亡命したい
今日2話目です
~承前
「亡命したい」
「はぁ?」
それは唐突な告白だった。
12月も残すところ一週間。街中が浮かれあがったクリスマスの頃だった。
ロサンゼルスの街へと出たテッドとリディアは、車の中から街を見ていた。
あの、何も無いグレータウンの街並みとは大きく違う景色だ。
物が溢れ、人々の表情は明るい。
冬だと言うのに街は暖かく、日差しの差し込むところではTシャツ姿だ。
「シリウスへ帰りたくない」
「いきなりなに言い出すんだ」
「ここは楽しいし、それに……」
リディアは真剣な表情で言った。
目覚めてから2週間近くをリハビリに費やしたリディアだが……
「ソフィアもそう言ってるし」
「彼女も?」
「……うん」
相変わらず脳内にはソフィアが居るらしい。
なんかの拍子にフイとソフィアが顔を出したりする時がある。
いきなりテッドにキスしたりするのですぐに分かるのだが……
――あ……
リディアの顔がフッと変わった。
目つきがキッときつくなり、鋭い視線でテッドを見た。
「……ソフィアか?」
――――そうよ
「どうしたんだ?」
ソフィアはフフフと笑った。
それは、どこか満足そうな笑みだった。
――――あなたはリディアに返さなきゃ
かつてはあの豚女呼ばわりだったソフィア。
だが、いまはリディアと上手く共存していた。
――――リディアに返さなきゃね
リディアの顔をしたソフィアは寂しそうに笑う。
自分がある意味で仮想人格のような物だと考えているらしい。
だが、テッドはそんなソフィアですらも最近は愛しいと思うようになってきた。
「何か言いたい事があったんだろ?」
ソフィアはテッドの言葉にコケティッシュな笑みを返した。
ちらりと舌を見せて笑うのだが、二つには割れていない奇麗な舌だ。
――――私は彼女の中の居候だから
「ハウスシェアならぬヒューマンシェアだな」
――――そうね
ソフィアはある意味で強い女だった。後ろ盾と成るようなバックボーンが無く、また、経験も無い。作り上げられた人格で、しかもマイクロマシンに煽られた苛烈な性格だ。
だが、その過程で段々と安定していった人格の根本は、非常にプライドの高い存在になっていた。決して弱みを見せないし、また、見せたくないと意地を張るタイプの人間性だった。
「リディアの声は聞こえるのか?」
――――聞こえない
――――だけど……
ソフィアは僅かに笑って遠くを見た。
――――彼女も笑って見ている
「見ている?」
――――あなたと私を
――――黙ってみている
リディアらしいとテッドは思った。
ソフィアの人格が『動』なら、リディアのそれは『静』だ。
そべてを塗りつぶす黒と何処までも清浄な白の対比。
――――彼女が何か言いたいらしい
「リディアが?」
――――そう
ソフィアは一瞬だけ逡巡し、自分の手元を見た。
かつては全身にタトゥーを掘り込み、白い肌に黒いラインを見せていた。
だが今は、何処までも透き通るような、まるで陶磁器の様な真っ白い肌だ。
――――わたしは彼女をシェアしてる存在だけど……
「だけど?」
――――あなたはシェア出来ない
それが愛の告白であるとテッドは気が付いた。
ソフィアにとってもテッドは特別な存在なのだった。
ただ、そうは言ってもソフィアだって気が付いている。
テッドの心に居るのはリディアなのだ。
自分ではなく、自分が存在しているリディア……
――――わたしも……
テッドはソフィアの頭を引き寄せてキスした。
何かを言おうとした口を塞ぐように……だ。
「ソフィアはリディアだろ?」
――――え?
「俺だって機嫌が悪いときは別人になるのさ」
――――テッド……
ソフィアは必ず『テッド』と呼んだ。
リディアが『ジョニー』と呼ぶのを真似したくないのだろう。
――――リディアが怒ってる
「不用意だったか?」
――――わからない
「そうか」
ソフィアの目つきがフワッと優しくなった。
人格が入れ替わったとテッドは気が付いた。
さて、どんな言葉が出てくるかと、一瞬だけ身構えるが……
「ちょっと酷いよ」
「なにが?」
「あんなに乱暴にキスしなくても良いじゃん」
真面目な声で文句を言ったリディアは、明らかに怒っていた。
「ソフィアもジョニーが好きなんだから」
「それは知ってるよ」
「じゃぁ……」
抗議じみた目でテッドを見たリディア。
テッドは針のむしろ状態だ。
「俺にとってはリディアもソフィアも一緒なんだよ。一枚の紙の表と裏だ」
「それって……」
「この身体に宿っている魂をどっちから見るかって事だよ」
リディアの身体を引き寄せながら、テッドは自身たっぷりにそう言った。
ベンチシートにコラムオートマな運転席は、こんな時に酷く便利だ。
「同じ魂だ。俺はこの魂が好きなんだ」
「じゃぁ私じゃなくても良いのね?」
ヤバイ!
間違いなく地雷を踏んだ!
テッドは一瞬だけ焦った。だが、それでも冷静に思考をめぐらせたとき、それは焦るような問題ではないと気が付いた。
「……そりゃ困るさ」
「なんで?」
「だって、リディアが消えたらソフィアも消える。魂が消えちまうんだから」
子供の頃からそうだったように、テッドはリディアの頬へ自分の頬をつけた。
そうすれば耳元で囁く言葉が相手にだけ聞こえる。
「どっちも愛してる。同じ存在だから」
テッドの脳裏に精神科医の言葉が蘇る。
分離された方の人格を元の人格へ強引統合しようすると、大体悪化するらしい。
元の人格とは大概が関係の悪い状態で、被害者意識を持っていると聞かされた。
それゆえ、強引に統合するのではなく、穏やかな形で共存するのが望ましい。
時間を掛けて双方が記憶を共有し、やがて自然に、完全に混ざり合っていく。
双方が双方を認識出来ない状態になるまで、焦らなくて良いと。
ゆえに、テッドはどちらを贔屓するでもなく、共存する方向で舵を切った。
ある意味で、成るようになれ……だ。
「嘘つき」
リディアは口を尖らせて言った。
本音ともジョークとも取れるその言葉に、テッドは僅かに狼狽する。
だが……
「本当だって!」
真面目な顔で言い返したテッド。
きつい表情のリディアはフッとそれを緩め、ニコリと笑った。
「うん。知ってる」
「じゃぁ……」
「ジョニーを困らせてみたかったの」
傍らにあった小熊のジョニーを抱き寄せ、リディアは笑った。
そして、小さな声で言った。
「ねぇ。ソフィアもそう思うよね」
小熊のテッドに語りかけているリディアは、もう一度テッドを見た。
その目はリディアのようでもあり、ソフィアにも見えるものだった。
「……どっちだ?」
「どっちもで良いじゃん」
「だけど」
「わたしはそれでも困らないから」
――言葉遣いが違う……
テッドはそれに気が付いた。ただ、それ以上の追求はしなかった。
どっちでも良いという言葉がストンと心の中に落ちてはまった。
まるで、最初からその形だった穴に、スポッとはまったような感じだ。
「……俺もその方が良い」
テッドの言葉にリディアが笑った。
楽しそうに笑っていたが、不意にその表情がかげった。
話しは最初に戻ったとテッドは思うのだが……
「シリウスへ帰ったら、私はまた……」
「マイクロマシンの除去は完璧と言う話だが」
「……行ってみないと分からないよね」
「あぁ……」
車を出したテッドは、タイレルのラボへと向かった。
リハビリの一環で気分転換のドライブだったふたり。
か細く美しいラインなリディアの首には、やはり自爆チョーカーがあった。
「捕虜でも奴隷でもメイドさんでも良いから」
「だけど、向こうの人たちが困るんじゃないか?」
「……そこなのよ」
テッドは口にしなかったが、姉キャサリンもまた懸案事項だ。
リディアはキャサリンがどうなったかをまだ聞かされていない。
それに付いて質問されても『俺も知らないんだ』と答えていた。
ただ、どうしたって目が泳ぐ。目は口ほどにものを言う。
テッドが見せる態度に、リディアも薄々は気が付いていた。
少なくとも、自分よりかは酷い状況にあると……
「キャシーねぇさんが心配……」
僅かに間を置いて『あぁ……』と答えたテッド。
そんな仕草にリディアはキャサリンが死んでいる可能性を思った。
「……教えてくれないのね」
「リディアが取り乱してしまうと困るからな」
「やっぱり知ってたんだ」
「時には言わないって選択肢もある。俺もそれを学んだ」
リディアは寂しそうな表情でテッドに言った。
どこか諦めているかのような、達観しているかのような口調で。
「私たち…… 本来は敵同士だからね」
「オマケにふたりとも士官って肩書きに成っちまった」
「責任があるんだもの……」
「面倒が多い……」
すっかり遠くなってしまった日々の、あの苦しくとも自由だった日々の、その残照をリディアは感じた。辛くても笑えた日々を思い出した。乳製品と僅かな野菜類を中心にした貧しい食生活だったが、それでも毎日が楽しかった……
「だけどさ……」
テッドは努めて明るい声で言った。
「親父は良く言ってた。思い出は逃げ込む場所じゃないって」
「……そうだね」
ジョニーの母親が死んだ時から。リディアを預かった時から。
寂しさに泣く子供達を前に、テッドの父はそれを言っていた。
今にして思えばただの強がりだが、それでも親父は立派だった。
「未来の為に頑張らなきゃいけないんだよな」
「辛くても……ね」
それっきり車の中から言葉が消えた。
精神的な辛さに負けてくれるなとテッドは祈った。
ただ、走っていく車は市街地を抜け、タイレルのラボへと入っていく。
テッドは車を所定の位置へ駐車し、リディアの手をとって病院へと戻った。
もはやリディアに身体的な問題など無いはずだが……
――基地へ行けば、リディアは独房だ……
テッドの言葉にタイレル社は気を使ったらしく、リディアはタイレルの病院にある患者家族向けの部屋を使っていた。それほど広くない部屋だが、2人で過ごすには十分な部屋だった。
ただ、テッドとリディアがその部屋へと戻ったとき、来客がふたりを待ち構えていた。ドアを開けて中へと入ったテッドは、一歩入るなりそこへ立ち尽くした。
「え?」
立ち尽くしたテッドの脇を抜け、部屋へと入ったリディアも言葉を失った。
そこにいたのはエディだった。
「すっかり良くなったようだな」
優しげな表情でたっているエディ。
だが、テッドは分かっていた。全身に緊張感を漂わせている状態だった。
「どうやって……」
「超光速船の中でも一番速いのでさっき着いたよ」
ハッハッハと笑っているエディは、早く入れと促した。
部屋の中にはバーニー少佐がいた。
「バーニー……」
「リディへ戻ったのかい?」
「……共存してます」
「そうか……」
僅かな会話だが、バーニー少佐は全てを飲み込んだようだった。
間が持たないと感じたテッドは、どうにか言葉を搾り出す。
「何かあったんですか?」
「まぁ、色々と目まぐるしく変わったんだが……」
困ったように笑ったエディは、室内のソファへと腰を下ろし一つ息を吐く。
それはエディが難しい事を切り出すときの癖だ。
そして、少なくともここには敵味方に分かれた二人の士官が居る。
もはやそれだけでただ事では無いとテッドは思うのだが……
「実は、ロイエンタール将軍が拘束された」
「……どういう事ですか?」
「話せば長いが……」
ただ事では無いと言う雰囲気をビンビンに放ちながら、エディは俯いた。
あの老将軍はエディの身元引受人で一番の後ろ盾とも言える存在だ。
その人物が拘束されたと言う事実にテッドは激変を覚悟した。
そして、リディアの亡命が現実を帯び始めたと感じていた……




