シリウス帰還
二日酔いの朝は辛い……
やっと動けるようになった
いつの間にか自分自身の感覚が変わっている事にテッドは気が付いた。
視界いっぱいに広がるコロニーナイルを見ていると、不思議な感覚を味わった。
――ただいま……
自らの故郷は、あのグレータウン郊外の草原の筈だ。
粗末ではあったが、小さな掘っ立て小屋レベルの自宅。
広大な牧場で牛を追って暮らしていた少年時代だったはずだ……
だが、テッドはナイルを見ながら胸が高鳴っている。
自分自身がこれ程までに里心を持っているなど、信じられなかった。
――たった15日なのに……
テッドの味わった時間経過は、僅か2週間だ。
ただ、そんな2週間でも旅行から帰れば自宅は寛げる場所だ。
往復17光年強を飛び越え、約半年の時間も飛び越え、帰ってきた。
――あれ?
あのキノコのようにコロニーから突きだしていた施設が、補強されている。
どこか間違い探しのように細々と姿が変わっている。
強制的に撃ち込まれた毒ガス発生装置の周囲には、アングルが組まれていた。
コロニーの外壁と完全に一体化したそれは、気密漏れ対策の工事にも見える。
――和平交渉が進んでいる…… とかかな
アレコレと思案を重ねるが、実際には結果が分からない事だ。
早く話しを聞きたいと思いつつ、ソフィアをここへ残していくのが憚られる。
ソフィアとリディアは一人の人間の中で微妙な関係なのだろう。
――また大喧嘩されると堪ったもんじゃねぇ……
ウーンと考え込んで難しい顔になったテッド。
その視界はソフィアの居る小部屋のモニターへ直送だ。
サイボーグはテレビカメラも兼ねていて、テッドは苦笑いを浮かべていた。
「少尉」
「……バロウズ大尉」
「ホームだぞ」
「そうですね」
苦笑いしつつもバロウズを見たテッド。
そのバロウズも優しい表情だ。
「帰ってきた事を喜ぼう」
「えぇ」
この時代の技術とて、光速を越える事は一定の危険を伴っていた。
――――――――2249年 6月 21日
コロニー ナイル 宇宙港付近
シリウス協定時間 午前7時過ぎ
視界の中を光の帯が走った。
コロニーの宇宙港から放たれるガイドライトだ。
エンデバーはそれに沿って進入し、筒状となった1番桟橋へと入港した。
【こちら放射線管理室。エンデバー周辺の放射線量は規定値以下です】
全バンドに入ってくる無線の声にテッドはホッとした表情となった。
エンデバーの周辺に命綱付きの港湾労働者が集まりはじめ、係留作業を行う。
ガッチリと舫われたエンデバーに、ボーティングブリッジが付けられた。
『ソフィア』
『……なに?』
『コロニーに入るけど、何か要る物ある?』
『うーん……』
考え込んでいるソフィアは『特に無い』と答えた。
何処と無く遠慮しているようにも感じるのだが……
――あまり追求するのもどうか……な……
『わかった。不用意に出るなよ』
『うん……』
なんとなく後を引く返事を無視しテッドはワスプへと向かった。
ソフィアの用事が無いなら、先ずは帰還報告優先だ。
ナイルのボーティングデッキからコミュニティランチへと移乗するも、艇内は雑多な人種の坩堝だった。
なんとなく居心地の悪さを感じつつ、ワスプへ入ったテッド。
デッキ士官はテッドを忘れていなかった。
「おかえり少尉」
「あぁ、ただいま戻りました」
「地球へ行ったんだって?」
「初めての訪問ですよ」
「そうか。俺はそろそろ家に帰りたいもんだがなぁ」
冗談めかした物言いだが、その目はあまり笑っていなかった。
誰だってストレスを抱えながら艦内生活を続けている。
勉強だと思って読めとエディから渡された小説の中に船乗の楽しみがあった。
一番が帰郷。
二番は上陸。
三番は酒飲みとあった。
「中尉は何時までですか?」
軍隊は何事も契約の社会だ。
期間を区切り乗船し続けて任務に就く。
参謀本部と政治家が決めた方針は作戦となって下達される。
下っ端士官は上級下士官から突き上げられつつ、上官の命令に従うだけだった。
「予定では、あと14ヶ月だが」
「じゃぁきっとスグですよ」
気休めにもなら無い言葉だが、この中尉だってテッドの契約が随分と長い事を知っている。手を上げて挨拶し別れたのだが、テッドは後ろを振り返った。
なんとも寂しいその背中に、家族と別れ任務に就く軍人の悲哀を思った。
ただ、久しぶりに顔を出したガンルームの中は相変わらずだった。
若い男たちが集まって共同生活しているようなモノだ。
片付けの意識などかなりいい加減なものでしかない。
宇宙船の中と言う事で数こそ限られてはいるが、雑多な物が溢れ返っている。
そんな中を進んだテッドは早速ヴァルターに出迎えられた。
「よぉテッド! おかえり!」
全く変わらない姿のヴァルターは、ウェハース状の物を食べていた。
作り物でしかないサイボーグの顔だが、そこには目に見える疲労感があった。
「おぅっ! ところでどうした? なんか疲れてるな」
「まぁな!」
へラッと笑ったヴァルターと共にガンルーム奥へと入ったテッド。
シェルパイロットたちが寛ぐレストルームにはいつもの面々が揃っていた。
「おかえりテッド!」「地球はどうだった?」
ディージョもウッディも相変わらずだ。
「どって事無いが…… 奇麗な星だったな」
「兄貴は相変わらずっす!」
「どういう意味だテメェ!」
「この調子っす!」
ロニーとやりあい笑うテッド。
だが、帰って来たという実感が沸き起こる。
「俺も見てみたいな。地球を」
実感のこぼれる言葉でぼやいたディージョ。
シリウス生まれな仲間たちの中で、一番憧憬の強い男かも知れない。
「で、実際どうだったんだよ」
ジャンはどこか期待するような調子でテッドへと問い掛けた。
そして、ジャンだけでなくオーリスもステンマルクも同じようだ。
――あぁ……
――そうか
外の話しに餓えているんだとテッドは気が付いた。
思えば、地上で発行されている新聞ですらも娯楽になるのだから。
「最初見たときはあまり思わなかったけどさ――
改めて地球到着時の事を思い返し始めたテッド。
冷静に考えれば、地球へ向かう船内ではソフィアの事で手一杯だった。
――周回軌道へ入ったときは、エンデバーのデッキからしげしげ眺めたよ。とにかく地上がいろんな色に別れていてさ、夜なんかスゲェんだ。宝石をこぼしたみたいって言うけど、サザンクロス上空で見る街明かりが地球の地上全域をほぼ埋めている感じだ」
ハッと気が付いたテッドはチーム内無線で自分が見た夜の地球映像を流した。
その光景を見たヴァルターやディージョが『おぉ!』と声を漏らす。
地球人に近いはずなロニーですらも『すげぇっす!』と歓声を上げた。
「そんでさ、地上に降りると、今度は街がスゲェのさ。ニューホライズンと違って隅々まで発展してるんだ。街角の商店も品物で溢れ返っている――
今度はロスの街並み映像を流したテッド。
人が溢れ帰り自動車が行き交い、コンビニの店舗には品物が溢れている。
街角の商店には看板が並び、瀟洒なストリートにはオシャレなカフェがあった。
貧しく乏しいニューホライズンでは中々見ない光景だ。
そもそも大都会なロサンゼルスだが、その発展はサザンクロスを軽く凌駕する。
――一番思ったのはさ、人々の表情が明るいんだ」
テッドが漏らしたその言葉にジャンやオーリスや、地球を知る者たちがハッとした表情を浮かべた。シリウス生まれでシリウス育ちな人間にしてみれば、暗い表情で毎日を過ごす事が無いように見えるのだと思った。
地球は地球で色々と問題を抱えている。こっちを立てればあちらが立たずな難しいバランスだ。万民が納得する政策など無いし、必ずどこかにその歪が集まってしまうのを、皆が少しずつ我慢し、見てみぬフリをしてやり過ごしている。
地球の弱者をシリウスへ切り捨てたと言う表現は、シリウスから見れば自らが当事者であり、地球からすれば弱者救済の目的を踏みにじられた事になる。地球出発時点で全ての負債が棒引きされ、如何なる返済義務も免除されての出発だった筈。
その、本来は支払い義務のあった全てを、地球残存者が均等に分割し徴税と言う形で負担した事になっている。
「色々と矛盾もあると思うけど、それは何処だって一緒だって気が付いた」
まだまだ見た物を紹介したい部分はある。
ただ、タイレルの中で見たものだけはやめておいた。
あれはエディにだけ言うべきものだろうと思ったからだ。
余りに異形な姿をしたあのミイラは、一般に漏らすべきでない。
地球側の権力者たちが何をどう心配しているのか。
テッドはそれ自体に気が付きつつあった。
「まぁ、結論めいた事を言うつもりは無いけどさ。結局、同じ人間が暮らしている星なんだよ。地球人とかシリウス人とかじゃなくて、同じ生物だ」
テッドはそう話を締めくくって報告を終えた。
なんとなくまとめ切れなかった気がするが、それ以上はやめておいた。
「そうかぁ……」
ヴァルターは腕を組み、ウーンと唸って何かを考え込んでいる。
テッドは思わず『ところでさぁ』と話を切り出した。聞きたい事は山とあるのだが、その中身が驚愕の事態だと言う事を、まだ知らなかった。




