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黒い炎  作者: 陸奥守
第七章 交差する思惑・踏みにじられる感情
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特別任務

~承前






 超光速巡洋艦エンデバーの艦内は、ワスプとは打って変って小さく狭い。

 だが、それでも最低限必要な物は一通り揃っている船だ。



「少尉。狭いけどまぁ、寛いでください」

「すまない。ありがとう」


 艦内を案内した曹長は笑顔で部屋を出て行った。

 頭を屈めないと通れないハッチを幾つか潜り、小さな部屋へと入ったテッド。

 ボーン親子を送り届けた501中隊だが、任務はそれで終わりではなかった。


 メンバー各々に様々な任務が課せられ、一旦中隊は分散している。

 そして、エンデバーに私室を用意されたテッドは、特別任務を命ぜられた。

 参謀本部から命ぜられた、ある意味で重要な任務だった。


 ――――テッド少尉

 ――――参謀本部へ出頭してくれ

 ――――大至急だ


 ナイルで連絡将校に呼び止められたテッドは、ひとりで参謀本部へ向かった。

 少尉と言う士官待遇だが、実際には士官教育らしいものを行なっていない。

 ただ、それでも参謀本部へと呼び出されるのだから、あまりいい話ではない。


 ――さて……


 腹をくくって出向いたテッド。

 シリウス軍の士官と親族と言う事で、査問だろうと覚悟を決めていた。

 だが……


 ――――少尉、そう緊張しなくてもいい

 ――――完結に言う

 ――――君が納得しようとしまいと事態は進む

 ――――それは諦めてくれ


 参謀本部の中にはディンゴ少佐とアンデルセン大佐が居た。

 だが、それ以上に驚いたのは、そこにロイエンタール将軍が居たのだ。


 ――――君の細君を診察した精神科医の所見レポートがここにある

 ――――後でじっくり読んでくれていいが、かいつまんで言う


 テッドの心臓がドクリと波を打ったような気がした。

 そんなモノが無くなって久しいはずなのに……だ。


 ――――君の細君の人格は内部に残っている常態だ

 ――――言うなれば統合失調症に近いと考えられる

 ――――幻聴や幻視にあのソフィアと言う人格が苦しんでいる

 ――――故に、我々は君の細君の救助計画を立案した


 アンデルセン大佐の説明に首肯したテッド。

 その隣で話しを聞いていたロイエンタール将軍は柔和な表情だ。


 ――――先ずは地球へと向かい、再度の治療計画を考えよう

 ――――そして、人格統合と再調整を行ないたい

 ――――脳神経科の医師によれば、脳自体にダメージがある

 ――――ただ、それは治療可能な範囲で、その設備は地球にある

 ――――細君を連れ、地球へ向かってくれ

 ――――少々長旅だが、船内時間は五日間だ

 ――――休暇だと思って地球へ向かってくれ


 澱みなく説明したアンデルセン大佐もまた、柔らかに笑っていた。

 大尉も大佐も将軍も、みな心配し配慮していると言う実感をテッドは持った。


 ――――君のルーツを探すのもいいだろう

 ――――ただ、軍の意志として率直に言う

 ――――君の細君は使える材料だ

 ――――決して悪いようにはしない

 ――――だが、敵軍士官と言う部分を絶対に忘れないでくれ


 もう行けと言うポーズを見せた大佐に、テッドは敬礼を返して本部を出た。

 フと息を吐いて見上げれば、コロニーの明かり取り窓からシリウスが見えた。

 ただ、コロニーは円筒形構造のそれほど大きくない街でもある。


 コロニーの逆サイド。幾つもエレカーを連ねた車列が見えた。

 それは、幾多の護衛に護られたボーンの親子だ。


 ――あの野郎……


 不測の事態に備えた状態で、コロニー内を移動しているのが見える。

 それを見ていたテッドは、複雑な思いを抱えたままワスプへと戻った。

 そして、エディとアレックスから完全密封のアタッシュケースを受け取った。


 ――――これを地球へ持っていけ

 ――――くれぐれも、絶対に開けるんじゃない

 ――――この中に……


 グッと厳しい表情になったエディはテッドをジッと見た。

 鬼気迫る表情にテッドは驚くのだが……


 ――――キャサリンを助ける為のデータがある

 ――――いいな。絶対に開けるんじゃないぞ


 アタッシュケースを持ってエンデバーに乗り込んだテッド。

 僅か五日間の旅だが、実時間は3ヶ月弱と説明された。

 幾度か超光速飛行をしているが、約10光年を飛ぶのは初めてだ。


「さて……」


 まだ出航まで時間がある。

 テッドはリディア診療の所見レポートを読み始めた。


 まず、リディアの内部は複数の人格が存在するとされた。

 そして本来の主人格であるリディアは精神の奥底で眠っているとされている。

 また、現在の主人格であるソフィアの他にミリアと言う女性が居るとあった。


「……嘘だろ?」


 ミリア。

 それはテッドの母親の名前だった。


 ミリアはソフィアに対し、いつも強い口調で叱りつけているとある。

 だらしなく椅子に座れば叱り、態度が悪ければ叱り、口答えをすれば叱り。

 それは恐らく、幼児期における躾け教育への反発の残滓とされた。


 だが、リディアはミリアに感謝を口にしていた筈だ。

 今の自分があるのは、ミリアが厳しく育ててくれたからだ……と。

 怒った事も恨んだ事もある。だけどそれは、必要な事だったと。


 テッドはふと思った。

 ソフィアの中のリディアがミリアの形で出てきているのではないか?と。

 何の根拠も無いが、そんな事を思った。


 また、レポートには複数の精神科医による所見と対処が書かれている。

 精神を病んだ者との接し方。複数の人格を持つ者との接し方。

 その治療を施す者が絶対に忘れてはいけない事。やってはいけない事。


 必要なのは根気と忍耐。そして、何よりも愛情。

 反発し、敵対し、時には命の危険を覚えることもある。

 だが、精神を病んだ者と対峙する時、それを片時も忘れてはいけないとある。


 そして最後に、こう書かれていた。


 ――――精神を病んだ者から見れば、自分が正常で世界が狂っているのだ

 ――――自分だけが正しくあり、自分以外が狂っているように見えている

 ――――それを絶対に否定してはいけない

 ――――感情論の衝突に陥ってしまうと、治療は絶対に成功しない


「自分以外の全てが狂っている……か」


 ボソリと呟いたテッドだが、その私室のドアが突然ノックされた。

 飛び上がるほどに驚いてしまったテッドだが、そっとドアを開けた。

 そこには、エンデバーの艦内保安将校が来ていた。

 襟元についた階級章は大尉だった。


「少尉。忙しいところ悪いね」


 巡洋艦級の艦長は中佐が勤めるのだから、大尉となればかなり高級な部類だ。

 恐らくは、リディアに関することだと思われたのだが……


「いえ、お世話になります」

「いやいや、それには及ばないよ。シリウス宙域のエースだからな」


 お邪魔するよ……と、手を挙げて室内へと入った大尉。

 テッドは書類を広げたままだった。


「自分はジム・バロウズ。エンデバーの艦内保安担当だ」

「テッドです。よろしくお願いします」

「アンデルセン大佐から聞いている。奥さんがえらい目にあったね」

「……恐縮です」

「こっちは必死だが向こうも必死だ。上手く廻るように努力しよう」


 ハッとした表情でバロウズを見たテッド。

 大尉はテッドの肩をポンと叩いた。


「神は全てを見ておられる。愚直に努力する者には奇跡を与えて下さる」

「はい」

「常に準備している者の所にだけチャンスはやってくる。だから諦めるな」

「あ…… ありがとうございます」

「君はサイボーグだろ?」


 バロウズはもう一度テッドの肩をポンと叩いた。

 朗らかに笑うその表情は、自信溢れる顔だった。


「普通なら死んでるのに君は生き残った。君は神に愛されている」


 いきなり何を言い出すんだ?

 そんな表情で力なく笑ったテッド。

 一歩下がったバロウズは部屋を出た。


「奥さんのところへ案内する。出来るものなら、そばに付いていればいい」

「良いんですか?」

「君は客人だ。艦内任務が無いなら、艦内はフリーだよ」


 バロウズに続いて部屋を出たテッド。

 所見報告の書類は上着の内側へ押し込んでいた。

 エンデバーの艦内はやはり小さく狭いモノだが、なんとなく懐かしい気がした。


 歩きながら考えて、それはあのエンタープライズだと気がついた。

 地球へ向かって航海しているコロニー船はどうなっただろう。

 ふと、そんな事を思うのだが……


「さて……」


 幾つかデッキを移って違うフロアへとやって来たバロウズ。

 テッドはその後ろに付いていたのだが、強靭なハッチの前に立っていた。


「ここから先はセキュリティーゾーンだ。バイタルパートから独立した構造になっている。言うまでも無いが、何かしらの問題が起きた時は、このブロックごと切り離す事になっている」


 首肯したテッドにバロウズは続けて言った。

 やや陰りのある表情で……だ。


「可能性がゼロじゃないからはっきり言っておく。こんな時は自分の仕事を呪いたくなるよ」


 僅かに首をかしげたテッド。

 バロウズは真っ直ぐにテッドを見て言った。


「仮に、君がこの向こう側へ入った状態で、奥さんを含めた捕虜たちが何かしらの破壊工作を行なった場合、君の回収よりも艦の安全を優先する事になる」

「……それはもちろんです」

「更なる破壊行為を防ぐために砲で撃つかも知れない。巨大なボイドの中に置いていくかも知れない。地球でもシリウスでも無い方向へ押し出すかもしれない。それは含んで置いてくれ。決して君に恨みがあるわけじゃないが」


 幾度か首肯し『大丈夫です。理解しています』とテッドは返した。

 その言葉に満足そうな笑みを返したバロウズは、ロックを解除した。


「セキュリティーロックを開けるカードキーは二枚しかない。だが、君なら」

「はい」


 テッドはバロウズのカードを手のひらに乗せてデータを吸い出した。

 サイボーグならばカードキーの接触式リーダーに手を翳すだけでいいのだ。


 ピピッと電子音が鳴り、テッドはセキュリティーゾーンへ一歩踏み入れた。

 青白い光に照らされる短い廊下を歩き、もう一つのハッチに突き当たる。


 再びカードキーでハッチのロックを開けたバロウズ。

 テッドも同じ事をすると、後方の先に潜ったハッチが閉まった。

 鈍い金属音が響き、ハッチがロックされた。

 そして、今度は前方のハッチが開いた。


 その中は眩いほどに白い廊下だった。

 壁や通路やありとあらゆる部分に突起物が無い通路だ。

 そして、床も壁も天井までもが、弾力性のある柔らかい素材で作られていた。


「まぁ、要するに自決対策だ」

「……そうですね」


 フワフワとする足元を確かめながらテッドは進んで行った。

 歩きなれている様子のバロウズは、鷹揚とした背中だった。


 途中、幾つかクランク状の角を曲がって進んでいくと、今度は鉄格子があった。

 そして、その向こうには廊下の左右に個室が並んでいた。

 高階級な捕虜を収容する個室だ。

 

 士官は捕虜であっても個室を宛がわれるのだ。

 捕虜である兵卒を指揮し、反乱を起こされないように……だが。


「1番だ」


 指を一本立ててバロウズは言った。そして、『私はここで待つ』とも。

 鉄格子の中にふたりとも入らない。それはセキュリティを確保する基本だった。


 鉄格子に電磁ロックが掛かり、テッドはドアの前にたった。

 NO.1と書かれた鋼鉄製ドアには、ぶ厚いウレタンが貼られていた。


 ――よし……

 ――行くぞ……


 グッと気合を入れたテッド。

 だが、ドアノブに手を掛けようとして、一瞬迷った。

 室内からゴトリと何かを落とす音が聞こえた。


 テッドは無意識に顔を上げる。

 ハッチの上の小さなモニターには、監視カメラの映像が映っている。

 上半身裸になったリディアの背中がそこに映っていた。


 ゴスロリ調のタトゥーが入ったその背中は、形こそあの頃のままだ。

 だが、複雑な文様の掘り込まれた黒いパターンにテッドは眩暈を覚える。


 その状態でスケッチブックに何かを書いているリディア。

 手にしているのは自傷対策からか、柔らかいクレヨンだ。


 ――リディア……


 両手をグッと握り締め、テッドは気合を入れた。

 勝負だと思った。或いは、決戦だと。

 過日、リディアを殺して自分も死のうと決意した筈だが……


 ――取り返してやる


 そう、静かに気合を入れた。


      コンコン


 いきなりドアを開ける前にドアをノックしたテッド。

 だが、モニター上のリディアに変化は無い。

 もう一度ドアをノックしたテッドはモニターを見ていた。

 リディアはハエでも追っ払うかのように、両腕を振り回した。


「やかましい!」


 鋭い金切り声がスピーカーから漏れる。

 一瞬だけイラッとしたテッドはもう一度ノックしようとした。

 上半身裸な女に部屋に入るのだ。それは最低限のマナーだと思った。


 だが、テッドがノックする前に、リディアは再び金切り声を発した。

 まるで誰かと口論でもしているかのように……だ。


「やかましい! 黙れ! おまえなんか知るか!」


 ――幻聴だ……


 テッドはその姿に衝撃を受ける。だが、意を決してドアを開けた。

 この女を口説いてやると、そう心に決めた。

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