第39話 スピンオフ4「29歳のガールズトーク2(ベルサイユの凛)」
(久美子)
「そういえばさぁ、凛って女の子として生活始めたとき何の違和感もなかったの?」
(凛)
「ウーン、なかったわけじゃないヨ。 たとえば女の子の服とか言葉遣いとか、最初は戸惑うことばっかりだったし。」
(ミコ)
「そうだったネェ。 凛は3ヶ月くらいは一人称が『ボク』だったし(笑) あ、服っていえばさぁ…。」
(凛)
「あー! ウンウン!」
(久美子)
「エー、なになに?」
(ミコ)
「アハハ、思い出すネェ(笑)」
(凛)
「あのときは焦ったー(笑)」
(久美子)
「2人でなに納得しあってるのヨ。 アタシにもちゃんと話しなさいヨー。」
(凛)
「ウーン、じゃあ(笑) じつはこんなことがあったのヨ。」
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それはアタシが中3になった4月のある日のことだった。
朝、目が覚めると
「わぁぁーーー! もう7時50分じゃん! どーしよー、遅刻だぁー!」
ミコと一緒に青葉学院高等部を目指すことを決心し、アタシはその日から勉強勉強の毎日を繰り返していた。その日の前日も夜中の2時半まで勉強をしていて、前夜にかけておいた目覚ましのけたたましい音もなんのその!
朝起きたらなんといつもより30分も大寝坊してしまった。
しかも寝ぼけ眼の上に今週初めから生理が始まって頭はフラフラ状態。
アタシは重い身体を無理に引きずって、とにかく歯磨きと洗顔を済ませて、部屋のハンガーにかかっている制服をばさばさと着こみ髪をとかす。
「ああ、つら~~~い…。」
机の横にあるカバンを手に持って1階にあるダイニングキッチンに降りていった。
テーブルの上にはすでにトーストとハムエッグ、そしてオレンジジュースが置いてあり、母親はキッチンで忙しそうにしている。
「凛ー、早く食べちゃいなさい。 遅刻するわヨー。」
「わかってるー。 ああ、もうホントに間に合わなくなっちゃう。」
アタシは、目玉焼きを素早くおなかに流し込み、そして残ったハムをトーストの上においてトーストを半分に折ると、それを口にくわえてバタバタと玄関に急いだ。
するとキッチンの奥の方から忙しそうにしている母親はこっちの方を向かないまま
「あ、今日はお母さん、午前中松戸のちーちゃんの家に行ってくるからネー。」
と大声で声をかける。
アタシは
「わかったー。じゃあ、行ってくるからー。」
と焦って家を飛び出した。
(ああ、もうあと12分かぁ。 間に合うかなぁ…。)
家から学校までは普段歩いて15分はかかる。
アタシは息を切らせながら早歩きでスタスタと歩いた。
その途中、何人かの人にすれ違った。
誰も見知らぬ人ばかりなのに、男の人も女の人もなぜかすれ違うたびにアタシの方をチラッと見ている。
(なんだろう? 口に目玉焼きの残りでも付いたままになっているんだろうか。)
しかし口元に手をやって拭っても手にそういうものは付いてこない。
少し不思議に思いながらも、とにかくアタシは学校への道程を急いだ。
(ああ、あと3分!)
やっと正門が見えてきた。
もう他の生徒たちは校舎の中に入ってしまっている様子。
そしてチャイムが鳴る8時15分
なんとかアタシは校舎のところに辿り着いた。
階段は2段飛びでピョンピョンと上がって行き、やっと教室の前。
そして
アタシはガラッと扉を開けて教室の中に入っていく。
ラッキー!
担任の山岸先生はまだ来ていない。
教室の中ではミコが久保ちゃんや奈央と席の近くに集まって談笑している。
そこにアタシは
「オハヨー!」と彼女たちに声をかけた。
すると
振り返ったミコたち3人はアタシのことを見てなぜかポカーンと口を開けて見ている。
「エ、なに? ミコ、どーしたのヨ?」
アタシはハアハアと小さく息を切らせながらそう尋ねると
「凛…、アンタ…。」
「?」
「ど、どーしちゃったのヨ!? その格好! アハハハハ!!!」
ミコも久保ちゃんも奈央も、いきなり大きな声で笑い始めた。
「エ、なんで? なんで笑ってるの?」
「ア、アンタ、その制服!!!」
「…制服?」
そしてアタシは頭を下げて自分の首から下を見下ろしてみた。
「ああああああーーーーーーーーーーーーっっ!!!」
な、なんと! アタシは遅刻に焦って慌てていたため、いつもの制服の隣にかけてあった昔の『男子の制服』を着込んで家を出て着てしまったのだった。
「ア、アンタ、アハハハ!どーしたの!? 女の子やめちゃったの!?」
周りの子たちもミコの派手な大爆笑にこっちを振り向く。
すると教室中がワァーーー!と大騒ぎになった。
「凛、どーしたの? きゃぁ♪ なんかすごいカワイイー!」
女の子たちが一斉にアタシの周りに集まってくる。
教室の隅にある大きな鏡に自分の姿を映すと
すでに肩まで伸びた長めのボブカットにふっくらした女の子の顔。
それが男子の真っ黒な学ランを着込んでいるんだから違和感MAXだ。
しかもこの頃では体型が急激に女性的に変化してきて、男子の制服は上着がダボっとしているため腰つきはそれほど目立たないけど、胸の膨らみはやはり目立ってわかる。
「あわわわーーーーーーーーーー。」
(ど、どーしよー! 間違って男の制服着てきちゃった!)
(そっかぁ、だから朝すれ違った人がみんなチラチラボクの方を見てたんだぁー。)
じつはこの頃アタシは昔着ていた男子の制服を、中々捨てがたくって、思い出のつもりで女子の制服の横にかけていた。どうも慌ててそれを着てきてしまったらしい。
「なんかすごくアンバランスなんだけど、そのアンバランスさがよけい艶かしいっていうか…。」
男子たちまでそんなことを言い始める。
「あああああ、困ったぁーーーー!」
とはいっても体操着は昨日の体育の授業のあと家に持って帰ってしまっている。
他の女の子もそのようだった。
男子の中にはそのまま個人ロッカーに入れっぱなしの人もいるらしいけど、そんな男の汗臭い体操着なんか絶対に嫌!
それにしても久しぶりに切る男子の学ランはズシンと重かった。
そのせいか肩が凝ってしょうがない。
アタシはせめて上着だけでも脱ごうとすると、Yシャツからはブラジャーの後がハッキリと透けてしまい、男子はなんとも目のやり場がなさそう。
男子はチラチラとアタシのYシャツに目を配らせている。
ジーッとは見ないけど、チラチラと目を逸らしながら見るからよけいゾクゾクしてくる。
(そ、そんな目つきでみるなぁぁーーーー!)
仕方がなくアタシはまたその上着を着るしかなかった。
そんなアタシを弄くるかのようにミコは
「まあまあ、とにかくもう先生来ちゃうし、席に着こうヨ。 それにしても…ウプププ…。」
「ウン、小谷さん。とってもステキヨ。それにしても…ウプププ…。」
いつも冷静沈着な井川さんまでが笑いを堪えきれず、アタシにそう声をかけた後は後ろを向いて噴出している。
アタシは仕方がなく真っ赤になったまま自分の席に腰を降ろした。
するとそのとき
ガラッと扉が開き担任の山岸先生が入って来て、みんなはバタバタと自分の席に着く。
先生はそのまま教壇に登り
そこにクラス委員の井川さんが挨拶の号令をかける。
そして
先生が「皆さん、おはようございます」と言って顔を上げたとき、アタシとバッチリ目があってしまう。
山岸先生はボーゼンとした顔でアタシを見ている。
「あ、あの…その…。」
なんて言い訳すればいいのかわからず口ごもっているアタシに先生は
「小谷さん! ど、どーしたの? その制服はっ!」
「じつは…。」
アタシは真っ赤になった顔で朝のときの事情を先生に話した。
「なるほどネー。 まあ、それじゃしょーがないけど…。 それにしても…プププ…カワイイ…。」
(あーーーーーーーん!先生までーーーーー。)
「とにかく、そのままってわけにもいかないわネ。 アタシがお母さんに連絡を取ってアナタの制服を持ってきてもらうように言うわ。」
そう言って、山岸先生は自分の携帯電話を取り出してウチの家に電話をかけた。
プルルルルルーーーーーーーーーーーーー。
「あら、おかしいわね…。誰も出ないわヨ。」
「あ、そう言えばウチの母、朝キッチンから今日は午前中松戸の親戚の家に行くって言ってました。」
「あらぁー、それじゃお母さんの携帯電話の番号教えて?」
そして今度は母親の携帯へとかけてみると
「おかけになった番号は、電波の届かないところにいるか電源が入っておりません。」
というアナウンスが流れる。
「多分、もうお母さん、電車に乗ってらっしゃるのヨ。 後でまたかけてみるから、とりあえずそれまではその格好でいるしかないわネ。 それにしても…ウプププ…イエ、ゴメンなさい。 でも、プププ…。」
あー、なんて恥かしいことにーーーー。
中2の2学期のはじまりから女性として生活を始めたアタシ。
女子の制服だとスカートなので、腰から下は開放感があるけど、久しぶりの男子のズボンはなんか窮屈。
普段着としてジーンズやパンツを穿いたりもするけど、なんか制服のズボンとは違う気がするんだ。
アタシはもう一度教室の隅に置かれている大きな鏡を覗く。
すると、そこにいるのはかつて男子の制服を毎日堂々と着て学校に来ていた小谷 哲の姿とは明らかに違う、一人の女の子が男子の制服を着ている姿だった。
体型とか髪型とかそういうものだけではなく、それはきっと女性としての雰囲気なのかもしれない。
トホホホ…。
仕方がなくアタシは自分の席に再び腰を降ろした。
そして
それから多分この話は先生が職員室に戻って瞬く間に広がったのだろう。
他の先生が授業で教室に来るたびにアタシの方を見て必死に笑いをこらえている。
まるで地獄のような時間はゆっくりゆっくりと過ぎていく。
休み時間には他の女の子たちが
「ネー、凛。写真撮ろうヨー。」とアタシを囲んで携帯の写メをパチパチとやる始末。
「やぁーん、凛、カワイすぎるー!」
「今度はアタシとー。」
まるでアイドルタレントのように引っ張りまわされる。
さて
しかし困ったのはトイレだった。
その日アタシはちょうど生理の真っ最中。
ナプキンを取り替えるためにトイレに行かない訳にはいかなかった。
そこでミコや久保ちゃんたちがアタシの付き添いで一緒に女子トイレに入る。
ところが中に入ると、そこにいる女の子たちは男子の学ランを着ているアタシに一瞬
「きゃぁー!」と声をあげるが、しげしげとその制服を着ているアタシの顔を見ると
「ど、どーしちゃったのー!?凛、その格好!」と言って驚き
そして、「カワイイーー!」と囲い込んだ。
それから山岸先生がウチの母親とやっと連絡がついたのは10時を過ぎてから。
母親が女子の制服を入れたバッグを持って学校に来たのは給食の時間になってからだった。
トイレでやっと女性の制服に着替えて教室に戻ったアタシに他の女の子たちはしきりに
「もったいなぁぁーーーい!」
「もっと着ててほしかったのにぃぃーーーーー!」
と残念がる。
(アンタら、アタシで遊んでるネ…。)
そして
それからしばらくの間、アタシは他の女の子たちに『オスカル』と呼ばれていたのだった。




