マイクロマシンの真実
~承前
それは、シリウスまであと1日となった日の出来事だった。
「ソフィア!」
リディアでは無くソフィアと呼びかける事に抵抗の無くなっていたテッド。
だが、流石のテッドもこの日ばかりは慌てふためいた。
恒星間飛行を行い、時間と空間を飛び越えたエンデバーはシリウス系に戻った。
そのワイプインの直後ごろ、ソフィアは卒然昏睡状態に陥った。
相変わらずテッドの部屋に居る彼女は、立ち上がった表紙に昏倒したのだ。
「解析してみましょう」
自爆チョーカーの関係でテッドはソフィアのそばを離れられない。
その関係で迷う事無く彼女をサポートし、医務室へと入ったのだが……
「……ありえない」
開口第一声、船内医はCT画像を見ながら言った。
ソフィアの頭蓋内部には、莫大な量のマイクロマシンが入っていた。
地球で検査した際には、その殆どが機能的を失っていた筈のものだが……
「一部が生き残っていて活動しているようだね」
船内医は興味深そうにデータの解析を始めた。
そのマイクロマシンは、特定の周波数で流れる電波をエネルギー源に動く様だ。
そして、脳殻内で様々な電波を増幅し、脳の思考を矯正するらしい……
「そんな事って出来るんですか?」
「出来るかどうかは…… 目の前のコレを見れば分かるだろう」
ソフィアは夢にうなされるように声を上げている。
テッドはどうする事も出来ず『ソフィア』と呼びかけるだけだった。
「あまり呼びかけない方が良いかも知れないな」
「……なんでですか?」
「恐らく彼女の内部では複数の人格が衝突している」
精神科医の所見を読んだ船内医は、自らの専門分野では無いので断定を避けた。
だが、当たらずとも遠からずなその見立ては、あまり間違ってはいない様だ。
ソフィアとリディアはその内部で激しく口論をしている。
ミリアは双方を諫めていて、さらにテッドが作り出したもう一つの人格は……
「彼女は複数に別れているが……」
「はい」
「残念な事に、いわゆる煽り役が居るようだな」
「煽り役?」
「そう」
船内医は所見レポートの紙面を指で弾いてそう漏らした。
残念な話だが、どうにも対処出来ない事が世の中にはある。
手を出したくとも出せない状態。
或いは、ジッと我慢して静観を決め込むべき状態。
身を焼かれるほどの焦燥感に耐えつつ、チャンスを待つのだ。
「複数の人格が言い争いをしているのだろう」
「それは前に聞きました」
「彼女の中でそれらの人格を統合しようと頑張る存在が居る」
「……え?」
テッドは思わず声が裏返った。
理解出来ないと思ったのだ。
ただ……
「なんというかね、それもまた生命の神秘と言うには微妙な話だが」
船内医は言葉を選びつつもテッドの顔をチラリと見た。
ギリギリと歯を食いしばり、屈辱と焦燥感に耐えるテッドがそこに居た。
ソフィアでもリディアでも良い。とにかく目を開けて欲しい。
そんな感情に振り回されていて、テッドは冷静な判断を欠いている状態だ。
「彼女は…… リディアは助かりますか?」
「その問いは難しいな」
精神科医と違い、船内医は内科や外科と言った部分が本来の守備範囲だ。
傍目に見えないもので、なおかつ検査機器や検査データで見えない物は困る。
何とも即物的だが、それでも現実に上手く対処すると言った部分での医者だ。
あそこが悪い
ここが悪い
そう言った患者の声を聞き、治療を施すのが仕事と言える。
船内医にとって精神を癒やすという医療は未知の領域と言って良い。
ただ、現実には目の前に苦しんでいる患者がいるのだ。
何とかしてやりたいと願うのは医者の本能でもあった。
「精神という物は、肉体の影響を強く受けるという」
「そうなんですか……」
「彼女にとって君は特別な存在だと思うか?」
船内医のその言葉に、テッドは一瞬だけ逡巡してから首肯した。
それを話してしまって良いのかは分からない。
ただ、黙っていても話は進まないと思ったのだ。
「実は……」
それでもテッドは迷った。
ここに来て、エディがテッドに与えた試練の意味をやっと理解した。
難しい場面を幾つも用意し、その中で決断を促すトレーニングだ。
良い悪いの話では無く、この先にどう転ぶかを予測させる部分でもある。
リディアは間違い無くテッドにとって特別な存在だ。
本来は赤の他人である筈だが、全くの他人では無い存在だ。
妻
それは男にとって特別を通り越す存在と言って良い。
この世界に存在する男にとって、母親が永遠の恋人で有るように……だ。
異なる表現をとるなら、最も理想的な存在であるように。
妻は、男にとって心の内側に立ち入る事を許せる母親以外唯一の存在だ。
そしてそれは、男にとって命を差し出しても構わないと思える存在でもある。
全くの他人である筈なのに、他人を越える何かを持っている存在だ。
「……彼女は、この女性の本来の人格は」
船内医はジッとテッドの顔を見ていた。
その眼差しは、如何なる事態をも飲み込む強い意志に溢れていた。
医者と言う職業にある者は、少々の事態でも動じない精神を求められる。
このエンデバーの船内医も百戦錬磨な強い意志の持ち主だった。
凡そ軍医と呼ばれる存在は、だいたいが図太く逞しい者だが……
「遠慮無く良いたまえ」
「この女性は本来、私の妻です」
「……なるほど」
船内医は僅かに笑みを浮かべてテッドを見た。
そして、僅かに思案してから、ボソリと言った。
「地球で何か知らんカウンセリングを受けたと思うが」
「はい」
「そにカウンセリングの前に、本来は身体の治療をするべきだった」
首を傾げて『はい?』という意思表示をテッドは行った。
船内医はテッドに含み笑いの表情を返して、それからCTのデータを見た。
リディアの脳殻内に入っているマイクロマシンは凡そ100万だ。
その全てが一定のアルゴリズムで複雑な運動をしている。
いや、運動では無く連動と言って良いものだ。
脳内の様々な思考に深い影響を与えられるポジションまで食い込んでいる。
そして、本来のリディアが導き出し辿り着く思慮の結果にコミットしている。
つまり、リディア個人の意志に何者の意志が影響を与える状態だ。
「ここで言うのも何だが、彼女の身体はボロボロだな」
「ぼろぼろ?」
「あぁ」
船内医は船内の測定機器が導き出したデータをテッドへと見せた。
その数字事態には、これと言って異常は無いとも言えるのだが。
「レプリカントのボディという視点で見れば、充分に心臓が弱っている」
「……そうですか」
「肝機能の数値も冗談のようなレベルだし」
「……だし?」
「おそらくは定常的に鎮静剤を使っていたな」
船内医は力無く首を振って溜息をこぼす。
そして、ジッとテッドの顔を見てから口中で言葉を練った。
あまりショッキングな表現を使いたくない。
だが、現実にはショッキングを通り越す状態にリディアは居る。
一度俯いた船内医は、自らの眉毛をボリボリと掻いて、そして顔を上げた。
何をどう言って表現しようか。そに答えに辿り着いた状態だ。
「おそらくは薬物などで相当な…… 拷問を受けたのだろう」
「それは聞いていますけど……」
船内医は『拷問』という表現で実態をオブラートに包んだ。
何を言いたいのかはテッドにも嫌と言うほど理解出来た。
女性にとっては死ぬ事より辛いものがある。
船内医はそれを理解していた。
「まぁとにかく――
その言葉の続きを聞こうとした時、突然ソフィアが目を覚ました。
クワッと開いたその眼差しは、狂気に満ちたものだった。
「どいつここいつもアタシを馬鹿にしやがって!」
まるで獣のような唸り声を上げ、ソフィアは文字通り飛び起きた。
そして、手近にあった丸椅子を片手で持ち上げ、船内医に襲い掛かった。
一瞬だけ固まったテッドだが、すぐに一歩踏み出してそこへ割って入った。
世界の流れがスローモーになり、ソフィアの持つ椅子の溶接痕まで見えた。
ゾーンに入ったテッドの精神は逆手で椅子を押さえる事を選択した。
そして同時に、この状態ならあの超高速シェルを乗りこなせるかもと思った。
「待て待て! 待つんだ!」
「やかましい!」
「どうした!」
「みんな死ねば良いんだ! みんな死ね! 死ね死ね! 死んじまえ!」
元に戻った。或いは、スイッチが入った。
テッドは直感的にそう思った。
そして、どう対処して良いのか分からず、先ずはソフィアを拘束した。
椅子を奪い取り、その両腕を外から押さえ込むように抱き締めた。
「放せよ! 放せ! あっち行け! 放せよクソ野郎!」
「落ち着け! 落ち着くんだ!」
「アタシは冷静だ! 放せ! アタシに触るな!」
『あー』とも『わー』とも付かない悲鳴染みた絶叫をあげソフィアは暴れた。
テッドはどうする事も出来ず、グッと力を入れて抱き締めた。
ソフィアの身体からコキコキと関節の軋む音が漏れ、痛みに悲鳴を上げる。
だが、手放す訳にはいかない。
もしソフィアが発作的にどこかへ逃げれば、チョーカーが自爆するのだ。
「はなせよ!」
あらん限りの大声で喚いたソフィアは、テッドの耳へと噛み付いた。
軟質プラスチック製の耳たぶが噛み切られ、無残な歯形が残った。
だが、痛みを無視できるのはサイボーグの特権だ。
テッドは一気に壁際へと寄り、ソフィアの身体を押し付けた。
人間離れした力を持っているレプリも、サイボーグには敵わない。
「電磁遮断だ! 部屋を電磁遮断しろ!」
船内医はアシスタントにそう指示を出した。
全ての宇宙線や外的電波を遮断しているバイタルパートとは違い、医務室はその外部に設置されているところだ。レントゲンなどを使う時にだけ外的要因を遮断するべく全ての電波や電磁波に対して暗室状態となるのだが……
「スイッチを入れました! 効果発揮まで60秒!」
保安要員の女性曹長はコントロールパネルを操作した。
すると、医務室の中がしんと静まりかえったような気がした。
バイタルパートなどは高密度充填剤で保護されているが、医務室は違う。
外部からの電波を壁の中のコイルで電気へと変換し、抵抗で熱に代える。
それによって起きた電気を使い、室内を完全な無電波状態へと変えるのだ。
女性曹長は、効果発揮まで60秒と叫んだ。
そんな曹長の言葉通り、時間の経過と共にソフィアは落ち着き始めた。
あの異常な目は影を潜め、電源が切れるようにガックリと肩を落とした。
「……ソフィア?」
壁に押し付けていたテッドにもたれかかり、ソフィアは気を失った。
遊び疲れた子供が眠るように、天使のような寝顔で……だ。
ゆっくりと力を抜いたテッドは、そのままソフィアを抱き上げた。
「彼女をここへ」
船内医に促され、処置ベッドへと彼女を寝かせる。
その間もテッドは心配そうに見ていた。
「もう一度検査しよう」
船内医はソフィアの脳に超音波を当てて内部を探った。
モニターに映し出される映像は、活発に活動するマイクロマシンだった。
「やはりな」
「どういう事ですか?」
船内医は厳しい表情でテッドへと言った。
「シリウスの電波ネットワーク圏内に入った時点で、彼女のマイクロマシンは活動を再開したようだ。おそらくは、前頭葉の攻撃衝動を励起し、自制や抑制と言った部分の効果を弱めて、粗暴かつ攻撃的な人間に仕立てるのだろう。つまり――
人間を根本的に変えてしまう能力がマイクロマシンにはある。
それを使って人間をコントロールしているのだと船内医は言った。
シリウス側のどこかで、それを行っている者が居る。
人間を薬物などで『教育』し、思想や思考を『矯正』しておく。
そしてマイクロマシンを注入する。
その時点で人の持つ思考能力や自制精神を弱めてしまえば……
「自己認知出来なくなった人間は獣と同じだ。脳が高機能な分だけ厄介だが」
船内医のボヤキにテッドも溜息をこぼした。
彼女をここから出す事は出来ない。
出せば再び暴れるのだろう。
先ほどと同じく、スイッチが入ったように大暴れする。
そしておそらくは、自爆チョーカーが作動する事になる。
「念のため、コレを切断しておこう」
「切れるんですか?」
「切り方があるんだよ。保安将校が知っているはずだ」
バロウズを呼んだ船内医は、所見レポートを書き始めた。
ソフィアはまだまだ苦しむ事になる。
それを理解したテッドは、誰よりも辛そうな顔をした。
「君が強くなれ。彼女の手を放すな。君が運命の鍵だ」
「……はい」
小さくそう答えたテッドは、そっとソフィアの手を握った。
リディアでもソフィアでも良い。
とにかく、今は殺したくない。
本気でそう願っていた。




