タイレル社
~承前
アメリカ合衆国、西海岸。
カリフォルニア州、ロサンゼルス郊外。
閑静なアッパータウン住宅地の外れに、巨大な建築物がそびえていた。
レプリカントの製造と販売を行う世界最大企業『タイレル』の本社だ。
周回軌道上からも見えるこの本社ビルは、ピラミッドのような形をしている。
隣接する広大な本工場と共に、拡大を続ける企業業績を誇示していた。
年間凡そ100万体を製造する巨大なその工場は未だに拡大を続けている。
それは人類の宇宙進出に連動し、旺盛な需要を賄っている証拠だった。
また、その周辺には、凡そ500もの生命工学研究所が立ち並んでいる。
研究開発部門と連動する大学の機関も多く、それだけで一つの街を作っていた。
世界最高レベルの知識と知恵と柔軟な思考が結集する街。
この街では、日夜様々な研究が盛んに行われていた。
そんなタイレル社の一角。
高度生命体研究所と名付けられた建屋のなかにテッドの姿があった。
ロイエンタール伯とエディから預かったカバンを持ち、やって来ていた。
テッドを案内する黒人の男は、テッドとは僅かに違う英語だった。
最初はそれに戸惑ったテッドだが、ややあってその男は僅かに表情を変えた。
「君の言葉はシリウス訛りだね」
「……そうですか?」
「発音とアクセントの位置に特徴があるんだよ」
同じ英語だと思っていたテッドは、その言葉に面食らった。
ただ、テッドの案内を引き継いだタイレルのスタッフは、発音自体が違った。
様々な地域から一斉に人間が送り込まれたシリウスだ。
アクセントや発音だけでなく、母語の違いによって発音も異なってしまった。
シリウス英語は、そんな人々の使う言葉の最大公約数でしかない。
時間を掛けて標準化していった発音やアクセントは、一種独特だった。
「まぁ、それは良いとして、とりあえずそれを貰おう」
テッドからカバンを受け取ったタイレルのスタッフは、壮年の男性だった。
鼻歌混じりにアタッシュケースのロックを解除していた。
「それは…… なんですか?」
「中身を聞いて無いのかい?」
「はい」
楽しそうに笑ったその男性は、胸にトンプソンのネームプレートがあった。
アタッシュケースの中には複数の透明なカプセルが納められていた。
そしてその中には青いゲル状の物体が納められていた。
「聞いて驚くなよ」
ニコニコと楽しそうに笑うトンプソンは、その一つを取り出して中身を見た。
極僅かに震えているそのゲルは、粘性の高い状態でカプセルの中を動いていた。
「これは、もとは生身だった人間の一部だ」
「え?」
「どういう理屈かわから無いが、マイクロマシンと珪素系生物の融合体さ」
珪素系の生物と言われたところで、それを理解できるほどのテッドではない。
炭素系生物とはなにか?位の知識があれば、また違った理解が進むのだが……
「それってつまり…… どういう事ですか?」
「実際問題として、普通では考えられない生物なんだよ。珪素系の生物とはね」
説明になってない説明で混乱を来すテッド。
トンプソンは試験管状のカプセルを取りだし、ニヤニヤと眺めていた。
「メカニズムは分からないが、シリウス系には珪素系生物が存在していたらしい」
「すいません。学が無いので理解しきらないんです」
じっくりと眺めていたトンプソンは一人ごとのような説明を始めた。
「我々地球上の生物は炭素系生物と呼ばれている。炭素と言う元素を中心とした複雑な化合物だ。それに対し珪素系生物と言うのは珪素を中心とした化合物の構造を持っている。従来、珪素系生物は炭素系生物とは全く違う物だと――
試験管状のカプセルを再びカバンに収め、トンプソンはそれを密封した。
その扱いがまるで爆発物でも扱うような姿だと思ったテッドだが……
――あるいは、生命の根本が全く違う物だと思われてきた。だが、シリウスで見つかった原始的な珪素系生物は、我々の想像を遥かに超える代物だったのさ。要するに、地球で作り上げられた思考体系の範囲から外れているんだ。これを研究していけば、ノーベル賞も間違いない」
フフフと満足そうに笑ったトンプソンは、テッドを誘って研究所の中を歩いた。
巨大な建物の中だが、その内部は驚異的に清掃が行き届いていた。
そして、幾つかフロアを上がり、セキュリティーゾーンへと入ったふたり。
その通路には窓らしい物が一切無く、テッドはまるで宇宙船だと思った。
「ここから先は特別な人間で無いとは入れない」
「特別な人間?」
「そう。我々研究者は体内に小型の核反応爆弾を埋め込んである」
――えっ?
引きつった顔のテッド。
トンプソンは静かに笑った。
「高度な感染性の細菌や、正体不明の生物を扱っている。もしそれに取り込まれたときには、外部から起動スイッチを使って自爆するようになっている。瞬間的に10万度を越える熱線を放射するので、全てを焼き払えるって事だ」
驚いた顔になってトンプソンを見ているテッド。
だが、そのトンプソンはヘラヘラと笑った。
「君の様に高性能サイボーグで居れば、こんな装備は必要ないんだけどね。生身の身体で研究をしようと思ったら、こうでもしないと安全が担保出来ない。シリウスから持ち込まれた地球には無いウィルスを研究する為には、最後にこうやって防御手段を取らないとダメなんだ」
通路の突き当りには強靭な構造の小さなハッチがあった。
油圧で開くらしいそのハッチは人ひとりが何とか抜けられるサイズだ。
そして、そのハッチが開いた時、通路の空気が急激に吸い込まれて行った。
「早く入って」
トンプソンに促されハッチを潜ったテッド。
視界には気圧変動の警告が浮かび上がった。
「こっち側は気圧が低いんですね」
「そう、負圧になっている」
「外へ漏れないように……ですね」
ウンウンと満足そうに首肯したトンプソンは、さらに奥へと入って行った。
やや距離を歩き、階段で一つ下のフロアへと降りて、もう一度ハッチを潜る。
そのまま3フロアほど下に降りていくと、最終ハッチの前に立った。
黄色地に真っ赤なバイオハザードマークが描かれているハッチだ。
――――緊急時にはフロアごと焼却する……
そう警告文が書かれているハッチは、やはり油圧だった。
上下左右のロックを解くと、油圧でハッチが開かれる。
壁全体が斜めに傾斜しており、そこへテーパーのついた丸いハッチがあった。
基本的にはハッチ自体の自重でぴったりとはまるモノのようだ。
しかも、常時気圧によって外から押さえ込まれている。
隔壁の厚さは数十センチあり、その中で爆発があった場合でも開かない構造だ。
「……そうとうな備えですね」
「そりゃそうさ。場合によっては地球人類が全滅しかねない」
「ですが、そんな物が何故住宅街のど真ん中に?」
ある意味でテッドの質問は当然だったが、トンプソンは平然と応えた。
なんら違和感が無いように。空が青い事に誰も疑問を持たないように。
「周りの人間がバタバタ死に始めたら、誰だってヤバイって思うだろ?」
最終ハッチを潜ったテッドは、壁の色が変わったのに驚いた。
純白の壁が続き、その壁の奥から自己発光している状態だ。
そこをずっと歩いて行って、ふたりは研究室の前に立った。
ぶ厚いガラスの向こう側では、防護服に身を包んだ人間が活動していた。
その中にはただの白衣姿の者もチラホラと居て、研究に従事していた。
「あれは君と同じ高性能サイボーグだ。いろいろな理由で身体がダメになってね」
面白そうに笑ったトンプソンだが、テッドの予測はある意味で正鵠を得た。
「未知のウィルスにやられて身体を捨てたんだ。今は素手で扱えるよ」
ハッハッハと軽快に笑ったトンプソンは、そのまま研究室へと入った。
その振る舞いに『この人もサイボーグか?』とテッドは思うのだが……
「こっちだ」
研究室の中を通り抜けテッドが案内されたのは、棺桶状の物体が並ぶ部屋だ。
試作体建造室と書かれたその部屋には、その装置が7基ほど並んでいた。
「ここでそのゲル上の物質を培養する」
「培養?」
「そう、その元データが欲しいんだよ」
フンフンと鼻歌混じりにシステムを起動したトンプソン。
重々しい機材の作動音が響き、棺桶の蓋が開いた。
「これはレプリカント栽培ベッドだ。タンパク質の塊にDNA情報を与えてレプリカントの身体を製造する。iPS細胞の発見から250年。人類の英知はここまで来たんだよ」
アタッシュケースの中からカプセルを一つ取り出したトンプソンは、機材にそれをセットして蓋を閉めた。様々な情報がたっぷりと詰まったそのゲル状物質から情報を読み取ろうとコンピューターが解析を始めた。
「これの元は人間だったんだろ?」
「……えぇ」
それが姉キャサリンの一部であると気がついたのはこの時だった。
自分の飲み込みの悪さと回転の悪さを呪いたくなった。
最初にアタッシュケースを開けた時点で気が付くべきだった。
ふと、テッドは誰かの思惑に吐き気を覚えた。
詳細は分からないが、姉キャサリンの一部がここに有るのだ……
――冗談みてぇだ……
口汚く心中で罵ったテッド。
だが、トンプソンは楽しそうに作業を続けた。
「シリウスの土着ウィルスとマイクロマシンと、そして人類の遺伝情報。この三つを解析し、元データを探し出し、元になった人物の身体を再合成する」
平然と言い切ったトンプソンに『再合成って?』とテッドは聞き返した。
正直に言えば、理解の範疇を軽く飛び越えている事態だ。
勉強というものがなんの役に立つのかを理解出来なかったテッド。
だが、この現場に来た時、知識の重要性と思考力の意味を知った。
少ない情報から多くを知る能力。
僅かな情報から全体像を把握する能力。
自らの思考力によって、未知の物の隙間を埋める。
短時間で立体的に物を考える能力は、天性ではなく鍛えあげられた実力だ。
「簡単に言えば、新しいレプリの身体を作るのさ。珪素転換される前のデータを探し出し、欠けているところは補填し、より安定した構造体を作り上げる」
首を傾げ『なんでですか?』と尋ねたテッド。
トンプソンは笑って答えた。
「人間の珪素転換を防ぐ研究でもあり、レプリカントボディにその抵抗力を付加する研究でもある。火星やシリウスだけで無く、もっと遠くの、未知の惑星開発を行う時代が来た時に、この研究が役に立つって事さ」
様々な装置が音を立てて稼働を始めた。
それを見届けたトンプソンは、もう一度アタッシュケースを開けた。
「さて、次はこっちだな」
「まだあるんですか?」
「これさ」
トンプソンが取り出したのは、タバコのケースほどなサイズの小さな小箱だ。
その小箱を慎重に開けたトンプソンは、クリアケースを凝視する。
「あぁ、大丈夫なようだ」
「それは?」
「こっちは再構成依頼が来ていたものだ」
同じようにデータ読み取り機に掛けたトンプソンは、そっとカバーを閉めた。
電源が入り稼働を始めた機械は、その中の小さな物質を取り込んでいた。
「こっちは連邦軍の高官から再構成して欲しいと依頼されているモノだ」
「……そうなんですか」
「任務の中身は聞いていなかったんだね」
「はい」
テッドを誘って部屋を出たトンプソンは、研究開発セクションの奥へと進んだ。
長い廊下を歩きながら、順を追って任務の中身を説明し始めるのだが……
「そもそもは、珪素化を起こした人間の治療研究だった」
「……珪素化?」
「そう。現在では進行性繊維珪質化変異症候群と名付けられているが……」
何とも面倒な名前を口にしたトンプソンは、壁際のコーヒーメーカーからコーヒーを二つ用意し、一つをテッドに渡して口を付けた。カップの側面には様々なトランプの画が描いてあるのだが……
「おっ! フルハウスだ! ついてるな!」
テッドのカップに描かれたトランプの絵柄がフルハウスを作っていた。
ポーカーならかなり良い勝負になるのだが……
「その病気って?」
「うーん…… 簡単に言えば、細胞が分裂する時に片方は炭素系、もう片方は珪素系に別れてしまう。シリウスの土着ウィルスが悪さをしている様だが……」
身振り手振りを交えてトンプソンは説明する。
その最先端の有機工学は、テッドにも理解出来るよう噛み砕かれていた。
「……珪素化細胞は死なないんだよ。炭素系細胞は時間が来ると新しい細胞を分裂して増やすが、大概は新しい細胞が珪素化する。そして元の細胞は死滅する」
「じゃぁ、そのうち」
「そう。完全に珪素の塊になる」
どや?
そんな表情のトンプソンは飲みきったコーヒーカップをゴミ箱へと捨てた。
そして、同じようにカップを捨てたテッドの背中を押して歩き始めた。
「シリウスで誰かがコレに苦しんでいる。それを救済し、珪素化が進む身体を引き取って研究する。元データがレプリに近いから、レプリボディを使っていたんだろうと思う。まぁ、そこから先はプライバシーだ」
ハハハと笑ってトンプソンは歩いた。
その後ろを行くテッドは、黙って背中を見てた。
「もう一つのは、冷凍保存された細胞だ。元データはシリウス人だな。各種の抗体反応が出ていたけど、まぁ、こっちもどんな理由か知らないがレプリボディを必要としている。おそらくは脳移植するんだろう」
リディアだ……
テッドはそう直感した。
あの時、エディの部屋に来ていたバーニー少佐が持ってきたモノ。
それこそが、テッドに託されたカバンだった。
つまり、リディアとキャサリンを救う為の特別任務だ。
エディとバーニー少佐は努力しているのだと気が付いた。
「両方共に新しい身体の建造には、最低でも六ヶ月掛かる」
「……半年ですか」
「レプリボディは魔法で作るわけじゃ無いんだ」
笑いながらそう言ったトンプソンはテッドを引き連れ、研究所最奥へ到着した。
そこには幾つものライトに照らされたミイラが置かれて居た。
「これは……」
「信じられないだろ?」
常識を遙かに超える姿のミイラがそこにあった。
テッドは息を呑んでそれを凝視した。
「どんなメカニズムか分からない。だが、これは――
トンプソンは笑いながら言った
――おそらくシリウスにあった旧先史文明を作った存在のミイラだ」
そのミイラは、シリウスのセントゼロで発見されたと書かれていた。
どうやら完全に珪素化していた状態で発見されたらしい。
テッドはその姿に身の毛がよだつ錯覚を覚えた。
「これって人間の範疇なんですか?」
「どうだろうな」
話をはぐらかしたトンプソンは来た道を戻り始めた。
テッドはそれに付き従って歩き始める。
「何故あれを私に?」
「コレも任務のウチだからだね」
「あの…… あなたは……」
ニヤリと笑ったトンプソンは、手を振って話を誤魔化した。
「それは聞かなくて良い。ただ、君も知っているべきだと判断したんだろう」
「……誰かですが?」
足を止めたトンプソンは一つ息を吐いて、そして目を閉じた。
「……シリウスの王だよ」
その言葉にザワリと震えが走ったテッド。
トンプソンは再び歩き始めていた。




