やり直しのキスから始まるロマンスもある……かも
テッドはエンデバーの展望デッキで2時間近くも立ち尽くしていた。
眼下に見える蒼い星に『海の色が違う……』と思っていた。
そして『小さい』とも。
「コレが……」
ニューホライズンと比べ一回り小さい、蒼い惑星。
その空には純白の雲が浮かび、緑と茶褐色と白い大地が続く。
夜のエリアに入れば、まるで宝石箱をひっくり返したような光の海だ。
「これが地球だよ」
テッドを案内してきた保安将校バロウズ大尉は、楽しげに笑っていた。
そして、言葉を失い立ち尽くすテッドの傍らに立ち、地上を指さした。
「今から越えていくのが北アメリカ大陸。地球連邦軍の首魁、アメリカ合衆国の地域だ。ほら、海沿いに光の帯があるだろ? こっち側が東海岸、向こうは西海岸。その中央部には太い光の柱がある。コレがメイントラスと呼ばれる中央回廊。21世紀の半ばに高速鉄道が敷設され、その沿線が一気に繁栄を極めた」
バロウズ大尉の祖国だという巨大国家は、その繁栄振りを闇夜に示していた。
地球周回軌道に入ったエンデバーは、そのまま大西洋上空へと抜けていた。
「これから縦断するのはアフリカ大陸。この大陸のどこかが地球人類発祥の地だと言われている。君も私も、この大陸のどこかに産まれた猿の子孫だ」
驚いて振り返ったテッドは『さる?』と言った。
学問体系としての進化論を理解するほど、テッドは学があるわけでは無い。
「……およそ500万年前。まだ木の上で生活していた我々の遙かなる祖先は、幾多の生存闘争を経て地上へと降り立った。生物間闘争は、文字通りの階級闘争だったのさ。その中で神の見えざる手は猿に知恵と思考力を与えてくださった。その結果、猿は組織だって戦う事を覚え、他の種族に対し、戦列を組み作戦を立てる事を可能とした」
バロウズの身振り手振りは、まるで作戦出撃前の戦闘手順説明だと思った。
そして、大尉が言う数百万年前の闘争から始まった人類の戦闘は、この時代になっても本質的な部分で全く進化を遂げていない。
「数的有利を作り、敵を挟み込み、包み込み、敵よりも短い時間で多く殴る。こぶしで殴ると辛いから棒を使う。敵より長い棒を使い、敵よりも遠くから威力を込めて殴る。結局それの繰り返しだよ。そして、地上を制圧した猿は、やがて猿同士で闘いようになる。その結果がコレさ」
バロウズはエンデバーを指さした。
呆れた表情のテッドは、エンデバーの艦内に目を走らせた。
「敵よりも高いところへ。敵よりも遠いところへ、敵よりも速い速度で。戦闘に勝つ為の絶対三原則は数百万年単位ですら何も変わっていない。つまり、我々は本質的な意味で猿からの進化を遂げては居ないと言う事だ。古代シュメール文明を作り上げた最初の文明国家は、その国民達がアヌンナキと呼ぶ存在によって作られたと伝えている」
エンデバーはアフリカ大陸を抜け南極を飛び越えていた。
そして、北欧圏から中央アジアへと差し掛かった。
バロウズの講義は淡々と続いてた。
「北欧圏文明に出てくる猿はアフリカ圏の猿とは全く違う進化体系の生物だった。だが、ある時、北と南の猿が出くわした。そして、種族的に混交が始まった。我々のDNAにその痕跡が残っているというのだが、それは生物学の教授にでも聞いてくれ。ただ、肌の色が違うとか、身体の体型が異なるとか、そう言う部分はそれが原因だと言われている」
エンデバーは中央アジアを突き抜けてインド亜大陸を飛び越えていた。
東南アジアを横目にオーストラリア大陸を掠めて南極を再び横断している。
1時間ほどの間に地球を3周以上する高速だ。
眼下の光景はめまぐるしく変化している。
昼のエリアも夜のエリアも一跨ぎし、栄える地球の姿をテッドに見せていた。
飽きること無くテッドはソレを眺めていた。
「さて、そろそろ降下だ」
「降下? このままですか?」
「いやいや、この船は地球周回ステーションに横付けする」
「……宇宙ステーション」
地球の大気圏内へは基本的に宇宙船が入らない事になっているらしい。
そんな知識を持っていたテッドだが……
「まだ入港まで2時間ある。好きなだけ眺めていて良い」
「はい」
「彼女も随分と君に慣れただろ?」
「えぇ、おかげさまで。私も慣れましたし」
「なら、これを見せてやるといいさ」
驚いたテッドは『良いんですか?』と声を漏らした。
保安担当のバロウズが言うとは思えない言葉だからだ。
「問題ないだろう。何かあったら強制的に鎮圧するがね」
君が何とかしろ……
そう言わんばかりにポンとテッドの肩を叩いたバロウズ。
テッドはやや引きつった笑顔で首肯した。
眼下には巨大な低気圧の渦巻きが見えていた。
――――――――2249年3月27日 地球標準時間 午後1時過ぎ
地球周回軌道 南アメリカ大陸上空付近 高度700キロ
「よぅ!」
軽い調子でソフィアの部屋へと入ったテッド。
ソフィアは片隅の洗面台で歯を磨いていた。
「なんだ、やっとその気になったか?」
「臭いんだろ?」
「そうだ。ひでぇ臭いだ」
シリウス出航から5日が経過し、テッドとソフィアはだいぶ慣れていた。
どこか警戒していたソフィアだが、その警戒も随分と緩くなっている。
元になったリディアと同じく、基本的には温厚で思慮深い人間だ。
ただ、その中身は……
「あのババァがうるさいのさ」
「ババァって…… ミリアって言ったっけ?」
「そうだ」
この数日、ソフィアは驚くほどの情報をテッドに吐き出していた。
テッド自身が信頼を勝ち取るべく、様々な情報を零したのも大きい。
だが、一番の理由はコロニーの戦闘で一緒に削られたパイロットだと言う事だ。
連邦軍艦艇の猛烈な防御砲火に撃ち抜かれ、死にかけた仲という事実だった。
――――やっぱ死にたくないよな
軽い調子でそう言ったテッドは、フルーツジュースを持ってきていた。
口中の傷にしみるようなレモン系の刺激が強いモノだ。
それを一口飲んだソフィアは露骨に嫌な顔をしていたのだが……
――――君の口は臭いんだよ
――――俺は良いが生身が嫌がる
そうハッキリと伝えていた。
その言葉に触発されたのかどうかはしらないが……
「これならギャーギャーとうるさい事も言われない」
口臭予防と口内殺菌や消毒を同時に行なえる歯磨き粉だ。
ソフィアの口臭は驚くほどに改善していた。
今なら犬レベルでも無い限り、その臭いに顔をしかめる事も無いだろう。
「ミリアに叱られるってか?」
「あぁ」
「うるせぇからな」
クックックと笑ったテッドは、部屋の隅に腰を下ろして笑った。
怪訝な顔のソフィアが『知ってるのか?』と問いかける。
テッドはにこやかに笑って言った。
「俺のお袋もミリアって名前だったのさ。良く叱られたもんだ」
軽い調子でハハハと笑ったテッド。
だが、ソフィアは怪訝な顔でテッドを見ていた。
「俺の顔になんか付いてるか?」
「おまえは…… テッドか?」
「なんで俺の名前を知ってるんだ?」
ソフィアの表情に限りなく険しい牙が宿った。
狂気を感じさせる眼差しがテッドを突き刺す。
――貌が変わった……
ただ、テッドは表情を変えなかった。
にこやかに笑う表情をロックし、気楽そうな表情でソフィアを見ていた。
「おいおい、何て顔してんだ」
ひょいとソフィアを指差して笑ったテッド。
声音も変わらず気楽な調子のままだった。
「まるで今にも喰いつかれそうだぜ」
「……アタシはおまえを知っている」
「あたりめぇだろ。コロニーで一回顔をあわせてるしな」
ヘラヘラと笑っているテッドは頬肉を大きく歪ませてソフィアを見ていた。
ソフィアの表情には怒りとも憎しみと持つか無い色が浮かび上がった。
ただ、それと同時に、何ごとかをブツブツと呟いている。
「なんだ?」
僅かに首をかしげてソフィアを見ているテッド。
ソフィアの目に宿っていた狂気の色がゆっくりと薄れた。
「アタシはおまえを知っている」
「はぁ?」
フンッ!と鼻を鳴らして手近なクッションへと腰を下ろしたテッド。
ソフィアは口の周りの水気をふき取っていた。
あの狂気染みたサイケなメイクは無く、そもそものリディアになっていた。
「じゃぁ、一つ種明かしをしようか」
「あの女か?」
「いや、違う」
腕を組んでクククと笑ったテッド。
ソフィアをジッと見て、楽しそうに笑った。
「ナイルコロニーの近くで戦闘した事があっただろ?」
「……あぁ。地球軍艦艇にやられたときだ」
「あの時、一方的にシリウスシェルを撃墜したのも俺だ」
「……なっ!」
目をクワッと見開いたソフィアは、再び狂気染みた目になった。
そして、怒りをむき出しにしてテッドに襲い掛かった。
レプリカントの身体を持つリディアだ。その脚力や膂力は生身とは大きく違う。
並の人間ならば一撃で殺されかねない強い力だ。
だが。
「おいおい……」
奇声を発して襲い掛かったソフィアを、テッドは難なく押し返した。
無意識のうちに対処し、力尽くでソフィアを椅子へと座らせる。
ソフィアが発する力は凄まじいが、テッドの力はそれを軽く上回る。
「なんぼレプリカントの力が強くたって、サイボーグには勝てないぞ」
「おまえが!」
「おいおい」
勝てないと分かったソフィアが力を抜いた。
それを見届けテッドは数歩下がって、再びクッションへと座った。
「俺もシェルパイロットだ。戦うからには勝ちに行く」
「お前は…… お前は子供達を殺したんだ!」
「戦争だ。良いも悪いも有るか」
「なんだと!」
「大体、それを言うなら何で子供を戦場へ出した」
グッと奥歯を噛んで怒りに震えるソフィアは、狂気を孕んだ目だった。
ただ、全く血走った状態にはなってなく、それをテッドは不思議に思った。
――あぁ……
――レプリの血は白いんだっけ……
ふとそんな事を思い出したテッド。
妙に白く見える目の白い部分は、充血しているのかも?と考えた。
「シリウスには大人が居ないのか? 子供を戦場に出すほど切羽詰ってるのか?」
テッドはツイッとソフィアを指差した。
その指にソフィアがガクッと回避反応を見せた。
「子供を戦場に送り出した大人たちは何をやってんだ?」
「それは……」
「安全な場所に逃げた大人は生き延び、子供は絶望的な戦いで死んだ。違うか?」
ワナワナと震えるソフィアにテッドは呆れた表情を浮かべた。
それはまるで心底軽蔑するかのような、そんな眼差しだ。
その目のキツさに耐えられなかったのか、ソフィアは目を逸らす。
だが、テッドは手を休めなかった。ここで引き下がる理由も無かった。
大切なのは、狂信的にシリウスを信じるソフィアに疑念を抱かせる事。
僅かでも楔を打ち込めれば重畳。そうで無くとも、ほころびレベルで良い……
「ましてや、その子供たちだって薬漬けだろ?」
「おまえには関係ない!」
「いんや、関係大有りだ。あの恐怖感が無いような戦い方はおかしい」
「おまえ達さえ居なければ!」
「それも関係ないね。あの委員会って連中はヘカトンケイルに牙をむいたさ」
怒りの余りに歯を見せて怒っているソフィア。
テッドは全くそれに怯まず言葉を続けた。
「あの独立闘争委員会ってペテン師の連中はさ、子供を薬漬けにして戦わせておいて、自分達は一番安全な所に居て隠れてやがるのさ」
違うか?と言う顔でソフィアを見たテッド。
その顔には悲しみの色が浮き上がった。
「先頭に立って戦うなんて事は絶対に無い。手下を薬漬けにして、疑わないようにして、それで死ぬのを承知で戦わせてるのさ。そいつらが死んだら次を用意して、また騙して信じ込ませて、それで戦わせるのさ。だから……」
テッドは両手を広げて笑った。
さもありなんと苦笑いだ。
「君を助けたのは他でも無い。もう、次の犠牲者を見たくない。君の前にも、その前にも、その前にも。何人も何人も何人も、あのペテン師連中に騙された可哀想な犠牲者が挑んで来たのさ。だから、もう疲れてな、殺したくねぇって思ったのさ」
小さな声で『嘘だ……』と漏らしたソフィア。
俯いて首を振りながら、何度も何度も呟いた。
「嘘だ…… そんなの嘘だ……」
精神のコンフリクトが引き起こす重度の幻聴と妄想性幻視。
その感覚は本人にしか分からないものだ。
「やっ! やかましいぞ! おまえは出てくるな! 消えろ! 消えろよ!」
まるで漂う煙でも掻き消すように、両手を振り回し始めたソフィア。
ややあって奇声を発しながら床に転がり、バタバタと暴れ始める。
それは典型的なてんかん症状ともいえるものだ。
複数の意識が脳内で主導権争いをしている状態だ。
「おい……」
床に転がったソフィアを抱き上げたテッド。
バタバタと暴れていたソフィアは驚いて動きを止めた。
「君が聞いているその声、なくしてやろうか?」
「……そんな事が出来るのはクロスだけだ」
「そいつが誰だかはしらねぇけど……」
全部承知でシラを切ったテッド。
ソフィアは黙って成り行きを見守った。
「パイロット仲間の誼だ。君がまた遠慮なく殺し合い出来るようにしてやる」
「……そんな事してどうするんだ」
「遠慮なく俺を殺しに来い」
え?と言う表情でポカンとしたソフィア。
一瞬だけ全ての動きが止まった。
――奇麗な唇だ……
その唇をテッドは強引に奪った。
あの頃と同じ柔らかさがテッドに伝わった。
アチコチにピアスを入れてあって邪魔だが、それは無視した。
そしてテッドは強引に舌を押し込んだ。
噛み切られたって困らないサイボーグだ。
遠慮する事は無い。
触れ合った舌先の感触は、二つに分かれた蛇舌の股だった。
舌上のピアスが不思議な感触だ。
――やり直しのキスだ……
思う存分に口中を蹂躙したテッドが唇を浮かすと、涎がツゥと糸を引いた。
荒い息をしたソフィアがテッドを見ていた。
「俺の舌を噛み切ったって良かったんだぜ?」
「……ばか」
そう一言呟いたソフィアがそっぽを向いた。
恥かしがっているのだとテッドは思っていた。




