第4話 あっち側とこっち側
それから2ヶ月ほどが過ぎた。
3回目の生理を迎え、胸も円錐状から次第にお椀のように全体的な膨らみを持ち、ボクの身体つきは一層女性の傾向がはっきりしてきた。
それまで生理を安定させるためボクは女性ホルモンを補助的に投与していたが、それも必要なくなって定期検査のため病院にはひと月に1回程度通えば良いようになった。
そして今日は生理2日目
こういうときの気の持ち方にも少しずつ慣れてはきたけど、それでもズーンとする腰の重さとチクチクと痛むお腹にはとどうしても気分が滅入る。
ボクは、昨日の夜母親に体育の見学届けを書いてもらい、朝のうちに女子体育の田所先生に提出することにした。
「身体の調子はどう?」
用紙を受け取った田所先生がボクにそう尋ねた。
「少しお腹が痛むけどなるべく気にしないようにしています」
「そうね。あんまりナーバスになっちゃうと余計気分が悪くなっちゃうから、あまり気にしないとように話をするとかしてるといいわヨ」
ウチの学校では体育の授業は2クラスが合同で男女に分かれてやる。
ボクのいるB組はD組と一緒にやる。
そのため着替えはB組の教室で男子が、D組の教室で女子がそれぞれ行うことになっている。
今日の体育は見学だから着替える必要はないのだけど、まさか女子のボクがそのまま男子が着替えるB組の教室にいるわけにもいかない。
そこでボクも一応D組の教室に移動することになる。
体育の着替えでは最初戸惑うことも多かった。
女同士だし気にしても仕方がないってわかってても、数ヶ月前まで男子として生活していたボクが彼女たちの裸を見てしまうことに女子は抵抗はないだろうかという心配もあった。
しかしミコたちはそんなこと全然気にしていない様子だし、それよりもむしろボクが自分の裸を恥ずかしがっていたことが多かった。
それはようやく女性として成長を始めた自分の身体を他の女のコたちと比べてしまっていたせいかもしれない。
それでも今ではもうほとんどそういう気持ちも薄れていっている。
最初の頃は円錐形の突起のようだったボクの胸も、最近は全体的な膨らみを持ち始め、腰やお尻の形も丸く変わっていったからだ。
教室の中ではボクの他にも何人かの女のコが生理時期らしく、制服のままで適当な椅子に座っている。
そして着替えを済ませるとそれぞれ体育館に集合となる。
今日の体育は男子がバスケット、女子が跳び箱だ。
単調な跳び箱に比べてどう考えても男子の方が楽しそうだ。
「ああ、いいなぁ。アタシもあっちの方がいいヨォ」
なんてブツブツ言ってる女子もいる。
とりあえずボクは体育館の隅に積まれたマットの上に腰を下ろして見学をすることにした。
すると、ボクの隣に一人の女のコが同じように腰を下ろす。
フッと横を見ると、それはボクのクラスの委員長の井川さんだった。
「一緒にいい?」
彼女はニコッと微笑みボクにそういう言った。
「ウン、もちろんどうぞ」
ボクと井川さんは並んでしばらく跳び箱を順番に飛ぶ女のコたちの様子を見ている。
そのときボクは男子のほうにときどき目を移していた。
すると
「向こうが気になっちゃう?」
井川さんが突然そうボクに聞いてきた。
「エ、なにが?」
とぼけるようにボクは聞き返した。
「男子のほう。気になちゃうかなって思って」
「まあ、気にならないっていうえば嘘になっちゃうかな。でも…」
「でも?」
「気になるっていうか、何か不思議な感じがするの」
「不思議って、どういう?」
「何ていうんだろう。ボクは、…あ、ゴメン、アタシだった」
「フフ、まだ中々慣れないね(笑) それで?」
「えっとね、今までのアタシはあっち側(男子)からこっち側(女子)を見てたわけで、でも今は逆でこっち側からあっち側を見てるでしょ。なんかすごく不思議だなぁって思って…」
「そっかぁ。小谷さんの気持ちってなんとなくわかる気がする。でも小谷さんは本当は元々こっち側にいるはずの人なんだから」
「ウン、そうだネ。 でもなんか不思議…」
そう言ってボクは以前は自分もその中にいた男子の方をボーっと眺めていた。
「あ、そういえば藤本さんたちと仲良くなったみたいネ?」
「ウン。ミコたちにいろんなこと教えてもらっちゃってるの。この前もね、夜にミコと電話で話してたら1時間も話しちゃって(笑)」
「わぁー!すごいねー(笑)」
「それで電話切って時計見たらもう夜の12時回っててね。次の日アタシもミコも2人で「ねむーい」って(笑)」
「アハハ。でもいい友達できてよかったネー」
「ウン。井川さんともこうやって話できるからすごく嬉しいなって思ってる」
「アタシも小谷さんと友達になりたいなぁって思ったんだヨ」
「ありがとぉー。ホントは アタシ退院して初めて登校してきたときすごく不安だったんだ。教室に入ったときみんなの前で足が震えちゃって。 でもそのとき井川さんが「小谷さん、座ろう。」って言ってくれてすっごく嬉しかった。 アタシでも女のコたちと友達になれるのかなって」
「小谷さんはもうみんなと友達だヨ。 小谷さんにとってまだ不安なこともあるだろうけど、スタートがほんの少し遅れただけなんだから。これから、これからだヨ」
「ウン!」
ボクと井川さんがそんなふうに話していると体育館の反対側半分にいる男子のほうで突然
「わぁー!」
と女のコたちの歓声があがった。
するとボクたちのところにミコと久保ちゃんたちが駆け寄ってきて
「凛、男子のほうで最後にクラス対抗でバスケの試合やるんだって!見に行こうヨ!」
そう言ってミコはボクの手を引いた。
「わぁー、アタシも見に行っちゃおう。小谷さん、行こう?」
井川さんもボクの背中を押してそう言う。
「ウ、ウン」
男子のコートの周りはもうたくさんの女のコが囲んでいる。
「加藤くーん!がんばってー!」
「小山内くん、ファイトー!」
女子の何人かが人気の高い男子に声援をおくっている。
ふっと見るとメンバーの中には工藤と安田もいる。
「凛、仲良かった男子に声かけてあげなヨ」
ミコがニヤニヤした顔でボクのほっぺを人差し指でつつきながら言う。
「エー、アタシなんかが声かけたらアイツらだって迷惑なんじゃ…」
「そんなわけないじゃん!きっと喜んで張り切っちゃうヨ。サア、早く!」
そしてミコに急かされるように安田と工藤の名前を叫ぶ。
「安田ーー、工藤ーーー、がんばれぇぇーーー!」
するとそのボクの声に2人はクルッとこっちを振り返って、大きく手を挙げてガッツポーズを取った。
「それではB組VSD組の試合を行う。」
ピィィィーーーーーーー!!
審判役の先生のホイッスルが鳴り試合が始まった。
ダンッ!ダンッ!ダンッ!
ボールをバウンドさせる音が体育館の中に響く。
ダンッ!
そしてジャンプして投げ出されたボールはバサっと音を立ててゴールへ。
「キャァァァーーーーー!!!」
コートの周りの女のコたちから一斉に黄色い声が飛ぶ。
すごいっ!
これが男子の試合なんだ。
やっぱり女子と迫力が全然違う。
ボールを持った男子は手を広げて周りの敵チームを威嚇するようにする。
ぶつかってきたら弾き飛ばすぞみたいな勢いで
それはボクシングのファイティングポーズのようにも見える。
ボクもサッカー部にいたからわかるけど、一つのボールを奪い合うスポーツって男子がやるとほとんど格闘技だ。
ボールを持っている者に他の者は全力でぶつかってくる。
他の男子に比べて背が低く身体が小さかったボクは、練習の時じつは周りの仲間たちのこの気迫が怖かった。
それは肉体的な差だけじゃなくきっと精神的な差もあったんだって思う。
ボクにはあんな気迫はとても出せないってわかってた。
だからボクは技術で対抗しようと、家に帰ると庭で一人でよく練習したりもした。
だけど、それにも限界があって、稀にボクがボールをキープしたりすると敵チームのやつらが突進してくる前に周りにパスしてしまったりして監督に怒られたりしたものだった。
そんなボクが夏休みが明けて、こうして女子として学校に通うようになった。
退部届を出したわけじゃないけど、さすがに女子のボクが男子に混ざって練習をするわけにもいかなくなった。
かといって、今更他のクラブに入るのも気が引ける。
それでボクは女子マネージャーということで置いてもらうことになったんだ。
しかしこれはけっこう辛いことも多かった。
正直言えば最初はなんか情けなくなったりもした。
それまでもボクは試合には出れない補欠だったけど、一応みんなと一緒に練習をしてきたのに、今はそれすらできない。
泥だらけになったボールを洗ったり、みんなのタオルを洗濯したり、ポットに冷たいドリンクを用意したりするのがボクの役目。
今まではサッカー部には女子マネなどというものが存在していなかったので、そういう仕事は1年生がやってたわけだけど、それがボクのところに回ってきた。
それまでは補欠とはいえ一応は1年生に対しては先輩であって、
「小谷先輩、ちぃっす!」
なんて挨拶されて
「おぅ!」
なーんて格好つけて応えたりもしてたのに
今じゃその1年生にさえ
「小谷さん、これヨロシクー」
なんて言われちゃう。
「うぬぬぬーーーーー!こいつらあーーー!」
って思ったりして歯ぎしりするけど
「おい、おまえら、先輩に対してっ!」
って言ったりすれば
「小谷さん、女のコがそんな口きいたら可愛くないっすよ」
なんて馬鹿にしたように言われてしまうかもしれないって思った。
だからボクは心の中で
「我慢、我慢、人の字、人の字」
って呟くのだ。
もちろんボクは別にいじめられているわけではないし、みんなに悪気がないこともわかっていた。
周りの男子はみんな女子であるボクに対して優しかったし、サッカーを離れれば一緒に仲良く話したりもしていた。
大切に扱われているんだなっていうことが何となく感じられたんだ。
でも、そうやって大切にされる自分が逆にちょっと悲しかったりもした。
それで落ち込んだりしたこともあったんだ。
でも、今はそういうことも次第にあまり気にならなくなった。
今まで同じ仲間としてサッカーをやってきたみんなにボクが女の子になったことで差別されるようになったんじゃなかって思ってたけど、実は自分自身がみんなを差別してたんじゃないかって気づいたから。
それはあることがきっかけだった。
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ウチのサッカー部では年に数回他校のチームとの練習試合をする。
今回は隣の区の城南中学サッカー部との試合だった。
このチームとは初めての試合で、以前は(たとえ補欠でも)男として試合に参加していたボクのことを知っている人もいなかったので同行を許された。
場所は城南中学のグラウンド。
一応学校行事ということでそれぞれ学生服を着て駅に集合。
そこからはみんなで電車に乗り3つ先の駅まで行くことになっていた。
そして約束の時間が近づくと集合場所にみんなが集まってくる。
ワイワイと話すまっ黒の学ラン姿のサッカー部員たち
その中に紺のジャンパースカートとボレロに身を包んだボクが一人だけいた。
紅一点って言ったら聞こえはいいけど、何となく仲間外れの気分
それでも久しぶりの試合でボクの心は何となくワクワクしていた。
試合が始まるとボクは部長の戸田先生と数人の補欠選手とともにコートサイドのベンチに座る。
今までも補欠だったボクはこのベンチには慣れっこだったけど、補欠には補欠なりの役目があるわけで、試合が始まると彼らは
「がんばっていこーぜー!」
「オラオラー!敵さんのボール甘いよー!」
なんて奇声をあげて応援したりするわけだ。
しかし、まさか女子がそんな奇声をあげるわけにもいかない。
さすがに恥ずかしいってことは女の子初心者のボクにだってわかっていた。
せいぜい
「がんばってぇー!」
って黄色い声をあげるのがお似合いだろう。
でもそれもまだ何となく抵抗がある。
なのでボクはしばらく黙って試合を見ているだけだった。
そんなときフッと相手側のベンチを見ると、そこにはボクと同じように制服を着て座っている一人の女のコがいた。
(へぇ、珍しいな。向こうにも女子マネがいるんだ)
彼女は試合を見ながら何かノートみたいなものを書き、そしてときどき手を止めては声援を送っていた。
そのとき
ピィーーー!
主審のホイッスルが鳴ってハーフタイムの休憩時間となった。
ここでやっとボクの出番が来る。
ボクは予め用意していた冷水の入ったポットとコップを並べ、タオルを両手に抱えてコートからあがってきた選手たちに手渡す。
さっきの女のコもボクと同じようなことをしていた。
そして休憩時間が終わり試合が再開されると、わずかなボクの活躍の場もなくなってしまう。
ピィィィーーーーーー!
試合が終了
結果は3VS1でウチのチームの勝利に終わった。
フッと相手のベンチを見ると女のコは残念そうに肩を落とす選手たち一人ひとりに笑顔で声をかけている。
(へぇ、しっかりした娘だなあ)
(ボクにはあんな真似はできそうにないなあ)
なんかああいうのを見てると、男のコのときもヘッポコだったボクだけど女のコとしてもやっぱりヘッポコのような気がする。
こんなことを考えてちょっと落ち込んだりしてしまった。
試合後
ウチのチームと相手チームとで交流を兼ねて教室の一室で合同の昼食を取ることになった。
教室の中では机をまとめて並べいくつかの島を作り、そこにサンドウィッチだのおにぎりだのピザだのといったものがどさっと置かれ、みんなでジュースで乾杯をする。
そして両チーム入り乱れてワイワイとお互いの勇戦を讃えあって賑やかな会話が始まった。
そんなとき
ぽつんと一人で黙々とサンドイッチを口に入れているボクに相手チームのマネージャーの女のコがツツっと近寄ってきて、ニコッと微笑み
「はじめまして」
と話しかけてきた。
「エ、あ、はじめまして」
ボクは一瞬ドキッとして拙い挨拶を返す。
「若松中学にも女子マネがいたんですね?」
「あ、ウ、ウン。アタシも同じこと思った」
彼女は佐野里佳子ちゃんといってボクと同じ2年生だそうだ。
身長は152センチのボクとほとんど変わらない感じ。
髪の毛をショートのレイヤーカットにし、わりと活発そうな感じだけど笑顔がよく似合う可愛らしい娘だ。
話を聞くと、彼女は小さいころからサッカーが大好きで、小学生の時は地元のサッカーチームに入り男のコに混ざってプレイをしていたらしい。
「そうなんだぁ!すごいねー」
「エヘヘ、でもさすがに中学生になるとついていけなくなっちゃって。どっかの女子サッカーチームに入ることも考えたんだけどね」
「入らなかったの?」
「うん。6年生のときに『アレ』がきてね。考えちゃったの。男子と一緒になって戦うっていうのはアタシには無理かなって思って」
「そっかあ。何か残念じゃなかった?」
ボクは、生まれた時から女のコとして生活してきた彼女が自分と同じ気持ちを経験していたことが意外で、ついそう聞いてしまった。
すると彼女はちょっと考えるような表情をするとこう答えた。
「うん。残念だったヨ。 悲しかったし。今まで一緒にサッカーやってきた男のコたちから何か仲間外れになったみたいな気持ちになって」
「あ、それわかるー!」
ボクはそれを聞いたとき思い切り首を縦に振り少しオーバーなほどに彼女の意見に同意した。
それからボクと里佳子ちゃんは2人で夢中になって話をした。
「それでね、考えたの。サッカーが好きで女のコだってできること、ううん、女のコだからこそできることはないかなって」
「女のコだからこそできること?」
「ウン、そう。みんなが戦って戻ってきたら勝ったって負けたって一生懸命褒めてあげようって。そうすることでアタシもちゃんと試合に参加できてるんだって思うようになったんだぁ」
「そっかぁ。女のコも試合に参加できるんだ…」
コートの上でプレイすることだけがサッカーじゃない。
自分ができることをみんなと一緒になってする。
それを聞いたときボクは何かショックだった。
サッカーに参加しようとしなかったのはむしろボク自身なんじゃないかって思った。
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さて、話を元に戻す。
試合は全体的に身長の高いD組有利に進んでいった。
しかしそのとき
工藤が相手のこぼしたボールを素早く取り上げ、ダンッ!ダンッ!とバンドさせたままゴールへと一直線に向かう。
工藤!
がんばれっ!
そのままいけぇぇーーー!
ボクは心の中でそう叫んだ。
そしてゴール前で工藤は大きくジャンプ!
彼の手から離れたボールはゴールのリングにひかかって上にワンバウンド、そして吸い込まれるように入っていった。
その瞬間ボクは自分でも信じられないことに
「キャァァァーーーー!! やったぁぁーーーー!!」
と黄色い声を上げてしまった。
するとその声に反応した工藤はボクに向かってぐっと力こぶを作って応えてくれた。
ピィィィーーーーーーーーーーー!
「終了ーーーーー!!」
試合はわずかに及ばずD組の勝利だった。
でもみんな精一杯頑張ったいい顔だ。
試合が終わったあと工藤と安田がボクの顔を見てそばに寄ってきた。
「よぉ、哲、じゃなくて小谷さん」
工藤が汗でいっぱいになった顔をタオルで拭いながらボクに声をかける。
「俺たちどうだった?」
安田が試合の興奮で顔を真っ赤にして尋ねた。
だから、ボクは今ボクの前にいる最高に素敵なこの2人の男のコに、ボクにできる最上の笑顔でこう言ったんだ。
「ウン!2人ともすっごいカッコよかった!」
そんなボクの言葉に2人は「へへへ」という感じで照れたような顔をする。
そのときボクは母親に聞いた言葉を思い出す。
そしてこの2人はやっぱり大切な友達なんだってことがわかった。
ところで
最近この2人はボクのことをなぜか『小谷さん』と呼ぶ。
ボクとこの2人との付き合いはけっこう長く中1のとき同じクラスになったことにはじまる。
とくに安田とは小学校でも5年生のときから同じクラスだった。
そしてこの2人はつい数ヶ月前まではボクのことを『哲ちゃん』と呼んで付き合ってきたわけで、そのボクが「実は女のコだった」ということになったって、いくらなんでも変わり身が早すぎじゃないの?って思ったりした。
そしてその理由がつい最近わかった。
ある日
ボクは日直当番で社会の先生に頼まれて授業の前に両手で抱えるほどの大さの地図と資料を持ち教室へと向かっていた。
そして階段の踊り場でばったりと会ったのがこの2人。
すると工藤はそんなボクにこう言った。
「小谷さん、そんな大きなの持ちながら歩いて転んだら大変だよ。」
そしてこんどは安田がこう言う。
「オレが地図を持ってあげるから。」
ボクは不思議そうな顔をして言った。
「なんか最近キミたちってアタシにすごく優しくない? それに昔はいつも『哲ちゃん』って言ってたじゃん」
すると工藤は
「だってなぁ…」と困ったような顔をした。
安田は
「今更女のコに『哲ちゃん』なんて呼べないし、それに…なあ、工藤?」
と何やら恥ずかしそうな顔をしている。
工藤もそんな問いに
「ああ…」と気まずそうに返事をするだけ。
「それに、なに?」
ボクはどうしても理由が知りたくなってさらに突っ込んで聞こうとした。
すると工藤はとうとう観念したようにこう話してくれた。
「ほら、先々週の土曜日に五小と合同で学芸発表会があったろ?」
「ウン、あったねぇ」
そのときボクはハタっと思い出す!
ん?もしかして…
ああああーーーーっっ!!
そう
それはボクが記憶の奥に閉じ込めようとしてきた『アレ』だったのだ。
ボクの中学では2年に1回の割合で近所にある第五小学校と中央小と合同で学芸発表会をやる。
これは同じ学区にある小学校と中学が劇や音楽などを通じて交流するもので、毎回両校の関係者や父兄などもたくさん来ていた。
今年はウチの中学がホスト校で、体育館や教室などを使って行われた。
そのときボクとこの2人はたまたま同じ実行委員をやっていたのだ。
間もなくお昼どきという時間になり、ボクとこの安田と工藤そして数学の木内先生(男)は先生方や来賓の人たちに出すお弁当と飲み物の準備をしていた。
体育館の隅に業者から届けてもらったお弁当を積み上げ終わるとそこに他の実行委員の生徒たちが買ってきたブリックパックの飲み物が届く。
そこにはお茶や烏龍茶やオレンジジュースなどがごちゃまぜになって詰められていた。
「やっぱりお茶を欲しがる人が多いよな?」
「まあ、お弁当が和食だからねー。」
「適当に並べて好きなのを取ってもらえばいいんじゃねーの?」
「いやいや、種類を分けて置かないと間違って嫌いなものを取っちゃう場合だってあるだろ」
ボクとこの2人そして設営担当の木内先生の4人がワイワイと打ち合わせていたときだった。
そこに五小の子らしい、4,5年生くらいのわりと可愛い感じの男のコ3人がボクのところに寄ってきた。
「ネエネエ、お姉ちゃん」
そのうちの一人がボクのスカートをクイクイとよ引っ張って声をかける。
「あ、ゴメンね。いまお姉ちゃんたち打合せしてるから、ちょっとだけ待っててもらっていい?」
ボクはそう言ってまた安田たちの方を振り返った。
そのときだった!!
3人の男のコは声を揃えて
「せーーーのっ!」というと
次に「それーーーーー!!!」という言葉とともにボクの前の視界は紺色の布で覆われた。
一瞬何が起こったのか理解できなかった。
そして次の瞬間それが自分のスカートであることがわかったときはもう手遅れだった。
このガキどもは3人がかりボクのスカートを
バーーー!
っと上までまくりあげやがったのだ!!
「ほらーーー!オレの言ったとおりだろーーー!ピンクだ!ピンクーーー!」
「けっけっけけーーーー!オレの勝ちだねーーーー!」
「ちっくしょぉぉーーー!大人しそうな顔してたから絶対白だって思ったんだけどなぁぁーーー!」
そう言ってこの3人のクソガキは脱兎のごとくその場を逃げ出す。
そしてその瞬間
「キャァァァーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!」
ボクは無意識に体育館の中をつんざくような叫び声を上げてその場に座り込んでしまった。
ちっくしょおぉぉぉーーーー!!
このガキども、ボクのパンツの色で賭けをしてやがったのかぁぁーーー!!
あああ、男にパンツ見られたぁぁーーーーー!!!
そして
ハッ!
と我に返って目の前を見ると、安田と工藤そして木内先生の3人はポカーーンと大口を開けたままボクを凝視している。
ボクは目の前にいる3人の顔をジィーーッ!と見返した。
すると3人は急に目を泳がせるようにキョロキョロとし始めた。
安田は
「あ、あれ! オレさあ、最近勉強のやりすぎなのかな?最近1m先もぼやけちゃって!!」
と呂律のはっきりしない口調で言い出すし
工藤は
「あ、ああ! オ、オレもなんだヨ!! ハハハ、合わねーことはするもんじゃねーな!!」
と引きつって答える。
そして木内先生に至っては、思いついたように、そしてわざとらしく
ポンッ!
と手を鳴らすと
「お、お、おっと、先生、別の用事思い出しちゃったぞ! じゃ、そういうことであとは頼むぞーーー!!」
と逃げ出してしまった。
安田よ
オマエ、ついこのまえ
「5m先の他人の答案用紙の答えも見えるぜ!」
って豪語してたよなぁ!
ボクはそのとき
「もぉ!やだぁぁーーーーー!!!」
と叫びその場で泣き出してしまった。
それに気づいたミコと井川さんが寄ってきてくれてボクを女子トイレに連れて行ってくれるまで、
まるでボクは小さな少女のように両手で顔を抑えて泣いていたんだ。
そして
そんなボクを見て彼らは、自分たちの知っている昔の『哲ちゃん』との決別を決心したらしい。