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黒い炎  作者: 陸奥守
第七章 交差する思惑・踏みにじられる感情
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リディアの目覚め

~承前






 12月の地球は全てが浮かれあがった賑やかなシーズンだ。

 事にここアメリカ合衆国と言う国家では、11月の第4金曜日から始まる全国規模でのクリスマスセール『ブラックフライデー』によって、途轍もなく大きな盛り上がりを見せる。

 どんな赤字商店でも黒字になると言われるブラックフライデーシーズンは、12月24日のクリスマスイブまで大騒ぎが続く事になる。そして、様々な商店が趣向を凝らし、潤沢な商品をそろえてお客を待ち構えているのだった。


 ――すげぇな……


 テッドは盛り上がっているロサンゼルスの街並みを見ながら移動していた。

 気がつけばこの街を自家用車で走る事にも慣れていた。シリウスの地上では数えるほどしか運転経験の無いテッドだが、本人も知らないうちに様々な事への適応力が付いていた。


 そして、適応したのは地球環境だけでは無い。


 宇宙空間向けなサイボーグの身体を長期にわたって地上で使っていたが、11月の終りに地上向けの全く新しいシリーズへとテッドは換装していた。

 G01と名付けられたこの機体は、各部を強化プラスティックと炭素繊維で編まれた生地により包んでいる軽量機材だ。


 従来のシリーズが200キロ近いヘヴィ級だったのに対し、この01は130キロ程度にまで軽量化が図られていた。もちろん、予備空間に大容量バッテリーを詰めてしまうと重量が嵩む事になる。だが、これまた新規開発された新しいフードミキサーによる反応炉は高効率エネルギー変換を見せている。


 ――これもスゲェや……


 従来は食事として飲み込んだ食べ物をエネルギー変換するのに、随分とバッテリーを消費したモノだ。時には壁のコンセントから電源を直接引きこむ事も必要だったし、脳殻内の生体細胞向けに栄養素の詰まったリキッドを補給するのも必要だった。

 それらから開放され、自由な活動が出来るようになったのは大きな福音と言えることだ。少なくとも、電源の残量にしばられて行動が制約を受ける事はなくなりつつあるのだから。


「さて……」


 無意識に漏らした一人ごとは、この2週間の懸案事項に対する苛立ちだ。

 テッドが新しい機材に乗り換えた前日、リディアの脳は新しいレプリボディへと移植されていた。旧来のシリウス製ボディとは違い、しなやかで美しい素肌をした完璧なバランスの身体だった。

 それこそ、ファッションモデル級にスレンダーで長い手足がメリハリの効いた重量感のある胴体に付いている。細くて繊細な首の上には、従来より一回り小さいんじゃないかと錯覚する頭が乗っていた。


 全身にタトゥーを入れていた古い身体ではない。先端の割れていた蛇のような舌でもない。美しい身体。すれ違う男が迷う事無く振り返るような姿だった。


 ただ……


「そろそろ目を覚ましてくれよな……」


 この2週間。

 リディアは生態的な反応を示すものの、意識を取り戻してはいない。

 脳波は安定し、掛けられた言葉に対しての脳は反応はバラエティに富んだ。


 ――この声が聞こえますか?

 ――聞こえていたら、心の中ではいと答えてください


 MRIの画面に写されたリディアの脳内は、活動エリアを示す表示が変化する。

 β波とγ波が繰り返し脳内を駆け巡り、リディアの意識は確実にそこにあった。


 ――自分の身体がどうなっているかわかりますか?

 ――聞こえていたら心の中で答えて下さい


 画面に表示される脳波パターンは、明らかに先ほどとは違うモノだ。

 タイレル社の中の脳神経医師は、画面を見ながら考えていた。


 ――自分の状態がわからないと言う事で良いですか?


 その問いに対し、最初の時と同じ反応が脳内に示された。明らかに肯定の意志だった。脳と外部とのインターフェイスが上手く繋がっていない状態だ。

 そうやって手間のかかる『会話』を続けている状態だが、その隣の部屋でテッドはきつく言い含められていた。


 ――――奥様の脳は新しい身体に馴染もうと懸命の努力をされています

 ――――ですからその負担を少しでも減らす為に……


 担当エンジニアはこれ以上無いくらい真面目な顔で言った。


 ――――絶対に名前を呼ばないでください


『名前?』と怪訝な顔で聞き返したテッド。

 担当は怖いほどの表情になった。


 ――――そうです

 ――――今現状では……

 ――――リディアとソフィア

 ――――二つの人格が同時に存在する可能性が高いです

 ――――安定して意思表示が出来る状態まで

 ――――感覚器官や意思疎通器官が完全に接続されるまで

 ――――絶対にリディアと呼びかけないでください


 細かいメカニズムは分からない。

 ただ、言いたい事は良く分かった。


 つまりそれは、リディアとソフィアのコンフリクト対策だ。

 脳内で幻聴や妄想による人格的な衝突を防ぐ為だ。


 小さく『分かった』と返したテッド。

 だが、そんな会話から2週間が経過していた。

 12月も既に前半戦が終わりそうな頃だった。


「お疲れさまです。少尉」


 タイレルのラボへ入っていくのも慣れたものだ。

 テッドはメインゲートのセキュリティポストで自分専用のIDカードをスキャナにかざし、施設内部へ車を入れる。広大な敷地の中を進んでいけば、赤十字のマークが付いた付属病院があった。

 夜8時を回ったというのに、この病院は眠ると言う事が無い。ロサンゼルスでも最大級の医療機関であるこの病院は、カリフォルニア州内で通常医療では手に負えなくなった重篤患者や危篤状態にある患者が運び込まれていた。


 ――――ここで死ぬか

 ――――レプリカントの身体に乗り換えるか


 臓器再生などの医療によりガンや心不全と言った病気が怖くなくなった時代とは言え、多臓器不全や寄生虫系疾患や、さらには薬剤耐性菌による疾患の場合にはある意味簡単に死に至る。

 そんな患者ばかりが集まるタイレルは、レプリカントへの耐性付与という目的の為に、好んでその手の人々を集めてるとも言うのだが……


「少尉!」


 ――え?


 狼狽振りが完全に顔に出たと思ったテッドは、その油断を自嘲して駐車する。

 今のは良くない。エディなら間違い無くそう言うだろう。それを確信していた。


「なんかあったの?」


 努めて冷静にそう言ったテッド。

 受付から飛び出してきた女性事務員は、酷く慌てていた。

 血相を変えてテッドの車へ走り寄った彼女は、マスクとヘッドカバーを持ってきていた。完全無菌状態になったエリアへの進入道具だ。


 ――それを外気に晒しちゃダメだろ


 タイレルの中で衛生学などについてレクチャーされていたテッドは笑う。

 だが、その女性事務員の狼狽振りは尋常では無かった。


「車はここで良いですから! 早く病室へ!」

「奥様が! 奥様が目を覚ましそうです!」

「なんだって!」


 慌てて走り出したテッドは、病院のセキュリティチェックを軽く飛び越えて中へと入っていった。本来であればIDカードでのセキュリティチェックが必要だが、高さ2メートル以上あるチェックゲートをテッドは軽く飛び越えていた。そして、階段を駆け上がり、リディアが入っている部屋へと飛び込んだ。


「ここがどこだか分かりますか?」


 担当していた医師は静かな声で語りかけていた。

 辛抱強く相手の反応を確かめる様に。


 リディアは僅かに頷いた。

 自立的な肉体反応を見せ始めていた。


 ――リディア!


 今にも叫びそうになるのを堪え、テッドはベッドサイドへと立った。

 リディアは僅かに首を振りながらベッドの上で小さく呻いていた。

 切れていた神経のネットワークが繋がったのだろうか。

 まるで歩き始めの子供の様だ。


「この声が聞こえていますか?」


 小さな声で『うーん』と漏らしたリディア。

 テッドは何年ぶりかにその声を聞いた様な気がした。


 ――頑張れ!


 心の中で叫んだテッド。

 だが、次の瞬間、テッドは雷に打たれた様に固まった。


「ジョニー……」


 リディアは小さな声で呟いた。

 医師やエンジニア達は不思議そうな顔になっている。

 ここに居る男はテッドであってジョニーでは無い。

 ジョニーとテッドの関係は全員が知らないはずだ。


「ジョニー ごめんね…… ゴメンね…… ごめん……」


 ――マジかよ……


 カタカタと震えるテッドは、黙って成り行きを見守った。

 正直、どうして良いか分からなかった。


「痛かったよね…… ごめんね…… ごめんね……」


 テッドはグッと力の入った目で医師を見た。

 どういう事だ?と問いかける様な眼差しだ。

 それに対し、医師は静かに言った。


「記憶の混乱でしょうか」

「……いや」


 テッドは一息ついてから言った。

 声を殺して、静かに、静かに。


「私の本当の名前はジョン。彼女は俺をジョニーと呼んでいた」


 周囲の者達が驚きの表情を浮かべる中、テッドはベッドサイドにおいてあったモノを取った。始めてシェルで地球を飛んだ日。上空から見つけた小さな店で買ってきた物だ。


「俺だ…… ジョニーだ 聞こえるか ここに居るぞ 俺だ」


 ベッドの上に投げ出されていたリディアの腕に、テッドの用意したクマのぬいぐるみが押し込まれた。あのニューホライズンの地上でリディアが渡しそうになった小熊のテッド。テディベアのぬいぐるみがそこにあった。


「テッド…… ジョニー……」


 先ほどよりも明らかに力の入った声で名前を呼んだリディア。

 だが、それはソフィアかも知れない。


 今にも名前を呼びそうになったテッドは、グッと言葉を飲み込んで堪えた。

 今ここで慎重にならなければ、全てが水の泡になりかねないと思った。

 ただ、時には着地点も見ないで飛ばなければいけない時がある。


 ――行くぞ……

 ――呼ぶぞ……

 ――名前を……


「リ……『ジョニー』


 ――えっ?


 リディアは遂に目を開いた。

 何処までも透き通る様に蒼い瞳。

 その目はしっかりとテッドを見ていた。


「ジョニー……」

「……リディアか?」


 リディアはウンと頷いた。

 その顔を両手で挟み、テッドは笑った。

 リディアも弱々しく笑った。


「ここが何処だか分かるか?」


 テッドの問いかけにリディアは首を振った。

 ただただ、ジッとテッドを見つめたままで。


「ここは『お願い。抱き締めて』……あぁ」


 ベッドから遠慮無く起こしたテッドは、グッとリディアを抱き締めた。

 あの頃のまま、細くて豊かな感触が両腕の中にあった。


「ここは『ジョニーの腕の中……』


 リディアはテッドの胸に顔を埋めた。


「怖かった……」

「怖かった?」

「怖い夢を見ていた」

「そうか…… だけど…… もう大丈夫さ」

「うん……」


 瞬間的に、テッドは今のリディアが、あのグレータウンのパブの2階の、小さな客室の中なんだと思った。そして、ここまでの経験が全て悪い夢だと思っているのだと、そう直感した。


「もう大丈夫だよ」

「うん」


 素直な言葉で身を任せたリディアは静かに微笑んでいた。

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