~承前






「……リディ」


 フィットの妻ライカはゆっくりと振り返った。

 その姿はまるで、泣きじゃくる娘を心配する母親だ。

 安心させようと抱き寄せる母親ように、ライカはリディアを抱きしめた。

 それはまるで、実の母娘にも見える光景だった。


 ――リディア……


 テッドも心配げにそれを見ていた。

 ライカの腕の中に居たリディアは、母親の胸に納まった娘の様に泣いた。

 しゃくって泣くリディアの姿に兵卒たちは言葉を失っていた。


 そして、誰ともなく『少尉の奥さんだ……』と囁いた。


 テッドとリディアの関係は、連邦軍の船乗りの間ではそれなりに有名だ。

 そして、幾度も地球との間を往復して、その精神を癒す為の努力した夫も。

 おしどり夫婦とは言うが、敵味方に別れてなお危険を顧みずテッドは奔走した。


 ……実際に奔走したのはエディやバーニーなのだが。


 ――――頑張ったけど成功しなかったとき

 ――――手に入れた物がいらない物ばかりだったとき

 ――――疲れ果ててるけど不安で眠れないとき

 ――――全然前に進めないときってあるよね


 テッドは静かにギターを奏で、歌いだした。

 シリウスの地上で昔から歌い継がれてきた歌だ。


 特定の宗教色を排し、多くの人種や民族の為に歌われる曲。

 共同墓地へ埋葬した後、誰ともなく歌いだして、みなで歌う曲。

 頑張っても頑張っても報われないシリウスの地上で、慰めあう曲だった。


 ――――君の頬を涙が流れて行く

 ――――かけがえの無い存在を失ったときや

 ――――どんなに恋焦がれても報われないとき

 ――――これ以上悪いことなんてあるのかって思うとき

 ――――そんなのきっと無いよね


 その歌を知る者は、自然に天井を見上げた。

 見えないとわかっていて、それでも空を探すのだ。


 報われない自分たちが挫けて潰れないように。

 無理やり上を向いて、涙を堪える歌だ。


 ――――シリウスの光が導いてくれるよ

 ――――青い光が家まで導いてくれるんだよ

 ――――あの光は僕の事も照らしてくれて……

 ――――そして僕は君の隣にいるよ


 一日の仕事が終わり、夕食前の僅かな時間の話だ。

 疲れた身体を引き摺って、野辺に倒れた友を埋葬する。


 それが父親か母親か、それとも兄弟姉妹か。

 或いは、育たずに若くして死んだ子供たちか。


 シリウスの地上は、生きて行くだけで大変な場所だ。

 そんな所で生まれ育てば、自然と団結を覚えるものだった。

 その心を歌う澄んだメロディは、優しくて、暖かくて、奇麗だった。


 ――――喜んだり悲しんだりと忙しい

 ――――恋をして結ばれて大地に根を下ろして

 ――――それが絶対幸せだなんて幻想なんだよ

 ――――だけどそれを乗り越えないと分からないよ

 ――――自分がどれだけ出来るのかなんて

 ――――ただただ頑張って前に進むだけだよ


 テッドの奏でるギターの音が少し大きくなった。

 コードが変わり、僅かに転調した。

 かつてテッドの父が良く歌っていたものだ。


 そして、テッド自身が泣きながら。

 リディアと一緒に泣きながら。

 父親を埋葬したときを思い出した……


 ――――君の頬を涙が流れて行く

 ――――かけがえの無い存在を失ったときや

 ――――どんなに恋焦がれても報われないとき

 ――――これ以上悪いことなんてあるのかって思うとき

 ――――そんなのきっと無いよね


 顔を上げたテッドはリディアを見た。

 ライカだけでなく、フィットやバーニーや、多くの仲間に囲まれていた。


 みなに肩を抱かれ抱き締められ、そして震えていた。

 何処までも透明な、澄んだ涙が頬を伝って落ちた。


 ――――シリウスの光が導いてくれるよ

 ――――青い光が家まで導いてくれるんだよ

 ――――あの光は僕の事も照らしてくれて……

 ――――そして僕は君の隣にいるよ


 テッドは真っ直ぐにリディアを見ていた。

 今すぐに駆け出して、その肩を抱き締めたくなる衝動に駆られた。


 痛い目にあって、それだけは絶対ダメだと分かっているのに。


 今すぐに……

 すぐに……


 ――――君の頬を涙が流れて行く

 ――――かけがえの無い存在を失ったとき

 ――――君の頬を涙が流れて行く

 ――――そして僕は……


 メロディを奏でながら、テッドはその先を歌えなかった。


 一緒に歩いていくよ……と、そう続く筈の歌詞を歌えなかった。

 間奏を奏でながら奥歯をグッと噛み締めていた。


 リディアを見ながら……


 ――よし……


 もう一度挑戦だとコードを変えた。

 ギターは歌い続けていた。


 ――――君の頬を涙が流れて行く

 ――――かけがえの無い存在を失ったとき

 ――――君の頬を涙が流れて行く

 ――――そして僕は……


 やっぱり声が出なかった。

 どうしても歌えなかった。

 無理だと思った。


 ――――君の頬を涙が流れて行く

 ――――僕は約束するよ

 ――――過ちの中から学んでいくと

 ――――失敗は繰り返さないと

 ――――君の頬を涙が流れて行く

 ――――そして僕は……


 泣けない自分が惨めだった。

 涙を流せるのが羨ましいと思った。

 歌を聴いていた地球人ですらも泣き出している。


 愛する人のそばに居られない悲しみ。

 望みが叶えられない辛さ。

 願いが届かない苦しさ。


 恋が実らない虚しさ。

 愛を届けられない辛さ……


 ――――シリウスの光が家まで導いてくれるよ

 ――――その青い光が君を照らしてくれるよ

 ――――そして僕は……

 ――――君の隣にいるよ


 一足早くこの世を去った者からのメッセージ。

 肉親を失った者を慰める為のメロディ。


 テッドがそれを歌いきったとき、自然発生的に拍手が沸いた。

 十重二十重に囲んでいた者達から沸き起こった雷鳴の様な拍手。

 ただ、テッドは逃げるようにその場を立ち去った。


 ――クソッ!


 これ以上リディアを見ていられなかった。

 あの泣き顔をみていたら、どうしても自分を止められなくなると思ったのだ。

 逃げる様に無我夢中で走り、気がつけばブリッジ下の展望デッキに居た。


 遥か彼方にシリウスが見えるところだ。

 青い光が降り注いでいた。


 ――シリウスよ……


 テッドの身体を青白く光らせながら、シリウスは気高く輝いていた。

 今までこんな気持ちになった事は一度も無かった。

 だが今は心の底から、一辺の疑念も無く本気で思う。


 ――シリウスの光よ……

 ――リディアを家まで導け……


 誰もいない展望デッキにテッドは立ち尽くした。

 今すぐにでも駆けて行ってリディアを抱き締めたいのだが……


「ここにいたのか」


 展望デッキの中に響いた声はエディだった。

 驚いて振り返ったテッドは、エディの隣にバーニー少佐を見つけた。

 そして……


「テッド君。もうちょっと上手くやりなさい」


 そう嗜めたバーニーの隣にはリディアが居た。

 泣きはらしたような目をしていた。


「リディア!」

「ジョニー!」


 走り寄ったリディアをテッドは力一杯に抱きしめた。

 誰も見ていない状況なのだから、遠慮する事はなかった。


「ごめんな。ごめんな。ほんと……」

「いいの…… 私が悪かったの……」

「俺が迂闊だったんだ」


 もう一度力一杯抱きしめたテッドは、リディアに頬を寄せた。

 その温もりを感じながら、テッドは言った。


「なぁリディア」

「うん……」

「もし…… もしさ……」

「……うん」

「また同じような目にあった時は…… 遠慮なく俺を売れ」

「え?」

「気に病まなくて良いから。生き残る為に何でもやってくれ」

「……ジョニー」

「今回良く分かったんだ。俺は…… 俺たちは……」


 リディアはテッドの胸の上でテッドを見上げた。

 今にも泣き出しそうな顔のテッドは、リディアをジッと見ていた。


「俺たちは簡単に死ねそうに無い」

「そうだね……」

「死んだ方が楽だって時が何度もあったけど」

「私もあった。このまま死んだ方が楽だって時が」

「だけどさ。痛みも苦しみも辛さも、もう嫌だろ?」

「うん……」

「だから……」

「大丈夫。テッドとリディアのために私が頑張るから」


 ――えっ?


 驚いてリディアをジッと見たテッド。

 その眼差しの先には、リディアではなくソフィアが居た。


「ソフィア」

「痛いのも苦しいのも私の担当だよ」

「だけど」

「良いのさ。ただ、テッドが居ない辛さだけは代わってやれないから」

「……ソフィアも俺が好きなんだろ?」

「なっ……」


 言葉に詰まったソフィアは不意にそっぽを向いて舌打ちした。

 あの、きつい性格のソフィアそのモノだった。

 だが……


「リディアが泣くと私も辛いから」

「あぁ…… そうだな」

「必ず生きて帰ってきて」

「必ず帰って来るよ。リディアとソフィアのところに」

「……ばか」


 一言呟いてからソフィアがフッと消えた。

 顔が変わってリディアが出てきた。


「いま、ソフィアが喋ってるよ」

「なんて?」

「女たらしって」

「参ったな」


 肩を震わせて笑ったテッド。リディアも笑った。

 あっという間の時間が過ぎ、テッドは時計を恨んだ。


「……時間だ」

「セレモニーだね」

「行って来るよ」

「気をつけて……」

「あぁ」


 名残惜しいが、テッドはその腕を解いた。

 ゆっくりと離れたリディアはクルリと背を向けて歩いた。


 逡巡しながら、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり。

 迷う様に歩くリディアの後ろ姿は驚く程に頼りなかった。


 ――ッ!


 テッドは後ろから駆け寄って抱き締めたくなった。

 だが、ここで断ち切らねばならない。

 いつまでも同じ事は続けられない。


 テッドの表情が引きつる。

 そして……


『堪えろ、テッド』


 エディはそれを叱りつけた。

 テッドは頷くばかりだった。


『いつだったか言ったはずだ』


 無線の中に言葉をのせてエディはテッドを叱った。


『耐えに耐えて時を待つのも恋の至極だ』

『……はい』

『お前なら出来るさ』


 バーニーの元まで歩いたリディアは、並んで部屋を出て行った。

 ただ、不思議と『また会える』という確信があった。


 ――どうか……

 ――元気で……


 展望デッキに立ち尽くし、テッドはただただ震えていた。





 それから小一時間ほどのセレモニーが始まった。

 ヘカトンケイルは『子らよ。無事な帰りを祈る』とスピーチした。

 ただ、それ以外は何がなんだか、テッドは覚えていない。


 セレモニーの間も、ずっとリディアを見ていた。

 残りわずかな時間を浪費するのがもったいなかった。


 ――必ず……

 ――必ず帰って来る!


 テッドはそう決意した。

 今までのどんな決断よりも純粋で深い決断だ。

 己の魂に信念を刻む様に、テッドはそれを覚悟した。


 グリーゼがどんな所だかは全く分からない。

 ただ、課題をこなし、任務を果たし、一定の居場所を軍の中に作りたくなった。


 ――リディア……

 ――どうか……

 ――無事で……


 テッドは純粋な祈りを捧げていた。

 そして、祈りながら、テッドは震え続けた。

 余りに過酷な、自らの運命を呪いながら……




 第七章 交差する思惑・踏みにじられる感情


        ―了―


 第八章 遠き旅路の果てに  へ続く

35話の筈で書いてあった第七章ですが、あれもこれもと付け加えているウチに42話になってしまいました。

とりあえずコレで序破急の破が終わりです。第八章、九章、十章で終わる予定です。

もう少しお付き合いください。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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