ヘカトンケイルと独立闘争委員会と裏切り者
~承前
展望デッキに入ってきた男は、驚く程の長身だった。
全身を純白の衣装で包み、胸には赤い薔薇のコサージを付けていた。
フィット・ノア元宇宙飛行士。
ヘカトンケイルのひとり。始まりの8人の一人。
既に100年以上を生きる、不老不死の存在。
今はシリウスの象徴としてセントゼロに暮らす存在の一人だ。
「お初にお目に掛かる。手前は『ブロッフォ提督ですな』
スッと歩み出たフィット・ノアは静かに手を差し出した。
その手を取ったブロッフォ提督は、一瞬だけ驚きの表情を浮かべた。
「シリウスの子等に、どうか寛大な処置を願いたい」
穏やかなその言葉にテッドは改めて驚く。
実際の話として、ヘカトンケイルはもっと恐ろしい存在だと思っていた。
ギリシャ神話に登場するヘカトンケイルは、100の目と手を持つ化け物だ。
だが、いま目の前に居るこの男は、物静かで知的な存在に見えた。
とてもじゃないが、地球と戦うシリウス軍の頂点と言った存在では無い。
むしろ、シリウス人民に寄り添い、その発展を優しく見守る存在だ。
多くの人民の平和と安寧と健康を祈り、自らの手駒を使って導く者達。
一番最初にシリウスへ残り、その文明の礎を築いた8人の中の一人だった。
――神話の中の人物って訳か……
率直にそう思っただけのテッドだが、無意識に神と同一視している状態だ。
そして、それに何ら違和感を持っていないとも言えるのだが……
「実際、我々も戦争は望んでは居ない。ただ……」
人を圧するオーラを放つフィットに対し、ブロッフォは互角に渡り合っていた。
一瞬でも油断すれば心を折られてしまう様な威圧感だとテッドは思った。
だが、ブロッフォは涼しい顔で穏やかに話をしていた。
――ロイエンタール伯の存在理由ってコレか……
長らくシリウス派遣軍の頂点にあった老将軍の存在意義について気が付く。
だが、その存在が失われた以上、次点としてこの提督に重責が引き継がれる。
「此度は、本来我々が保護せねばならぬ娘の事で手を煩わせたらしい」
フィットの目が優しくリディアを見た。
そして、柔らかに微笑んだ。
「そなたの希望通り、姉を連れて参った。ただ……」
微笑んでいたフィットの表情に影が混じる。
そして同時に、展望デッキのドアが再び開いた。
――何の音だ?
一瞬だけ訝しがるテッド。
ふと横を見れば、リディアも首を傾げている。
それは、水風船がはねる様な、トプンッ!と音を立てるものだ。
テッドはハッと気が付く。
姉キャサリンは、全身の細胞がゲル化しているらしい……と。
と言う事は……
テッドの脳裏に巨大なスライム状の塊が浮かび上がった。
そのゲルの中に脳が浮いているだけの姉キャサリン。
テッドはきつく目を瞑って視界を閉ざした。
見たくは無かった。
だが……
「ねぇさん……」
リディアがボソリと呟き、室内に姉が入ってきた事をテッドは知った。
そして、意を決し顔を上げ目を開いた。そこにはロボットが立っていた。
「……………………えっ」
何かを言おうとしたテッドは、ただただ口をパクパクとさせるだけだった。
リディアはリディアで口元を手で押さえ、溢れる涙を止める事が出来なかった。
2人の目の前に居るキャサリンは、見事なまでに無表情な状態だ。
その顔こそ昔のままだが、白銀に輝く長い髪は腰の辺りまで揺れていた。
遠めには薄青に見えたその身体は、透明なパイプに納まる青いゲルだった。
そして、そのパイプの中心部には、基礎骨格となる金属製の骨が見えていた。
「……姉貴」
静かな声で呼びかけたテッドだが、キャサリンは反応を示さなかった。
数歩前に立っている男の背中を見つめたまま、黙っていた。
「そなたが…… ジョニー・ガーランド君かね」
「はっ はい」
「そなたの姉の身体を治したかったのだが……」
辛そうに表情をゆがめたノアは、沈痛な溜息を吐いて呟いた。
ただ、その声は、柔らかくて優しくて、そして、温かかった。
「失われた器官を再生する事は出来なかった」
「そっ そうですか」
「脳は前頭葉の大半が切除されていた。その全ては彼の仕業なのだが」
僅かに手を上げて指し示した先。
ぴっちりとした黒い衣装に身を包み、忸怩たる表情を浮かべ怒りに爆発しそうな姿の男がいた。最後に室内へ入ってきたクロス・ボーンが立っていたのだ。
「私は無実だ! 私はやってない! 私は『お黙りなさい』
ヘカトンケイルの発した言葉にクロスがビクリと反応する。
その言葉は容赦なくクロスボーンを打ち据えた。
「己の欲望で他人を不幸にさせてはならぬ」
「欲望などではない!」
「結果は同じだ」
フィットノアは静かな声でクロスを叱責し続けた。
その言葉は聞いている者達に怒りを呼び起こすものだった。
「そなたがこちらの娘の脳を切り落としたのは事実であろう」
「錯乱し獣のようになった娘に安寧をもたらしたであろう!」
クロスの発した言葉に対し、恐るべき眼力でフィットは睨み付けた。
その眼差しには『ギロリ』と効果音が付きそうなほどだ。
「安寧ではなく人格を失わせただけだ!」
全員が驚くほどの大音声で言った。
穏やかで優雅な空気は一瞬にして消え失せた。
全身にピリピリと電気が走る様な怒りが室内を埋め尽くした。
「その証拠に見ろ。これはお前がやった結果であろう!」
全員が驚くなか、キャサリンは全く自律的な反応を示していない。
それはまるで、言われたとおりに動く人形の様だった。
「緩慢に滅びるシリウスを救う為だ!」
「寝言を言うでない。滅びるのでは無く、お前達が滅ぼそうとしているのだ」
「滅ぼそうとしているのは地球ではないか!」
「力による抵抗は何も生み出さぬ」
「傲慢な地球人による独善的支配を容認し続けた裏切り者め」
「だが、戦による死者は生み出さなかった。何より、着実に発展していた」
怒りを噛み殺した様な姿のクロスは、表情を醜く歪ませて言った。
「シリウスを虐げてきたのはヘカトンケイルとか言う独裁集団だ!」
「我々は政治にタッチしていない。した事も無い」
「やかましいわ! 結果が出てないのは一緒だろう!」
忌々しげに言葉を荒げるクロスは、床を踏みならして怒りを露わにした。
ただ、その姿はあまりにも精神的に幼いものだった。
思う様にならぬと駄々をこねる子供レベルだ。
「私を否定するな! 我々を否定するな! 誰よりも努力してきたんだ!」
クロスは今にも床に寝転がって、ジタバタと暴れ出しそうに錯乱している。
その姿は完全に『子供』そのものだった。
「どれほど努力したと思っているんだ! 少しくらい報われたって良いだろ!」
あまりに身勝手な言い分にテッドは唖然として言葉を失った。独立闘争委員会の面々がどういう存在かは知らないが、コレを見れば見当が付くというモノだ。
「……痴話喧嘩は後にしてくれないかね。ガキの使いで来たんじゃ無いんだ」
フィットとクロスの口げんかに割って入ったリチャード・グォウェイは、双方を見てから言った。その口ぶりはクロスと同等かそれ以上に横柄なモノだった。
「捕虜は引き渡す。その上で、そちらが好きにしてくれば良い。我々には関係無い事だ。どんな形にせよシリウス開拓を行ってきた投資を回収せねばならない」
冷徹に言ったグォウェイは、傲岸な仕草でリディアに『行け』と指示を出した。
その振る舞いがあまりに軽率なものだったので、瞬間的にテッドが沸騰する。
だが……
「それは…… なんだね?」
特に感情の起伏も無く、リディアは一歩前へ歩み出そうとして止まった。
あまりに不機嫌な様子の言葉が出たのだ。
「あぁ。ミセス・マーキュリー。貴官は行かなくて良い」
ブロッフォ提督はリディアの動きを制し、ジッとグォウェイを見た。
何処までも見下す様な、醒めた目でだ。
「それでは約定を違える事になり私の立場が無い。話に割り込まないでい――
どこか不機嫌そうに声を荒げたグォウェイがなにかを言いかけた時、ブロッフォ提督が小脇に抱えていたステッキを持ちかえ、グォウェイを殴打した。
「私は地球連邦軍のシリウス派遣軍内部では最上階級だが?」
提督と呼ばれるポジションには上級大将という肩書きは無い。
ただし、先任提督として最も高階級で有る事は確かだ。
「おぃ小僧。お前さんは何か勘違いしとらんかね」
渋い声音でそう言ったブロッフォ提督は、返す刀でもう一度殴打した。
「君の立場が悪くなろうが更迭されようが、そんな事はどうだって良いんだ。いま最も大事なのは、こちらのシリウス軍士官である捕虜を安全に引き渡し、併せてその名誉を守り保つ事によって、地球連邦軍の名誉を守る事だ」
どうなんだ?と言わんばかりに見下しているブロッフォは、グォウェイの血が付いたステッキの先端を、本人の外套で拭き取った。そして、さも『汚らしい』と言わんばかりに手で払いのけた。
「それとも何かね」
ステッキを小脇へと抱えた提督は、これ以上無い傲岸な顔で言った。
「とっとと終わらせないと、どこかから苦情でも来るのかね?」
「馬鹿な事を言うな!」
「君は連邦軍憲章を知らんと見えるな。それとも、金儲けに忙しくて忘れたかね」
「ふざけるな! 私は、こんな下らない事で躓くわけにはいかないんだ!」
――あぁ……
テッドは悟った。
この男もクロスと大して変わらないと。
「躓いてしまっては支障が出るんだろう? いったいいくら貰ってるんだね」
「……そっ そんな事は……」
「いやいや、隠さんでも良い。地球連邦軍の中にもシリウス軍と内通している者が居るのは周知の事実だ」
ブロッフォ提督のステッキがリディアを指した。
「そちらの夫人が公開した手記には、名前こそ書かれていないが、独立闘争委員会のメンバーがハッキリと個人名を挙げたとある。そうだね?」
確認を求める提督の声に、リディアはゆっくりと頷いた。
そして、その目がジッとクロス・ボーンを見た。
「あちらのクロス・ボーン大佐がハッキリ言いましたので」
「ほぉ…… それは興味深いな。ここで開陳してくれんかね」
「……私もシリウス軍の端くれですので、キチンとした形で無ければ」
「では、略式と言う事でどうじゃ。将官級が2名も居れば十分じゃろう」
リディアは楽しそうに『よろしいですか?』とグォウェイを見た。
その眼差しはそれ自体が脅迫する様なものだった。
「まっ! 待て! 待つんだ!」
「……何か、都合が悪いのかね?」
「いや、そうでは無い! そうでは無いが!」
途端に慌て始めたグォウェイは、助けを求める様にクロス・ボーンを見た。
その視線を受けたクロスもまた酷く狼狽していた。
「わっ! わたしは関係無い! そんな事は言った覚えも無い! デタラメだ!」
それはあたかも犯行宣言の様に展望デッキの中を漂った。
何処からか現れた憲兵隊大佐が怪訝な顔でグォウェイを見ていた。
「まぁ、なんだ。どちらが嘘をついているのかは、そちらのご夫人に聞けば解る事じゃ無いかね? それとも、当事者としては名前が出て欲しくないと言う事かね」
傲岸な表情で見下しているブロッフォ提督は、エディを呼び寄せ何かを囁いた。
その言葉を聞いたエディはわずかに首肯し、テッドとリディアのふたりを壁際へと押しやった。
「提督は捕虜の引き渡しを邪魔するのですな! 憲兵隊! あの提督はうら――
おそらくは裏切り者だと言おうとしたのだろう。
だが、その声が室内に響く事は無かった。
「おぉ!」
展望デッキの中に居た者達が全員一斉に声を上げた。
その巨大なガラス張りの向こうにシリウスのシェルが姿を現したのだ。
バトルドールを示すオオカミマークを付けた純白のシェルだった。
――まさか!
テッドは咄嗟にリディアを自らの胸へと抱き抱え、その頭を押さえつけた。
シリウスシェルが大口径な対艦攻撃砲を構えていたからだ。デブリの衝突などではビクともしない展望デッキの大型ガラスも、アレを喰らえば簡単に貫通する。
――やべぇ!
グッと奥歯を噛んだテッドは急激な減圧に備えた。
次の瞬間、展望デッキの強化ガラスが粉々に砕け散り、宇宙へと四散した。
展望デッキの内圧が猛烈なストリームとなって宇宙へと噴き出ていく。そして、そのストリームに乗り、グォウェイを含めた連邦軍の参謀本部関係者が宇宙へと吸い出されていった。
――マジかよ!
サイボーグは真空を苦にしない。
そもそも内圧の高さを問題にしないのだ。
――あっ!
内部圧力というキーワードが脳裏に浮かんだテッドは、姉キャサリンを見た。
ゲル状になった身体では爆発すると思ったのだ。
だが、そのキャサリンはフィット・ノアを押さえて床にスパイクを打ち込み、ストリームに抗っていた。その向こうにはクロス・ボーンが居た。何処からか取り出した小さなヘルメットを被って、気密を取った姿だった。




