第6話 思い出のディズニーランド
それはワタルが転校してきて2日目
英語の授業でのことだった。
「それじゃ、今日は先週予告したとおり単元テストをやります」
「あ、石川君は今回のテストの結果は評価対象にしないから、とにかく気楽に受けて頂戴。」
そう言って山岸先生は手に持ったテスト用紙を各列の一番前に座る人に渡して、一枚ずつ取っていくように指示した。
一単元ごとのテストだから範囲も決まっていて内容もそれほど難しいものではない。
ボクは最近のミコとの勉強の成果でかなりスラスラと解けていった。
終わったあとミコが
「凛、どうだった?」
と聞いてきたのでボクは小さくピースサインを出して彼女の耳に囁いた。
「ウン、けっこうできた感じ。やっぱりミコの教え方がいいのかなぁ」
フッと斜め後ろの席に座るワタルを見ると彼はシャーペンを指でクルクルと回している。
テストなんかぜんぜん気にしていない様子だ。
まあアイツって昔から勉強嫌いだったしなぁ。
小学校の頃だって3人の中で久美ちゃんが一番成績が良かったけど、ボクだってそんなに悪い方じゃなかった。
でもワタルときたら予習も復習もぜんぜんやらない。
当然宿題だってほとんどといっていいほどやってきたのを見たことがなかった。
そういうとこはぜんぜん変わってないなぁ…(笑)
ボクはあの頃のワタルを思い出しながらクスクスと笑ってしまう。
しかし数日後
ボクのこの思い込みは大外れだったことがわかる。
「エー、それじゃこの前のテストを返します」
山岸先生はそう言ってあいうえお順に名前を呼んで答案用紙を返却していった。
何人かの後ボクの名前も呼ばれる。
「エット、小谷さん」
「ハイ!」
そう言って受け取った答案用紙を見るとなんと94点!
やったぁー!
英語は割と得意な方だけど、2年生の時の単元テストでは70点くらいをウロウロしていたボクだった。
最近は80点以上を安定して取れるようになって、そして今回はなんと94点!
「わぁー、凛。すごい上がったじゃん!」
ボクとミコはお互いの用紙を見せ合ってミコはすごく喜んでくれた。
ミコはさすがというか、100点満点。
彼女のテストは95点以下を見たことがない。
そしてワタルのほうをちらっと見ると、返してもらった用紙をくるくると丸めて望遠鏡みたいに周りを覗いている。
そういえばアイツは小学校の時もテストを返してもらうといつもこんなふうにイタズラをして用紙をぐちゃぐちゃにしそのまま隠して親に見せなかったりしてた。
フフフ・・・
きっとめちゃくちゃな点数だったんだな。
ボクはクスッと小さく吹き出してしまう。
全員に用紙を返し終わると山岸先生はパンパンと手を叩いた。
「ハイ、みんな静かにして! 今回はみんな割と出来が悪かったわね。ちょっと難しい問題も混ざってたけど、基礎問題がほとんどなんだから家に帰ってしっかり復習しておいて頂戴ね。 今回の平均点は58点、最高点は100点で3人います」
満点は3人
ということは一人はミコでしょ
あとはやっぱり井川さんだろうな
それじゃあと一人は…英語の得意な佐和ちゃん?
それとも上条あたりだろうか?
「満点は藤本さんと井川さん…」
ああ、やっぱり。
じゃあ3人目は誰だろう?
「それと石川君ね。以上3人が満点でした。石川君、アナタ、すごいわね」
エエエエエーーーーーーーッッ!!
ワタルが満点!?
クラスの中がざわっとする。
「うそぉーーー!」
「すごいネー!勉強もできちゃうんだぁ!」
女のコたちがワタルに対して一層色めき立つ。
ミコもちょっと意外そうな顔をしてワタルを見ている。
チラッと横目でワタルのほうを見ると、アイツは飄々とした顔で照れる素振りもない。
(な、なんか悔しい。あのワタルに負けてしまった…)
アイツの当然という表情にボクはなぜか腹が立った。
そして
授業が終わると女のコたちがワっとワタルの周りに集まってきた。
「石川君、すごいねー。」
「ねえ、今度わかんないところ教えて?」
なんとワタルはたちまちクラスの女のコの憧れの的になってしまったのだった。
ワタルの存在は瞬く間にほかのクラスにも拡散していき、そのうち別のクラスの女のコがウチの教室までアイツを見に来るようになった。
しかも不思議なことにアイツは男子にも人気があった。
そういう転校生が現れるとふつう同性の男子には妬まれて敵意を持たれるものだけど、勉強にぜんぜん関心がないようなアイツの雰囲気で男子にも次々と友達を作っていったのだ。
休み時間が終わる頃、アイツの周りに群がっていた女のコたちがようやく離れて席に戻ってきたワタルに
「ふぅん、おモテになりますワネ?」
ボクはわざとらしい女口調でイヤミっぽくそう言ってやった。
するとワタルはニヤッと笑い
「あれ。凛ちゃん、もしかして妬いてるん?」
と言ってきやがった!
カチンっ!
「な、な、なーーんで、ボ、ボク、いやっ!アタシが、昔は同性だったアンタに妬かなくちゃなんないのっ!?」
ボクはなぜか呂律の回ってない言葉で叫ぶ。
するとワタルは飄々とした顔でこう返してきやがった。
「そやかて、今はもう凛ちゃんは女のコやん。 それに昔だってホントは生まれた時から女やったくせに」
「そ、それはそうだけどっ!でっ、でもっ!!」
「でも?」
ワタルは意地悪そうな目をしてさらにボクを追い詰めようとする。
「幼馴染は対象外っ! そんな気にはなんないのっ!」
ボクがそう言うとワタルはいきなり笑い出した。
「ワハハハーーーー、なーんや、そっか!」
そして
恥ずかしくなったボクは彼から顔をそらして横を見ると、ミコはなぜかボクたちの会話をクスクスと笑いながら見ていた。
その日の放課後
ボクは先生に用事を頼まれたミコを1階の下駄箱のところで待っていた。
するとそこに
「あれ、凛ちゃんやんか?」
そう言って声をかけてきたのはワタルだった。
「もしかして誰か待ってたんか?」
「ウン。ミコをね」
「なーんや、残念(笑)ボクやなかったんか」
そう言ってワタルはクスッと小さく笑う。
「キミはかなーりモテてるご様子ですからぁー、一緒に帰ったりしたらほかの女子から恨まれちゃいそう」
今度はボクがニヤッと意地悪そうな目でそう言うと
「ワハハハーーーー!」
アイツは誤魔化すように笑った。
「じゃあ、ボクは帰るわ」
そう言ってワタルが下駄箱のフタを開けたときだった。
「イテッ!!」
一瞬ビクッとして彼は手を引いた。
「ど、どうしたの?」
ボクが近寄ってワタルが抑えた方の右手を見ると、親指の先からは血の筋が流れている。
するとワタルは下駄箱の蓋の先のところを持ち上げて
「ああ、ここのところのネジが外れて先が出てしまおうてるなー」
そう言うと彼はその血の流れる自分の親指を咥えて唾をつけた。
「こんなのなんでもないわい」
そしてクルッと振り返って出口に向かって歩きだそうとしたとき
「待って」
ボクはそう言ってワタルを呼び止た。
「キミはお勉強は得意になったみたいだけど、そそっかしいのは昔のままだネ」
そして、ボクは自分のカバンの中に入っている小さなポシェットからバンドエイドを一枚取り出した。
「ハイ、こっち向いて指出して」
ボクがそう言うとワタルは少し照れたような顔で怪我をした右手の親指を前に差し出した。
「はい、これでオッケー。 こういうのは馬鹿にしてそのままほっておくとばい菌が入っちゃうんだから。 家に帰ったらちゃんと消毒しておくんだヨ?」
「あ、ああ。ウン。ありがと…」
ワタルは一言そう言うと、なぜかボクの顔から目をそらした。
それから半月ほど経ったある月曜日
ボクが教室に入ると
「あ、凛。 あのさぁ、今度の日曜日って何か用事ある?」
そう言ってミコが声をかけてきた。
「日曜日? エット、多分何もないと思うヨ」
「じゃあさ、ディズニーランドに行かない?」
「ディズニーランド?」
「ウン、そう。今年は受験生じゃん?だからさ、忙しくなってくる前にみんなで思い出を作ろうよっておことになってさ」
ディズニーランドかー!
なんかすごいひさしぶりだな。
たしかこの前行ったのは弟の悟がまだ小学校に入ったばっかりのときだった。
父親と母親とボクと悟の4人で、ディズニーランドのすぐそばのホテルに泊まって一日中遊んだっけ。
「ウン!いいねー。誘ってくれてありがとぉ」
ボクは喜んでOKする。
するとその横でボクたちのそばでその話を聞いていた井川さんが
「わぁー、いいなぁー。アタシも誘って?」
そう言ってと嬉しそうな顔で声をかけてきた。
「あ、ウン。もちろん、楓ちゃんが一緒ならもっと楽しいから嬉しいけど。でも、いいの?」
ミコはそう井川さんに尋ねた。
「いいの、って?」
井川さんはちょっと不思議そうな顔で聞き返す。
「だって、楓ちゃん、塾を掛け持ちしてるんでしょ?」
「ああ、ウン。ぜんぜん大丈夫!ディズニーランドと聞いちゃ黙ってられないわ。それにアタシだって中学生の思い出を作りたいもんっ!」
そう言って彼女はニコッと微笑んだ。
「じゃあメンバーは、女のコはアタシと凛と楓ちゃんと久保ちゃん、奈央の5人ね」
「女のコはってことは、もしかして男子も誰か誘うの?」
ボクが不思議そうにミコに尋ねると
「ウン。そうだヨ。男子はね、安田君と工藤君、安西くん久坂君、それと石川君でーす。楓ちゃんが入ってくれたからこれで5VS5になったわ」
ミコはニッコリと笑って言った。
「エ、ワタルも?」
「ウン、そうだよ。もう男子に声かけてあるからネ」
そう言うミコはなにやら楽しそうにだった。
そういえば
中2の夏休みのとき計画していた
そして『あの入院』で潰れてしまった
男女合同のディズニーランド
あのときは初めての女のコとの集団デートのはずだったけど
それが奇しくも今回は男のコとの集団デートとなって実現してしまった。
そして日曜日
ボクは朝から母親のおもちゃになってしまっている。
母親は楽しそうにクリーム色の生地にイニシャルの入ったトップスそして赤地に白いドットの散らされたシフォンのミニスカートをボクに勧め、最後にボクの唇に薄いピンクのリップを引いた。
「せっかくの思い出だから、少しくらいオシャレしていっていいんじゃない?」
母親はそう言って肩下まで伸びたボクの髪を丁寧に梳かし、サイドを編み込み後ろでまとめるとそれに小さなイミテーションをちりばめた茶色のバレッタで止めた。
「さあ、ご覧なさい」
母親に言われてドレッサーの前に立つと
「わ、ぁ…」
そこにはファッション雑誌から抜け出たような女のコが立っている。
思えば、ボクはこのとき初めて女のコのオシャレの楽しみというものを感じたのかもしれない。
それは鏡の中にもうひとりの自分を発見するような
そんな感覚だった。
「はい、お小遣いだけじゃ足りないでしょ?」
そう言って母親はボクに2万円のお金を渡してくれた。
「わぁー、ありがとぉ! じゃあ、行ってきます」
こうしてボクはウキウキする気持ちを抑えきれず足早に家を出た。
約束の時間は朝8時半。
待ち合わせ場所にした最寄り駅の改札前の広場に着くとすでにミコと井川さん、そして男子の何人かがすでに来ている。
「おはよぉー、ミコ、井川さん」
そう言ってボクが近寄っていくと
「あ、凛。おはよぉー」
2人がボクの方に小さく手を振る。
井川さんはボクの姿を見ると
「わぁー、小谷さん、オシャレしてきたでしょ?かわいいネー」
と褒めてくれた。
「エヘヘ、お母さんに選んでももらったんだ。ヘン…かな?」
「ウウン、すっごい似合ってるヨ。いい感じ」
そんなことをワイワイと話していると
「やぁー、オハヨーさん!」
ワタルが安田とやって来た。
するとワタルはボクを見るなりいきなりボクの手を握り
「凛ちゃん、嬉しいなぁー!」
と言ってニコッとする。
「はぁ?なにが?」
ボクが握られたワタルの手を解いて不思議そうな顔で言うと
「だって、ボクのためにこんなオシャレしてきてくれたんやろ?」
と彼はほざいたのだ。
呆れた…。
「キミはホンットにおめでたい頭してるんだネー。キミの頭の中にはいったい何が詰まってるのかな?」
そう言ってボクはワタルの頭を軽くコンコンと叩いた。
「ワハハハ! でもよく似合っとるで。すごく可愛ええヨ」
ワタルは真っ直ぐな視線でボクを見つめてそう言った。
ボクはすごく不思議な気持ちだった。
さっきだって井川さんに同じようなことを言われたのに、男のコに言われるとなぜだかドキドキしてしまう。
「フンッ、おせじばっかり!」
ボクは下を向いてそう言うのがやっとだった。
そんなボクたちの姿を、またミコはニヤッとした顔で見ているのがわかった。
「さあ、これでみんな集まったネ。 そろそろ出発しよう」
今日のリーダー、ミコの合図でいよいよボクたちはディズニーランドへと向かうべく電車に乗る。
最寄駅から新宿で乗り換えてディズニーランドのある舞浜駅まで1時間ちょっと。
中央ゲートのそばまでたどり着くと、そこにはもう大勢の人たちが開門を待っていた。
ボクたちはまず一日パスを買ってその長い列の後ろに並ぶ。
少しするとそのボクたちの後ろにさらに長い列が出来ていった。
「すごい数だねー」
「そうだねー。今日は日曜だからやっぱり混むんだろうね」
そんな話をしていると開門3分前のアナウンスが流れる。
「只今より開門します。慌てないで順番にご入場ください」
そして
「ただいま開園です」
そのときボクは後ろからすごい勢いで突っ込んできた人たちに押されてボクは近くにいたミコたちを見失ってしまった。
ワァァーーー!
ワァァァーーーー!!
ボクは人波に流されて右往左往してしまう。
そして
ドンッ!と押されたとき
「あっ!」
ボクは足を絡ませてその場に倒れそうになった。
その瞬間だった。
ボクの腰を掴む手が伸びてきた。
「凛!大丈夫か!?」
その声にハッと見上げるとボクの腰を抱いているのはワタルだった。
「ハ、ハイッ!」
ボクは真剣な顔のワタルに思わずそう返事をしてしまう。
そしてカレは
「ええか、ボクの手をしっかりと握って離すなや!」
と言い、ボクはワタルの手に引かれて人波の中を少しずつ進んでいった。
フッとワタルの顔を見上げるとカレはいつもと違う真剣な表情をしていた。
ひさしぶりに会ったワタル
キミはなんで今そんなに頼もしい顔をしてるのだろう?
今ボクははなんでキミの手に掴まって
キミの力に引かれて歩いているんだろう
キミが男だから?
そしてボクが女だから?
ボクはワタルの手をギュッ握りしめて歩く。
それはほんの数十メートルの距離のはずなのに
なぜかとても長く感じていた。
ようやくその人波の中をくぐり抜けたとき、ミコと井川さんが少し離れたところで立っていた。
ボクは2人の姿を見ると握りしめていたワタルの手をパッと離す。
そして2人に向かって手を振った。
ボクが井川さんのことを知ったのは2年生で同じクラスにになったときが初めてだった。
小学校のときは井川さんやミコは中央小でボクや久美ちゃんは五小。
1年の時にはボクはC組で彼女はミコや久美ちゃんと同じA組。
ボクと井川さんはずっとすれ違いだったのだ。
そして2年生になって同じクラスになったときもすごく勉強ができる秀才タイプの女のコというイメージだったけど、けっこうオープンなミコとは反対で学校にいるときもマジメで勉強一筋という感じに見えた。
それがボクが女のコとして生活するようになって初めて登校し、みんなの前で足を震わせて立ち尽くしていたときに彼女の「小谷さん、座ろう。」という一言に救われた気持ちになった。(第3話 参照)
そして3回目の生理を迎え体育の授業を見学していたとき初めて彼女とお互いの心を通わせて話ができた。(第4話 参照)
彼女は可愛いひとりの女のコだった。
そんな井川さんの新しい魅力を、ボクは今日このディズニーランドで発見することができたのだ。
じつは彼女はかなりのディズニーマニアだったのだ。
しかも『隠れミッキー』を発見しては大喜びしてそれを写メで写していく。
なんでもパソコンで作った自分のホームページにその写真を集めて掲載しているのだそうだ。
「ほらっ!小谷さん、見て!こんなとこにも隠れミッキーがいるのヨッ!」
そう言ってウルウルとした笑みを浮かべる彼女の姿はいつもの井川さんのイメージと正反対だった。
すると
少し離れたところで突然女のコたちの歓声が上がった。
ミッキーとミニーが一緒にやってきたのだ。
「わぁー!!すごいっ!ミッキーとミニーが揃って一緒に来るなんて滅多ににないのヨッ!これはレアヨッ!超レアだわっ!!」
井川さんはそう叫ぶとボクたちの手を引っ張ってそっちの方に走っていこうとする。
ミコや久保ちゃん、奈央も大喜び。
ボクもそんな彼女たちに刺激されていた。
ボクたち女のコ5人はミッキーとミニーを混ぜて写真を撮る。
当然真ん中に入るのは井川さん(笑)
そして写真を撮影するのは小学校のときからカメラオタクで、今日もなにやらすごい高級そうな大型のデジカメを持参してきた安田大先生。
「ハイ、じゃあ撮るヨー。合図をしたらにっこり笑ってー。 …ハイ、チーズ! 」
パシャっ!
安田は写した写真を再生モードにしてボクたちに見せてくれた。
「あとでメールに添付してみんなに送るから」
安田がそう言うと井川さんは大喜び
「安田君、ありがとぉぉぉーーーー!!」
彼女は安田の手をぎゅっと握ってお礼を言う。
そんな井川さんに今まで女のコとあまり縁がなかった安田は真っ赤になって照れまくっていた。
今日は日曜日でかなり混んでいる。
ボクたちは列の短いアトラクションから順番に乗っていった。
そして『ウエスタンリバー鉄道』の列に並んでいたとき
ミコが突然こんな提案をしてきた。
「ねえ、今度はさ、男女ペアで並んで座ろうヨ!」
女のコたちもそれに賛成する。
「でもさ、どういうペアで? グーパーでもやって分かれる?」
するとミコは
「そーねー、あいうえお順っていうのはどう?」
それにほかの子たちも同意する。
(そうなると、ボクは小谷で『コ』だから工藤とペアってことかな)
(まあ工藤となら昔から友達だし、気を使わないでいいかな)
ボクがそんなことを考えていると
「あ、言い忘れたけど、苗字ののほうじゃなくて下の名前のほうであいうえお順ってことだからネ」
ミコはそう付け加えてきた。
下の名前の方で?
ってことは…
ボクは凛だからほとんど最後の方で
コイツらの中で名前がいちばんうしろの方は
『ら』段か『わ』の段…
『わ』?
あっ、ワタルの『ワ』!
うーーーーーん……。
ボクはミコのほうを見ると、彼女もボクの方をちらっと横目で見てペロッと小さく舌を出していた。
ウーン、なんかミコに仕組まれたような気がする…。
「じゃあ、凛は石川君とペアね」
ミコは名前順に男女のペアを割り振っていった。
やっぱりワタルとかっ!!
ワタルはボクの幼馴染の訳で、小学生のときはあれほど一緒に遊んだ仲だし、別にアイツのことを嫌っているわけじゃない。
でも、なんか今のワタルはカッコ良すぎてあの頃のワタルのイメージとどうもつながらないんだ。
それに、さっき
入場の混雑で倒れそうになったボクの身体を支えたワタルの胸はとても温かかった。
一瞬だったけど15センチの身長差でアイツの胸にボクの頭が押し付けられたときボクの耳にはアイツの鼓動が
トクン…トクン…って。
(なんか、恥ずかしいな…)
ボクは横にいるワタルの顔を気づかれないようにふっと見た。
でもアイツはそんなことはまるで忘れてしまったかのように飄々とした顔だった。
「ハイ、それじゃ。順序よく乗り込んでくださーい!」
案内のお姉さんのアナウンスにボクたちはさっき分けたペアの順番に汽車に乗り込んでいく。
「凛ちゃん。先に乗ってや」
ワタルはそう言ってボクを先に、そして次にワタルが乗り込んで席に座った。
そして汽車はいよいよ走り出し西部開拓時代のアメリカにタイムスリップしていく。
車窓に広がる19世紀の頃のアメリカ。
ボクらがよくTVで見る現在のニューヨークなどロサンジェルスだといった大都市からはまったく想像もつかないようなどこまでも広がる大草原と深い森林が目の前にあった。
「わぁー、昔のアメリカってホントにこんな風だったのかなぁー」
ボクははしゃいだ様にワタルにそう言った。
「そうやろな。アメリカだけやないで。日本だってそうや。昔は都は京都を中心にした関西やったからな。東京なんて江戸時代まではホントに狭い地域だけで、少し離れるとなーんにもない原野だったそうやで。ボクらの街だって江戸時代は田んぼと原っぱやったんやろうな」
「へぇー、ワタル君って詳しいんだネー。じゃあ、もっと後は?」
「東京が発達したのは明治の中頃からやろうな。都が京都から東京に移転して政府の機関がいろいろ集中するようになった。そして欧米文化の導入で経済活動が活発になってくると東京は次第にその範囲を広げて行ったんや」
「じゃあ、ボクらの今住んでるとこが街になったのは?」
「だいたい大正の初めに入った頃や。皇居の周りが区として整備されていって鉄道網が徐々に郊外にも伸びていった。そしてその沿線沿いに住宅がたくさん建って街ができていったってかんじやろな。昭和の初め頃にはけっこうたくさんの人が住んでたんやで」
「すごーい。ワタル君、まるでその時代に住んでたみたいによく知ってるんだネー」
「エ、あ、いや。みんな本で読んだことやけどな(笑)」
そう言って小さく笑うとワタルはどこか遠い目をするように景色を眺めていた。
「あ!ほら、馬がいるヨ!」
ボクが小さな丘の上に立っている数頭の馬を指差す。
「オォー、ホンマやぁー。あれってやっぱり人形なんやろな」
「キミって夢がないなぁー。それ言っちゃ現実に引き戻されちゃヨー」
ボクは少し口を尖らせてそう言った。
「ワハハハ、スマン、スマン」
するとそのときだった。
「ヒヒィィィーーーーーーン!」
人形だと思ってたその馬が大きな雄叫びを上げた。
「ウォォォーー!あれ本物やぁー。ホンマの馬やろーーー!」
とワタルはびっくりしたように叫んだ。
そして景色は夕暮れ時の草原の様子に変わっていく。
「はぁー、こういう景色をホントに見てみたいなぁ」
ボクが呟くようにそう言うと
「見に連れてってやろうか?」
ワタルが真面目そうな顔で言った。
「エ、どこに?」
「アメリカは広いでぇー。人の手が及んでいない場所はまだまだたくさんあるんや。そこには人の数より動物の方が多いくらいでな。地平線から朝日が昇ると起きて、そして夕日が沈むと眠る。人が自然に逆らわないで暮らしているんや」
「ヘェー、そうなんだぁ。でも、それじゃ、アタシをアメリカに連れてってくれるの?」
ボクがキョトンとした顔でそう言うと
「エ?あ、ワハハハ。いや、いつかそういうチャンスがあったらってことやがな。ワハハハハーーーー」
いつも飄々としているワタルが意外にも照れたように赤くなったのだった。
「そっか。じゃあ、いつかもしチャンスがあったら。約束…ね」
ボクがそう言って小指を差し出す。
するとワタルは照れながら自分の小指を絡ませて
「ウン、約束や」
微笑みながら応えたのだった。
「もう12時半だし、そろそろ腹が減ってこないか?」
いくつかのアトラクション乗って道を歩いているとき工藤が時計を見ながらみんなにそう言ってきた。
「あ、そんな時間なんだ。 そういえばお腹減ったねー」
「どっかレストランに入ろうヨ」
「でも今の時間だとどこも混んでないかなぁ」
こういうときはやっぱりディズニー博士の井川さんの出番です。
ミコは
「ねえ、楓ちゃん。どっかいいお店知らない?」
と尋ねる。
井川さんは「ウーン…」
少し考えると
「あ、そうだ!いいお店あるわ。 そこってワンプレートのセルフサービスのところだからけっこう回転が速いの」
と提案してくれた。
「さすが楓ちゃん!頼りになるなぁー」
そこでボクたちは井川さんの案内でそのお店に向かうことにした。
井川さんが連れて行ってくれたお店は敷地のかなり奥まったところにある周りを木々に囲まれた大きな窓のあるレストランだった。
そのお店の入口にはすでにけっこう長い列の人が並んでいたけど、よく見ると中に動いていくスピードはほかのお店よりもずっと速いようだ。
「へぇー。アタシ、ディズニーランドにはもう7回もきてるけどこのお店は知らなかったなぁー。楓ちゃん、すごいネー!」
奈央が驚いたようにそう言った。
「このお店は目立たないけどわりと早く席に着けるの。それに周りがいい雰囲気でしょ」
井川さんが照れた顔でそう答える。
そこでボクたちも早速その列の後ろに並ぶことにした。
そしてそれから20分ほどでボクたちは10人分の長テーブルの席を確保することができた。
メニューを見てそれぞれ食べたいものを決めると正面のカウンターのところでプレートをとって注文をする方式だ。
「凛はなんにするの?」
ボクがメニューを一通り見ているとミコが覗き込んで聞いた。
「エットね、シーフードドリアと、あとオレンジジュース。あ、それとこのティラミスおいしそー。」
「あ、ホントだ。アタシもティラミス頼もうかな」
「ね、ワタル君はどうする?」
ボクが前の席に座るワタルに声をかけるとカレはウーーンと唸って迷っている。
そして
「和食はないんかいな? 筑前煮とか里芋の煮っ転がしとか」
と呟いた。
ボクは不思議そうに
「和食?ウーン、一応欧風レストランだし和食はないんじゃないかなぁ。キミって小学生のときはカレーとかスパゲティとか大好物だったじゃん。久美ちゃんのお母さんが作ってくれたカレーを3杯もおかわりしたことがあったし。好みが変わったの?」
そう聞くと
「あ、いや。まあ、そういうのも好きなんやけどな。最近和食食べてないなぁってな、ワハハハーーー」
彼はそう言いながら誤魔化すように笑った。
(へんなの?)
小学校のころは給食で野菜の煮物が出たらそれだけ残してよく先生に叱られたりしてたのにね。
ワタルは昔よりずっと成績が良くなって、身長もすごく伸びて、今のワタルにはあの頃の面影がほとんど感じられない。
そう、まるで人が変わったように…。
「なあ、凛ちゃん。このあとメリーゴーランドに乗らへん?」
食べ終わってお店を出ようとしたとき突然ワタルがボクにこう言ってきた。
「エ、でもみんなは?」
ボクがそう言って躊躇うと隣にいるミコが
「いいじゃない。行ってきなヨ。 ね、みんな、ここら辺で2時間くらいそれぞれ別行動で好きな乗り物に乗ってみない?」
そう提案してきた。
「あ、いいねー。人数多いと一緒に乗れなかったりするしね」
するとみんなも口々に同意する。
「じゃあ、決まりね! 3時半になったらカリブの海賊の前で集合ってことで」
ミコはそう言うとボクの耳元で
「楽しんできちゃいなヨ。」
そう囁いて小さくウインクをする。
(もう、ミコったら…)
なぜだかわからないけどボクは自分の顔が熱くなっていくのがわかった。
ボクたちの順番が来て、ワタルはいくつかの空いているカップの中からスカイブルーの色のものを選んだ。
「凛ちゃん、これでええか?」
「あ、ウン。いいヨ。でもワタル君ってブルーが好きなんだネ?」
「アレ、なんでわかったん?」
「だって、筆箱とかノートとか青っぽいのが多いし、それに今日だってブルーのシャツだヨ?」
「そっか(笑) やっぱり女のコは見る目が鋭いんやな」
ワタルはくすっと小さく笑った。
「それでは動きますのでご注意ください」
案内の人のアナウンスのあとカップはゆっくりと回転をはじめる。
ワタルがハンドルを少し右にひねるとカップはクルンと一回転した。
「きゃっ!」
いきなりのことにボクは驚いて声を漏らしてしまった。
「ワハハ、びっくりしたかや?」
「そりゃ、びっくりするヨー。いきなりなんだもん。」
「でも凛ちゃんが今「きゃっ!」って声出したんは、やっぱり女のコになってしもうたんやな。哲はもういないってことなんやな」
そうか…
哲だった頃のボクだったらきっと「わっ!」っとでも声を出していたんだろう。
自分でも無意識に出た声だと思うけど、やっぱり女のコの環境の中で育って変わっていったんだろうか?
そしてボクはこれからどんどん変わっていくんだろうか?
そんなことを考えると、ボクはワタルにどうしても聞いてもらいたいことがあった。
「あ、あのね…」
「ん、なんや? 幼馴染やからな、話したいことがあるんやったら聞くで?」
そう言ってワタルは小さく微笑んだ。
ボクはそんなワタルの優しそうな眼差しに心の中をさらけ出したい気持ちが抑えられなかった。
そしてこんなことを口走ってしまう。
「今だけ、今だけ『ボク』って言ってもいいかな?」
ワタルは一瞬キョトンとした顔をしたがまたニコッと笑いながら言った。
「ん、ええヨ。ほんなら、ボクも今だけ凛ちゃんとしてでなく哲として話を聞くわ」
そしてボクはゆっくりと話し始めた。
「ボクは…、ボクは、じつは変わっていく自分を受け入れられるところと変わらないままでいてほしいところがあるんだ。
ボクはホントは女として生まれてたわけで、そしてこれから女として生きていくって決めた。
だから今までと違うものをいっぱい受け入れていかなくちゃいけないって思ってる。
でも、そうしているうちにいつか今までの自分と全然違う自分になっていくんじゃなかって思ったりすると、なんか…」
「なんか?」
「なんか、怖かったりするんだ。 今までのボクは本当は存在してなかったんじゃないかって思ったりするんだ。こんなこと考えちゃうってやっぱりへん・・・かな?」
「哲はそういう自分をへんだって思ってるんか?」
「わかんない。 でも他人から見たらやっぱりへんなのかな…って」
「ボクの意見を言ってもええかな?」
「ウ、ウン」
「人間っていうんは変わっていくもんやないんかな。いあ、違うな。変わっていくんやなくて成長していくって言ったほうがしっくりくるな」
「成長していく?」
「そうや。人は成長していく中で過去の自分が正しいって思ってたことも否定したりするようになることもある。それはたとえ男として生まれて男として成長してたってそういうもんやないかな」
「成長かぁ…」
「哲、オマエは男としての人生からいきなり女としての人生に変わってしもうた。だから、受け入れるものは他の人と違うことが多いかもしれん。でも、それは人生が変わるってことやなく成長するってことだと思えば、受け入れていくべきものと変えちゃいけないところの見分けがつくんやないか?」
(受け入れていくべきものと変えちゃいけないところの見分け…)
「ウン、なんか今のワタルの言ったことって素直に受け入れられる気がした」
ボクは素直にそう言った。
そうだよね。
外見は変わったけど、ボクはボクなんだ。
あのときそう思ったから
ボクは女として生きていくことを決めんじゃなかったんだろうか。
あまりにも目まぐるしい毎日にボクは自分自身を見失っていたのかもしれない。
「そっか。よかったな」
ワタルはにこっと微笑む。
なんか胸の中がすっきりした。
それだけじゃない。
自分でも不思議なのは、こうしてワタルと一緒にいると心の奥が温かくなっていくような気持ちになるんだ。
「ウン!」
そして無意識に、それは幼馴染としてでなく一人の異性としてのワタルに心から笑みを浮かべるボクが今ここにいた。
するとワタルは
「さあ、凛ちゃん。時間はあとすこしや!最後は派手に回すでぇーー!」
そう言っていきなりハンドルをグルグルと左右に回転させた。
「わぁぁぁーーーーーーーい!」
ボクは派手な回転に合わせて派手に叫び声をあげた。
メリーゴーランドを降りてからみんなと待ち合わせの3時半までの間、ボクとワタルはいろいろなことを話し笑い合った。
ワタルはもうボクのことを『哲』とは呼ばない。
そしてボクも話すときには『ボク』とは言わない。
なぜなら、それはボクにとって自然に受け入れていくべきものだったから。
帰りの電車の中
今日一日せいいっぱい遊び疲れて何人かはウトウトと居眠りをしていた。
向かいの座席に座っているワタルの方をちらっと見ると、カレはまだ元気そうに安田と何かを夢中になって話している。
すると隣に座っているミコがボクのほっぺを人差し指でつついて言った。
「どうだった? ワタル君とはゆっくり話せた?」
「ウン。いろんなことを話しした」
「そっかぁ。よかったネ」
ミコは何を話したのかを聞かなかった。
ボクはそんなミコに
「あのね、少しだけ、ほんの少しの間だけど、ボクの幼馴染のワタルと話せたんだ」
とつぶやいた。
「ウン。アタシはそういう凛って大好きだな」
ミコはそう言って優しく微笑んだ。
「アタシもミコのこと大好き」
そう言ってボクとミコがお互いの肩を寄り添い合うと、ミコの甘く優しい香りがボクの鼻をくすぐった。