生存への努力
謹賀新年
今年もよろしくお願いいたします
~承前
全員が睡眠モードに入ってからすでに22時間。
まだ皆が寝ている中で目を覚ましたテッドはコックピットで身悶えていた。
本来ならとっくにエンタープライズが戻っている時間だ。
既に六時間の遅れを出していて、その情報は一切入ってこない。
――何かあったのかもしれない……
頭の中を駆け巡る形の無い不安は、悪い結果ばかりを想像させる。
エンタープライズが流星群にやられて大破した……
シリウスの大攻勢でそれどころじゃ無くなっていたら……
どれも容易に想像が付くだけに、始末に悪い事だった。
――帰れなかったらどうしよう……
目を閉じたテッドの脳裏に浮かぶのは、朗らかに笑うリディアの姿。
白い肌に金色の髪。僅かに潤んだその瞳は、澄んだ空色だ。
……死なないでね
柔らかな声がリフレインしてきてテッドは身悶えた。
――リディア……
手を伸ばせばそこに居るかのような錯覚を起こす。
「……………………」
言葉になら無い激しい焦りがテッドを焼いている。
どうしようもないじれったさとやるせなさに、テッドは行動を起こした。
――エディに会いに行こう
この不安と恐怖を和らげてくれる存在はエディだけだ。
そんな直感がテッドを突き動かしていた。
シェルのコックピットを抜け出し、自分たちで作った通路の中を飛んでいく。
無重力空間というのも随分となれたが、それはいま問題にすべき事では無い。
クルーズブリッジへと続く通路へと身を躍らせやって来たテッド。
だが、そのクルーズブリッジの中から話し声が聞こえた。
……え?
一瞬だけ身構えたテッドは体操選手の様に身体を捌き、隙間に身を隠した。
何故隠れたのかは自分でも分からないが、話しに割って入るのは気が引けた。
なにより、情報収集を優先と言う直感があったのだ。
――無念です……
その声の主はハーシェル中尉だった。
テッドは怪訝な表情を浮かべつつ、音を立てぬ様にそっと接近した。
かつて経験した地上戦が役に立っていた。
――何を話しているんだ?
部屋の入り口で様子を伺ったテッド。
クルーズブリッジの中にはエディとハーシェルの二人だけがいた。
エディと同じように不安で一杯のハーシェルは寝付けなかったようだ。
話を聞いているエディの表情が柔和だったので難しい話では無さそうだが……
――すでに22時間が経過しました。
――CO2濃度は急上昇しています。
控えめな声で『やむを得んな』とエディは相槌を打つ。
悲痛な表情になったハーシェルは、顔を上げてエディを見た。
――艦長は初めからわかっていたんです
――土台無理な計画だと
――作戦だと
テッドは思わず心中で『えっ?』と言葉を漏らした。
分かっていてやったのか?
まだまだ軍隊と言う組織の恐るべき本性をテッドは理解していなかった。
――何の指針も無い巨大なボイドの中で先回りしようなんて
――そもそも出来るわけがありません
――だけど参謀本部の意向は無視できませんでした
――だからこんな無茶な作戦を……
ハーシェルの語る言葉は驚きの連続だった。
つまり、自分たちは実験台にされた可能性が高い。
エディは穏やかな声で『それが軍隊だ』とだけ答えた。
誰かが最初にやらねばならない事を引き受ける組織。
それこそが軍隊なのかもしれない。
だが、ハーシェルはいまにも泣き出しそうな顔だ。
――……何一つ不自由ない環境で
――自分は……
――何処までもぬるま湯な環境で育ったんです
――だから……
うなだれたハーシェルは両眼に涙を溜めていた。
無重力の環境では、涙自体が表面張力の影響を受ける。
――……一度極限状態に身を置こう
――軍隊に入って甘ったれた自分を鍛えよう
――そう思ったんです
その独白は身を切る様な痛みの言葉だった。
ハーシェル一門と言えば、歴代の海軍作戦部長を出した名家と言って良い。
その御曹司は、自らの存在を恥じていたのだ。
――結局、自分は甘ちゃんだったって事ですよ
――母親も女房も助けてはくれない環境へ
――誰一人として親族の助けてはくれぬ環境へ
――でも……これが……
――ここがその現実なんですね
辿々しく語るハーシェルの声が震えている。
彼もやはり不安や恐怖や、すぐ隣にある死を怯えているんだと。
そして、認識甘く世間を舐めていた彼は、ここで痛いしっぺ返しに会っている。
己の浅はかさを呪いながら、とにかく後悔しているのだ。
テッドはそう思う。だが……
「そこにいるのは誰だ?」
エディはテッドの存在に気が付いた。
内心で『しまった!』と思ったものの、諦めて一歩踏み出そうと思った時……
「……機関長」
ハルゼーの機関長、クラウス・ヴェンネマン少佐が姿を現した。
「中尉。酸素生成器の修理が完了した。メインエンジンは一基だけだが――
椅子を蹴るようにして立ち上がったハーシェルは言葉を失った。
――恐らくは最大出力を出せる筈だ。三次元コンパスも使える。各スラスターのうちジンバル不良は全て修理した。艦首側はそっくり失われているが、回頭は出来るだろう。後部居住区のうち、三区画が気密確保に成功した。水は50キロリットルほど残っている。再循環装置も修理を完了したので問題ない」
立て板に水の報告をした少佐は、疲労困憊な様子で手近な椅子に座り込んだ。
船乗りの中で艦船の指揮命令系統を持っているのは戦闘科と航海科だ。
機関科の士官は、たとえ航海科や戦闘科より高級将校でも艦の指揮が出来ない。
「機関長……」
「中尉。君の責任はまだ軽くなったわけでは無いぞ」
「……ハッ!」
ハーシェルは一歩下がって敬礼した。
「少佐殿。ご苦労様でした。どうかすこしお休みに『いや、これからだ』
機関長と言う肩書きは、艦の機械的な部分に付いて全責任を負うのが仕事だ。
艦の舵取りを任されるのが航海科であり戦闘科で有るなら、機関科はその舵取りを100%可能とする体制に整備士続けるのが本業だ。
「これから帰還を目指すんだろ? エンタープライズが戻ってこないなら……」
「……その通りです」
「私は持ち場に戻る。艦を頼む。それが君の仕事だ。中尉」
ハーシェルは胸を張って敬礼した。
「その通りです。少尉殿」
ヴェンネマン少尉はニコリと笑って戻っていった。
その後ろ姿を見送ったテッドは、エディの前に姿を現すタイミングを失った。
ただ、僅かな時間の間にテッドは様々な経験をした。
それは千金を積んででも経験するべき事柄だった。
誰だって不安になる。
誰だって恐怖や恐れがある。
誰だって迷っているのだ。
その、極々当たり前の事を、テッドは初めて知った。
より深く理解した。
――中尉……
物陰から見ている向こう。
ハーシェルは遂に泣き出した。
「……私は」
「中尉。泣いても良いんだ」
「はい」
ハーシェルは遂に泣き出した。
低く抑えた嗚咽がクルーズブリッジに響く。
「私は果報者です」
「そうだな」
「こんなにも良いスタッフが揃っている船に乗り組めました」
エディの手がハーシェルの肩を叩いた。
サイボーグとは言え、その手には優しさがあった。
「艦長…… 見ておいでですか」
虚空を見上げたハーシェルの嗚咽は止まらなかった。
「あなたの部下は…… 連邦軍最高のスタッフです」
嗚咽を漏らすハーシェルの肩をエディは抱いた。
それはまるで祝福する様な姿だとテッドは思った。
ただ、心のどこかにイラッとする様な感情もある。
それが何かは極力考えない様に努力したテッド。
ハーシェルは涙声を漏らしていた。
「ところで少佐殿は、何故そんなに落ち着いてられるのですか?」
「……俺はな」
エディはニヤリと笑った。
「生まれつき運が良いんだ。一般人のラックパラメータを50とするなら、俺は生まれつき100以上あると思う。いままで何度も絶体絶命のピンチに遭遇してきたが、その都度様々な理由で生き残ってきた。今回もそうだ。俺は……」
ハーシェルの背中をポンポンと叩いたエディは、離れる事を促した。
一歩下がってエディを見るハーシェル。エディは柔らかく笑っていた。
「最初からこうなると思っていた。いや、機関長の努力を折り込み済みという意味では無く、皆が必死に努力した結果、必ず生きて帰れるだけの手段を手に入れると思っていたんだ。いままでだってコレで上手くいってきた。今回も上手くいくさ」
戦場における一大鉄則は『運の良いやつと一緒に居ろ』に尽きる。
テッドはニューホライズンの地上で何度もそれを経験してきた。
運は如何なる理不尽をも超越する力だ。
それは不可能な未来を切り開く力であり、不可能を可能にする力だ。
――エディ……
テッドは静かにその場を離れてシェルのコクピットへ帰った。
気が付けば体内電池の残量が大きく減っていた。
黙ってハーネスを接続し、シェルの燃料電池から給電を受けた。
――エディは大丈夫なんだろうか?
ふとそんな事を思ったテッドだが、そのタイミングで船内放送が入った。
落ち着きを取り戻したハーシェル中尉の声だった。
『ハルゼーに残った諸君。艦長代理のハーシェルだ』
艦に残っている者は機関科と航海科の人間ばかり。
残されているミッションはただ一つ。
例え何時間かかってもニューホライズンへ帰還する事。
酸素と電源は問題ない。
厳しい局面になった時ほど核融合エンジンは希望の光になる。
問題は食糧だが、艦に残った百名足らずの者が食べる分位は何とかなりそうだ。
『本艦はコレよりメインエンジンに点火を試みる。ニューホライズンまで一ヶ月を超える長旅になるだろう。だが、希望を捨てず走り続けよう。我々は船乗りだ――
名演説だとテッドは思った。
相手の心に訴えかける言葉は作り上げられた美辞麗句では無く本心の言葉だ。
赤心と言っても良い本音その物だ。
――幸いにして我々を導いてくれるシリウスの光はハッキリと見えている。途中で艦が持たないかもしれない。制御不能かもしれない。シリウス軍の猛攻を受けるかもしれない。だが――
その通りだ……
シリウス軍の迎撃を受ける可能性にテッドは身震いする。
正直、ハルゼーに何かあった場合、シェルだけでの帰還は不可能だ。
――それでも我々は帰還を目指す。希望を捨てず、捨て鉢にならず、努力して貰いたい。以上だ』
心のどこかにポッと火が灯った。
訳もなく、何処からかヤル気が涌いてきた。
――これが言葉の力か……
シェルのメインシステムを起動させメインエンジンに点火する。
バッテリーだけだった電源に余裕が生まれ、各種センサーが立ち上がった。
個人操縦の戦闘兵器では史上最強の能力を持つシェルだ。
当然の事としてその索敵能力は広大の一言だし、比類なき性能を持っている。
下手な早期警戒機など比較対象にすらならないものだ。
「さて、んじゃぁ派手にいこうぜ!」
「おぅ!」
早速ディージョとウッディが逸っている。
だが、その道のりが相当厳しくなるのを理解していないわけではない。
「俺たちはとりあえずここで待機だな」
ドッドの声で僅かに全員が落ち着きを取り戻す。
ハルゼーのオープンデッキに係留されている各シェルは、太いチェーンでガッチリと固定されていた。
「加速のサポートした方が良いのかな」
珍しく素の言葉で漏らしたロニーは、どこか不安げでもあった。
どんなに取り繕ってもまだ17歳の少年でしかないのだから仕方が無い。
ただ、戦争と言う極限環境は子供でいる事を許してくれないだけだ。
『加速開始180秒前』
冷静なオペレーターの声が流れた。
どこで指揮しているのだろう?とテッドは疑問を持つ。
だが、そんな心配をする前に、ハルゼーの各所から明かりが漏れ始めた。
メインエンジン部分がオレンジ色のイオンブラストを吐き出しはじめた。
僅かに加速度を感じ、ハルゼーが動き始めた事を知った。
──さぁ!
テッドは内心で呟いた。
帰るんだ!と。
『加速120秒前』
ハルゼーの残された部分が前に進み始めた。
明確な加速度を覚えると同時に、シードバックへ身体が押し付けられる。
「ハッハッハ! エンジン一基でもハルゼーだぜ!」
イカレタ調子でジャンが叫んだ。
こんな時のラテン系は本当にありがたい存在だ。
ただ、喝采を叫んだのはジャンだけではない。
ハルゼーに残っていた全てのクルーが喝采を叫んでいた。
「進みさえすりゃ、ニューホライズンへいつかたどり着くぜ」
ホッとした様子でぼやいたマイクは、小さく息をこぼしていた。
歓喜と安堵が綯い交ぜになってハルゼーの中を漂う。
帰途と言うのはこれほどに嬉しいのかとテッドも感極まる。
だが……
――ん?
シェルのパネルに小さくアラートの文字が浮かび上がった。
小規模な重力震だ。
「……重力震検知」
報告を上げようとしたテッドが口を開く前にウッディが報告した。
ハルゼーのクルーズブリッジにいるはずのエディは僅かに表情を変えた。
「……これ、なんだろう」
相当距離があるエリアだが、かなりの数の小規模重力震が連続している。
例えるなら、水溜りに砂利を幾つも投げ込んだようなものだ。
水面に広がる波紋が広がって輻湊して、振動共鳴を起こしていた。
「……不安を掻き立てるケースだな」
事態を飲み込めないままに様子を伺っている面々。
重い空気をかき混ぜるように『加速60秒前』がコールされた。
「あっ」
モニターを見ていた者全てが同時に声を漏らした。
かなり大規模な重力震が検知されたのだ。
少なくとも大型艦のワイプイン規模だ。
『加速10秒前 9…… 8…… 7…… 6……』
読み上げが続きイオンエンジン回りの空間が僅かに歪む。
オペレーターの声がラスト3秒になった時、エンジンが最大推力へと移行した。
そして、ハルゼーの残されていた部分が一気に加速を始めた。
「ひゃっひゃっひゃ!」
「すげぇな!」
ディージョがいかれた笑いをこぼし、テッドも感嘆の言葉を漏らす。
相変わらずの急加速を見せたハルゼーのイオンエンジンは、残された部分をグングンと加速させ始めた。
「来たッ!」
突然オーリスが叫んだ。
ハルゼーの進行方向からややずれた左前方辺りだ。
パリパリと放つ紫電の衣をまとった宇宙船が現れた。
その姿はハルゼーに残されていたクルーが夢にまで見たモノだった。
「エンタープライズだ!」
ロニーが叫ぶ。
全員の眼がエンタープライズに釘付けになった。
「やっと来たか」
「あぁ。だけど……」
テッドの声にヴァルターが呟く。
予定より7時間近く遅れて到着したエンタープライズの姿は、ついさっきまで戦闘をしてましたと言わんばかりな姿だった……




