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黒い炎  作者: 陸奥守
第七章 交差する思惑・踏みにじられる感情
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悪堕ちと…… スライム化と……

本日2話目です

~承前






「最初の一撃で警備兵3人が即死したそうよ」


 バーニーはサラリととんでもない事を言った。

 自白剤を打たれ脳内が良い具合に溶けていた頃合いだろう。


 だが、キャサリンは鉄の意志を持っていたようだ。

 元々が世話焼き体質で姉さん肌の強い女だ。

 テッドはもうそれが我が事レベルのようによくわかった。


「後ろ手に掛かっていた手錠をドアノブで引きちぎったんですって。それで左手首が折れたそうだけど、キャシーはむしろそれで開き直ったのね。だって痛みを感じていない状態だったんですから」


 バーニーの言葉はまるで他人事だと……

 テッドはそれにいきり立った。

 ふざけるな!と。お前のせいだ!と、そう叫び掛けた。


 だが、逆の見方をするならば、軍人は何処までも冷徹なリアリストだ。

 ある物で何とかするのが本義であって、それに乗っ取り行動を開始しただけ。


 アレが無いから。

 これが無いから。

 そんな泣き言はまず言わない。


 思えば、姉キャサリンは子供の頃からそうだった。

 早くに母親が死に、弟ジョンの面倒を見てきたキャサリンだ。

 自分よりも誰かの為に。そんな思想が思考の根幹を占めていた。


「あの子達もトレーニングの一環で格闘術は知っていたけど、キャサリンはちょっと違ったみたいね。拘束用のロープを使い、何人も縊り殺しては部屋を脱したらしくてね……」


 テッドは遠い日のキャサリンを思い出した。

 父親の手ほどきでロープワークを習っていた。


 片手一本で舫い結びを造り、暴れる牛の角に引っかけて引っ張る。

 それを思えば、油断している兵士の首を絞めるなど容易い事だ。


「5人か6人か、もしかしたらもっと多いかも知れない。キャシーはその場にいたコミッサールを全滅させただけで無く、コミッサールの武装を奪ってリディーを逃がそうとしたらしい。けど――


 バーニーは両手で顔を押さえてうなだれた。

 これ以上無理だと、そんな空気があった。


 ――たまたまそこにボーン大将が来ていて……」


 ガックリと項垂れていたバーニーは、奥歯をグッと噛んで顔を上げた。

 だがその時、テッドはギリギリと歯を食いしばっていた。


 怒りと悔しさに今にも暴れそうなほどだ。

 ボーン大将ことスラッシュ・ボーンは、闘争委員会の常任理事の一人。

 そして、その傍らには常にあの男がいる。


「そこに居たのか。クロスが」


 静かな口調のエディだが、その言葉には忸怩たる思いが溢れていた。

 手の届かぬ存在ゆえに歯がゆさで身悶える。

 ただ、いまのテッドにはそれを理解する余裕が無い……


「そう。心理学のプロで医師よ。そして、機動突撃軍で要職にあるの」


 とんでもないスペックの男だ……と、テッドは呆れるしかない。

 ただ、完全におかしくなっていたリディアを丸め込んだのも納得だ。


「ボーンの警備兵は高電圧(テーザー)銃を持っていて…… それで……」

「姉貴はお袋が死んだ時から、時々人格が入れ替わってたんだけど……」

「多重人格だったのね…… やっぱり」


 解離性同一性障害。

 いわゆる多重人格は、強い心的ストレスから来る防衛本能の一部だ。

 キャサリンは幼児期における母との死別が元になっていた。


 これほど不幸なのは自分ではない。


 そう強く信じ込んだキャサリンの中に、誰よりの不幸なもう一つの自分が居た。

 余りに激しい苦しみや痛みに対し、精神を切り分ける事で対処してしまう。


 そこに生まれたもうひとりのキャサリンは、他人の不幸を大声で笑う女だった。

 不幸な人々を嘲笑い蔑む事で、自分の精神的苦痛を癒していた。

 イソップ童話に言うとおり、不幸な者はより不幸な者を見て慰められるのだ。

 その対処を自分の心の内で完結させてしまっていた……


「他人は他人。自分は自分。そこがハッキリしてた子だけど……」


 辛そうな表情を浮かべたバーニーがボソリと言う。

 解離性同一性障害は他人の辛さや苦しさにまでも影響を受けるケースが多い。

 感受性が鋭すぎ、自らの記憶にリンクしてしまうのだ。


「姉貴は…… その後……」


 テッドはグッと奥歯を噛んだ。

 大人であれば心的ストレスに対して耐性もつくだろう。

 ただ、それにも限度はあるのだが……


「キャサリンは薬の影響もあってか、酷く粗暴だったようね。テーザー銃で撃たれてなお大暴れして、仕舞いにはクロスボーンを殴りつけたって」

「……へぇ」


 テッドはニヤリと笑った。溜飲を一つ下げたような印象だ。

 だが、事態はそう簡単に解決するモノではない。


「ところがね、そのクロスがね、自分が治療するって言い出したらしくて」


 小さな声で『それで……』と呟いたテッド。

 だが、バーニーは首を振った。


「最初は上手く治療していたそうよ。でも、キャシーの精神的な断裂はどうしようもなかったらしい。そして、その頃にはもう、リディも完全に精神が分離されてしまっていて……」


 握り締めたテッドの両手がギリギリと音を立てている。

 サイボーグの強い握力は、自らの構造体を破壊しかねないほどだ。

 だが、テッドはその怒りを噛み殺すべく、両手を握り締めていた。

 カタカタと、目に見えるほどに震えながら自分と戦っていた。


「そのあと、コート・ドールの基地で会ったけど、その時はもう完全に別人だったの。身体中にタトゥーを入れてゴスロリで決めてて、最初は誰だか分からなかったくらい。だけど、セトでもう一度遭遇した時は、アニーが気が付いて」


 力なく笑ったバーニーは涙を流していた。

 悔しくて、悲しくて、燃えるような後悔に身を焼かれて。

 そして彼女はここに居た。


「私の力不足。思慮不足。全ての事態を想像しておくべきなのに」

「……それはいい。起きた事は仕方が無い。今は」

「リディの性格は貴方にそっくりね」


 エディはそっとバーニーの涙をぬぐった。

 懐から取り出したハンカチに水染みの跡が残る。


「アニーは必死に呼びかけたんだけど、リディは…… まるで何処かの道化みたいに大笑いして…… そしてあの女は死んだって繰り返して……」


 再び涙溢れさせたバーニーは、許しを請うようにテッドを見た。

 何時ぞや無線で聞いた、あの高圧的で強健的な空気は一切無い。


「もし悪堕ちって言うなら、あれはもう完全な悪堕ち。目つきまで別人で、この世の全てを恨むような眼差しだった。クロス・ボーンに何を吹き込まれたかまでは分からないけど……」


 ナイルで遭遇したリディアは、スッポリと拘束衣に身を包んでいた。

 それゆえ、テッドにはリディアの肌を見る機会は無かった。

 ただ、過去には数え切れぬ程、肌を合わせた女だ。


「見てみたかったな……」


 フッと。

 自嘲気味な笑いをこぼしてテッドはうそぶいた。

 それがテッドにとって精一杯の強がりな事は、震える手を見れば分かる事だ。

 幾つもの修羅場を潜ってきたエディやバーニーは、それが手に取るように解る。


「……なら、見に行けば良いじゃ無いか」


 エディはそっと、そんな言葉を口にした。

 ゆっくりと顔を向けたテッドにエディは微笑みかけた。


「晴れ渡る青空も雨降りそぼる雲の空も、同じ空だ」

「だけど、雨の空に太陽は無い」

「止まない雨など無いさ」


 微笑みを浮かべたままのエディは、ジッとバーニーを見た。

 その眼差しを受けたバーニーは、嬉しそうにエディを見ていた。


「どんな姿になっても、惚れた女は一人だろ?」

「……あぁ」

「なら、何があってもお前が裏切ったらダメじゃ無いか」

「……エディ」


 エディはもう一度テッドをジッと見た。

 その眼差しは、まるで父親のようだと。

 大きく厳しくあって、そして優しい存在だ。


 男の子は父親を終生のライバルに育つ。

 本人が意識していなくとも、潜在化の無意識にそれはある。

 父親に認められる男になりたい。男の子はその思いを持って育つ。


 ――――良く出来たな

 ――――偉いぞ


 父親の言葉を聞き、男の子は大きくなっていくのだ。


「あの…… ソフィアと言ったか。その人格の裏側にリディアが居て、もしかしたらお前を見ているかも知れない。俺も心理学や精神医学まで知識があるわけじゃ無いからハッキリした事は言えないが、いわゆる多重人格なら、別の人格が無意識にそこに居るかも知れない」


 ハッとした表情のテッドがエディを見た。

 こういう部分でテッドという人間は素直だった。


 ややもすれば単純で不用心な程なのだが、それはきっと父親の影響だ。

 注意深く思慮深く慎重でなければならない。だがそれは人生経験の裏返し。

 痛い思いをした回数だけ漢は育って行く。男では無い。漢だ。

 自分の行いに責任を持てる存在。それが漢……


「ソフィアがリディアを殺したと言っても、それはイマジナリーフレンドみたいなモノかも知れないぞ。心のどこかにリディアが残っていて、お前の助けを待っているかも知れない。お前が背を向けてしまったら、本当にリディアが失われるかも知れない」


 全ての表情を失ったテッドは、ジッとエディを見ていた。

 いや、表情が無いのではなく集中していた。

 テッドの脳内で様々な思いがグルグルと駆け回っていた。


「……そうですね」

「なら、もう一度彼女を口説け」

「口説く前に近くに居たんですが……」


 泣き笑いのような恥ずかしい表情でテッドは笑った。

 そして、もう一度グッと拳を握りしめた。


「ナンパしてみます」

「上手く落とせよ? 高嶺の花だからな」


 テッドは僅かに首肯した。

 そして、同じタイミングで無線に通達が入った。


『ナイル入港まで1時間。各員入港体勢に入れ』


 ブリッジからの通達にエディとテッドは表情がスッと変わった。

 無線を受け取れないバーニーだけが事態の変化に驚く。


「リリス。そろそろ入港だ」

「分かった。あのスケコマシの……『ところで姉貴のその後は』


 もう一つ聞いてきたい事をテッドが口にした。

 リディアとは違う角度でキャサリンは大切な存在だ。


「キャシーは……」


 バーニーの目が再び重く沈む。

 その変化にテッドは覚悟を決めた。


「クロスが治療を試みて、一度はその人格が落ち着き始めたのね。だけど……」


 バーニーはジッとテッドを見た。

 思い詰めたようなその表情は、相当キツイ話だと想像が付く。


「なんか、脳自体を弄られたって……」

「……そう」


 首肯したバーニーは床に目を落としてしまった。

 視線は空を彷徨い、ガックリと肩を落としていた。


「何処からどう話が漏れたのか分からないけど、突然ボーンのラボにフィット様が現れて、クロス・ボーンは胸を張って治療は順調だと言い切ったのよ。だけどね、私たちはなんどかヘカトンケイルの8人と顔を合わせていたから、キャシーはそこで何か悪いモノをイメージしたみたい」


 首を傾げたテッドは、俯いたままのバーニーを見ていた。


「クロスの手を離れフィット様に殴りかかったキャシーは、クロスに言い含められていた言葉を口にしたそうよ。ヘカトンケイルこそが人民の敵って。フィット様はどういう事?と詰問されて、クロスは連邦軍の諜報工作員の可能性が高いって返したの。で、私が洗脳を解きますと言ったんだけど……」


 顔を上げたバーニーは、自らの右目まぶたに指を添えた。


「ここからレーザーメスを入れて、前頭葉をそっくり切除したの。そこは本来、人間の意志や意識といったものを司る部分。つまり、キャシーそのものなんだけど」


 テッドはゴクリと唾を飲み込んだ。

 その生々しい振る舞いにエディはテッドの緊張を見て取った。


「キャシーは完全な廃人になり、その脳へAIチップを埋め込む段階でフィット様が再び現れて……」

「ちょっと待て、話が繋がらねぇ!」


 バーニーは幾度か首肯した。


「治療を終えた姿を見せて欲しいとフィット様が再訪する事になっていたけど、キャシーは完全に廃人になっていて、その失敗を誤魔化す為にクロスはAIチップを入れてキャシーをロボットにしようとしたのよ。自分だけに従順で、シリウスの為に身も心も捧げる純粋な存在に」


 バーニーの言葉にテッドは怒りを露わにした。

 人を人とも思わぬその所業は、特権階級ゆえの放漫さだけではない。

 根本的に人間性が腐っているとも、或いは、捻じ曲がっているともいえる。


「そんな事って許されるのかよ……」


 苛立たしげに壁を殴ったテッド。

 鋼鉄の拳が船自体を揺すった。


「おいおいテッド。その拳だって安く無いぞ」

「だけど!」


 思わず叫んでいたテッドだが、エディは『それで?』と続きを促した。

 その言葉にバーニーが頷き、話しは続いた。


「だけどキャシーは、時々自立呼吸すら止まる有様でね。私も後から聞いたんだけど、前頭葉っていうのは、自分の意志とか学習能力とか、あと、言葉や計画性や発作的な衝動を抑制する部分なんですって。つまり、獣ではなく人間として一番大切な部分の一つ。自分自身をコントロールする部分なの。そこを失ったキャシーは、目が覚めている時は文字通り獣のようで、眠っている時は子供より悪くて」


 一つ息を吐いたバーニーは呟くように言った。


「それでも快楽の記憶は残っている。薬を貪り、その副作用で生命維持が困難になり始め、心停止や呼吸停止など、自律神経自体が機能を停止し初めてね……」


 今も昔も変わらず、いわゆる麻薬や覚醒剤が徹底的に禁止される理由はこれだ。

 どんなに権利だの自由だのと言っても、薬に溺れた人間は、最後には獣になる。

 ましてや、自立しての意志を失った存在ともなれば……


「そんな時にフィット様が現れて、ボーンは言ったそうよ。余りに暴れるので部下が勝手にやったって。フィット様はキャシーをそのまま召し上げられて、ご自身の間へ、蒼回廊の何処かで治療に当られると……」


 怒りに我を忘れていたテッドも少し落ち着いたようだ。

 エディは『今は?』と続きを促していた。


「フィット様の身体はマイクロマシン濃度が一番濃いのよ。歩く生体コンピューターとも、或いは、全身のマイクロマシンがネットワーク化されていて、考える筋肉とも言われてる方。そのフィット様は、キャシーの頭蓋にマイクロマシンを注入したの。シナプスネットワークをマイクロマシンで補完するために。ヘカトンケイルの50人が事実上不老不死なのは……『マイクロマシンの影響か』そうよ」


 テッドの問いにバーニーは素直な言葉を返した。

 だが、その後に『ただね……』と不穏な言葉が続く。


「キャシーを含めてシリウス人は子供の頃から複数のシリウス土着ウィルス抗体を注入される。それはあなたも一緒でしょ?」

「あぁ……」

「その中の一つ。珪素系生物への抗体とマイクロマシンが異常反応して……」

「異常反応?」


 バーニーはゆっくりと頷いた。


「ウィルス抗体はマイクロマシンを珪素生物と判断し、タンパク質抗体がマイクロマシンをゼラチン状物質で覆い始めた。マイクロマシンはその状態で抗体や普通の細胞を異物と判断し攻撃し始めた。結果的に……」


 小さな声で『それじゃ…… 姉貴は……』と呟いたテッド。

 バーニーも小さな声で言った。


「今は…… スライム……」

「スライム?」

「青いゲル状の塊なの…… その中に脳が浮いている……」


 エディの私室にドサリと音がした。

 ソファーに座っていたテッドから力が抜け、床に転げ落ちていた。

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