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黒い炎  作者: 陸奥守
第七章 交差する思惑・踏みにじられる感情
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痛みのソフィア

本日2話目です

~承前






「忙しい所を悪いな」


 一声掛けてテッドは遠慮無く部屋へと入った。

 トップレスで背中を見せていたソフィアは、ゆっくりと振り返った。


「……お前は」


 ぶっきらぼうな口調で言ったソフィア。

 テッドの目は最初、あの頃よりも一回りたわわに実ったバストに目が行った。

 男の性だから、それは仕方が無いのかも知れない。


 だが、その豊かな乳房には真っ赤な顔料で掘り込まれた舌があった。

 プクリと膨らんだ乳頭を舐めこむように伸びた、いやらしい舌だ。

 腹部には大きな蜘蛛が幾つも掘り込まれ、へそを中心に巣が張られた。

 そして、そのへそにはニードルピアスが幾つも刺さっていた。


 ――おいおい……


 一瞬だけ呆れたテッドは顔を上げたのだが、リディアの顔に度肝を抜かれた。

 その顔はクレヨンでメイクされたサイケデリックなパターンがあったのだ。


「……それ、最近はやりのシリウスメイクか?」


 フフフと笑ったソフィアはだらしなく口を開けてテッドを見た。

 その開かれた口は、まるで何かを咥え込む様なそぶりだった。


「似合うか?」

「……良いデザインだが俺の好みとは違うな」

「フンッ!」


 鼻を鳴らして白んだような顔のソフィアは、クルリと回って再び背を向けた。

 その向こうには大きなスケッチブックがあり、クレヨンで画を描き始めた。


「何を描いてるんだ?」


 それを覗き込んだテッドは息を呑んだ。

 色鮮やかな草の海の向こうに()()()があった。

 グレータウンから郊外へ延びる州道の途中にあった、我が家だ……


「この家を知ってるのか?」

「知らない」


 吐き捨てるように答えたソフィア。

 家を取り囲む草の海は、緑だけで無く赤や青や様々な色が入り混じっている。

 LSDをキメたアーチストが描く絵画のように、様々な彩りが溢れていた。


「なんでこの家を描いているんだい?」


 柔らかなクッションを椅子代わりにして腰を下ろしたテッド。

 ソフィアは背を向けたままスケッチブックに線を入れ続けた。

 立体感溢れる色彩の海がそこにあった。


「……帰るところだ」

「帰る?」

「そうだ」


 黙々と線を描きながらソフィアはボソリと言った。

 まるで会話しているかのように。


「この家が懐かしいんだろ? あぁ、分かっている でもここは関係無い」


 精神科医の書いた統合失調症や解離性同一性障害の症状をテッドは思い出す。

 脳内に複数の人格が同時存在していて、その人格同士が会話するのだ。

 ソフィアはリディアから生まれ出た緊急退避先としての仮想人格にすぎない。

 だが、そのソフィアを支援したマインドトレーナーは、人格交換を完了させた。


 ソフィアの手によって、リディアは精神の奥深くに封印されたらしい。

 彼女はそれを『死んだ』と表現した。だが、リディアは確実に生きている。


 テッドはそれを実感していた。

 無防備に話をするソフィアの雰囲気は、リディアだった。


「リ……


 ディアと言いかけてテッドは言葉を飲み込んだ。

 ソフィアの存在を否定してはいけない。今のリディアはソフィアの一部だ。

 ソフィアの否定はリディアの否定につながり、ソフィアが不安定になる。


 衝動的な自傷行為や自殺未遂と言った、自らの存在の否定に繋がりかねない。

 それを繰り返していくと段々と行為自体がエスカレートし、やがて自死に至る。


 それだけは避けたいのだが……


 ……アルだな」

「なにが?」


 一瞬の間を置いてソフィアは再び振り返った。

 いつの間にかソフィアの目蓋周りには真っ赤なアイラインが入っていた、


「俺の知ってる家の景色に似ている」

「へぇ」


 興味深そうに相槌を打ったソフィアは、テッドの前でクレヨンメイクを続けた。

 頬に真っ赤なクレヨンを使って稲妻のパターンを描いている。

 そして、そのクレヨンで草原の中に赤い点を幾つも描いた。


 ――あ……


 初めてエディと出会った時……

 あの家の前で戦闘した。自警団のバカ男が幾人も死んだはずだ。

 ソフィアはそのイメージを引きずっているようだ……


 美しい草原の中に鮮血の赤い花がパッと咲いた日。

 それをトラウマの様に引きずっているのかも知れない。

 或いは、負い目に、引け目に思っているのかも知れない。


「……その赤い点は何を?」

「花だ……」

「はな?」


 クルリと振り返ったソフィアは口元を醜く歪ませ笑った。

 突き出された舌の先端は、まるで蛇の如く二つに割れていた。

 舌の真ん中に走る溝沿いには幾つもの舌ピアスが通っている。


 カクリと傾げた頭のせいか、編みこまれた長い髪が揺れた。

 その髪の下、耳の周りにもピアスやクリップが幾つもあった。


「ところでそれ、痛くねぇの?」

「なにが?」

「耳と舌だよ」


 フンッ!と笑ったソフィアは自分の舌を引っ張って見せた。

 千切れるかのように見える舌に、テッドは顔をしかめる。


「アタシは痛いの担当さ」

「痛いの?」

「そうさ、逃げ出したあの女の代わり。身代わりさ」


 楽しそうに笑うソフィアはテッドを見て大きく口を開けた。

 口中の壁面には、大きな蜘蛛の巣のタトゥーがあった。


「下の口にゃ、もっと大きく書いてあるぞ? 見るか?」


 唖然として眺めているテッドに対し、ソフィアはクレヨンを向けた。

 そして、そのクレヨンをまるで慈しむように舐め始めた。


「何もかにもアタシに押し付けて逃げ出したのさ。あのバカ女」


 舌の上に残るクレヨンの赤が、まるで血の様にも見えた。

 苦痛と屈辱と度を過ぎた自己抑制の末に、リディアは精神の限界を迎えたのだ。


 ――――これほど辛いのは私じゃない誰かの経験……


 そう強く信じ込んで現実をやり過ごそうとした時、そこに別人格が生まれた。

 リディアはその人格を分離させ、自分ならぬ者の痛みだと逃げ出したのだ。


「……災難だな」

「痛みを感じているうちはアタシのモノだ」


 ある意味でソフィアは仮想人格だ。

 リディアによって分離された痛み担当の存在だ。

 その痛みが消え去った時、ソフィアは消えるかも知れない。

 あるいは、リディアによって消されるかも知れない。


 ソフィアはそれを恐れている。

 恐怖感と言う部分をリディアから受け継いでいるのかも知れない。

 そして、リディアが再び表に出て来たとき、自分がどうなるか不安なのだ。


 だからこそリディアと言う言葉に強く反応する。

 拒否的な反応を示し、自らの存在に付いてアピールする。


「でも、痛いのは嫌じゃないか?」

「痛みを感じる間はまだ生きている」


 慈しむようにクレヨンを舐めていたソフィア。

 ウットリとしたその表情には恍惚感すら入り混じっていた。


「おまえもどうだ? 痛みは気持ちいいぞ」

「俺は遠慮しとくよ。これ以上痛いのは御免だ」


 テッドの吐いた言葉にソフィアは『ハッ』と鼻で笑った。

 そして再び画を描き始める。ページをめくって、次の白紙に線を入れ始めた。

 幾つも幾つも線ばかりを描き、その線が集まって複雑な形が浮かび上がる。

 様々な色の線が書き込まれて行って、やがてそれは中央の一点に収斂された。


 ――超高速飛行中の視界だ……


 テッドはそんな印象を持った。

 秒速30キロを越えて40キロに手が届き始めた状態だと、世界はこう見える。

 サイボーグならば周辺まではっきりを見えるが、生身ではそうは行かない。


 視野の中は中心部だけがはっきりと映り、それ以外は流れる線だ。

 ソフィアはそのシーンを思い出して描いていた。

 自らのレゾンデートル(存在意義)を確かめるように。


宇宙(そら)を飛ぶのが好きだ。全てを忘れて自由になれる」

「何か嫌な事でも?」

「おまえは敵だ」

「だけど…… 俺だって宇宙を飛ぶパイロットだ」


 腕を組んで後ろから画を眺めていたテッドは、気楽な調子でそう言った。

 ソフィアは一瞬だけ動きを止め、何かを思案した。


「どいつもこいつもアタシに文句ばかり言いやがって」


 そう吐き捨てたソフィアは、急に振り返ってクレヨンを投げつけた。

 瞬間的に自動回避が機能したテッドは、それを難なく避けていた。


「良い弾幕だな」

「アタシをバカにするな! 地球人!」


 地球人に対する激烈な感情が露わになったソフィア。

 その振る舞いにテッドは苛烈な独立派シリウス人を思った。

 ただ、リディアはここまででは無かったはずだ。


 つまり……


「なにか、バカにされるような事でもあったのか?」


 ソフィアの内側を知りたい……

 テッドは純粋にそんな興味を持った。

 姿かたちこそ惚れた女にそっくりだが、その中身は別モノだ。


 ならば、知らない事をよく知りたいと願うのは普通の事だろう。

 テッドは無意識にソフィアを口説いていた。


「おまえの仲間たちが寄ってたかってあの女を…… 女を……」


 怪訝な顔になったテッドは黙ってみていた。

 なんとなく次の言葉が思い浮かんだからだ。


「それ、本当に地球人だったのか?」


 シリウス人なら誰だって一度は聞いた事がある話だ。

 独立闘争委員会が準備したプロパガンダ映像に出てくるもの。

 地球連邦軍の兵士がシリウスの若い女性を寄って集ってレイプする。


 『地球人に気を許すな!』とか、そんなキャッチコピーと一緒になったものだ。

 地球派市民が多い街や都市部にやって来た委員が街中にポスターを貼る。

 そうやって、シリウス人を『教育』しているのだった。


「あいつ等はみんなおまえと同じ服を着ていたぞ」


 ヘヘヘと笑ったソフィアは履いていたパンツを脱ぎ捨てた。

 ショーツ一枚となったその両脚には、様々なタトゥーが掘り込まれていた。

 そして、片足を持ち上げて扇情的な姿を見せたその内腿辺りには……


「そこにも柄入りかよ」

「かわいい?」

「なにがだ?」

「この子……」


 そのショーツを僅かにずらした時、そこには黒い蜘蛛の背中が見えた。

 その蜘蛛の頭がどこにあるのかなど考えたくもなかった。


 だが、心の中のどこかに興奮している自分が居るとテッドは気がついた。

 そしてそれは、酷く攻撃的で破壊衝動に溢れる存在だと気がついた。


 ――俺にもこれがあるのか……


 ニヤリと笑ったテッドはソフィアをジッと見た。

 その眼差しに惹かれているのか、ソフィアはテッドへと歩み寄った。


「その気になった?」

「嘗め回してやりたいぜ」

「それで終わり?」


 再び大きく口を開けたソフィア。

 あの、何かを咥えこむような口の動きが酷くいやらしい。


 だが、その口臭はまるで腐臭だった。

 各所に入れたタトゥーやピアスの穴やスプリットタンの溝から放たれる臭い。

 その臭いは女特有と言うべきあの臭いにも感じるモノだったのだが……


「終りにしたくねぇが、終りになっちまうんだよ」

「おまえのそれは役立たずか?」


 ソフィアの手がテッドの股間を触った。

 まるで慈しむようなその指使いにテッドは笑うしかなかった。

 熱く迫ってくるリディアと同じだった。


 ――無意識な部分は一緒なんだな


 テッドは意を決してズボンを下ろした。

 そんなテッドの下着に手を掛けたソフィアは、喜ぶように引き下ろした。


 だが……


「なんだこりゃ……」


 素っ頓狂な言葉を発したソフィアは、ポカンとした表情でテッドを見上げた。

 オーラルセックス一歩前だったソフィアとテッドだが……


「俺には無いんだよ。君の欲しがるブツがねぇのさ」


 テッドはソフィアでもリディアでもなく『君』と表現した。

 ただ、ソフィアはそれに気が付いては居ないようだが……


「おまえは……」

「連邦軍の兵士なんか大半がこれだぜ」


 驚きの表情でテッドを見上げたままのソフィア。

 テッドは再び下着を上げ、ズボンを持ち上げてベルトを締めた。


「俺はサイボーグさ。機械なんだよ。だから付いてねぇの」


 ソフィアの頭をポンポンと叩いたテッドは、もう一度クッションへと座った。

 同時に、その酷い臭いを脳から選別消去した。

 こうなればもう、その酷い臭いもジャスミンの香りも変わらない……


「嘘だろ……」

「嘘じゃねぇ。だから言ったのさ。君を寄って集って犯した男は……」

「そんなバカな……」


 フンッと笑ったテッドは、下着一枚のソフィアを膝へと座らせた。

 驚きの表情で凍り付いているソフィアは、テッドにされるに任せていた。


「ほんとに、そいつら連邦軍の兵士か?」


 上目遣いでソフィアに問うたテッド。

 ソフィアは僅かに突き出した、二つに割れている舌を動かしていた。


「連邦軍兵士なら地球訛りな筈だ」

「そんなバカな話があるわけ無いだろ」

「味方を散々粛清したシリウス軍だろ?」


 ギュッと抱き締め背中をポンポンと叩いたテッド。

 抱き締められたソフィアはテッドの首筋を舐めた。

 だが……


「おまえは味が無い」

「案外飲み込みが悪いな」


 再びフンッ笑ったソフィアは、テッドを突き飛ばすように立ち上がった。


「アタシは騙されない」

「君を騙しているのが連邦軍だけだなんて、いつからそう思っていた?」


 同じように立ち上がったテッドはクルリと背を向け部屋を出て行く。


「また来るよ。今度はゆっくり話をしよう」


 気がつけば船は出港していた。

 やや強めの加速度を感じながら、テッドはソフィアに見えないように笑った。

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