大気圏内初飛行
今日2話目です
~承前
「じゃぁ行ってきますよ」
「少尉。くれぐれも無茶をしないように」
見送りの下士官に手を上げてテッドはコックピットに納まった。
地上に降りて4日目。地球の重力にも慣れてきた頃だ。
ソフィアは連日の様にカウンセリングを受けていて、だいぶ安定していた。
発作的な狂乱を起こす事も無くなり、幻聴を幻聴と認識出来る様になっていた。
――――脳殻内洗浄します
――――マイクロマシンを全て除去してしまいましょう
精神科医と脳外科の医師はテッドにそう告げた。
軍の方針なので、基本的にはテッドが口を挟める問題では無い。
だが、現場の医師も情報担当将校も、皆がリディアをテッドの妻として扱った。
もちろんソフィアもだ。
自分が何者かを確信するべき過去情報は無い。快楽に溺れ享楽的な生き方の中で流されてきた人格だ。
そんなソフィアは今、自分がテッドにとって『特別な存在』である事を拠り所にしていた。
――よろしくお願いします
治療方針は全てテッドに告げられ、同意と了解を求められた。
拒否する事も出来るだろうが、現場のスタッフはリディアの患いを治そうと懸命に努力している。それは見ていれば分かる事なのだから、テッドは全てを任せていた。
――その道のプロフェッショナルが揃っている
リディアの治療を任せたテッドは、この日、ロサンゼルスから北東約60マイルにある空軍のエドワーズ基地にいた。臨時で設けられたピットの中にはドラケンの姿があった。
ドラケンの背中には巨大なエンジンが装着されていて、胴体部分がもう一つそっくりくっついたようなモノだった。そこにあるのは約半年前に爆発事故を起したエンジンだ。
――――いきなりだがテスト飛行してくれ
――――なに。今度は爆発しないさ
――――3000時間も燃焼試験した
――――実際に航空気に積んでテストもした
――――後はシェルでテストするだけだ
胸を張って言ったホワイト大佐は、褐色の肌をさらに日焼けさせていた。
これじゃぁブラック大佐だと内心で毒づいたテッドだが、ニコニコと笑う大佐から受け取ったハーネスでシェルのコックピットに納まったのだった。
大気圏内向けの飛行エンジンはいつでも点火できる状態になっていて、テッドが来るのを待っていたのだと気が付いた。
『好きに振り回しても良いですが、機体は壊さないでくださいね』
『可能な範囲にしておくよ』
『エンジンはともかくドラケンはスペアが無いんですから!』
基地のグランドハンドラーな軍曹は、冗談とも本気と持つか無い顔でそう言った。内心で『俺のスペアもねぇぞ』とぼやくが、どうもそれはスルーされそうな状況だ。
ニューホライズンと比べると、地球の重力はごくごく微妙に弱い。それを感じ取れるほど高性能なわけではないが、なんとなく身体が軽いと感じる事も多い。つまり慎重なフライトが要求される……
『忘れないでください。ラムジェットエンジンは自力加速が必要です』
『あぁ。大丈夫だ。まだ目の前に仕様書がチラチラしているよ』
テッドは全ての地上スタッフに挙手を返してハッチを閉めた。
穴が開くほど眺めると言うが、テッドはその仕様書を丸暗記していた。
映像化してファイリングしてはあるが、それだけでは不安を覚えたのだ。
それ故、映像情報ではなく記憶としてファイルする努力をしたのだった。
――――管制塔よりバーディー01
『こちらバーディー。たった今、卵から孵ったところです』
――――了解した。近くに猛禽類が居るようだ
『そりゃ穏やかじゃないですね。空中退避します』
――――よろしい サポートをつける ハンガーから前進せよ
『バーディー01 了解!』
複数のモニターに様々な情報が表示される中、ドラケンは起動した。
メインシステムが目を覚まし、各部のアクチュエーターが目を覚ます。
エドワーズ基地のエプロンを前進するテッドは、何気なく周囲を見た。
すると、周囲にいた空軍関係者が興味深そうにシェルを見ていた。
何とも懐疑的で、どこか鼻白んだような表情だ。
それはつまり、シェルの能力を見た事の無い者達と言う事だ。
人間の限界を超える超高速での戦闘を行う兵器。
その知識が無ければ、巨大人型兵器はただの的にしか見えない筈。
――そうか……
地球ではシェルがまだまだ少ない。
あくまで実験的な兵器であって、主力にはなり得無い。
そんな扱いだ。
――腰抜かすなよ……
コックピットの中で人知れずニヤリと笑ったテッド。
ギャラリー達が疑心暗鬼の目で見る中、メインエンジンの点火を準備する。
『バーディー01よりタワー 離陸を申請する』
――――こちらタワー
――――周辺視程20マイルで快晴だ
――――デモンストレーションを楽しみにしている
――――GO!
『バーディー01 了解!』
……ラムジェットエンジンは音速を超えないと威力を発揮しない。
エンジニア達はホワイトボードを使ってエンジンの駆動原理をテッドに教えた。
そもそもに飛ぶのが好きでシェルの好きなテッドだ。
勉強的は本当に苦手だが、そのシステムや駆動原理について良く理解した。
そして、そのデリケートなエンジンを宥め賺して飛ぶ方法も。
――さて……
滑走路の中央付近にやって来たドラケンは、試験機と言う事もあって純白だ。
ふと、自らのシェルがウルフライダーにも思えたテッド。
その表情は、純粋に喜ぶ子供のような表情だった。
『メインシステム良好。油圧・電圧・冷却系等良好。メインエンジン点火5秒前』
ラムジェットエンジンの前に付いた小さな圧縮機が動き出す。
ゼロキロ状態では駆動しない構造だからだ。
離陸からしばらくはターボジェットその物なエンジンは、炎を吐き出し始めた。
――よし……
グッと力を入れたような感触でテッドは身構える。
この瞬間だけは、自分が鳥になった様な錯覚を得るのだ。
――バーディーか……
シェルが小鳥なわけあるかと内心で笑みを浮かべつつ、エンジン推力を上げた。
超音速の炎が滑走路を焦がし、シェルは空中へと舞い上がった。
――行けッ!
グッと前に出たシェルは、新しいエンジンで空へと舞い上がった。
徐々に速度が乗り始め、世界がめまぐるしく変わっていく。
雲ひとつ無いエドワーズ上空で一気に高度を上げていく。
――――バーディー01
――――どうだ?
『地球は蒼い星ですね』
――――そうじゃない!
『ハッハッハ! 良好です! コレより内陸を目指します』
グングンと高度を上げるテッドは、それに連れて速度も上げていた。
何らかの理由で墜落すれば助からない高度だが、恐怖感は一切無かった。
――行けるっ!
――行けるさっ!
上昇を中断し、前進方向へ姿勢を代える。エンジンマウントの方向は、機体を前に60度程度傾斜させた前傾姿勢でベストバランスになっていた。
向かい風を受け機体自体が揚力を生み出している。その状態でグングンと速度を上げていき、ふと目を落とした速度計は遷音速域を示していた。
――これは凄いな……
赤茶けた地上の景色が目まぐるしく変わっていく。
左右を見れば大気圏内向けの戦闘機がサポートに付いていた。
――さて……
――ショータイムだ
エンジンは自動でバイパス弁を開け、コンプレッサーを停止した。
インテークコーンが自動後退し、エンジンはラムジェットモードに切り替わる。
グッと推力が増し、機体はグングンと加速を始めた。
――よしよし
テッドはにやりと笑って一気に加速した。
グンと速度が乗り始め、速度計の針がグルグルと回転している。
ドラケンはサポートに付いていた大気圏内向け戦闘機を軽くぶっちぎった。
赤茶けた砂漠の上空で、テッドのシェルはマッハ4に到達した。
――ほら……
――付いて来いよ
全周囲レーダーの反応範囲を飛び越え、ドラケンはまだまだ加速している。
着たい各部の温度が上昇し、先端部分が赤熱化し始めた。
――旋回!
機体を捻りエンジンの推力方向を変えて旋回を試みる。
何度もシミュレーターの中でやったとおりな運動だ。
可能な限りに急旋回を試み、直角に見えるような動きを何度かしてみた。
――宇宙の様にはいかないか……
思うほど運動性能が高いわけではないが、戦闘機が追随できる動きでもない。
空中で激しいマニューバを行なうシェルの姿は、見上げる者たちに妖精をイメージさせた。ディズニーアニメに出てくるティンカーベルや、空中を舞うピーターパンのようだ。
――――楽しいか?
『楽しいですね!』
まだまだ激しい空中運動を行なうテッドは、ふと思い立って急降下を行った。
激しい空裂音を撒き散らし加速を続ける機体はマッハ5が見え始めた。
本来なら強烈な加速に身体が悲鳴を上げるのだが……
――こんなもんか
テッドは至って平然としていた。
現実問題として、歯を食いしばるような加速では無い。
いや、シェルの実力を知らなければ悲鳴の一つもあげる加速だが……
――宇宙で戦闘加速すると……
――この5倍は来るからな……
大気圏無いと言う事もあり、断熱圧縮で機体が加熱され溶けかねない。
それ故に一定の速度までは加速できるが、安全装置で止まる様にもなっている。
――まだまだこんなもんじゃねぇよなぁ……
宇宙であれば、細かいデブリと闘いつつ飛べるシェルだ。
機体自体がリフティングボディになっているので揚力を発生させている。
ただ、どうにも細かい制御が効かないので、少々もどかしい。
――それっ!
地上から500メートル程のところを一気にフライパスすると、激しいソニックウェーブで地上に土煙が沸き起こった。
そのまま頭を上げて急上昇モードに入るも、エンジン推力は機体重量に負ける事無くシェルを押し上げていく。
――――戦闘は出来るか?
『無理ですね。迂闊に姿勢を崩せばストールします』
――――そうか
――――もう少し研究する様だな
『同感です。ただ、機体自体は全く問題ありません』
――――了解した
――――少尉、そろそろランチタイムだ
――――シェルの燃料も無くなる頃だろ
『ですね。ドラケンも腹ぺこです』
――――ご苦労だった
――――帰投せよ
――――滑走路は開けておく
『了解です!』
ベイパーを引きながら大きく旋回してエドワーズ基地を目指したテッド。
後続の戦闘機とすれ違ったのだが、相対速度は思うほどでもなかった。
いつもは宇宙空間で激しい機動を行なうのだが……
――大気圏内じゃこんなもんか
レーダーパネルにエドワーズ基地が映り始めた。
進入経路が示され、テッドはそのラインを踏んで入っていく。
眼下にはロサンゼルスの街並みが広がり、様々な施設が見える。
大きなスタジアムでは、実物を初めて見るベースボールが行われていた。
賑やかな商店街を横切り、アッパータウンの上空を通過する。
自動車ディーラーの上空では沢山の車が並んでいるのを眼下に眺めた。
僅かながらもテッドは感慨に浸る。シリウスでは貴重な自動車だったはず。
それが無造作に、大量に並んでいるのだった……
「ん?」
テッドの目は何かを捉えた。街角の小さな店先にあった看板だ。
モニター越しであまり解像力は良くないが、そのシルエットは見覚えがある。
チラリとしか見えなかったが、見間違う事などあり得ないデザインだ。
――うーん
様々な思惑が一瞬にしてテッドの脳内を駆け巡る。
そして一つの結論に達する。
――とにかく行ってみよう
『バーディー01よりタワー 滑走路へ進入する』
――――タワーよりバーディー
――――遠慮無く着陸しろ
――――ただ、行儀良くな
『イエッサー!』
一瞬だけエディが無線の向こう側に居ると思った。




