シリウス軍の現実
~承前
「やっぱりあまり気乗りしねぇな」
どこか不安げに漏らしたヴァルターは、兵装セレクターを切り替えた。
彼は今、ニューホライズンの上空200キロ付近を猛烈な速度で静止している。
「だけどよぉ……」
「解ってる。解ってるさ。もちろん…… 解ってる」
テッドの言葉を遮ったヴァルターは自らへ言い聞かせるように言う。
自らの心置き場は自らで作るしか無いのだ。
「これしか手がないのは解ってる」
彼等は今、ニューホライズンの夜の側にいた。
かつて連邦艦隊とシリウス艦隊との壮絶な戦闘があった辺りだ。
辺りには大小様々な残骸が残り、今日もニューホライズンを周回していた。
VFA501の面々はその残骸のなかで、ジッと息を潜め隠れている。
この残骸達は、やがて極々僅かな大気により減速し、地上へ落下するだろう。
両軍艦艇の中に遺体が残っている可能性は高いが、回収の手立ては無い。
大気圏への突入で完全に燃え尽きて、ニューホライズンの一部になるのだ。
――まぁ、仕方がねぇよな
内心で独りごちで辺りを見るテッド。
レーダーを切り、無線も完全に封鎖している状態だ。
手を伸ばせば届く距離にいて待ち構える中隊は、ケーブル接続で通信していた。
「リニアラインがまだ生きてるとは思わなかった」
ウッディすらもそう言うしかない事だ。
ニューホライズンの地上を縦横に結ぶリニアモーターの高速鉄道網。
その一つである1号幹線は貨物輸送も出来る重量物対応型路線だ。
「ロケット無しで重力圏脱出速度を得ようと思ったら、これしかないな」
残骸の中、完全に闇へと解けているシェル。
つや消しの黒に塗られた特別仕様のタイプ02は、その時を待った。
「しかし……」
ため息を漏らしたウッディの言いたい事は、全員が痛いほど理解していた。
残骸の中で待つ理由は、シリウスシェルが打ち出されて来るのを待つ為だ。
アクティブステルスにしても地上からの光学観測でばれてしまう。
故に、これしか手が無いのだ。
ただ、ウッディの溜息の理由は一つでは無い。
多くの遺体を壁代わりに使うだけでは無く……
「……今どき戦闘薬とはなぁ」
ディージョの声は怒りに震えた。
そしてそれはディージョだけでは無い。
全員が怒りに震えた。
その、あまりに非道なやり方に、怒りを覚えるのだ。
シリウス側のシェルパイロットが勇猛果敢な理由。
全く死を恐れず真っ直ぐに突っ込んでくる理由。
迷う事なく自爆し、結果を最優先する理由。
その全てはこの出撃直前のミーティングで明らかになった。
全員が集まったガンルームの中で、エディの言った一言が全てだった。
「恐怖や嫌悪感の全てがなくなると言うが……」
「徹底的にハイになるって事だな」
ステンマルクはそう呟き、ジャンがそう応えた。
シリウス側のパイロットから検出された戦闘薬は三種類。
ちょっと古くから軍に居る者なら誰だって知っている薬だ。
精神のストッパーを完全に外すもの。
恐怖などの感情を忘れさせるもの。
そして、理性を失わせ性的興奮に近い高揚感を与えるもの。
「三回も使えば立派なジャンキーの出来上がりだな」
神経のネットワークに直接作用する向精神薬系の薬剤だ。
当然のようにその依存的傾向は大きく、そして逃れられなくなる。
出撃の都度に薬を投与すれば、三回目あたりで定量では効き目が薄くなる。
そこから先は坂道を転げ落ちるようなモノだろう。
もはや薬のために出撃を懇願し、歓んで出撃する様になる。
ただ、やがては成績が落ちてくるのだろう。
そんな時に『外科手術をしないか?』言われれば喜んで受け入れる。
そしてその先には、人間を完全にロボット化させるロボトミー手術だ。
人間として超えてはならぬ一線を越えた者は、ハッと気がついて手遅れを知る。
自分自身が人間を辞めた事に絶望し、そして自暴自棄のまま深みに堕ちていく。
そんな、一度タガの外れた者は、決して元には戻ら無い。
自分自身が生身と機械の中間となった事を知り、さらに絶望するのだ。
さらに『レプリの身体を斡旋する』と言えば、その絶望すらなくなってしまう。
怖れるモノのなくなった人間の怖さは言葉では説明できないものだ。
純粋に目的だけを追求するようになった純粋な人間は、もう誰も止められない。
「成績上位は薬を優先されるんだろう」
「どうせそんなもんだろうな」
「ジャンキーに堕ちた奴なんざ救えねぇよ」
アレックスの言葉にドッドとジャンが応えた。
人生経験がそれなりに長いふたりだ。
軍の中でメタンフェタミン中毒になったりする者は沢山見てきた。
そして、やがて彼らはより強い効き目を求めて奈落の底へ落ちていく。
エフェドリンやアンフェタミンを経由し、最後には廃人同然となってしまう。
「シリウス側の連中もひでぇ事しやがるぜ」
「軍の主導部にとっては兵士など消耗品なのだろうな」
怒りに震えるマイクの言にエディはそう答えた。
消耗品扱いされ、使い捨てられる兵士たちの大半が、連邦からの離反兵だ。
誰の口からという事ではなく、すぐに連邦軍の中を情報が拡散するだろう。
逃げ出したって救いは無いという事を、心の弱まった兵士たちは知る事になる。
現実に負け、ここから逃げ出しても、安全な地など無いという事を。
そして、逃げ出したって何処へもたどり着けないと言う事を。
「世の中って厳しいな」
ボソリと呟いたヴァルター。
テッドは苦笑いしながら言った。
「今さら言うなよ。多分5年は遅いぜ」
ヘラヘラと笑いつつモニターを凝視するヴァルター。
その眼は地上に動きがある事を捉えた。
「地上に高速移動体反応!」
ヴァルターの声に弾かれ、全員がスッと心を切り替えた。
ロケットの光りも煙りも全く無いが、リニアモーターによる加速は鋭い。
「すげぇ! 一気に加速してるっす!」
ロニーの声が弾んでいる。
リニアモーター式のカタパルトを使い、地上からシェルが打ち上げられている。
推定加速距離は5000メートルほどだ。
それを目一杯使い、更には上空へ向けて急な山の斜面にレールを敷いてある。
「あれを突貫工事で作ったって事か」
「ある意味大したもんだな」
マイクもアレックスも感心したように言う。
前日、偶然にもシェルのリニアカタパルトシステムが発見された。
それにより、謎だったシリウス側のシェル離陸システムが判明した。
ただ、そこから先はこっちの仕事だ。
「残念だが…… いや、もう少しひきつけてからが良いな――
エディの声が楽しそうだとテッドは思った。
――全部で何機上がるか勘定しよう。高度百キロ付近へ到達したら撃墜だ」
完全な影の側に居て漆黒に塗られたシェルは光りをも反射しない。
電波的にも完全に隠れているのだから、地上から上がってくるものには悪夢だ。
――ワリィな……
――死んでくれ……
小さく呟いたテッドは140ミリを構えた。
全ての兵装をこちらに切り替え、280ミリは留守番モードだ。
「よしよし……」
誰かが無線に呟いた。声の主はわからなかった。
山の斜面をシェルが駆け上がる。グングンと速度を乗せて加速している。
カタパルトオフしたシェルは、上空でメインエンジンに点火した。
「来た!」
眩い光を放ってシェルが上昇してくる。
その光りにオーリスが叫んだ。
充分に速度に乗ってからのメインエンジン着火だ。
通常とは違い、僅か300秒程度で大気圏外へと脱出する。
メインエンジンのスカートはロングノズルに切り替わっている。
最大効率で燃焼するエンジンにより、白い煙の柱が立ち上っていた。
「迎えも無いのに宇宙へ出るとはな」
「どうやって帰るつもりなんだ?」
ジャンやドッドはそんな言葉を口にした。
2人がふと思った疑問はもっともだ。
並んで140ミリを構える全員が無意識に周辺を探した。
迎えになる筈の空母は居ないしシェルキャリアーもいない。
「片道特攻だったりしてな」
ステンマルクがボソリと言った。
ただ、それはややあって恐怖へと姿を変える。
死を恐れず……
と言うより、死を前提に出撃してくる連中だ。
一撃で殺さない限り、何度でも何度でも立ち向かってくるだろう。
自爆すら厭わず、愚直に目的を達する為に。
「さて、では……」
最初にエディが砲を放った。
電磁カタパルト方式で強烈なフラッシュを放つ140ミリ砲だ。
シリウス側もその存在に一瞬で気が付いた。
ただ、気が付いただけでどうする事も出来ない。
大気圏脱出用エンジンの燃焼中は止める事が出来ない。
文字通りのロケットロードで向かう先は死だ。
音速を超え熱を持った機体は、無理なアクロバットで爆散するだろう。
「情けは無用だ。むしろ、武人の情けだな」
エディに続きマイクも砲を撃った。
一撃でシェルを貫通し、次々と撃墜している。
地上から上がってくるシェルは全部で50機と思われた。
「上がってくるのは完全に出来上がったジャンキーってな」
「何時もの事だが、このやり口はゾッとしねえよ」
テッドの言葉にディージョが返す。
非道で非情で残酷な仕打ちだ。
とてもじゃないが、まともな人間が行うこととは思えない。
「それだけ、シリウスは切羽詰まってるのかね?」
同じ様に砲撃を繰り返すヴッディが言った。
死を厭わずの出撃など、まるで亡国の兵たちだ。
どこで死んでも我が祖国。その一念に駆られた兵は強い。
銃後の同胞を護るためと言えば、男は喜んでその命を差し出しかねない。
「信じ切れるものがある奴は強いのさ」
スパッと言い切ったエディは、残りのシェルに狙いを定めた。
目映い光が宇宙の闇を照らし、超高速の砲弾がシリウスシェルを貫いた。
「逃げ場なく即死ってのは辛いな」
どこか同情するように漏らしたリーナー。
珍しく喋ったとテッドは驚くのだが……
「終わりか?」
「地上にはもう移動体反応がないな」
マイクとアレックスは気の抜けた会話をしている。
地上を疾走していたリニアカタパルトのシェルは全滅したらしい。
テッドは地上をじっくりと走査した。
ドップラーレーダーの反応は無い。
「地上にレーダー反応はありません」
「空中にも無いですね」
ウッディもそれを確認していた。どうやら出撃は終わりの様だ。
願わくば、空中で打ち落とされたシェルに彼女がいません様に……
テッドは心の内でそう願っていた。
「無線オープン。帰投準備だ。連中がリニアを使っているのは分かった」
エディは最初に残骸の群れを出た。
手近な部品を幾つも蹴りつけ、地上へと墜落させていた。
ケスラーシンドローム一歩前になりつつあるニューホライズンだ。
出来るものならこう言ったデブリは少ない方が良い。
「夜が明ければ艦砲射撃だな」
「全部蒸発するぜ」
ディージョが呟き、ヴァルターもそう答える。
各機が次々と残骸の中から這い出てきて、テッドもそこを出ようとした。
――ん?
目の前には完全にドライになった遺体が漂っていた。
来ているパイロットスーツを見れば連邦軍では無いのがわかる。
――あちゃぁ……
こういうシーンは正直見てられないものだ。
同じパイロットの情けとして、出来れば収容してやりたい。
例え敵軍の兵士だったとしても、テッドとてシリウス人だ。
同じシリウス人を見逃すのは心が痛む。
「エディ ここにシリウ――
パイロットを回収しようとテッドが提案しかけた時だった。
――……え?
完全に油断しきった声がテッドから漏れた。
同時に、周囲にあった残骸群の中を眩い光りが駆け抜けた。
ほぼ同時にドッド機が爆散し、鈍い光を放った。
理解とかどうとかという次元では無い。
瞬間的に『やられた!』と思った。
そして、ニューホライズンの地上を思い出した。
「スナイパーだ!」
ヴァルターが叫んでいた。
コレは地上戦を経験したもので無ければ解らない事だった。
ただ、地上ならば咄嗟に臥せれば良いことだが、宇宙ではそうも行かない。
「全員散開! ランダムに動け! 勝手に死ぬなよ!」
エディの金切り声が響いた。
――冗談じゃねぇ!
残骸の中に潜みレーダーから隠れていたのは、501中隊だけでは無かった。




