修羅の庭へ
二日酔いなう……
~承前
「実は、ロイエンタール将軍が拘束された」
エディは小さな声で呟く様に言った。
それが何を意味するのかをテッドは上手く把握し切れていない。
ただ『……どういう事ですか?』と問うのが精一杯だ。
小さく溜息をこぼしたエディは、ガックリと肩を落として言った。
「話せば長いが……」
そこから始まったエディの説明は20分近くに及んだ。
ただ、話を要約すれば、結論は簡単だ。
シリウスも連邦制を敷き、完全な独立国家として独り立ちする事になった。
その為に幾度も会合が開かれていて、その場に連邦軍の高級官僚もいたらしい。
「それって……」
「あぁ、裏切り行為だ。万死に値する行為だ。だが……」
反ロイエンタール派の人間にしてみれば、千載一遇のチャンスと言える事だ。
事実上のクーデターで権力を簒奪し、追い出す事が出来る。
そして、急進的独立派や穏健的な独立派に恩を売れる。
さらに言えば、帰順派と呼ばれる地球帰還希望者にも一定の配慮が出来る。
全ての面で一定の成果を上げられるとあれば、飛びつくなと言う方が難しい。
交渉上手なシリウス側が一筋縄な交渉をしてくれればという前提だが……
「シリウスの独立闘争委員会は公式発表として、2250年1月1日付けで正式にシリウス連邦として完全な独立を宣言すると発表した。10月1日付けでの事だ」
エディはカバンの中からニューホライズンの地上で発行されている新聞を取り出した。いつの時代だって新聞の一面を飾る文字はセンセーショナルなモノだ。
どれ程ネットが隆盛となっても、やはり紙メディアは生きながらえていた。そこにあるモノは記録性や保存性であると同時に、どこにあっても大多数で一斉に読める利便性だ。
「ただな、独立闘争委員会の宣言はヘカトンケイルを通してない。委員会の連中はヘカトンケイルが行った委員会潰しを逆手に取っていると言う事だ。帰順派であるホロケウの中にヘカトンケイルの宮殿があるのを良い事に、彼らは人民の敵だと喧伝を始めた。まぁ、委員会のメンツを殺された報復だろうな」
テッドとリディアは驚きのあまり言葉が無い。
ただ、エディはそれを気に止める事無く本題を切り出した。
「でだ。私個人の希望としては……」
エディは微妙な表情でテッドとリディアを見た。
その目には激情の炎があった。
「まず連邦軍内部の裏切り者を粛正し、伯父上を奪回する。呵る後に、独立闘争委員会の連中に一泡吹かせてやりたい。具体的に言えば……」
エディはジッとリディアを見た。
息を呑んだリディアに微笑みかけ、テッドを見た。
「フィット・ノアにより治療を受けているキャサリンを奪回したい」
エディの目に浮かぶ炎の意味を理解したテッド。
「姉貴……」
「独立闘争委員会の犠牲者だ」
エディが静かに言った言葉は静まり返った室内に解けていった。
耳が痛くなるほどの静寂に埋め尽くされているその部屋に小さな悲鳴が漏れた。
「リディ『ちょとまって! 待って! 待って待って! いっぺんに言わないで』
リディアは頭を押さえ身を屈めた。
慌ててそれを支えたテッドにもたれ掛かり、痙攣したように震えた。
『落ち着いて…… おねがい。分かったから。分かったから……
――ソフィアだ……
テッドがそう直感したとおり、リディアの人格の中に居たソフィアが現れた。
――――わたしに手伝わせて!
「ソフィア。どうしたんだ?」
――――キャシーがああなったのはわたしのせいだから!
――――だから、キャシーを助け出すためなら!
テッドの声にこたえるソフィアは、声を震わせていた。
リディアとは全く違う言葉遣いにエディは表情を曇らせる。
だが……
「当然君にも協力を求める。手伝ってくれ」
エディは率直な言葉でソフィアを誘った。
顔を上げたリディアは、その表情までもが違っていた。
眼差しはきつく、口角は切りあがっている。
――――わかった
――――なにをすれば良い?
「……一旦シリウスへ帰ってくれ。話しはそれからだ」
エディは静かにそう言った。
その言葉は、流石のソフィアも一瞬だけ黙った。
ただ、その沈黙が意味のあるものなのはすぐに理解できる。
ソフィアは胸に手を当てて黙り込んでいた。
――相談してるんだ……
テッドはそう直感した。
解離性同一性障害。
いわゆる多重人格は、その人格同士が戦ってしまう事が多い。
だが、リディアとソフィアは共通の目標を持った事になる。
それは、人格同士の再融合と統一に役立つ事なのは間違い無い。
しかし、その反面としてテッドとリディアは再び引き剥がされる事になる。
リディアが望んでいた亡命は、望むべくも無い事になる。
求める結果とは違う形になってしまうのも仕方が無いといえる。
――リディア……
テッドは静かにその肩を抱き寄せた。
僅かに震える細い肩は、その内側の葛藤と逡巡を感じさせるモノだった。
「無理しなくて良いんだぞ」
「でも、ねぇさんは無理をしたのよ」
――リディアだ
ふと顔を上げたリディアは、決意を秘めた表情に変わっていた。
ソフィアとは全く違う顔だとエディもバーニーも感じていた。
「いつの間にかリディアも強い女になってるな、リリス」
「そりゃそうよ。なんと言っても、ジョニー君の相方だからね」
会話の中身は見えないが、エディとバーニーの間には磐石の信頼がある。
テッドはそれを痛感した。そして、敵味方に別れてなお心が通じ合っている。
その事実を、単純に素晴らしいと、或いは、羨ましいと思った。
「さて、そうと決まれば話しは早い」
ソファーから立ち上がったえでぃは、室内にあるテレビモニターのケーブルを引き抜き、自らの頚椎バスへと差し込んだ。高度に規格化された電子ネットワークの恩恵はこう言うところにも現れる。
「簡単に手順を示す。見て理解してくれ。ソフィアもな」
リディアはニコリと笑った。
だが、その口角が切り上がった笑いはソフィアのモノだった……
「まず、我々はシリウスへ帰る。向こうでは、リディアを捕虜としてシリウスへ返還する事にする。ただし、当然の様に闘争委員会は介入を図るだろうから、リディアは直接声明を発し、帰還を拒否するんだ」
エディの言葉にリディアが笑った。
その意図を見抜いたんだろう。
「どっちが言えば良いですか? わたしですか? それとも……」
楽しそうに笑っているリディアの目がスッときり上がった。
表情筋を掌る部分までもが影響を受けるのかと驚くテッドだが……
「ソフィアの出番かもな」
――――わたし?
「そう。わたしはリディアじゃない。ソフィアだって」
――――そうね
楽しそうに笑ったソフィアは凄みのある笑みでエディとバーニーを見た。
――――洗い浚いぶちまけても良い?
「もちろんだ」
エディもニヤリと笑う中、バーニーは僅かに涙ぐんだ。
『よかった……』と一言呟いて。
「話を進めよう。私はは事前にヘカトンケイルへ根回ししておく。フィット爺さんに声明を出させよう。ワルキューレを操り人形にしてまで権力闘争した愚か者だと批判させて、そしてリディアも直接ヘカトンケイルへ召し上げさせる」
――あぁ……
テッドはその意図を理解した。
リディア=ソフィアがシリウスへ帰りたくない理由をこれで潰せるのだ。
同時に、それで独立闘争委員会を攻撃し、併せてシリウス人にアピールできる。
深謀遠慮とは言うが、こうやって手札を切りあい、相手を潰すのだろう。
その孤独な闘争を延々と続けてきたエディの強さにテッドは感服した。
「で、その中でキャサリンを一度表に出させる。どうなっているかは分からないが、フィット爺さんからは、キャサリンは自分の意志で歩く事が出来るようになったと連絡を受けた。希望の芽が出てきたぞ」
エディはモニターの表示を切り替えた。
そこにはロイエンタール伯が囚われている連邦軍の施設が表示されていた。
コロニー『ナイル』ではなく、ニューホライズンの地上施設だ。
ジュザ大陸にある連邦軍拠点のひとつ、クラウドシティ。
激しい独立活動の中にあって、連邦軍最大集積地の一つだったところだ。
「裏切り者をつるし上げる材料は幾つか用意した。独立闘争委員会にプレッシャーを掛け、その中で彼らをメディアの前に引きずり出し、その席において連邦軍高官の名前を出させる。双方に賄賂を贈った地球系企業の名前を出してやる。委員会の連中は、ワルキューレを喰い者にし、それだけでなく戦争企業からもキックバックを受け取っていた事を暴露する。もちろん、それを紹介した連邦軍高官もな」
大きなフローチャートが示され、エディは最終到達点を表示した。
独立闘争委員会をすべて排除した後、穏やかなシリウス統一政府を作る。
そして、そこと地球が交渉し、穏やかな形で連邦制へ移行する。
銀河単位での連合国家となるのだ。
「エディ……」
「ん?」
テッドは不思議そうな顔でエディを見た。
そこには全く理解出来ないモノを理解しようとする若者の姿があった。
「なんでそこまで地球はシリウスにこだわるんだ?」
「シリウスが防衛線だからさ」
「防衛線?」
「あぁ」
ケーブルを引き抜いたエディはモニターを元に戻してソファーへと腰掛けた。
バーニー少佐の隣に……だ。そのバーニー少佐は嬉しそうに肩を寄せていた。
「いずれ全てを話す時が来る。ただ、まだそれは知らなくて良いし、むしろ知らない方が良いだろう。その時が来れば、いやでも知る事になるからな」
「それって……」
二の句をつけ損ねたテッド。
エディはぱちんと手を鳴らしてもう一度立ち上がった。
「さて、今夜出発するぞ。地球の新年祝いを見たかったが、どうも難しそうだな」
全員に出発を促したエディはリディアの肩をポンと叩いた。
「まだまだ君の試練は続くが……」
一度言葉を切り、床へと目を落としたエディは、もう一度顔を上げた。
その表情は、柔和で穏やかなモノだった。
「君なら乗り越えられる。テッドがそうだったようにな」
リディアは黙って微笑んでいた。




