ロイエンタール伯の獄死
~承前
エディとバーニーがシリウスから乗ってきた船はエンデバーだった。
地球滞在わずか18時間でキックターンする船に乗ったテッドとリディア。
すっかり顔の変わったソフィアを見たバロウズ大尉は、全てを察したらしい。
半年ぶりに顔を合わせた形になるのだが『やぁ』と気さくな態度だった。
展望デッキから地球を眺め、漆黒の闇を飛翔したエンデバーは、ハイパードライブを行ってシリウス系へと到達する。
船内時間はわずか5日間の出来事だが、実時間では約80日が経過しているはずだった。
「さぁ……」
エンデバーのリアクタールーム脇にある特別室では、リディアが悲壮な表情で準備をしていた。その脇にはバーニー少佐が付き、テッドも鎮静剤を準備して待っていた。
「リディ…… 覚悟は良いかい?」
「はい」
「女は度胸だよ」
爆ぜる様に小気味良い言葉を使い、バーニー少佐はリディアに発破を掛けた。
出航してから5日目の午後。船はシリウス系に入っていた。
リディアにとって大一番。
脳殻内部のマイクロマシンが全て除去されているかどうかは、ここで決まる。
エンデバーのセンサーは、ソフィアの脳内マイクロマシンに影響を与えていた電波をキャッチしている。つまり、僅かでも残って入れば、ソフィア側の人格が強制的に興奮状態へと励起される事になる……
「今は…… どっちだ?」
テッドは顎を引いた姿でリディアに問うた。
全身に漂う緊張感は、焦りと戸惑いと、そして期待だった。
「どっちに見える?」
リディアは大きく頬を歪ませて笑った。
目つきはソフィアのようにも見えるが、笑い方はその中間っぽい。
どう答えたもんかと一瞬逡巡したテッドだが『両方だな』と答えた。
取り繕う事無く、率直な物言いを下のだった……
「私も…… 今はどっちだが解らない」
リディアとソフィア。
二つの人格の特徴を合わせた状態で、総体としてリディアはそこに居た。
燃える様な激しい闘争心を見せるソフィアと、穏やかで大人しいリディア。
大一番に望む直前に、気を逸らせているのはソフィアだ。
だが、それを前に心を落ち着けて、整えているのはリディアだ。
「リディ!」
「はい」
「いい女はね、無様みせんじゃないよ!」
「はいっ!」
「惚れた男が見てるんだ! 気合い入れな!」
リディアの目がテッドを捉えた。
そして、一際大きな声で『もちろん!』と答えていた。
――リディアとソフィアが重なっている……
テッドはそう思いつつも、冷静に状況を考えた。
船はグングンと前進しているのだから時間が無い。
エディの立てた作戦は時間との勝負だ。
最初にインパクトを与え、向こうが動揺している間にたたみ掛ける。
立ち直る時間を与えず、一気に押し切ってしまう作戦だ。
ある意味では力業な、強引な手順だが、他に手が無いのだから仕方が無い。
「さぁ、行こう」
「うん」
テッドに促され、リディアは部屋のドアに手を掛けた。
一瞬だけ迷った素振りのリディアだが、その背中をバーニーが叩いた。
「迷ってんじゃ無いよ! 自分をしっかりお持ち!」
振り返ったリディアは小さく頷き、一気呵成にドアを開けた。
リアクタールームの僅かならぬ放射線が一斉に襲い掛かる。
だが、リディアはグッと前を見ていた。
――どうだっ!
息を呑んだテッドとバーニー。
リディアは振り返ってニコリと笑った。
――いけるか?
テッドの顔にそう書いてあった。
リディアはウンと頷き部屋を一歩出た。
そして、艦内を歩いて展望デッキへと出た。
眼下にはシリウスβが鈍く輝いている。
そして、その向こうには蒼く眩くシリウスαが輝いていた。
「母なるシリウスの光が、我らを勝利へ導きます様に……」
リディアはシリウス軍人憲章の最後の一節を唱えた。
シリウス軍の誰もが知っている、聖句の様な言葉だ。
どんな困難をも乗り越え、必ず勝利するのだという強い意志の発露。
だが、今のリディアにはその言葉が辛かった。
「わたしは……」
シリウスの向こうにはニューホライズンが見える。
まだまだ遙か彼方にポツンと見える小さな点に過ぎない。
だが、シリウス生まれの者ならば、誰でもそれを感じる事が出来る。
それはちょうど、地球人類が始めて月に降りたって地球を見た時と一緒だ。
理屈や理念やそう言った物では無く、直感として感じるモノ。
母なる大地への敬意と憧憬だった。
「騙されていたとは言え……」
キュッと握りしめた拳が震えている。
その背中を見ていたテッドは静かに歩み寄った。
「幾人もの子供を騙していた……」
「バトルドールか」
「そう……」
俯いたリディアは両眼に涙を浮かべて悔しさに震えた。
そして、それでも顔を上げてニューホライズンを見た。
皆が願ったのは戦いでは無かった筈だ。
だが、沢山の者達を戦に駆り立て、自らは悠々としている連中が居る。
安全な場所にいて、多くの者を扇動し、自らの利益にしようとしている。
「ヘカトンケイルは、常に平和でありたいと願っている」
テッドとリディアの隣へやって来たバーニー少佐は、静かに切り出した。
エディがヘカトンケイルの直系子孫なのは間違い無い。
そして、このバーニー少佐もまたそうなのだろう。
何の根拠も無いがテッドはそう確信していた。
ヘカトンケイルにとっては将来の後継者その物な二人の筈だ。
だからこそ、このバーニー少佐はヘカトンケイル直属なのだろう。
「だが、平和な環境では困る連中が居るのだ」
バーニーの言葉はわずかに震えていた。
それは怒りに震えているのだとテッドは思った。
誰かの不利益より自分の利益。
そんなスタンスの者への怒りだ。
「彼らは必ず、敵対する者に対してこう言う。彼らは偽の平和主義者だとな」
怒りに彩られた溜息を吐いて、バーニー少佐は吐き捨てた。
それは、燃え上がる様な敵意であると同時に、凍てつく様な後悔の念だ。
「初めのうちは、誰だって係わりたくないと避けてしまう。だが、それこそ彼らの思うつぼなのだ。ヘカトンケイルは平和の為に努力してきた。その結果が出ないうちに、奴らは……」
その奴らが独立闘争委員会であるのは言われなくとも分かる。
バーニーが怒りに震えている理由も良くわかる。
ただ、テッドはふと思った。
エディとバーニーの両親は誰だろう?と。
ヘカトンケイルの中で直接的な始まりの8人直系だろうか?
それとも……
「奴らは必ず口を揃えてこう言う。あいつらは独裁者の様だ……と。自らの強権的な振る舞いを隠す様に。失政を誤魔化す為に。弱みを悟らせぬ様に……な」
バーニー少佐の言葉を聞いていたテッドは、ふとリディアの様子を確かめた。
リディアはガラス面に手を付き、ジッとニューホライズンを見ていた。
「あの子達は苦痛と薬と思想教育で雁字搦めにされてたの……」
リディアの目から涙が零れた。
後悔を滲ませる涙だとテッドは思った。
「被害者意識を受け付けられ、それに立ち向かうヒーロー意識を受け付けられ、現実では無く理想だけを信じ込まされたの。それがどんなに浮き世離れしていても、あの子達はそれが絶対正しいって信じ込まされたの。そして、気が付けば……」
その痛みの告白を聞きつつ、テッドは思った。
リディアからマイクロマシンの影響が全て抜け落ちていると。
――問題ねぇな……
どちらかと言えば、自分の意志でダウナーに落っこちているリディアをどう拾い上げるかの方が問題だ。まだまだ問題は山積みだし、ここからの手順を失敗すれば、帰って傷が広がってしまう事が予想される。
そして、もっと問題なのは、いま現在の時点で501中隊向けバンドのデジタル暗号周波数に膨大なトラフィックが発生している事だ。
テッドがモニターしているチーム無線は、エディがどこかへと回線を接続し、ずっと相談事を続けている様な状態だ。ヘッダ部分が暗号化され会話の中身までをうかがい知る事は出来ない。
だが、これだけのトラフィックが断続的に存在している以上、絶対碌な事じゃ無いと直感していた。少なくとも、ここから先は相当大変になると言う確信があったのだ。
――よし……
テッドは何かを覚悟してリディアに声を掛けた。
「なぁリディア」
「……なに?」
「ちょっとエディのところへ行こう」
「え?」
「なんか……」
頭を押さえたテッドはわずかに首を振った。
その仕草は、文字通りに『面倒が発生した』というものだった。
「良くない事が進行中っぽい」
痛みの告白を続けていたリディアの言葉はバロウズ大尉が全て記録していた。
ただ、テッドの提案にバロウズはわずかに頷いてその場を去った。
――気を使ってくれる人だな……
テッドはそう思うのだが、その代わりにバーニー少佐がスッと寄ってきた。
「私も行って良いかい?」
「……たぶん」
「じゃぁ、同行するよ」
――大丈夫か?
不安に駆られたテッドだが、それを気にせずエディの部屋へと到着した時、室内から何かを投げるかの様な激しい音がした。
「エディ!」
ドアの外から呼びかけたテッド。
ややあってドアが独りでに開き、中からは目に見えない何かが漏れ出した。
それは、猛烈な殺気とも、或いは怒気とも取れるものだった。
「エディ?」
遠慮無く室内へと入ったテッド。
室内ではテッドが椅子へ腰掛け、右手を額へ付けて厳しい表情を浮かべていた。
その仕草があまりに緊張していると感じたテッドは、首を傾げてエディを見る。
エディは無線の受信機をテッドへと放り投げた。
「何があったの?」
「困り事?」
バーニーとリディアは心配そうにエディを見ている。
普段であれば、女ふたりのそんな行為に笑みを浮かべるエディだ。
だが、今時点ではそんな余裕など一切無い雰囲気だ。
――周波数は……
テッドは渡された受信機をチーム無線の周波数に合わせた。
途端にデジタル暗号特有の変調するノイズが溢れた。
――チッ……
小さく舌打ちして、暗号同調ボタンを押したテッド。
一瞬遅れて受信機の中からエディの声が聞こえた。
『マイク。悪いがもう一度頭から言ってくれ』
――――頭からか?
『あぁ。磁気嵐の様だ。ノイズが酷くて聞き取れん』
――――あー……
無線の向こうでバカっぽい声を出しているのはマイクだ。
まだ距離は有るが、エディは何かの相談をしている雰囲気だ。
ただ、その空気はあまりの剣呑だ。
今にもエディは襲い掛かりそうな緊張感だ。
――何事だ?
首を傾げたテッドだが、エディは全く表情を変える事無くあった。
――――わかった
自体を察したテッド。
同じように、マイクはエディの動揺を悟った。
そして、静かに切り出した。
――――さる1月の終わりだが、ロイエンタール伯は獄死された
――――ジュザの例の基地の中で拘束されていたが……
――――どうも持病が悪化したらしい
一瞬目の前が真っ暗になった様な気がしたテッド。
だが、それ以上にショックを受けていたのはエディだった。
指先がワナワナと震え、機械の目はうつろに天井を見ていた。
「エディ……」
「ちょっと待ってくれ」
テッドの言葉を手で制したエディは、一つ息を吐いて目を閉じた。
その瞼の裏に去来する者は何か、テッドには予測が付かない。
ただ、なんとなくだが分かる。
シリウスのプリンスとして育ったエディを受け入れてくれた度量。
それはきっと、失ってから気が付くのだろう。
「これほど衝撃を受けるとはな……」
自嘲気味に呟いたエディ。
だが、泣けないサイボーグの辛さを、エディは滲み出していた。




