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黒い炎  作者: 陸奥守
第七章 交差する思惑・踏みにじられる感情
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奇跡の技

~承前






 ――マジかよ……


 グッと両手を握りしめたテッドは、奥歯を噛みしめた。

 テッドはいま、ナイルにあるシリウス軍施設の中に居た。

 それほど広くない部屋の中心部にクロス・ボーンが寝かされている。

 シェルの手からむしり取られた際、頭部保護気密膜が破れたらしいのだが……


「バーニー これは少しばかり残念な事態だ」

「……申し訳ありません」


 バーニー少佐を叱責するフィット・ノアは、クロス・ボーンを診察していた。

 全身の毛細血管が窒素の空気血栓に塞がれ危険な状態だ。


 チラリとエディを見たテッドは、エディの表情に押さえがたい笑みを見つけた。

 それは、また一人目標を消し去ったという満足だった。


『……エディ』

『黙って見ていろ』

『……いや』


 チラリとテッドを見たエディ。

 その目が完全に笑っている状態だった。


『……嬉しそうですね』

『そんな事無いぞ?』


 声まで弾んでいるのをエディ自身が気が付いて居なかった。

 ただ、エディのそんな姿に、テッドは何故か安堵を覚えた。


 どこか完璧すぎる人間だと思っていた。

 間違いを犯さず、着実に成功の道を歩む存在。

 目標に向かって必ず最短手を選び、目的を果たす存在。


 そんなエディにも感情を露わにするシーンがあったのだ。


「無理だな……」


 フィット・ノアはそう呟いた。

 全身痙攣に襲われているクロス・ボーンは虚ろな目で天井を見ていた。

 一度は失神したクロスだったが、フィット・ノアはそれを叩き起こしていたのだ。


「何とかなりませんか!」

「この方は人民の英雄です!」


 シリウス船の中に居た委員会派の人間達がフィット・ノアに食い下がる。

 だが、そのフィットは片膝を付きクロスの身体を撫でた。

 腕の表面部分がごっそりと剥がれ落ち、凍り付いた内部が露わになった。


「真空中で体水分が蒸発し、気化冷却によって凍り付いたものだ」


 元宇宙飛行士だけあって真空中における生理学はお手の物だ。

 力無く首を振り、手の施しようが無いとフィットは言った。


「あぁ! 偉大なる空に輝くシリウスの化身にして国家安寧の根幹たる方よ!」


 委員会派の者達はオーバーな言い回しで嘆き悲しんでいるらしい。

 その言葉の言い回しが随分と芝居がかっているとテッドは思うのだが。


 ――こいつらの頭の中は脳味噌じゃなくて泥でも入ってるな……


 呆れ果ててそれ以上の言葉が無かった。

 もはやどうしようも無いところまで来ている状態だった。

 それでも()()()()()という()()()()()なのだろう。

 このままニューホライズンへと帰れば、間違い無く粛正される可能性が高い。


「何とかなりませぬか!」

「どうか慈悲を!」

「お願いいたします!」


 その言葉は間違い無く自分たちの為のモノだ。

 この際、クロス・ボーンの生死は問わないのだろう。


「……死の影は色濃く、運命は変えられないのだ」

「ですが!」

「ならば……」


 テッドは不思議そうに眺めるだけだったが、エディはニヤニヤと笑っていた。

 もはや笑いを堪える事すらしなくなっていた。


『テッド』

『はい?』

『よく見ておけ』

『……なんですか?』

『ちょっとした…… マジック(手品)さ』

マジック(魔法)?』


 驚いてもう一度目を見開いたテッド。

 クロスを前にしたフィットは懐から小さな黒いポーチを取り出した。

 そのポーチの中には注射針の付いた注射器が入っていた。


「あまり気乗りはしないが……」


 フィットはその注射器を自らの手首へと突き刺し、ピストンを後退させた。

 シリンダーの中に貯まっていくのは、青い液体だった。


 ――え?


 驚きのあまり言葉が無いテッド。

 その視線の先、フィットはクロスの首筋へ注射器を射しピストンを押し込んだ。

 青い液体が静かに流れ込み、やがて全てが体内へと収まった。


「キャサリン。こっちへ来なさい」


 フィットは手招きしてキャサリンを呼ぶ。

 その声に反応したキャサリンは、無表情のままフィットの隣に立った。


「そなたの体液も少し使わせて貰うよ」


 キャサリンは静かに首肯する。

 その腰部へ注射器を押し立てたフィットは、ピストンを後ろ一杯まで下げた。

 推定で100ccはあろうかという青い体液が抜き取られた。


「この中に大量のマイクロマシンが入っている。これで治れば良いが……」


 殊更深刻そうに呟いたフィットは、その全てをクロスの体内へ注入した。

 ややあって段々と痙攣が治まり始め、自立呼吸が再開しつつあった。


「おぉ!」

「神の御技だ!」

「奇蹟だ!」


 ワイワイと喜びの声を上げる取り巻き達を余所に、フィットは静かに立ち上がってリディアを見た。真空中へ晒されたリディアを心配しているらしいのだが……


「そなたは平気か?」

「はい」

「ならば良い」


 バーニーの近くに立っているリディアは、いつの間にかシリウス軍の士官服だ。

 捕虜の引き渡しが行われ、立場が変わったのだろう。


「テッド・マーキュリー君」


 突然名前を呼ばれたテッドは、びくりと反応して『はい』と答えた。

 フィットは意に介す事無くテッドへと歩み寄る。

 だが、テッドから見ればそれは巨人の接近だった。


「先には君をジョニー君と呼んでしまい申し訳無い。以後気をつけるので容赦して貰いたい」

「いえ……」


 それは、気持ち悪いほどに腰の低い人間だ。

 テッドは正直にそう思った。


 だが、人を束ね多くの信頼を集める者は、そう言う傾向が強いのだろう

 ましてやヘカトンケイルともなれば、シリウス30億の頂点だ。

 その肩書きに必要な振る舞いは、丁寧で優雅なモノなのかも知れない。


「君の細君の件について、我々の手が及ばなかった事は率直にお詫びする」

「……とんでもありません。それはもう済んだ事ですから」


 不思議とテッドの中には何のわだかまりも無かった。

 我慢しがたきを我慢したテッドは、やはり少しだけ大人になっていた。


「地球まで飛び、治療を施したと言う話は直接聞いた。そなたの細君の中にあるもう一つの女性人格は完全に統合された。ただ、時々は顔を見せるかも知れぬ。だがそれは主人格を補佐するモノだ。心配しないで欲しい」


 小さな声で『はい』と答えたテッドは、首肯しつつも俯いた。

 実質的には半年程度にも満たない間だったが、夢の終わりが来たのだと知った。


「君と細君の間にある河は、大きく果てしないモノだ。だが、それを乗り越える方法はある」


 怪訝な表情になったテッドはジッとフィット・ノアを見た。

 無表情ながらも柔和なフィットは、一つ息を吐いて静かに言った。


「シリウスへ来ないかね。君を歓迎する」

「……はぁ?」

「細君と共に、私の麾下に収まって欲しい」


 それは事実上の亡命勧誘だ。

 さしものテッドも沈黙の時が長く続いた。

 ここが人生の勝負だと気が付いたのだ。


 だが……


「私は地球連邦軍の士官で、そして、こちらの――


 テッドは横目でエディを見た


 エディ・マーキュリーの息子です」


 力強い口調でそう言ったテッドの表情は晴れやかだった。

 遂に言ってしまったと、そんな晴れがましい程の笑みがあった。


「義父をおいてシリウスへは転べません」

「そうか」

「もし、ヘカトンケイルがもっとシリウス人民に近かったなら……」


 きっぱりと言い放ったテッドは、一つ間をおいてフィット・ノアを見た。

 強い批判の言葉が漏れているのだが、シリウス側も誰一人として騒がなかった。


「……或いは最初からシリウス軍に居たかも知れませんが」

「そうだな。君の言うとおりだ」

「もし、私を手下にしてくださるというなら、妻をお願いします」


 首を回してリディアを見つめたテッド。

 そのリディアもまた、晴れがましくも諦めた様な表情だった。


「わかった。私では無くレオの元へ送り込もう」

「よろしくお願いします」

「君の細君の件は私の責任で処置をする。だから、私の願いを聞いてくれるかね」

「……私の手に余らぬ範囲であれば」


 テッドは緊張しつつも教科書通りの回答を行った。

 手に余す願いは最初から受けないのが良い。

 冷徹だが、現実だ。


()()()()()()()()が無事にシリウスへ帰れるよう――


 その言葉を聞いた時、テッドの背筋をゾクリとした寒気が走った。

 寒気と言うより電撃だった。衝撃的な言葉に、テッドは目を見開いた。


 ――無事に帰ってこれるよう、どうか護ってやって欲しい。いつの日か、シリウスの王として帰還出来る日の為に……」


 フィット・ノアの率直な声にテッドは一歩下がってしまった。

 そして、背筋を伸ばし、天井を見上げて敬礼した。


「テッド・マーキュリー少尉。確かに承りました!」

「どうかよろしく頼む」


 テッドの振る舞いに満足げな首肯を返したフィット。

 だが、次の瞬間にはガクリと膝を付いて崩れた。

 わき上がる悲鳴と叫び声の中、一番近くに居たテッドはその背中を支えた。


「大丈夫だ。大丈夫だ。少し力を使いすぎただけだ」


 テッドやエディがその背中を抱え、近くのストレッチャーへと乗せた。

 その上に居るフィットはテッドを呼んだ。


「私は少し眠る。その間に姉と話をしたまえ」

「……やはり意識共鳴が?」

「そうだ。脳共鳴を起こしてしまっている。本当に申し訳無い」


 フィットはキャサリンを呼んだ。

 近くに歩み寄ったキャサリンは、フィットの枕元に立って辺りを見た。


「キャサリン。しばらく頼むよ」


 そう言うが早いか、フィットの意識はストンと落ちた。

 完全に眠ってしまったらしいその脇で、無表情なキャサリンの顔が変わった。

 不意に辺りをキョロキョロと見回し、不思議そうにテッドを見ていた。


「……テッド?」

「あっ…… 姉貴?」

「ここ何処?」

「コロニーの中だ」

「ちょっと待って」


 ロボットの様な姿のキャサリンは頭に手を当てて考え込んでいる。

 小さな声で『うーん』と呟きながら、10秒か15秒ほど考えていた。


「そうか。そう言う事か」

「どういう事なんだ?」

「要するにね」


 キャサリンは自らの頭を指さした。そして、顔の部分を左右から押しこんだ。

 カパリと音を立ててカバーが外れたのだが……


「いまの私はこれだけよ」


 カバーが外れた下には、青いゲル状の中に浮かぶ脳が見えた。

 そこには夥しい数の細い線が見えている。それは、マイクロマシンの線だ。


「フィット様が眠っている時だけ私は自分の意識を取り戻せるの」

「じゃぁ……」

「細かい事は解らない。ただね」


 キャサリンが指さした脳は、前半分程度がすっぽりと無かった。

 見事に切り取られた断面が見えていた。


「ここに有った部分はフィット様がくれたマイクロマシンによって置き換えられているの。脳細胞の再生は角砂糖一個程度が再生するのに一月掛かるんですって」


 カバーを戻したキャサリンは、無表情な顔のパーツに笑みを浮かべた。

 機械のようにも見え、そして人形のようにも見える。


「いまの私はフィット様の人形よ」

「姉貴……」

「でも、それで十分だわ。それに、フィット様が起きている時は、私は寝てるの」


 あっけらかんと笑ったキャサリンだが、そこにリディアがやってきた。

 両目一杯に涙を浮かべて、辛そうな表情でだ。


「ねぇさん……」

「リディアも良くなったみたいね」

「ごめんなさい…… ごめん…… 私の為に」

「いーのよ! いいの。だって、シリウス人でこんな経験できるのなんて」


 ニンマリと笑ったキャサリンはリディアを抱き寄せた。

 その身体はまさに青いスライムだった。透明ケースの中に入ったスライムだ。


「手立ては分からないけど、徐々に身体が再生されていくはずよ。時間は掛かるだろうけどね。でも、弟はサイボーグだし、その相方はレプリカントでしょ。なら、私はこれでバランス取れるじゃない」


 話しを聞いていた全員が『なにがだよ!』と突っ込みを入れそうになるのだが。


「とにかくね。いまはコレで充分。だって、レプリの身体は定期的に乗り換えする様でしょ? だけどコレなら当面そのまんまで行けるじゃない!」


 とにかく明るいキャサリンは、朗らかに笑った。

 ただ、その笑いが気を使った無理な笑いだとテッドは知っていた。

 キャサリンは昔からそう言う女だった……


「ところで、なんでこんなに疲れてるんだ?」

「あぁ、それね」


 リディアは一部始終を見ていたらしい。

 まず、展望デッキの緊急避難ボックスへ逃げたフレネル・マッケンジーを救出したのだが、そのマッケンジー少将は急激な減圧で身体中に窒素血栓が発生している状態だった。フィット・ノアはそのマッケンジーの頭に触れ、傷よ癒えよと唱えたのだという。


「それでマッケンジー少将は一瞬で頭だけは良くなったんだけど、身体中に血栓が残ってる状態で、かなり危なかったみたいね。フィット様はそんな身体にも手を触れて、傷を癒やされたのよ。だけど」


 リディアの目は振り返ってクロスに注がれた。

 その眼差しはまるで道ばたに落ちている犬の糞でも見る様なものだ。


「アレをバーニーが連れ帰った時、もう完全に死んでたみたいで、むしろそのまま殺してやった方が良かったと思うんだけど、フィット様はアイツも癒やそうとされたの。自らの生命を分け与えるって奇跡の業よ」


 ポカンとした顔のテッドは、口を半開きにして笑っていた。

 理解出来ねぇと言わんばかりの表情だが……


「しかしまぁ……」


 何かを言いかけたテッドの脇へエディが立った。

 優しい眼差しでキャサリンを見ていた。


「君のマイクロマシンも電波の影響を受けているのかい?」

「どうでしょうか。私には分かりません。ただ……」


 わずかに首を傾げたキャサリンは言う。


「フィット様が発してられる生命の微弱電波に影響は受けていますね」

「だろうな」


 うーんと考え込んだエディは、ややあってリディアを見た。


「リディア。すまないが、君にまた試練の様だ」

「また……ですか?」

「あぁ。スマンがしばらくテッドと会えんな」

「……そうですか」


 見るからに落ち込んだ表情のリディアに、エディは肩をすぼめて言う。


「少し手をマズッたようだ。ちょっと罰ゲームになる」

「と…… いうと?」


 少しばかり裏返った声でエディに内情を尋ねたテッド。

 エディは沈んだ表情でテッドに言った。


「すこしばかり長い旅に出るかも知れんな……

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