少しずつ
今日2話目です
~承前
「これが…… 地球……」
エンデバーの展望デッキには警備スタッフに囲まれたテッドが居た。
その眼差しは、分厚い強化ガラスに手を触れるソフィアに注がれていた。
エンデバーは間も無く宇宙ステーションにドッキングしようとしている。
そのシーンを眺めながら、ソフィアは言葉を失っていた。
「すげーよな」
警備スタッフの列から少しばかり歩み出たテッド。
ソフィアは振り返って驚きの表情だった。
「お前は来たことがあるのか?」
「ない。今回が初めてだ」
「なんの為に?」
「まぁ……」
腕を組んでニヤリと笑った。
色々と含み笑いな状態だった。
「ちょっと早いリフレッシュ休暇と、あとは……」
ゆっくりと歩み出たテッドは、ソフィアを気に止めること無く眼下を見た。
大きな大陸の上を横切っていくエンデバーは、広大な草原地帯の上空だった。
「……勉強だ」
「勉強?」
「あぁ。俺はまだまだ経験が浅い。だから色々と学ばないとな」
怪訝な顔になったソフィアがジッとテッドの横顔を見ている。
それを承知の上で、テッドは目を合わせずに言った。
「もう一つは特別任務だ」
フゥと小さく息を吐き出し、テッドは頭をボリボリと掻いた。
そして、なんとも楽しそうな表情で言った。
「シェルの開発は地球の企業が行っている。そこに直接データを渡す。それと、シリウスから持ってきた戦闘データの引き渡しもある。ついでに言えば、実際にシェル同士で行った戦闘データが重要だ」
ソフィアはジッとテッドを見ていた。
その眼差しが今までと違う事をテッドは感じていた。
なんとなく感じ続けていた敵対的な空気や、焼け付くような眼差しが無い。
――女の目だな……
根拠は無くともテッドはそう直感した。
そして、ソフィアの仲のどこかにいるはずのリディアを思った。
目覚めつつある主人格の活動再開を祈るしか無いのだが……
「俺はシェルが好きだ。宇宙をあれで飛んでいるとき、俺は宇宙に溶けた気がしている。宇宙と一体になって、自由を感じるんだ。何も無い宇宙空間を風になって飛んでいる気分だ」
宇宙の深遠を見つめたテッドは『そう思わないか?』と同意を求めた。
同じくあの超高速のシェルで飛んでいるソフィアだ。
その本音を引き出したいと思った。
「そんなの…… 考えた事も無かった」
「ない? 嘘だろ?」
「アタシはただ……」
言葉を飲み込んでジッとテッドを見ているソフィア。
何を言おうとしているのか想像もつかないが、あまり良いイメージは無い。
「誰かに必要とされたかった」
「自己認知欲求ってか?」
「……その通りだ」
「それって」
ひょいとソフィアを指差したテッド。
その指先をソフィアはジッと見ていた。
「あのクロスって奴の事か?」
テッドの言葉にソフィアは僅かに送れて首肯した。
そして、俯いたまま、首を降り始めた。
「騙されたなんて思いたくないんだ」
「……まぁそりゃそうだろうな」
連邦軍兵士に散々とレイプされたソフィアを助けたのはクロスだった。
手持ちの親衛隊を使ってソフィアを救出し、その精神を治療|した。
薬物中毒とPTSDに苦しむリディアからソフィアを切り分けてしまったのだ。
ソフィアから見たらクロスは神にも等しい存在だ。
故に、クロスから必要とされる自分でいる事にこだわる。
必要とされる存在であり続けないと、恐怖を感じるのだ。
「で、それか?」
テッドの指がソフィアの右手を指差した。
そこにはピエロに噛み付く狼のマークがあった。
ウルフライダーを否定し、バトルドールでいる事に誇りを持たせる。
そんな手腕にテッドをは舌を巻くしかない。
だが、現実にはリディア=ソフィアもただの道具にされていた。
それも、事実上使い捨ての、消耗品に近い扱いだ。
ソフィアはそれを本質的に理解し、恐怖していたのだろう。
だからこそ情婦でいる事に喜びを見出していた。
クロスが求めるままにタトゥーを掘り込んだ。
舌を割ったのもピアスを入れたのもクロスの手腕だろう。
リディアならば生理的に嫌がる姿をとらせ、表に出てこないように封印した。
そして、ソフィアを再び薬の酩酊に沈め、リディアの象徴を潰させたのだろう。
「クロスはウソをついたのか……」
「それは俺にはわからない」
ここで『その通りだ』と言ってはいけない。
本人がそう思い込む事が大事だ。外部的な『教育』では意味が無いのだ。
「ただまぁ……」
テッドはあの精神科医の所見レポートを正確に思い出した。
解離性統一性障害の治療をする上で大切な事が列記されていた。
思考を押し付けてはいけない。思想を強制してもいけない。
被害妄想の原因となった存在を探し出し、それを切り分ける事が大切だ。
それに依存しているなら、その依存を断ち切り、ひとり立ちさせねばならない。
ゆっくりでもいいから、とにかく前進させる。
精神の病を治療するなら、最も大切なのは根気と忍耐と、そして認知。
自己認知欲求、自己承認欲求を絶対に否定しない事……
「……君が頭の中に幾つも別人を浮かぶようにしたのは、そのクロスだろうな」
「そうか……」
項垂れたソフィアは僅かに震えた。
テッドはゆっくりと歩み寄り、その肩を抱き寄せた。
やり直しのキス以来、ソフィアはテッドへの警戒を殆ど見せなくなった。
「で、まぁ、地球に来た任務ってのはさ――
出来る限り自然に口調を変えたテッド
リディアと過ごした日々を思い出していた
――シリウスから預かってきた物があるのさ」
「預かる? なにを?」
『なにをだ』が『なにを?』に変わっていた。
その極々僅かな違いをテッドは感じ分けていた。
長く一緒に暮らしたリディアの空気感だ。
ただ、テッドはここでも慎重だった。
軽はずみな事をすればし損じる恐れがあった。
まだリディアじゃ無い。ソフィアだ。
「独立闘争委員会に殺され掛けた女が居る」
「……そんなの幾人も居るよ」
「だが、この女は特別なんだ」
テッドは寂しそうな笑みを浮かべて溜息を吐き出した。
力無く首を振り、辛そうな空気を醸し出す。
ソフィアの同情を引き、そして、真摯な姿勢を見せて信頼を勝ち取る。
依存する精神をクロスから引き剥がし、自分に向ける努力だ。
テッドにしてみれば、もう一度こっちを向かせる努力と言って良いことだった。
「彼女は委員会のペテン野郎に脳を弄られた」
テッドはここで露骨に嫌な顔をした。
ガックリと肩を落とし、被害者の姿勢を強調した。
「それって……」
「立つ事も喋る事も出来なくなった彼女は……」
ソフィアの双眸をしっかりと見たテッド。
その眼差しに宿る怒りと憎しみの色は、ソフィアを僅かに慌てさせた。
物静かなフリをしていたテッドが激しい怒りを全身で表現している。
その姿が大切なのだった。
「今はただのクソ袋になって死ぬ時を待っているのさ」
敢えて酷い言葉で表現したテッド。
だが、ソフィアはその方が辛かったようだ。
途端にソワソワと落ち着きを失い始めている。
「おまえの…… こっ…… 恋人か?」
ソフィアの言葉に乙女の恥じらいを感じたテッドは、内心でほくそえんだ。
間違いなく彼女の心がこっちへ来て居ると思ったのだ。
精神を病んだ女は依存傾向を強くする。
「いや、恋人じゃない。彼女は…… キャサリンと言うんだが……」
「そっ…… それって……」
僅かに震える声でソフィアは尋ねた。
そしてそれだけで無く、テッドから目を反らし、僅かに背を向けた。
後ろめたい部分がある時の人間が見せる、ある意味で生理反応だ。
その心のどこかにキャサリンが居るのだろうか?とテッドは思った。
一般的には、いわゆる精神分裂状態の時の記憶に整合性がないと言う。
だが、ソフィアは露骨にリディア時代の記憶を嫌がっている。
そして、思い出すのも拒否している。
リディアが持つ罪の意識を拒絶しているのだ。
「彼女は…… 自分以外の人をかばってね……」
テッドは全部承知でソフィアに圧力を掛けた。
ソフィアの中のリディアが盛んに声を上げるように……だ。
『お前のせいだ!』と声を上げ、自分自身を責めるように……。
「キャサリン……」
「そうだ。今はヘカトンケイルのところで治療を受けているが……」
ウンザリとした表情で首を振ったテッド。
全身から醸し出されるその空気は、逡巡と懊悩だ。
それをするべきか、せざるべきか。迷っている。
そんな空気だ。
「迷っているの?」
明らかに言葉が違う……
そのわずかな差にテッドが気がつく。
「彼女も救いたい。助けたい。そしてもちろん」
あたふたとしていたソフィアの肩をテッドが抱き寄せた。
驚くもされるがままに身を任せたソフィアは、テッドを見た。
「君も助けたい」
「……自惚れた事を」
「自惚れたって良いじゃ無いか。先ずはアクションだ」
そんな言葉でやる気を見せたテッド。
だが、ソフィアは僅かに震えていた。
――リディアかな……
ソフィアの内部人格が激しく葛藤しているのだろう。
或いは、幻聴や幻視という形で攻め立てられているのだろう。
自分の内なる声に攻められると、人は誰でも恐怖を覚える。
戦いようのない敵なのだから、逃げ出したくなるのだった。
「やる前から諦めていたら何も出来ないじゃ無いか」
テッドは何気なくこの一言を発した。
だが、ソフィアは『随分と寂しい事だな……』と言いかけ、そして……
「どうした?」
言葉を飲み込んだソフィアは戸惑うような表情になった。
何故ならそれは、姉と慕ったキャサリンの口癖だったから。
「なんか変な事言ったか?」
「お前には関係無い」
「冷てぇ事言うなよなぁ」
ハッハッハとテッドは軽快に笑った。
笑顔を浮かべ、楽しげにソフィアを見た。
だが、その目だけは全く笑っていない。
ジッとソフィアを見て、その内側を観察していた。
「まぁいい。キャサリンもそうだが君も助けたい。とりあえず地上へ降りよう」
「アタシもか?」
「そうだよ。その為にここまで来たんだ」
ソフィアは僅かに抵抗するそぶりを見せた。
その理由はテッドにも思い浮かばない。
だが、なんとなく分かる事はある。
ソフィアはやはり消えるのを恐れている。
自らが主人格を乗っ取った存在だと気が付いているらしい。
それは、統合失調症と解離性同一性障害が同時に発生しているような状態だ。
主人格の緊急避難先として生み出された仮想人格が統合失調症を患う。
その複雑さにテッドは目眩を覚えるほどだが……
――――艦長だ
――――周回ステーションISS-38にドッキングした
――――各員所定の行動を開始してくれ
――――出航は5日後になる
――――各班はそれぞれの集合時刻を厳守してくれ
「ほら、神の声が流れたぜ」
クルリと振り返って歩き出したテッド。
ソフィアはそれを目で追ったのだが……
「早く来いよ! 地上はきっと面白いぜ」
「アタシも行かなきゃダメか?」
「行きたくねぇなら無理強いはしねぇが……」
腕を組んで笑っているテッドは、ニンマリとしていた。
「行かなきゃつまらねぇと思うけどなぁ……」
そんな一言を残して再び歩き出す。
それほど広くない展望デッキだが……
「分かった」
ソフィアはテッドの背中を追った。
警備スタッフが一瞬焦ったのだが、テッドはその動きを手で止めた。
実際、レプリカントが本気で暴れれば、射殺前提しか止める手段は無い。
もしくは、接近格闘技に優れたサイボーグの出番だ。
事前のレクチャーでは、地球上でレプリのテロが後を絶たないと聞いている。
人と同じ姿をしているだけに、レプリと人の見分けが付かないのだ。
その関係で、レプリはその行動に大きな制約を受ける事が多い。
「あぁ、そうだ。これを首から下げて」
テッドはソフィアにチョーカーを巻いた。
スパイクの飾りがついた黒いモノだ。
「俺から離れるとアラームが鳴り響く。地球じゃレプリカントは規制されるんだ」
遠まわしに『俺から離れるな』と言ったテッド。
それを理解したのか、ソフィアは楽しそうに笑った。




