修羅の庭へ
~承前
ソフィアがクロスを殴ってから2週間。
事態は思わぬ方向へ転がり始めた……
――――艦長より全ワスプクルーへ
――――本艦は参謀本部より重要通達を受信した
――――これより艦内配置を準戦時体制へと変更する
突然ワスプの艦内に響いた艦長の言葉は、艦内にいた全ての者を緊張させた。
それまでの通常体制ではシリウス協定時を基準にした一日単位での生活だった。
艦の航海要員を除き、当直体制は基本的に設定されて居ない状態だ。
だが、この準戦時体制から非戦闘セクションも三交代制の三当直となる。
0時から4時までと12時から16時までが第1当直。
4時~8時と16時~20時が第2。残りは第3当直だ。
501中隊の面々も当直受け持ち時間に備え起床し、スクランブル待機を行う。
もちろん、中隊を支える整備スタッフやシェルなどの整備大隊もだ。
――――次の第三当直から任務についてもらう
――――当面、訓練は中止し、サロンとジムは閉鎖する
――――恐らく明日には戦闘配置体制へ移る
――――諸君らの働きに期待する
――――以上だ
艦内が一斉にざわつき始めた。
戦時体制と言うことは戦闘準備を意味するからだ。
長らくシリウス星域に留まっているワスプのクルーは、そろそろ2年になるのだからと地球への帰還を夢見ていた。
超光速航海を行う船とはいえ、あまり頻繁にそんな航海をするものではない。
乗組員が数千人単位で時に喰われてしまうから、迂闊なことは出来ないのだ。
従って、地球を出港してから丸3年は帰ってこないし連絡もつけられない。
クルーにとっては実に孤独な任務となる。もちろん、地球に残される家族もだ。
――――どう言うことだ?
――――なんかあったぜ
――――間違いねえな
――――また派手に戦闘すんのかな
若いクルー達が不安げに言葉を交わす。
戦闘艦艇に乗り込んでいる以上、戦闘への参加は不可避と言える。
だが、誰だって死にたくないし、苦しい思いも嫌だ。
そもそも怖い思いはゴメンだ。
――――大丈夫だよ
――――この船にはサイボーグ中隊が居るからな
誰ともなくそういう言葉が出るワスプの艦内。
クレイジーサイボーグズの存在は、お守りのようなモノになりつつあった。
同じ頃。
艦長の艦内放送を聞いたリディアは眠たげに目を覚ました。
テッドの分厚い胸板の上で、お互いに裸のまま。
「ねぇ」
リディアは昔のようにテッドを起こした。
頬をペチペチと叩き、目を覚まさせる。
「……うん」
サイボーグだけに、大きく息を吸い込んでからの返事はない。
ただ、眠そうという空気はテッドも纏っていた。
「今の艦内放送なに?」
「戦闘配置一歩前だな」
「なんで?」
「わからねえ」
リディアは自らの脛椎バスに射し込んだままのプラグを抜き、グルグルと乱雑にケーブルをまとめた。寝ぼけ眼で見ていたテッドは、そのケーブルを丁寧にまとめ直した。
「立場逆転ね」
「なんだかな」
エディの士官教育により、テッドはこういう部分で気を使うようになった。
精密機械の塊であるサイボーグは、不断のメンテナンスや油断無い手入れによって調子を整えている。いい加減な整備では身体が持たないのだ。
「つくづく機械だなって思うよ」
「だけど……」
リディアは僅かに上目遣いでテッドを見た。
アリシアから受け取った小さな機材は、ごくごく小さなシミュレーターだった。
仮想空間のなかに作られた秘密の小部屋。
そこへログイン出来るのは、脛椎バスを持つサイボーグだけだ。
「彼女は天才だな」
「でも……」
恥ずかしげに目をそらしたリディアは、テッドの胸板に頬を寄せた。
「嬉しかった」
「俺も……」
強い力でグッとリディアを引き上げたテッドは、逃げられないように頭を押さえてリディアにキスした。房事の道具を失ったテッドだが、仮想空間の中では立派に男の機能を果たしていた。
「これ、私の記憶を再生してるだけだよね。きっと」
「たぶんな」
幾千の夜を共にしたふたりだ。
双方のデータが付き合わされて記録される。
アリシアの目的は恐らくコレだろう。
テッドもリディアもそれはよくわかっている。
だが、お互いの愛を確かめ合う行為は、もっと純粋なものだ。
何も隠す事無くお互いに全てを見せあい、無償の信頼を確かめる神聖な行為だ。
「あの頃のままなんだよね……」
そう呟いてテッドへキスしたリディア。
テッドは思うがままに唇を重ねてから言った。
「何も変わってなかったな」
ベッドの上で乱れてみせる痴態の中の恥ずかしい癖は、他の誰でも無い大切なパートナーにしか見せられないものだ。
「ねぇ…… ジョニー」
「ん?」
ジッと視線を絡ませたリディアは声を出さずに言った。
―― ア イ シ テ ル
テッドは優しく笑ってリディアを抱き締めた。
レプリカントの肉体は強靱で頑丈だ。
サイボーグが乱暴に抱き締めたってなかなか壊れるものじゃない。
ただ、それでもテッドの膂力は半端が無いものだ。
リディアの背骨がギシギシと音を立てて締め付けられる。
痛みすら発する様な力だが、リディアはそれでも嬉しかった。
『テッド』
突然テッドの脳内にエディの声が響いた。
小さな声で『エディから無線だ』と言ったテッドは、口をスピーカーモードに切り替えて、リディアにも聞こえる様にした。
『なんかあったんですか?』
『有った有った。あったなんてモンじゃ無い』
『はい?』
『ノアが直接出てくる事に成った』
『え?』
ノアと言えば、ヘカトンケイルの中でも医療などを司るメンバーだ。
そのノアの元には、テッドの姉であるキャサリンが居る筈。
今はどうなっているのか全く分からないが、少なくとも……
『姉はどうなったんでしょうか?』
『さぁな。それは俺にもわからん。ただ、リディアの例の手記がかなりの反響だ』
『と、言いますと?』
『穏健派や地球派だけで無く、独立派の間からもクロス・ボーンの責任を問う声が上がっている。シリウス人民を食い物にしていると言う批判と共にだ』
スピーカーモードのままジッとリディアを見たテッド。
リディアは総毛だった様な顔でテッドを見ていた。
『で、クロスの野郎はなんと?』
『俺は無実だと繰り返しているそうだ。それで、当人を批判したり検証したりしているメディアには訴訟をちらつかせで脅しているらしい』
『いい加減な野郎っすね』
『まったくだな。ただ、切り札はこちらが握っている。リディアとキャサリンだ』
『ですね』
『ノアじいさんはメディアに対し、リディアの姉を連れてリディアを迎えに行くと公式に発表した』
『……マジですか』
『あぁ、大マジだ』
リディアの手がテッドの両頬を挟んだ。両眼に涙を溜めたリディアは、今にも泣き出しそうな顔だった。テッドはふと『羨ましい』と感じた。そして、リディアでは無く、レプリカントが泣くという機能を持っている事に、わずかに嫉妬した。
『じゃぁ、この体制変更は』
『お前が察した通りだろう。独立闘争委員会の邪魔が入らない様にだ』
『了解しました』
『リディアは起きてるか?』
『この会話を全部聞かせてます』
『おいおい。仮にもリディアは敵の士官だぞ?』
『違いますよ。俺の妻です』
『立場の違いだな』
『はい』
無線の中に沸き起こる笑い声。テッドはニヤリと笑っている。
その声を聞いているリディアも、泣きながら笑っていた。
『8時間後にナイルでリディアとキャサリンを引き合わせる事になった』
『随分と…… 急ですね』
『コレで一本釣り出来るのさ』
『なにをですか?』
『連邦側の裏切り者は全部掴んだ』
『え?』
『そいつらはシリウス側から依頼を受けている。リディアの引き渡しを妨害し、キャサリンと共に、出来れば事故の形で殺してしまいたい……とな』
『……穏便じゃ無いですね』
『だな』
リディアの手がテッドの頬をポンポンと叩いた。
「どうした?」
スピーカーモードを切ったテッドはリディアを見る。
そのリディアは目尻がキリッとつり上がり、口角も上がっていた。
――ソフィアだ……
瞬間的にそう思ったテッドだが、ソフィアは低い声で言った。
――――私の最後の仕事だ
「最後って?』
――――さっきまで私は自分を認識できなかった
「どういう事だ?」
――――リディアと一体になっていた
「そうか……」
テッドは少しだけ寂しそうな顔になった。
演技では無く本心だった。
「リディアを護ってくれてありがとう」
――――そんなつもりは無かった
「結果論だけどさ、俺は感謝している」
――――実態の無い私を大事にしてくれたから……
何かを言いかけたソフィアは、グッと言葉を飲み込んで黙った。
その言いたい事は、今さら聞かなくても解っている。
「一枚の紙の表と裏だ。どっちが上と言う事じゃ無くて」
テッドはソフィアを引き寄せて、優しくキスした。
リディアと同じように、優しく気を使って……だ。
――――最初にキスされた時、もう私は……
「ソフィアも好きだ」
――――案外女たらしね
「本音を言ったんだぜ」
――――リディアが妬くよ?
「妬いたって良いぜ。それも俺は好きだから」
隠し事の一切無い本音を言ったテッド。
だが、その会話の全てはエディに筒抜けになっていた。
――――キャシーを迎えに行こう
「だけど……」
――――大丈夫。リディアは強い女だ
「あぁ。それは知ってる」
ソフィアはもう一度キスをして、そして、フッと居なくなった。
「リディア……」
「……ありがとう」
「え?」
「いま、ソフィアがそう言った」
「そうか……」
「私もソフィアを認識できてなかった」
「じゃぁ、完全に重なったんだな」
「そうかもしれない」
リディアの声にエディが応えた。
テッドは咄嗟にモードを切り替えた。
『リディア。君の努力の賜だ』
「ありがとうございます」
『ただ、そんな君に私は酷い事を依頼する事になる』
「分かってます。仲間も心配してるでしょうし、そろそろ帰る頃です」
『帰る?』
「私はシリウス人ですから。楽しいパーティーにだって終わりは来ます」
リディアは毅然とした言葉を吐いた。
テッドは寂しそうに笑ったが、それでも頷いた。
『すまないな…… 君にまで重荷を背負わせた私を恨んでくれ』
「恨まないですから…… だから、たまには合わせてくださいね」
『あぁ。それについては考慮しよう。私だって……』
「そうですよね」
テッドはふと、あのバーニー少佐を思い出した。
エディと並んで座る少佐の楽しそうな表情を思えば……
『なんか、バーニー少佐に悪いですね』
テッドはそんな言葉を口にした。
リディアはニコリと笑い、頷く。
『リディア。スマンが伝言を頼む』
「はい」
『私の妻はお前だけだ……ってな』
「承りました」
『よろしい。取り合えず30分後にガンルームへ出頭しろ』
テッドもリディアも『はい』と返答する。
エディは最後に付け加えた。
『夢のひとときは終わりだが、続きは必ず来るだろう。ただ、ここからは――
テッドはグッと気を入れて覚悟を決めた
リディアも同じような表情だった
――修羅の庭を歩く時間だ……




