汝 神の光を見たか
「伯父上殿……」
コロニー『ナイル』の連邦軍本部施設内部には、立派な作りの霊安室がある。
砲撃などで身体を吹っ飛ばされ、バラバラになった者の修正を行う所だ。
遠くシリウスの地で果てた地球人を本国へ送り返す為の施設。
言うなれば、死んだものへの福利厚生施設だった。
「どうやら自分は……与えられた役目を全う出来そうです」
そんな施設の奥深く。
特別室の冷え切った部屋の中にロイエンタール伯が寝転がっていた。
儀仗用の礼服を纏い、これより国主謁見に望むかの様な姿だ。
立派な口ひげも、深い皺を蓄えた頬も、艶々として健康その物に見える。
「伯父上の弔いは、私の任務でしたな」
だがそれは、この施設で作業を行うスタッフ達の、その技術の賜だ。
地球で待つ家族にみすぼらしい遺体を届けるわけにはいかない。
失った手足はあり合わせでは無く、出来る限り修正を施してやる。
顔や表情は出来る限り穏やかになる様にしてやる。
出来るものなら微笑みを湛え、満足げな表情にしてやる。
「……残された伯母上様も、さぞかし誇りに思われている事でしょう」
神の祭壇へその一命を捧げ、自由と平等をもたらす為に戦った勇者への弔い。
残された家族が後悔する事無く、誇りを持ってその死を受け止められる様に。
後に続く者がその死に意義を見いだせる様に。
「美しきジョンブルの誇りを教えていただきました……」
地球人類の共通する価値観としての自由と平等を。
何人で有ろうとも、分かりやすい共通の利益としての自由と平等を。
それを護る為に勇敢に戦った存在としての施しだ。
「後顧の憂いはありませぬ。迷わずヴァルハラへ……」
跪いたまま、ロイエンタール伯の眠るストレッチャーに額を付けるエディ。
その真剣な祈りは、一辺たりとも疑う余地の無い敬虔な物だった。
「伯父上の仇は必ずや討って見せます」
顔を上げ、ロイエンタールの横顔をジッと見たエディ。
その表情は、まるで泣いている様だとテッドは思った。
笑ったり怒ったりとサイボーグとて感情を露わにする事は多い。
だが、まだ泣くという行為は再現し切れていない。
多くの連動を必要等するそのアクションは、数字では把握出来ない感情だった。
――――――――コロニー『ナイル』地球連邦軍施設。
シリウス協定時間 2250年4月2日
リディアの中のソフィアがクロス・ボーンを半殺しにしてから更に5日。
シリウス連邦政府との共有地になったナイルの地球側施設へ、今時戦役における幾多の遺体が運び込まれていた。
その中には、ジュザ大陸の施設で獄死したロイエンタール伯の遺体も含まれ、エディはわざわざコミューター機を出迎えただけでなく、霊安室の中で懺悔の様な祈りを捧げていた。
各方面に顔を出して古い親交を温めなおし、これから行なう事への協力を依頼して歩いていたはずだ。けっして暇な状態では無いのだが、それでもエディはここへとやってきていた。
テッドとリディアを引き連れて……だ。
「エディ……」
付き添いでやって来ていたテッドの前。
エディはいつまでもロイエンタール伯の傍らから離れようとしなかった。
「テッド……」
ぽつりとこぼしたエディは、小さく息をこぼして目を閉じた。
「穏やかな死に顔だな」
「……えぇ」
「きっと…… 伯父上の内心は後悔や不安や忸怩たる思いで一杯だろう」
小さな声で『そうですね』と答えたテッド。
何か気の効いた言葉を吐きたかったが、咄嗟にそれが出てこなかった。
場数を踏まなければ覚えない事は多々あるのだが、これもその一つだった。
「だが、伯父上は常に言われていた。自分の弱みを他人に見せるな。他人に見せて同情を誘うような事はするな。同情や哀れみを受ける事は恥だと思えとな」
テッドと同じようにリディアも言葉が無い。
ふたりして握り合った互いの手が、ギュッと握り締めあっていた。
不安と葛藤とに苛まれ、ふたりは黙ってエディの背中を見つめていた。
「イソップ童話にあるとおり、人は自らより不幸な者を見る事でしか、その不幸な境遇を癒せない。他人から受ける同情や哀れみは、他人にとって自らの安心や安全や、もっと下がいると言う安心感の裏返しだ。だから、どんなに辛くても意地を張って生きろと、そう指導を受けた」
リディアは小さな声で『それって……』と呟く。
あまりの不合理で不条理な事だからだ。
だが、否定できない真実でもあるのだった。
「私は…… 2200年、セントゼロにある小さな施設の中で生まれた。正直に言えば、誰から生まれたのかは未だに分からない。だた、間違い無く3世代目としてシリウスに生を受けた男だ」
テッドは全身に電撃を受けた様な衝撃を感じた。
――ビギンズの正体だ!
最も知りたかった事。
誰もが口を閉ざして来た最高レベルの秘密を、エディ本人が切り出したからだ。
「最初に襲撃されたのは、生後5日目だそうだ。その時は幸いにも無傷だったというが、私を護る為に、護衛の親衛隊が随分と死んだと聞いている。何度も何度も独立闘争委員会一派の者達による襲撃を受け、5歳になるまでに3度死にかけ、その都度に超光速船で地球との間を往復した。シリウスには救命する手立てが無かったんだよ。その時点では」
言葉を失って聞いているテッドは、ダンマリな状態だった。
それを承知としているのか、エディは遠慮無く話を先に進めた。
おそらくは誰もが知りたい真実の確信へと入っていきながら。
「段々と実年齢と戸籍年齢が離れ始めた。10歳になる頃には、既に10往復以上をこなしていた。テッドも経験したとおり、計算上10往復すれば2年は時間に置いて行かれる事になる」
超光速船は過去へ一方通行のタイムマシンだ。
時間の経過に置いて行かれる形になる、不良品なタイムマシンだ。
そして、時に喰われた不幸な船乗りが幾多も量産されてきた。
「15歳になる頃、セントゼロの施設で重手術を受けた。身体中に入った爆発物の破片や汚染物質を取り除く為だ。ただ、汚染物質による肉体的な損傷は回復する手段が無かった。まだそこまでの技術が無いモノだったんだ。その時、超光速飛行連続して行なって時間を稼ぐ事を誰かが思いついた。研究時間を稼ぎ出す為にな」
シリウス人民の前から姿を消した始まりの子の行方は誰も知らない。
厳重に緘口令が敷かれ、事情を知る者は口を閉ざした。噂では、口を割らせようと捕まった者が、手榴弾で自らの頭を吹っ飛ばしたとか言う。誰にも知られないように隠れ続けた存在だった。
「だが…… それでも少しずつ身体を蝕まれ、17歳になる頃にはオリジナルの身体が残っている部分が殆ど無かった。18歳の春にはレプリカントをベースにした身体へと乗り換え、同時にシリウスを離れた。2228年だった」
――えっ?
焦って言葉を無くしたテッドは、エディの背中を見た。
わずか18歳の時点で、エディは既10年分も時に喰われていたのだ。
その、わずかに震えるその背中には、哀しみの色があった。
「その後、何度も何度も超光速船で地球とシリウスを往復し続け、何度も時間を飛び越え続けた。独立闘争委員会の追求を躱す為に、自ら時間を飛び越えたんだ。その結果、私は18年ほど時間を飛び越えてここに居る。戸籍上年齢は50過ぎだが、実年齢は32歳だ」
振り返ったエディはニコリと笑った。
年齢相応にも見えるが、サイボーグの外見は幾らでも作る事が出来る。
エディの姿は20代にも30代にも40代にも見える。
だが、まちがっても50歳とは思えぬ姿だ……
「いよいよシリウスがキナ臭くなった頃、私は多くの協力者の手引きで地球へと匿われた。独立闘争委員会による全土捜査から逃れる為だ。戸籍を捏造し、ブリテン国籍を得てロンドン郊外のサンドハースト士官学校へ送り込まれた。その時に全ての手引きをしたのが、このロイエンタール卿だ。若くして妻子全てをテロで失い孤独だったのだろう。実の子の様に可愛がって貰った。結果として養子となったのだが、半分は本意だったのかもしれん……」
エディの語る半生がどれ程壮絶なのかは、言葉を失ったテッドを見ていれば分かる事だ。そして、その隣で話しを聞くリディア/ソフィアもわずかに震えながら話しを聞いていた。テッドの手をギュッと握りながら。
「2240年。新任少尉として最初に配属されたのは、皮肉にもジュザにあるクラウド基地だった。正直に言えば、始めてシリウスの、ニューホライズンの地上を一人で歩いたのもその時だ。それまでは常に護衛が居たからな。連邦軍士官として各地をパトロールしつつ、ニューホライズンの現状を見て歩いた。1年ほどの赴任を終え地球に帰ったが、その地球で何度もテロに遭い、2044年の春には赴任していたブリテンの小さな基地が纏めて爆破される目にも遭った。そこで私は……」
エディの手がロイエンタール伯の手を握った。
すっかり冷え切った手だが、それは大きく強く優しい手だった。
「神の光を見た」
「神の光?」
「あぁ…… 伯父上はいわれた」
不意に天井を見上げたエディは、遠くを見つめて呟いた。
「You See The LIGTH……と」
目を閉じたエディは、何か尊いモノを思い出すようにしていた。
「それは蒼く気高く神聖な光だった。しばらくしてから気がついたんだ。あれはシリウスの光だ。地球から約10光年も離れたシリウスの光に祝福されたと思ったんだよ。そして、目が覚めたときは、スタッフォードの精密加工センターだった。ロイエンタール伯の命により、サイボーグ化して生きながらえた。胸から下を全て失うほぼ即死状態だったからな」
振り返ったエディの目がきらりと光った。
そんな筈が無いと思いつつ、テッドの目はエディを見つめた。
間違い無く、両目一杯に涙がある様に見えたのだ。
「伯父上は言われた。どれ程姿が変わっても、本人の本質は変わらないと。どれ程の重荷であろうとも決して逃げ出さず、全てを背負って歩め。覇道を征けとな」
俯いて小さく溜息をこぼしたエディは、スッと立ち上がった。
その背中には言葉に出来ない辛さが漂っていた。
「どれ程後悔しても、取り戻せないものはある。だから、出来る内に出来る事をする。それが大切だ。伯父上は良い生涯だったことだろう」
一歩下がったエディは身なりを整え背筋を伸ばし、美しいフォームで敬礼した。
眺めているテッドやリディアも惚れ惚れとするような姿だった。
「伯父上は癌だった。それも内蔵系の全てを蝕まれる癌だ。御歳のせいか、この5年程は上手く共存されていたが、やはり薬無しでは無理だったようだな」
驚きの表情になったテッドは『何故キチンと治療されなかったのですか?』とエディに問うた。余りに不条理だと思ったからだ。だが、エディは一言『それがジョンブル魂だ』と答えただけだった。
「確かに、キチンとした治療をすれば、癌はもはや怖い病ではない。場合によってはレプリボディに乗り換えて生きながらえる事も出来る。だが、伯父上はそれを良しとされなかった。一つはレプリボディユーザの受ける不利益への抗議の為。もう一つは、伯父上を支えた後妻である伯母上への愛情。ただ、一番の理由は、どっちにしろ死ぬなら生きる事を楽しむと言う意地だな」
――生きる事を楽しむ……
理解出来ない言葉にテッドは混乱し、リディアを視線を交わした。
そのリディアも『わからない』と顔に書いてある状態だ。
「まぁ、その言葉の意味もじきに分かるさ。さて、お別れは済んだ。伯父上は地球へ送還される。我々は我々の出来る事を行なうとしよう。伯父上の死を無駄にはしたくないからな。必ずこの恨みを果たす。何年かかってもだ」
クルリと振り返ったエディは霊安室を出て歩き始めた。
長身のエディは当然の様に足も長い。その足で大股の歩行をすれば、リディアなどは小走りだ。
「先ずは地球側のシリウス協力者を暴く。あては付いている。手も打った」
風を切って歩くエディは笑いながら言った。
「楽に死ねると思うなよ……」
テッドはその背中に、死神のシルエットを見たのだった。




