悪い予感
「今日は酷い遭遇だったな」
「えぇ」
連邦軍関係者が生活している工場コロニー『ホルス』の中部は広く大きい。
円筒形コロニー特有の街明かりはまるでプラネタリウムのようだ。
ただ、実際に宇宙を飛べば、その数百倍は奇麗な星空を拝める。
星空と言うよりもむしろ、星々の大海と言うべき光景だ。
そんな世界を見る事が出来る者にすれば、バーのカウンターにも安堵を覚える。
ここには大気があり遠心力による擬似重力を感じる事も出来る。
コロニー市街の片隅にあるそんな小さなバーで、エディとテッドは飲んでいた。
「しかし、まさかあんな事をするなんて……」
「向こうも切羽詰ってるのさ」
「軍艦を持ってるんじゃないですか?」
「無い事は無いだろうが、使えない理由があるんだろうさ」
小さく溜息をこぼしたエディは、グラスをグッと煽った。
琥珀色の液体が流れ込み、もう一つ息を吐いてグラスの氷を見る。
「なんだかんだで均衡状態だ。こっちは本当に酷いが……」
「シリウスも一杯一杯ですよね」
「そう言うことだ」
テッドは最近になってようやく酒の味を分かるようになってきた。
バイオ工学の製品でもある人工舌下は生身の味覚再現を忠実に行なう。
だが、酒の味を感じ分けるには、やはり練習と経験が必要だ。
少年が青年へとステップアップする通過儀式とでも言うのだろうか。
飲みすぎによる激しい二日酔いで世界を呪うなど、テッドには経験できない。
ただ、回数を重ねて酒の味を覚える事は出来る。
テッドは、大人への階段を一つずつ登っていく『普通の若者』とは違う。
軍隊と言う特殊組織で上から強引に引っ張り上げられ、一気に経験を積み重ねる歪な育ち方だ。20歳代ですらまだまだ精神的に幼さを残すのが人間と言うものだが、テッドはまだ10代なのだ。
精一杯に背伸びをし、本来はまだ見えない所へ顔を突っ込んでいる。重い責任を背負い、厳しい局面を何度も踏み越え、ギリギリの所で自分を繋ぎ止めている。
それも、相当な無理を重ねて。
エディはそれを危惧していた。
「しかし、向こうも驚いただろうな」
「そうだと思います」
あの偶然の遭遇は、ある意味で必然だった。
シリウスにしてみれば、全く望まぬ遭遇だったはずなのだが……
―――――――――――2248年 9月 12日 2100
工場コロニー『ホルス』 バー店内
「結局、目的は何だったんでしょうか?」
グラスの氷に眼を落としながらテッドは呟いた。
その横顔に、エディはテッドの本音を思った。
「テッドはなんだと思う?」
リディアが来れば……
テッドの本音はきっとそこだろう。
たとえ敵同士でも遭遇したかった。
まだ若いテッドなのだから、ある意味で単純かつ無用心だ。
だがそれでもエディは黙って見守る事にしている。
失敗の中からしか学べない事は余りに多い。
成功に似た失敗はダメなのだ。
明確に失敗し、悔しい思いをしなければ……
「行けるかどうかの実験……って感じでしょうか」
テッドはどこかに自分の願望が入っている事を気がついた。
ただ、エディにはその本音を隠す必要が無いとも思っている。
自分とリディアの関係を良く理解している筈だから。
だから無用心なまでに率直な言葉を吐き出せる。
近くで誰かが聞いているかも……
と、そんな警戒は全くしていなかった。
「……実は俺も同じ意見だ」
エディも率直な言葉を吐いてテッドに寄り添った。
磐石の信頼関係を築いているのだから、それには酬いなければならない。
テッドの父親がそうであったように、ひとつひとつ手本を示すしかない。
その姿にテッドが気付いているかどうかは、多少不安の種でもある。
ただ、今現状のテッドはその父親が振舞ってきた姿そのままだ。
「新しいエンジンでしたよね。あれ」
「あぁ。そうだな」
強力なイオンエンジンを搭載したシェルでコロニー船まで自力飛行する。
そうすれば船は必要ないし、シェルパイロット以外の犠牲も減らせる。
普通に考えれば、そんな所が落とし所だろう。
ただ、問題はその裏にあるものだ。
なぜシリウスは船を出さないのか。
なぜシェルで自力飛行するのか。
なぜ今回は三機だったのか。
「こっちのエンジンより強力でした」
「しばらく頭の体操だな」
「そうですね」
ふたり並んでため息をこぼすエディとテッド。
答えの出ない問題は考える事に意味があるのだ。
薄々は感じている事がエディにもある。
テッドではまだ触れられない情報を幾つも耳に入れている。
それは、付け焼刃の士官教育では身に付かないキチンとした教育が必要な事だ。
いずれはテッドをそこへ送り込みたいエディだが……
「コロニー船。無事に着くと良いですね」
何を思ったのか、テッドは不意にそんな言葉を吐いてみた。
出発から三週間を経過し、そろそろシリウス太陽系を脱出する頃だ。
虚空の中を旅する船は、孤独感に包まれながらの片道切符だ。
無事に到着するかどうかは神のみぞ知る事だった。
「あぁ。そう祈るしかないな」
「俺も祈ってますが…… 救援を呼ばれる様な事態には成って欲しくないです」
「……だな」
テッドの率直な言葉にエディも一言だけ短く答えた。
宇宙は万事が広く大きく、そして果てしない。
シリウスが吹きだしている太陽風の到達限界面を越せば、そこはすでに巨大なボイドだと言われていた。
「呼ばれたら努力するだけさ」
エディはテッドを安心させようと、そんな言葉を言う。
だが、当の本人であるテッドは全く異なるテンションだった。
「呼ばれたら面白いとは思いますが……」
ニヤリと笑ってエディを見たテッド。
その笑みは若者らしい無鉄砲さだった。
「実際の話としては、残り11隻が問題ですよね」
エディは新鮮に驚いた。
まだまだ小僧だと思っていたテッドだが、いつの間にか大局的な物の見方を覚えていた。
「……全くだな」
「シリウスもやたら勤勉だし」
ウンザリ気味なテッドは、バーの窓越しにコロニータウンの街明かりを見た。
人々の暮らすこの街は、実にギリギリのバランスでなり立っている。
宇宙的なスケールで見れば、薄皮一枚の向こうは真空の地獄が待っているのだ。
「ここもやがて旅立つんですよね」
「あぁ。その予定だ」
「コロニーが無くなったらシェルの精算とかはどうするんでしょうか」
とにかく勤勉に出撃してくるシリウスの努力により、ここ数日は連日の出撃だ。
当然のように連邦軍は消耗し、タイプ02は整備大隊の献身的な努力で稼働率を維持している状態だった。そんな現実を鑑みれば、帰還船の出発は歓迎せざるる事態とも言える。
つまり、シリウス側と連邦軍側とが奇妙な利害の一致をみせているのだ。ニューホライズンからの帰還希望者はまだまだ続いていているのだが、連邦の現場サイドとしては船を出したくない……
「なんだかんだで連邦は不利だ」
「……そうですね」
「攻め手には不足無いが補給がない」
「拠点が無いですからね」
二人揃って重いため息を吐く。
だが、それで事態が改善するわけではない。
「シリウス側としてはこちらの消耗を誘う作戦だろうな」
「補給できない事を見越してですね」
「そう言うことだ」
運んでも運んでも終わりがない帰還希望者の大群は、まだまだニューホライズンの地上で順番を待っている状態だ。なんとも不毛な努力により感じ始めているテッドは、ふとエディの顔を見た。
「ふと思ったんですが」
「なにをだ?」
一度目を伏せたテッドは、意を決して言う。
「シリウスはコロニー船を襲うんじゃないでしょうか」
「なぜそう思う?」
「ここまでシリウスシェルが自力で来れるなら、船はコロニー船を襲えば良い」
「襲ってどうする?」
「地球へは帰還できないと諦めさせる」
怪訝な表情のテッドは、厳しい視線でエディを見ていた。
「人的被害を防ぎたいのはシリウスも一緒な筈だと思うんですよ」
「なぜ?」
「……ニューホライズンの人が貴重だから」
真剣な表情で頷いたエディは、満足そうな表情で笑った。
「人が多く死ぬ策と少ない犠牲で済む策。どちらを選ぶかも戦略の一環だ」
「……そうなんですか」
「遠い遠い昔、初めて弾道ミサイルが使われた戦闘では、迎撃できないそのミサイルを防ぐ為に全ての計画がタイムスケジュールを巻き上げられ、結果論として弾道ミサイルを使った側は負けた」
エディの戦争史講義をテッドは黙って聞いた。
「その弾道ミサイルの直前、初めての巡航ミサイルも使われた。当時の巡航ミサイルは航空機で追跡して撃墜できるレベルだった。撃たれた側は高速戦闘機を総動員してミサイルの撃墜に務めた。しかし弾道ミサイルは迎撃できない。だから拠点へ武力侵攻するしかなかった。結果論だが、どちらが正解だったと思う?」
小さな声で『そりゃぁ……』と呟いたテッド。
エディもニヤリと笑っていた。
「迎撃に戦力を割かなければならない状態の方が都合がいい。その損得勘定を冷静に考えるのも戦略の一環と言うことだ。つまり」
カラリと音をたててグラスの中の氷がぶつかる。
その音は静かな店内に響いていた。
「俺達も戦略的に振る舞わなければならないってことだ」
「戦略的?」
「そうだ。一見不本意で不都合に見えて、結果的には得するように……な」
やはり掴み所がない話だとテッドは感じている。
ただそれでも、なんとなくだがエディの本音を感じた。
人が多く死ぬ事になっても、より多くの人を助けられるなら、それはありだ。
不可能な事に頑張るよりも、可能なことに全力投球する方がいい。
「物事って単純そうで複雑ですね」
「その逆もあるから、より面倒と言うことだ」
しばらく考え込んで会話が途切れた。
ややあってテッドは小さく『あっ……』と呟いた。
「コロニー船を見殺しにするんですか?」
「いや、見殺しにはしない。ただ、多少は犠牲になってもらう」
「なぜですか?」
「より多くのシェルライダーを育てるためさ」
ニヤリと笑うエディは、その本音を感じ取ったテッドの肩を叩いた。
俺達の女が戦線で戦わなくても済むように、上手いこと戦闘をコントロールするんだ。そう言わんばかりのエディは、バーのモニターに目をやったきり固まってしまった。
ニュース速報に表示されている情報では、先行しているコロニー船に脱落が出たらしい。救援を呼ぶのか自力で帰還するのかは微妙だが、船内に収容されている冬眠カプセルの人々に少なくない犠牲が出ているようだと伝えていた。
「やれやれ……」
ウンザリとするように吐き捨てたエディ。
テッドは言葉を失っていた。
「テッドの勘が当たるかもな」
「えっ…… どれでしょうか?」
「シリウスがコロニー船を襲っているのかも」
「でもニュースでは……」
「そうは発表出来ないだろ?」
ボリボリと頭を掻いて天井を見上げたエディ。
テッドはとんでもない所までの出撃に思いを巡らせた。
「俺たちをここへ縛り付ける為の牽制かも知れないな」
「昼間のですか?」
「そうだ」
2人して黙ってモニターを見つめているその先。
ニュースキャスターは殊更に心配そうな表情で公式発表を読み上げていた。
「エラい事になりそうですね」
「あぁ。全くだ」
グラスの中で半分ほど解けた氷が漂っていた。




