脳移植
今日2話目です
~承前
凡そサイボーグの顔というものは、クマができたり無精髭が伸びる事は無い。
連日連夜の激務が続き、その疲労を表に出す事も無い。
作り物でしかない顔なのだ。
生理反応的な変化を期待する方が間違いであり、多少動くだけのマネキンだ。
有機シリコンとハイブリッド人工筋肉により作られた、文字通りの作り物だ。
普通なら魂が宿る筈など無い、ただの人形……
だが、この日遅くにタイレルのラボへと顔を出したテッドは、誰が見たって驚く様な憔悴ぶりだった。疲労ぶりだった。
そして、それでもなおギラギラした目で活動していた。リディアが僅かな生体反応を見せた日から、早くも2ヶ月が過ぎた11月の終わりだった。
「大丈夫ですか? 少尉」
「全然問題ねぇ 今夜もやるぜ!」
半ば徹夜状態で毎夜のセッションをこなしているテッド。
たった一人の観客の為に。リディアの為に。
テッドはピアノを弾き続けた。
しかし……
「少尉…… 盛り上がっているところをスイマセンが……」
タイレルの担当エンジニアは申し訳なさそうな顔でテッドを見た。
その顔には『うわぁ……』と言わんばかりの表情が張り付いていた。
一瞬だけ最悪の想像をしたテッドだが、それは強制的に頭から排除した。
悪いイメージはすなわち失敗に繋がる。
集中と冷静。事をし損じない為に必要な事はそれだ。
遠き日々に見た父の背中は、それを体現していた。
そしてもう一人。
エディの背中は常に鷹揚としている。
泰然としていて、全てに余裕を持っていた。
ならば……
「なにか、まずいのか?」
「いえ、まずいのでは無く……」
エンジニアはテッドを誘ってリディアの部屋へと歩いた。
その部屋からはバイタルモニターの音がしなかった。
――えっ?
既に虹の橋を渡ってしまったのか?
テッドの表情が固まった。
足が重く感じた。
その全てがメンタルな部分に影響されているのだが……
「ご覧の通りです」
ドアを開けたエンジニアは、室内の有様をテッドへ見せた。
綺麗に片付けられた室内の真ん中には無人のベッドが一つ。
そこの上に寝転がっていた『主』は居ない。
「まさか……」
「今日の午後です」
「午後?」
「えぇ。急にですが……」
思わず抜けそうになった膝に力を入れ、テッドは堪えた。
今にも床に崩れそうになるのだが、士官の矜持で自らを支えた。
「我々も手を尽くしたのは事実ですが……」
「いや、良くやってくれたと思う」
「ありがとうございます。ですが、まさか、こんなに早くにとは……」
テッドはエンジニアの肩をポンと叩いた。
「お世話になりました」
「いえいえ。これも仕事ですから」
仕事と言い切ったエンジニアに、テッドは僅かながらも不快感を覚えた。
だが、それについて愚痴愚痴言うべきで無いとも思うのだ。
間違い無く、最善の努力をしたはずなのだから。
「それに、ここからが本当の勝負ですよ。少尉」
エンジニアの顔を見たテッドは、その発破に狼狽えた。
随分とまぁ輝かしい目をしていると思った。
ただ、やるべき事は解っているつもりだ。
こうなった仇をこの手で討つ。
絶対に許さない……と。
宇宙の果てに逃げたって、必ず追い詰めてやる……と。
テッドは力なく笑った。
「世の中って厳しいな」
「ですが、がんばれますよ。少尉なら」
「……それって」
「支えがあるんですからね」
エンジニアが手招きして再び歩き始めた。
その通路のどん詰まりには、許可無き者立ち入り禁止の表示があった。
――なんだ?
さすがに怪訝な表情が漏れたらしく、エンジニアは薄笑いのような顔になった。
それは励ますようでバカにするようで、何とも言えない感情を沸き起こした。
しかし、声を荒げる訳にはいかない。
懸命な努力を評価せねばならない時もある。
これから幾多の戦場を踏み越え、部下を使う事になる士官だ。
自分の感情ではなく客観的な評価を下さねばならない。
──つれぇ……
やや俯き加減で一歩踏み入れたその特別エリアには、レプリカント独特の血の臭いがした。鉄臭いのではなくアルミ臭いのだ。
最初は解らなかった臭いだが、思えばテッドも場数を踏んだものだ。テッドはそんな感慨に耽った。だが、さらに奥へ一歩入った時、その思考の全てが停止した。
――はっ?
床にこぼれた白い液体は、レプリカントの身体を流れる血だ。
アルミニウムの酸化還元反応を使ったその人工血液は、鉄を媒介とする人間に比べ効率では劣るが一酸化炭素対策や飽和酸素の輸送効率では勝るらしい。
科学的な知識の乏しいテッドだが、思えばこの2週間で随分と勉強していた。
全く新たしいシステムで駆動するサイボーグの身体を使いこなす為に、様々な努力をしているのだ。
そんなテッドの思考の全ては、ものの見事に停止してしまっていた。
「おっ…… おいっ!」
テッドは無意識に案内していたエンジニアの襟倉を掴んでいた。
サイボーグの膂力は人間の一人や二人、簡単に持ち上げる。
両脚をバタバタさせたエンジニアはテッドの腕にしがみ付いた。
「ちょっ! ちょっと! 待って待って待って!」
「待てやこらぁ!」
テッドが見つめる先には、強化ガラスに囲まれた完全隔離な研究室がある。その中には、裸に剥かれたソフィア=リディアが居た。
全身に入ったタトゥーを無視し、首のつけねから下腹部まで正中線沿いに切り裂かれていて、そこから左右に開かれていた。肋骨部分は前後に切断され、まるで蓋でも開くようにパカリと取り外されている。
その周囲には切り取られた豊かな乳房が置かれていて、それだけでなく開かれた身体の中からは全ての臓器が取り出され、それぞれに専門にとしているエンジニアが真剣な表情で臓器を解体していた。
それはまさに魚の開きだ。
釣り上げられ調理する為に裁かれた魚と同じだった。
「てめぇら! いきなり解剖するたぁどういう了見だ! ちきしょう!」
完全にぶち切れたテッドはその研究室へと突進した。
ぶ厚い強化ガラスの向こうには音が漏れていないらしく、全員が真剣な表情で作業に当っていた。
「ちょっと待て! 待てよこらぁ! 何してやがんだチキショウ!」
テッドは無意識に強化ガラスを殴りつけた。
だが、そのガラスはビクともしないでテッドの拳を押し返した。
硬いが柔らかいアクリル製のモノだ。恐らくその厚みはメートル単位だろう。
「やめろよ! やめろよ! やめろって言ってんだろ! それは……」
ガラスに両手を添えてガクリと膝を付いたテッド。
強靭なはずの床にズンと叩き付けた膝からは、鈍い音が響いた。
「それは…… 人間だったんだぞ…… 生きてたんだぞ…… それは……」
遠い日。
広大な牧場の中で食べる為に牛を絞めた事があった。
テッドが見ている中、父は牛の首をナイフで切り裂き、失血死させていた。
ガクリと膝を付いた牛は、失血に苦しみながら倒れて果てた。
その上に登った幼い日のジョニーは、征服感を味わった。
だが……
――――ジョン!
父の怒声が響き、幼い日のジョニーは身体を硬くした。
次に何が起こるか予想が付いたからだ。
――――何をしているんだ!
父は腰に下げていたムチを外した。
そして、そのグリップ部分でジョニーを殴打した。
――――馬鹿者!
牛の血だまりに転げ落ちたジョニーは父を見上げた。
そこには烈火の表情で怒る父の姿があった。
――――死んだとはいえ、それは生きていたんだぞ!
――――死んだものを辱めるな!
――――死んだものを侮辱するな!
――――死んだものに敬意を払え!
――――それを食べなければお前は死ぬんだぞ!
生あるものの命を奪い、然る後にそれを食して命を繋ぐ。
ごくごく当たり前だが、ついつい忘れがちな事がある。
自分以外の何かの死が自分の命を繋いでいく。
絶対に目を背けてはいけない厳然たる事実をジョニーは教えられていた。
そして、その死を侮辱しない事も。大切にする事も……
「それは生きていたんだよ……」
ガックリと肩を落としたテッドは、カタカタと震えていた。
ただ、襟倉を掴まれたエンジニアは、テッドから離れて立って言った。
「少尉。落ち着いてください」
まるで腫れ物にでも触るように遠巻きに言うエンジニアは、テッドの暴走を露骨に警戒している。とんでもない力で絞められれば、人間など簡単に死ぬのだ。
冷静さを失ったテッドを宥めるべく、慎重に言葉を選ぶエンジニアは、静かに切り出した。慎重に、慎重に。
「あの身体はブロック71をベースにしています。ただ、恐らくシリウス星系での独自進化をしているんですよ。向こうのエンジニアが改良しているんです」
それは、露骨なまでに『人ではなくモノだ』と言う意志の表示だった。
強い視線でエンジニアを睨み付けたテッドだが、エンジニアは言葉を続けた。
「地球では既にブロック73まで進化していますが、その差異を調べる事によって74以降のレプリに様々な改善を施せます」
「だからと言って!」
グッと両手を握り締めたテッドは、強化ガラスを叩いた。
ズシンと鈍い音が響き、建物全体が揺れたような気がした。
「ゲノムの解析と調整は完璧です。このレプリの身体を調査し、研究する事によって、次のボディへ、その次のボディへ、さらにその次のボディへ。着々と改善していけるんです。より強靭に。より安定し、より快適に。全身疼痛の改善など、まだまだやるべきテーマは多いんです」
エンジニアは一瞬だけ言葉を切って思考を重ねた。
その僅かな沈黙も、テッドには永遠に感じるほどだった。
「少尉が憤りになるのも分かります。ですが、レプリボディを乗り換えていくユーザーにとっては、古いボディを研究材料に出すのが契約上の義務なんですよ」
その言葉にテッドは首を振った。
いやいやいやいや……
そう言わんばかりに首を振った。
「それは死んでもか? 死んでなお研究材料にされる運命なのか?」
「身体は死にますが本人が死んだわけではありませんから」
「しかし!」
もう一度リディアを見たテッド。
スタッフは慎重な手つきで喉下から顎を通り抜け、鼻を縦に切った。
頭蓋骨部分を左右に割ったスタッフは、スプリットタンになった舌を笑った。
「ちょっと待った」
テッドと案内していたエンジニアの話を聞いていた別のスタッフが首を傾げた。
首からネームカードをぶら下げたその女性スタッフは、不思議そうな顔だ。
「少尉殿」
返答の声を発さず、顔だけ向けたテッド。
そのスタッフはやや首を傾げた状態で言った。
「多分勘違いされていますよ?」
「勘違い?」
「はい」
その女性スタッフは、近くのドアを開けてテッドを誘った。
「説明するより見た方が早いです」
「見る?」
「奥様はこちらです。どうぞ」
急に歩き出したスタッフの後ろを付いていくテッド。
2分ほど歩いた先には、厳重にブロックされた厳重管理エリアの表示があった。
専用のエアシャワーを何度も浴び、それに続き全身に滅菌スプレーを浴びる。
その状態で再びエアシャワーを浴びて乾かしたテッドは、常時風が吹き出しているドアの前に立った。
「ここから先は陽圧エリアです。これを付けてください」
顔の全てを覆うカバー状の帽子を被ったテッドは、45秒の紫外線殺菌エリアを通り抜けて厳重なブロックへと入った。廊下の左右にはぶ厚いガラス越しに幾つもの垂直型ガラスシリンダーがあった。
その中にはレプリカントの育成中胎児が浮いている。そして、その奥のエリアには、幾つもの脳本体が漂っていた。幾つものサポートケーブルを装着し、シリンダーの中でクラゲの様に漂っていたのだ。
「こちらです」
女性スタッフが指差した先。
そこにはリディアの文字と共に、奇麗な薄ピンク色の脳があった。
「……標本か?」
「いえ、生きていますよ。キチンと脳波も観測されています」
良く見れば、そのシリンダーの基部には小さなモニターが付いていた。
脳波が常時表示されていて、いくつかの文字が出ている状態だった。
「現在はα波を観測しています。お休みになっていますね」
ポカンとした顔でそれを見たテッド。
女性スタッフは笑顔で言った。
「明日の午後にでも新しいボディへの移植作業が行なわれます。ここからが勝負なんですよ。ですから、応援してあげてください」
幾度も幾度もリディアの脳と女性スタッフを見たテッド。
あまりの衝撃を自己吸収し切れなかったのだが、いまは深く理解していた。
「……あぁ」
そう、呟きながら。




